蒼穹のぺうげおっと

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「金枝篇(1)」からみる「交響詩篇 エウレカセブン」との関連性

2005-06-04 17:25:28 | エウレカセブン
その昔、北イタリア山中のネミ湖畔にはディアーナ女神を祭る神聖な森があった。
森には一本の聖なる樹があって「森の王」と呼ばれる祭司が守っていた。
王が衰えを見せるや強健な若者が聖樹の「金枝」を折り取りとり、剣を振るって彼を殺し王位を継いだ・・・。


表紙裏のこの言葉から始まるフレイザーの「金枝篇(1)」、何とか読み終わって現在第2巻に突入しております。

■そもそも
そもそも「金枝篇」とは何か?という話なのですが、今僕が最も楽しみにしている作品「交響詩篇 エウレカセブン」に登場するキーマン達が読んでいる「実在」の書物のことなんですね。
#エウレカセブン自体は脚本、絵、音楽、演出とどれをとってもクオリティーが高くて、これは本当にお勧めです。

実はこれ、初版は1890年。なんと19世紀の本なのです。

■民俗学・宗教学の集大成
冒頭の文章を読むと、一見ミステリー小説か?と思わせるところもありますが、これは創作関連の書籍ではなく、民俗学・宗教学に関するフレイザーの考えをまとめたものなんです。
#よって研究論文等を読み慣れない人には苦痛を伴うことがあります(笑)。
#ちなみに僕も苦痛を感じているのは内緒です。

世界各地に点在する伝承・魔術・呪術に関して膨大な文献、ヒアリングをベースに科学的な分析を行った、そういう本だと理解してもらえれば良いかもしれません。
#そのサンプル数たるや、まじでびっくりするほど膨大です。

■前提として
茶者であるフレイザーは伝承、魔術、呪術に関する生涯をかけたような調査をしていますが、基本的に魔術・呪術は信じていません。
彼は学者ですから、何故魔術が信奉されるようになったのか?どうしてそのような伝承・魔術・呪術に関して世界規模で類似性、共通性があるのか?という点について膨大なデータから分析を行うことで、今の(と言っても19世紀だが)宗教学につながっていったのかを説いていっている、という感じです。

神話や伝承の共通性については、本書でかなり詳細に語られており、ギリシャ神話とヨーロッパ各地にある神話の類似性のみならず、その研究は中国、オーストラリア、アメリカ、そして何と19世紀にして日本の神話にまで及んでいます。
これは正直驚き。

■その原点として
じゃあ、フレイザーが何故そんな膨大な研究をする気になったのか?
恐らくその動機たる部分、これが冒頭で紹介した「ネミの司祭を殺害するのは何故か?」というところから出発していると思われ、さらに推測するに「交響詩篇 エウレカセブン」でこの「金枝篇」がフューチャーされた所以ではないかと推測します。

そしてフレイザーはこの「何故王は殺されねばならなかったのか?」について、ただこの1点についてのみ解き明かしたいがために(文庫にして)全5巻のボリュームをかけて本書を執筆したのではないかと第1巻を読んで思うわけです。
つか、そのエネルギーたるや驚くべきものです。

この本を読んで自分はつくづく学者には向いていないなと思うのですが、僕は個人的にこういう「学究の徒」みたいな人、好きです。

■第1巻のポイントは2つ・・・かな?・・・かな?

まず1点目「何故王は殺されなければならないのか?」です。
いきなり核心を突くことになるのですが、第2巻でも外堀を完全に埋めるようにたくさんの説を紹介し、この1点に集約させようとしていると思います。

「金枝」とは?
これは森の信仰対象になっているもので、その由来は(実はかなり複雑なのだけど)簡単に言うと、豊穣の女神ディアーナ=月の女神アルテミスを指しているとフレイザーは述べています。

人間が安定して生きていく上で最も必要なことは「豊穣」であり「多産」である(現代では忘れられがちだけれども19世紀までにおいてはとりわけ重要視される)わけで、そのためには女神の配偶者が必要であると考えられたわけですね。

その配偶者たる人物こそが「森の王」であり、「司祭」であったわけですね。
聖なる森にある1本の木「聖樹」を女神と見立て、その配偶者たるものを「王」であり「司祭」として崇めたというわけです。

ゆえに王は代々その「聖樹」を守護するわけですが、その「王」の力が衰えたるとみるや、次の王を目指すものによってその王は殺され、「聖樹」の「枝」を折ったもの、つまり「金枝」を持つものが次代の王として認められる、ということになったわけです。

これは私見ですが、王とは常に力を持っている必要があり、それが衰えると「豊穣」や「多産」が約束されなくなるんじゃないか、と思うわけです。
ゆえに王とは強くなくてはいけない・・・と。

この辺が恐らく「交響詩篇 エウレカセブン」でもフューチャーされているポイントであり、「英雄王アドロック・サーストン」の話とリンクする部分だと思われます。
この流れから推察するに、アドロックの死は決して事故等ではなく、なんらかの犠牲にされたのではないか?と考えることもできるんじゃないかなぁ。
要するに生贄的な扱いか?
コーラリアンとの関連性、そして「王」の役割、そういう部分が今後ポイントになるはず!と踏んでいます。

■司祭や王の役割
これが2点目。
これも第2巻以降、延々と分析が述べられるわけですが、簡潔に言うと

王や司祭とは呪術・魔術に秀でた存在であるが、フレイザーは魔術・呪術を科学的に否定した上で、そういった欺瞞を民衆に対して思い込ますことができる、そういった優秀な者である、としています。

またエウレカセブンの感想でも書いたのですが、フレイザーは司祭の地位にあるものはその欺瞞を公共の福祉に役立てるものに使う傾向があり、それが魔術・呪術を信奉が成立する所以であり、その司祭が後世の王という立場になっているとしています。

王の役割や成り立ち、そして現代に至るまでの王成立の背景について非常に緻密に調査されているわけですが、やはり「王」とは優秀で強くなくてはならない、欺瞞であろうが民衆に信じさせることができる力を有しており、それを公共の利益に導くことができる、そういう役割を期待されている、と考えたんじゃないかなぁ。

この辺がエウレカセブンでデューイ中佐の台詞には注意しなければならないポイントかなと。
既に台詞の節々にその布石が垣間見られると思います。

■第1巻のポイントの最後に
個人的にここがポイントかな、というのを最後にピックアップしてみました。
ここがエウレカセブンで使われるかどうか、本流とひょっとしたら関係ないかもしれないんですが、どちらとも取れるこのフレイザーの説について、自分なりに考えてみるとエウレカセブンでも楽しめるのかもしれません。
#全然使われなかったらごめんね。

(このような初期の社会では)専制主義は人道の最善の友であり、また逆説的に聞こえるかもしれないけれど、それはまた自由の最善の友であると言っても決して過言ではないのである。

呪術の公的行使は最も卓越した人々をして至上権の座につかしめる手段である限りにおいて、伝統の鉄鎖から人類を解放し、彼らをより大きくより自由な生活にまで引き上げて世界に対するいっそう広い視野を与えることに貢献するところがあった。
これが人道に与えた貢献は決して微々たるものではない。
そして、他方において呪術が科学の道を開拓したことを考え合わせるとき、例え妖術が多くの悪を行ったとしても、同時にそれが多くの善の源泉であったことを認めないわけにはいかず、またたとえそれが誤謬の子であるにしても、なおよく自由と真理の母であったことを承認しないわけにはいかないのである。



まだまだ「金枝篇」は続くので、時間があれば2巻以降も皆さんに紹介できればと思います。
こんなんでどうでしょう(笑)?

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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
初めまして (tomoakira)
2009-05-31 22:22:44
本日初めて映画を見て参りました。私は映画などを見る際には事前情報を一切カットして見に行くタイプなのですが、今回は本編を Blue-ray で見直していこうと考えました。偶々タイミング良く、その頃に5/31のトークショーが企画されていたので、チケットを予約して、本日見に行きましたが、最初の感想は予習したのは失敗だったと言うことでした。

最初からパニック。色々追いつかないまでも、作品城のテーマや仕掛けを見逃さないようにと視聴していました。スカブに飲み込まれる前の世界の話か、いやでもトラパーがあるし・・・、など思考が追いつかない状況でした。幸いこの点は監督の発言で、TV版で別宇宙へ連れて行ったスカブの世界という発言で納得しました。

ブログに出ていない面で私が気になった点を挙げます。

神話の書籍が金枝篇と同様に重要なアイテムだろうと追っていたのですが、最後の方で著者がコーダになっていることに気がつきました。前半違ったようなと思い、巻き戻してみられないのがもどかしかったのですが、トークショーで変わっていることに気づきましたかと言われたので、意図的である事が確認できて安心しました。

最後にアネモネが3つのアイテムを残しています。エウレカ・レントンには The End を、月光号には産着を、コーダには白紙の書籍を、という感じです。この中で The End がニルバーシュ(Zero)に渡され、新世界の Spec-V が産まれます。End -> Zero という流れで見たときにエウレカが End になることによって、レントンの世界での Zero になった流れというのが意図的なのかなとちょっと気になります。特に今回名称を変えることを厭わないような作りになっているので。


トークショーで京田監督が

「演出家として仕事をしてから10年経つが、エウレカは5年という年月を共にした。
 今後はここから離れて作品を作るのに苦しむだろう」

という様な趣旨の発言をされていました。このエウレカセブンは2002年3月26日に島本企画(このコードネームは結構長く使われていたようですが)としてスタートした作品。京田監督が実際どの辺りから参加したのか知りませんし、かなり紆余曲折して内容は変わっていったのですが、プロジェクトとしてみるともう7年も続いています。その集大成の一つがこの映画になるわけです。監督への質問で、エウレカの続編と言われる方がいましたが、この経験を生かして、また新たに濃い世界を描くアニメを作って欲しいなと思った次第です。

このブログの考察は非常に深く、楽しいので、是非 DVD, Blue-ray が発売された折に、もっと深い考察を拝聴したいと思います。

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補完できると良いですね~。 (燕。(管理人))
2005-06-13 09:44:49
>ricoさんへ

いやー、金枝篇って結構読みづらいというか、眠くなるというか(笑)。

図説版と文庫版で相互補完できると良いですね。

>後悔してる・・・

分かります(笑)。

僕は民族学とかに多少興味があるんで、何とか皆さんに情報を伝えられるように読んでみますね。
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またお邪魔します (rico)
2005-06-11 23:22:39
こんばんは。TBありがとうございました。

交換できるほどの情報が無い記事ですみません(^^;

図版はどうしても文章よりもインパクトが強いので

理解しやすくなる反面、惑わされることもあるかな?と思いました。

かなり軽い気持ちで読み出したのですが、ちょっと

後悔してる・・・

というのは秘密です。

いずれにしても明朝の「エウレカ」の放送で、少し謎が解けそうで楽しみです。
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その通り! (燕。(管理人))
2005-06-10 17:54:53
>涼木さんへ

そう、その通り「26章」ですよ!!

#そしてここでその26章のタイトルを伏せてくれた涼木さんの配慮に感謝を。

最終的にはレントンが「金枝篇」を捨てる、そういうシナリオから外れる、そういう展開を期待したいですね。
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Unknown (涼木)
2005-06-10 02:58:36
ダイアンもトラパーもエウレカの謎がフツーに読んでるだけで大分わかってきますよね



燕さんがレントンに~とおしゃってたのは2感の26章でしょうか



エウレカセブン始まってから、また読み直してるんですが、これをどこまで散りばめて突っ込んでくるのか楽しみです。
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迷ったんですよ (燕。(管理人))
2005-06-06 23:28:06
>ricoさんへ

うお、ricoさんは「図説金枝篇」ですか!!

僕も迷ったんですよね。これは一つ情報交換をお願いしますね♪

やはり伝承などについてあれだけのサンプルを出してこられると人間が作ってきた歴史というか、習性みたいなものを実感してしまいますよね。

そういうところが様々な作品にインスピレーションを与えたんでしょうかね。

僕の文庫版では絵は皆無なんで、また教えてくださいね。
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こちらにお邪魔します。 (rico)
2005-06-06 10:01:05
こんにちは。

「エウレカセブン」の記事へのTBありがとうございました。

「図説金枝篇」を読み始めたところです。

いろいろな小説や映像作品にインスピレーションを与えた本ということで、

アダやおろそかに読んではイケナイと思うのですが

冒頭のカラー口絵があまりに多岐に渡っているので

眼が回ってます。

(「ネミの森」ってとても広そうですね・・・)
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