物語も終盤に差し掛かり、一気に終わりへと加速していく第21話「革新の扉」。
今回、凄かったです。
まさかあの人まで、というような勢いでどんどん退場していきます。
しかしながら、個人的には今回、物語のすごく大事な部分、メッセージ性の強いところのバッドエンド部分を凄く強調していると感じました。
だからこそ残り話数が少ないところから、ラストへ向けてどういうところにスポットが当たっていくのか、というのも逆説的に見えてきた気がしました。
普段は最低2回くらい見返してから感想書くのですが、今回は内容も(退場キャラが多くて)辛かった(見ごたえは十分にあった)のと、個人的に立て込んでいるので一度しか見れてないので、多少浅いかもしれないけれども、それでもこの退場劇の中でどうするとバッドエンドへ向かってしまうのか、というのは見えてきた気がしました。
今回、特に衝撃的だったのは王留美とネーナ・トリニティ。
王留美に関しては2つあって、
1つ目は、他人の目からは何でも持っているように見える(そして事実物質的には持っている)王留美だったけれども、その実、本人が本当に欲していたものは、普通の女の子としての生活だった、という点。
僕は恋愛感情まで含めて妄想していたのだけれども(笑)、大分初期の頃に感じた、王留美は意外と普通の女の子っぽい望みを持っているんじゃないか、というところの直感はそれなりに、だった気がするし、そういう意味で彼女は王家という存在によって歪んじゃった、という悲しい存在の一人でもあった、ということなのか。
だから、王家という存在も無くなってしまうような新世界を欲した、新世界で何者にも縛られず、普通の女の子として生きたかった、というところなんだろうなぁ。
切ないねぇ。
2つ目は、もう少しマクロ視点でテーマ的に考えると、水島監督のインタビューあたりからもあぶりだされるところなんだけれども、自分のエゴを通そうとする、自分の利益を最優先しようとする先にあるのは衝突と、結果として誰も利益を生まない結果になる、というバッドエンドを体現してしまった、というところにあったようにも思えます。
この辺はいみじくもネーナ・トリニティが王留美に指摘している部分で、何でも持っているのに欲しがって、更に求めようとする、という点にもかかっていて、王留美の場合、それが個人としての自由を欲して、その引き換えに世界の破壊?を促そうとした=束縛するもの自体を無かったものにしたかった、という究極論まで行ってしまったところなんだよね。
そこまで追い詰められなくても、他にもやりようがあったのに・・・、彼女が欲したものは普通の女の子が欲するものだったのに、というのが切ないところ。
もう一人はネーナ・トリニティ。
彼女が欲したのも実は普通の女子としての幸せだったのかもしれないんだけれども、彼女の場合、それが幸せな人や、持っている人への妬みへとつながって、それをぶつけてしまうところに彼女の本質があった。
そして、自分の仇を討つ、ということには考えが及んでも、自分が誰かの仇になっている、ということには思いもよらない、そういう子でもあった。
この辺もダブルオーの物語の本質をあぶりだすのに一役も二役も買っている、そういう役回りになっているんだなと改めて思うわけです。
ダブルオーの物語の本質、というか水島監督がインタビュー等で本気で言っている部分は、どうやったらみんなで幸せになれるか、地球という限られた場所でいろんな人が一緒に生活しなくちゃいけない、そういう中で、どうやって少しずつ分け合って、どうやって少しずつ優しくなれる、というのを実は本気で考えようとしている、と思うんです。
これがね、僕はこのダブルオーの物語の本質だと思うんです。
だから逆に王留美、そしてネーナ・トリニティの散り様というのは、その本質のテーマを浮き上がらせるためのひとつのバッドエンドになっていると思うんです。
みんなが少しずつ幸せになるには、少しずつ優しくなるには、優しさの連鎖を生み出すには?
という問いに対して、自分の利益の追求だけしても分け合えなければ破滅するし、人を恨んでも妬んでも幸せの連鎖は生まれず、逆に憎しみの連鎖が増すばかり。
畳み掛けるようにもうひとつのある意味バッドエンドがルイス・ハレヴィ。
今回のラストで精神崩壊寸前まで行ってしまうルイス。
これはもう視聴者的にもひとつのバッドエンドの形そのもの(そして物凄く辛くて切ないわけです)。
どこかで彼女には敵討ちをしないで欲しい、と思っている部分もあったけれども、仇を討ってもその先に何も無かった、という強烈なメッセージにもなっている。
こうしたバッドエンドを集めて、どうやったらグッドエンド、トゥルーエンドになっていくことができるのか?
これを伝えたい、というのが本質じゃないかと思ってるんですね。
で、そのヒントが示されたのがマリナ・イスマイール。
彼女だけが銃を取らず、みんなが少しずつ幸せになるにはどうしたらいいか?優しさの連鎖を作るにはどうしたら良いか?というのをずっと考え続けていた。
さすが正ヒロインです。
1年間以上落とされてきただけあります。
彼女の歌を媒介にして、平和を望む人が少しずつ気がついて、少しずつ優しさが集まっていく。
僕はこの物語のクライマックスに、マリナ姫が率いる民衆が「宇宙へのエクソダス」を敢行すると思っているんだけれども、それを成功させるために、少しずつ優しさが集まって、みんながそれを成功させようと力を結集させる、なんていう展開があったら泣いてしまいそうだな、と今から思ってるんですけどね。
敵も味方も無くって、アフリカタワーが崩壊したときに、ピラーの破片を全員で打ち抜いたときのように、そのエクソダスには敵も味方も関係なく、ただ平和を願う優しい気持ちが少しずつ連鎖していく、という展開を個人的には希望しちゃうなぁ。
クラウスが宇宙にあがるしかない、と言ったところから、そんなことを妄想していたんだけど、そうだったらいいなぁ。
僕はこのダブルオーはドラッカーだ、ということを言っているのだけれども、経済学者であり社会幸福論者であるP・F・ドラッカーの言葉を要約すると、イノベーションというのは少数の天才がなし得るものではなく、体系化された組織・方法論によってなされるべきである、それがイノベイターである、と言っているんですね。
つまり、ダブルオーの世界でいけば、少数の天才が導く世界ではなく、イオリア的に人類が革新へと導かれなければならない、というところだと思うんです。
じゃあ、全員が今のイノベイターみたいになることを志向するのか?というとそれも違うと思っていて、あくまで僕ら普通の人が、普通に他者の幸せを考えたり、少しだけ隣の人に優しくなれたり、と言った幸せの連鎖みたいなことをみんなで考えるようになる、というところが僕はこの物語の答えだと思っているんですよね。
ドラッカーの関心は、(彼の戦時中の体験などから)若いころから一貫して、社会的な存在としての人間の幸福に焦点があたっていて、社会が正しく機能し、かつそこに生活する個々の人間がそれぞれかけがえのない役割を持ち、充実した人生を生きるためには何が必要か、という探求こそが彼のライフワークとなっているんですよね。
これに水島監督の言う「優しさの連鎖」という考え方は凄く近いんじゃないかと感じるんです。
#この際、ドラッカー云々は抜きにして考えても、優しさの連鎖って凄く大事だと思うしね。
刹那はどんどんニュータイプ化しているけれども、じゃあ、みんなが刹那のように革新していければよいのか?とか、このまま刹那が革新を進めて英雄になればよいのか?というと、それはまた違うと思うわけです。
だけれども、じゃあガンダムマイスターたちがやってきたことに意味は無かったのか?と問われたときに、そこを考える楽しみというのが、残りの4回くらいの放送にあたるのかな、と。
それぞれにまだまだクライマックスが残っていそうな気配は十分にしているので、あと少しで終わってしまうのが本当に残念だけれども、凄く楽しみにしています。
メカ的にはスサノオ、これはかっこよかった!!
マスラオはサングラスがガイナックスっぽくて、ガイナ立ちとかしてそうでそれはそれで好きだったけれども、白・黒のデザインはスタイリッシュでかっこいい。
そして相変わらず、ミスター・ブシドーの言葉にぽかんとしてついていけない刹那がすこぶる可愛い感じでした。
やっぱり覚醒し始めた人類さえも凌駕する、それがミスター・ブシドー。
そこに痺れる、憧れる。
■機動戦士ガンダム00 セカンドシーズン 1 (Blu-ray Disc)
■機動戦士ガンダム00 セカンドシーズン 2 [Blu-ray]
今回、凄かったです。
まさかあの人まで、というような勢いでどんどん退場していきます。
しかしながら、個人的には今回、物語のすごく大事な部分、メッセージ性の強いところのバッドエンド部分を凄く強調していると感じました。
だからこそ残り話数が少ないところから、ラストへ向けてどういうところにスポットが当たっていくのか、というのも逆説的に見えてきた気がしました。
普段は最低2回くらい見返してから感想書くのですが、今回は内容も(退場キャラが多くて)辛かった(見ごたえは十分にあった)のと、個人的に立て込んでいるので一度しか見れてないので、多少浅いかもしれないけれども、それでもこの退場劇の中でどうするとバッドエンドへ向かってしまうのか、というのは見えてきた気がしました。
今回、特に衝撃的だったのは王留美とネーナ・トリニティ。
王留美に関しては2つあって、
1つ目は、他人の目からは何でも持っているように見える(そして事実物質的には持っている)王留美だったけれども、その実、本人が本当に欲していたものは、普通の女の子としての生活だった、という点。
僕は恋愛感情まで含めて妄想していたのだけれども(笑)、大分初期の頃に感じた、王留美は意外と普通の女の子っぽい望みを持っているんじゃないか、というところの直感はそれなりに、だった気がするし、そういう意味で彼女は王家という存在によって歪んじゃった、という悲しい存在の一人でもあった、ということなのか。
だから、王家という存在も無くなってしまうような新世界を欲した、新世界で何者にも縛られず、普通の女の子として生きたかった、というところなんだろうなぁ。
切ないねぇ。
2つ目は、もう少しマクロ視点でテーマ的に考えると、水島監督のインタビューあたりからもあぶりだされるところなんだけれども、自分のエゴを通そうとする、自分の利益を最優先しようとする先にあるのは衝突と、結果として誰も利益を生まない結果になる、というバッドエンドを体現してしまった、というところにあったようにも思えます。
この辺はいみじくもネーナ・トリニティが王留美に指摘している部分で、何でも持っているのに欲しがって、更に求めようとする、という点にもかかっていて、王留美の場合、それが個人としての自由を欲して、その引き換えに世界の破壊?を促そうとした=束縛するもの自体を無かったものにしたかった、という究極論まで行ってしまったところなんだよね。
そこまで追い詰められなくても、他にもやりようがあったのに・・・、彼女が欲したものは普通の女の子が欲するものだったのに、というのが切ないところ。
もう一人はネーナ・トリニティ。
彼女が欲したのも実は普通の女子としての幸せだったのかもしれないんだけれども、彼女の場合、それが幸せな人や、持っている人への妬みへとつながって、それをぶつけてしまうところに彼女の本質があった。
そして、自分の仇を討つ、ということには考えが及んでも、自分が誰かの仇になっている、ということには思いもよらない、そういう子でもあった。
この辺もダブルオーの物語の本質をあぶりだすのに一役も二役も買っている、そういう役回りになっているんだなと改めて思うわけです。
ダブルオーの物語の本質、というか水島監督がインタビュー等で本気で言っている部分は、どうやったらみんなで幸せになれるか、地球という限られた場所でいろんな人が一緒に生活しなくちゃいけない、そういう中で、どうやって少しずつ分け合って、どうやって少しずつ優しくなれる、というのを実は本気で考えようとしている、と思うんです。
これがね、僕はこのダブルオーの物語の本質だと思うんです。
だから逆に王留美、そしてネーナ・トリニティの散り様というのは、その本質のテーマを浮き上がらせるためのひとつのバッドエンドになっていると思うんです。
みんなが少しずつ幸せになるには、少しずつ優しくなるには、優しさの連鎖を生み出すには?
という問いに対して、自分の利益の追求だけしても分け合えなければ破滅するし、人を恨んでも妬んでも幸せの連鎖は生まれず、逆に憎しみの連鎖が増すばかり。
畳み掛けるようにもうひとつのある意味バッドエンドがルイス・ハレヴィ。
今回のラストで精神崩壊寸前まで行ってしまうルイス。
これはもう視聴者的にもひとつのバッドエンドの形そのもの(そして物凄く辛くて切ないわけです)。
どこかで彼女には敵討ちをしないで欲しい、と思っている部分もあったけれども、仇を討ってもその先に何も無かった、という強烈なメッセージにもなっている。
こうしたバッドエンドを集めて、どうやったらグッドエンド、トゥルーエンドになっていくことができるのか?
これを伝えたい、というのが本質じゃないかと思ってるんですね。
で、そのヒントが示されたのがマリナ・イスマイール。
彼女だけが銃を取らず、みんなが少しずつ幸せになるにはどうしたらいいか?優しさの連鎖を作るにはどうしたら良いか?というのをずっと考え続けていた。
さすが正ヒロインです。
1年間以上落とされてきただけあります。
彼女の歌を媒介にして、平和を望む人が少しずつ気がついて、少しずつ優しさが集まっていく。
僕はこの物語のクライマックスに、マリナ姫が率いる民衆が「宇宙へのエクソダス」を敢行すると思っているんだけれども、それを成功させるために、少しずつ優しさが集まって、みんながそれを成功させようと力を結集させる、なんていう展開があったら泣いてしまいそうだな、と今から思ってるんですけどね。
敵も味方も無くって、アフリカタワーが崩壊したときに、ピラーの破片を全員で打ち抜いたときのように、そのエクソダスには敵も味方も関係なく、ただ平和を願う優しい気持ちが少しずつ連鎖していく、という展開を個人的には希望しちゃうなぁ。
クラウスが宇宙にあがるしかない、と言ったところから、そんなことを妄想していたんだけど、そうだったらいいなぁ。
僕はこのダブルオーはドラッカーだ、ということを言っているのだけれども、経済学者であり社会幸福論者であるP・F・ドラッカーの言葉を要約すると、イノベーションというのは少数の天才がなし得るものではなく、体系化された組織・方法論によってなされるべきである、それがイノベイターである、と言っているんですね。
つまり、ダブルオーの世界でいけば、少数の天才が導く世界ではなく、イオリア的に人類が革新へと導かれなければならない、というところだと思うんです。
じゃあ、全員が今のイノベイターみたいになることを志向するのか?というとそれも違うと思っていて、あくまで僕ら普通の人が、普通に他者の幸せを考えたり、少しだけ隣の人に優しくなれたり、と言った幸せの連鎖みたいなことをみんなで考えるようになる、というところが僕はこの物語の答えだと思っているんですよね。
ドラッカーの関心は、(彼の戦時中の体験などから)若いころから一貫して、社会的な存在としての人間の幸福に焦点があたっていて、社会が正しく機能し、かつそこに生活する個々の人間がそれぞれかけがえのない役割を持ち、充実した人生を生きるためには何が必要か、という探求こそが彼のライフワークとなっているんですよね。
これに水島監督の言う「優しさの連鎖」という考え方は凄く近いんじゃないかと感じるんです。
#この際、ドラッカー云々は抜きにして考えても、優しさの連鎖って凄く大事だと思うしね。
刹那はどんどんニュータイプ化しているけれども、じゃあ、みんなが刹那のように革新していければよいのか?とか、このまま刹那が革新を進めて英雄になればよいのか?というと、それはまた違うと思うわけです。
だけれども、じゃあガンダムマイスターたちがやってきたことに意味は無かったのか?と問われたときに、そこを考える楽しみというのが、残りの4回くらいの放送にあたるのかな、と。
それぞれにまだまだクライマックスが残っていそうな気配は十分にしているので、あと少しで終わってしまうのが本当に残念だけれども、凄く楽しみにしています。
メカ的にはスサノオ、これはかっこよかった!!
マスラオはサングラスがガイナックスっぽくて、ガイナ立ちとかしてそうでそれはそれで好きだったけれども、白・黒のデザインはスタイリッシュでかっこいい。
そして相変わらず、ミスター・ブシドーの言葉にぽかんとしてついていけない刹那がすこぶる可愛い感じでした。
やっぱり覚醒し始めた人類さえも凌駕する、それがミスター・ブシドー。
そこに痺れる、憧れる。
■機動戦士ガンダム00 セカンドシーズン 1 (Blu-ray Disc)
■機動戦士ガンダム00 セカンドシーズン 2 [Blu-ray]
しかあしっ!! なんと言っても、一番凄いのは、やはり、ビリーでしょ。スサノオ、先週の予告編で、あれ色が、やけにフラッグカスタムな気がしましたが、それだけでは有りませんでした。ビームサーベルを捨て、実体剣(GNソード)に変更し、GNフィールド対策も完璧、ヴァーチェ並の圧縮粒子開放型の飛び道具まで装備し、その上、トランザムモードでは、00の専売特許と思っていた量子化までしてしまうなんて!! 今月のDHM特別付録のデータコレクションでは、マスラオは、GNドライヴを二基装備し、トランザム可能と、有りましたが、スサノオで、まさかツインドライヴまで? 難 変革と進化はビリーの脳細胞にも? 笑
確かに、残りも少なくなりましたが、この対話が、人類が総て量子化して、人類補完計画みたいな事にならない事だけ祈りましょう。笑 あのマンガ気持ち悪かった。難
それは、復讐を止めるシステム、ヤクザの世界なら手打ちというようなものが、あったわけです。復讐を途中で断ち切るために、金銭賠償などを部族や一族のトップが取り決めたりするわけです。
本来は際限のない殺し合いを止めるための、政治的トップの存在ですが、現在では多くが政治的・経済的原因の対立を、民族や宗教の対立に拡大していきます。どうしようもなく、腐っています。
さて、何が言いたかったかといいますと、ルイスの復讐は正当なものでしょうが、そういう文化を持たない人が復讐に手を染めると、ますます心の傷を深めることになるということを、この作品はしっかりと描いていて、素晴らしいなと思いました。本当に、ルイスはかわいそうです。
そして、法の裁きではなく、自分の手で復讐させるリボンズは、人間の感情を弄んでいるとしか思えません。ラスボスとして、歪みを見せまくってくれていますが、リボンズの描く世界が、どんなものか、興味があります。
リジェネの世界とは?
王留美の思い描く世界はもう分からなくなってしまいましたから。合掌。王家が滅ぶことだけが目的だったのでしょうか?
それでは、次回を楽しみにして。
ネーナを罰するのはルイスだったとはそりゃすごい展開でした。そうきたか、でもだからこそ、ルイスの両親の命を奪ったネーナはその行為に対して全く無関心、恨みを果たしたルイスは恨みを晴らすことの無意味さが強調されていたのが印象的でした。それを利用して、リボンズは何をさらにしようというのか…
人は赦しあう、信じ合うことはできるのか、革新の先にあるものは人とひとが誤解なくわかり合える世界なのか、それを(これまでのガンダムのように)可能性を見せるだけなのか、世界は“変わる”のか、後4回に期待です。
細かいところでは、ライルは刹那を赦すことはできるのかな、というところも展開を期待ですね。