2ndシーズンに入ってからずっと刹那の中でわだかまっていた想い、世界は何も変わっていない、そして俺も・・・、というガンダムダブルオー的な大きなテーマの一つでもあるところにようやく本命として焦点が当たる感じの第15話「反抗の凱歌」。
つまりそれは都合1年という物語の中の4分の3を沈んで過ごしてきたマリナ姫にスポットが当たることと同義でもあると思うんですよね。
刹那は悩みに悩んできて、マリナ姫は落としに落とされてきて、その二人が今回ようやく語り合いを始める(それはそれぞれの生い立ちも含めて)、というのがこの先のクライマックスへの布石というか、暗示というか、二人の関係性が脚光を浴びて行くという展開を否応無く期待させてくれる感じ。
やっぱり主役カップルが感情面でグラグラ来ないと視聴者的にも感情移入しづらいもんねー(笑)。
#刹那がマリナ姫のことを「マリナ・イスマイール」から「マリナ」と呼び始めたのは非常に良い傾向。
ということで、リボンズが言う「対話」とは全く対極にあるんじゃないかと思う刹那とマリナ姫の「対話」。
これもひとつ大きな物語での鍵なんじゃないのかなー、と思いました。
イノベイターが人類の上位種と位置づけられる理由のひとつが、脳量子波を利用した相互意思疎通にある、ということであれば、それ以上互いを知ろうとすることも無いかもしれない、逆にそれはそれ以上の発展を示さない、という答えにつながるのかもしれない・・・。
今回ヒリングやリヴァイブが言っていた脳量子派を介した意思疎通ができないのは不便だ、とかの会話は今後の展開のヒントになるかも。
#視聴者的期待値としては、その不便であるがゆえに人間は互いを知ろうと努力できる、という方向性に向かって欲しいところ。
ダブルオーのツインドライヴが描き出す無限の輪=∞の中では、人類も本当に気持ちを伝えたい人のもとへ心の声を飛ばすことができている。
だからマリナ姫の声は刹那に届いたし、子供たちの歌声は、この歌を聞いて欲しいと思った人たち=戦場の人たちへと伝わった。
トランザム、そしてツインドライヴというイオリアがガンダムマイスターたちに託した技術は、それこそセットでその真価を発揮するのかも。
そしてそのセットはイノベイターの存在理由を否定するもの、にもなるんだろうなぁー、と漠然と思ったり。
今回、ルイスが脳量子波を使っている描写が明確に描かれていて(第1話でもそうかなーと思っていたけど)、残念ながらルイスは左手の義手化+脳量子波を使えるようにリボンズに手術をされているんだろうね。
ということは、脳量子波は超兵だけじゃなく、一般の人にも手術で利用可能になるということだし、イノベイターの目論見として、最終的には全人類が脳量子波を使えるようにする&トライアルシステムのようにコントロールすること、だったりして・・・。
#ルイスの薬はその副作用を抑えるためのものなのかもね。
#コメント欄でも貰ったんだけれども、まさにマクロスFでいうところのグレイスが考えていた全人類インプラント化計画の可能性も無きにしも非ず、というところかな。
#トライアルシステムについては個人的に消化不良のところもあったしなぁ・・・。
それが「対話」。
・・・だったりして。
うーん、妄想しすぎか。
とまあ、今回やっぱり一番気になったというか、これからきっと盛り上がっていくであろう刹那とマリナ姫の二人の「対話」と、リボンズの言う「対話」、きっとこれは正反対なんだろう、という点だけは多分直感的に間違ってないかな、と思ったり。
そういう意味では旧ロックオンが今回登場したけれども、新ロックオン=ライルと、そのロックオンのことを唯一ライルと呼ぶ(カタロンではジーン1だし)アニューという、人間とイノベイターのカップルというのも一つの可能性なんだよねー。
#今回のエンディングを見る限り、シーツの後ろに見えた髪の毛は淡い紫だったからきっとアニューの髪なんだと思う&何よりロックオンの制服とアニューの制服が対になっていたので。
#一瞬フェルトかなーとも思ったんだけど(バックが赤だから制服がピンクでも有りと言えば有り)、シーツの後ろの髪を見るとやっぱりアニューだと思う。
今回のエンディングは非常に好きで、無残に朽ち果てたガンダムがそれぞれ横たわっているんだけれども、何かを成し終えて力尽きた感がある、というか何よりも、2ndシーズンの最初のエンディングでもそうだったんだけど、時間が経って、朽ちた兵器にも花が咲いている、という表現が共通しているんですよね。
これは1stシーズンのOP曲である「Daybrake's Bell」の「澄み渡る未来が来たなら草花も兵器に宿るだろう」という歌詞にも共通する部分。
このガンダムダブルオーの2シーズンを通したイメージはここで共通しているので、目指すべきところ、こうであって欲しいと願う世界はきっとそうなんだろう、と思ったりするんですよね。
そして最後に少年兵の頃の刹那が、未だに見せたことの無い笑顔を見せて終わる。
これだけでも意味がある、と言う気がする。
過去は変えられない、と旧ロックオンが言った。
けれども(最期に私怨に走って命を落とした自分のようになるのではなく)、刹那は変われ、と言う。
EDで見せる少年兵の刹那の笑顔、これもひとつの到達点、なんだろうなぁ。
ということで、新ED。
非常に良かったです。
展開としてはいよいよ軌道エレベーターを舞台にしたクーデター勃発。
個人的にはもっと早く軌道エレベーター崩壊か!?というのを期待していたのですが(笑)、現在の人類の宝とも言える軌道エレベーターを挟んで、アロウズがどう動くのか、それも興味があるところ。
#オートマトン投下、とかやりかねない。
セラフィムの特性って何だ?とか、ブシドートランザム!!とか気になるところはまだまだたくさん。
そういう中で、もう一つ余談というか、多分本命だと思われる話を少し。
ランゲージダイアリーのあいばさんに記事を紹介してもらったので、お互いに紹介というのも恥ずかしいですが(笑)、イノベイターの位置づけと本当の意味でのイノベイターの違い、と言う点からこの物語のラスト、というかテーマの帰結を予想。
確かあれは11月だったと思うんだけど、出張中にとある経済雑誌でドラッカー関連のコラムを読む機会があって、そこには最近使われている「イノベーション」と言う言葉はドラッカーが提唱したものと違っている、もしくは正しく理解されていない、というものだったんですね。なるほど、と。
もともと「イノベイター」という言葉もドラッカーの著書タイトルなんだけれども、ちょうどダブルオーも2ndシーズンが盛り上がってきたところだったし、興味深く読んだんですよね。
「イノベーションは一部の天才によるひらめきではなく、誰でもどの組織でも活用可能な「体系」「方法論」である」というのが趣旨であるということ。
そしてもう1点。
ドラッカーは著名な経済学者であると同時に、彼自身を評して「社会生態学者」であり「社会幸福論者」でもある、という点。
ドラッカーの関心は、(彼の戦時中の体験などから)若いころから一貫して、社会的な存在としての人間の幸福に焦点があたっていて、社会が正しく機能し、かつそこに生活する個々の人間がそれぞれかけがえのない役割を持ち、充実した人生を生きるためには何が必要か、という探求こそが彼のライフワークなのだ、と。
ああ、これはまさにダブルオーの世界観だな、と。
今のダブルオーに出てくるリボンズをはじめとしたイノベイターたちは、自分たちが上位種だと言い、世界の変革を促すものだ、と言っている。
これはある意味間違った「イノベーション」の解釈で、ダブルオーのスタッフは逆にそれを狙って「真のイノベイター」とはお前たちに非ず、ということを示唆しているんじゃないか、と思ったので、あれは確かあいばさんの誕生日の後くらいだったかな、お祝いコメントをかねてこんなことをWeb拍手で送ったんだよな、確か。
それで先週の第14話「歌が聞こえる」。
マリナ姫の歌が、子供たちの歌が戦いを止めた。
イノベイターたちじゃなく、切実に戦争なんかやめて、一緒に家に帰ろうと願う気持ちが戦場に届いた。
こういったひとりひとりの切実なる思いがダブルオーのツインドライブ&トランザムに乗って世界に届いていく。
無機質化する戦争への危機感の中、大切なのは、失ってはならないのは人の気持ち・感情であると。
「イノベイター」への誤解と、社会幸福論。
イオリア・シュヘンベルグは、最初僕はアイザック・アジモフのファウンデーションシリーズのハリ・セルダン(心理歴史学者、というかほぼ預言者)的位置づけかと思っていたんだけど、そのハリ・セルダン的雰囲気を残しつつも、でもまさに社会学者としての故P・F・ドラッカーなのではないか、と思うようになったんですよね。
そういう意味からも、そしてこの物語の流れからも、僕は個人的にこのダブルオーのラストを「真のイノベイター」とは?的解釈からリボンズたちイノベイターではなく、名も無い、平和を望む多くの人々の声が結集した形へと収斂していくんじゃないかと予想しています。
#この辺はあいばさんのラスト予想と全く同じですね。
というわけで、既に僕の中では数あるガンダムシリーズの中でもストーリー面で屈指の出来になっていて、実は一番好きかもしれない、と思うところなのです。
#ちなみにBlue-Rayは1stシーズンは買わなかったけど、2ndシーズンから購入することにしました。
ダブルオー、まじで面白いっす。
■機動戦士ガンダム00 セカンドシーズン 1 (Blu-ray Disc)
■機動戦士ガンダム00 セカンドシーズン 1
つまりそれは都合1年という物語の中の4分の3を沈んで過ごしてきたマリナ姫にスポットが当たることと同義でもあると思うんですよね。
刹那は悩みに悩んできて、マリナ姫は落としに落とされてきて、その二人が今回ようやく語り合いを始める(それはそれぞれの生い立ちも含めて)、というのがこの先のクライマックスへの布石というか、暗示というか、二人の関係性が脚光を浴びて行くという展開を否応無く期待させてくれる感じ。
やっぱり主役カップルが感情面でグラグラ来ないと視聴者的にも感情移入しづらいもんねー(笑)。
#刹那がマリナ姫のことを「マリナ・イスマイール」から「マリナ」と呼び始めたのは非常に良い傾向。
ということで、リボンズが言う「対話」とは全く対極にあるんじゃないかと思う刹那とマリナ姫の「対話」。
これもひとつ大きな物語での鍵なんじゃないのかなー、と思いました。
イノベイターが人類の上位種と位置づけられる理由のひとつが、脳量子波を利用した相互意思疎通にある、ということであれば、それ以上互いを知ろうとすることも無いかもしれない、逆にそれはそれ以上の発展を示さない、という答えにつながるのかもしれない・・・。
今回ヒリングやリヴァイブが言っていた脳量子派を介した意思疎通ができないのは不便だ、とかの会話は今後の展開のヒントになるかも。
#視聴者的期待値としては、その不便であるがゆえに人間は互いを知ろうと努力できる、という方向性に向かって欲しいところ。
ダブルオーのツインドライヴが描き出す無限の輪=∞の中では、人類も本当に気持ちを伝えたい人のもとへ心の声を飛ばすことができている。
だからマリナ姫の声は刹那に届いたし、子供たちの歌声は、この歌を聞いて欲しいと思った人たち=戦場の人たちへと伝わった。
トランザム、そしてツインドライヴというイオリアがガンダムマイスターたちに託した技術は、それこそセットでその真価を発揮するのかも。
そしてそのセットはイノベイターの存在理由を否定するもの、にもなるんだろうなぁー、と漠然と思ったり。
今回、ルイスが脳量子波を使っている描写が明確に描かれていて(第1話でもそうかなーと思っていたけど)、残念ながらルイスは左手の義手化+脳量子波を使えるようにリボンズに手術をされているんだろうね。
ということは、脳量子波は超兵だけじゃなく、一般の人にも手術で利用可能になるということだし、イノベイターの目論見として、最終的には全人類が脳量子波を使えるようにする&トライアルシステムのようにコントロールすること、だったりして・・・。
#ルイスの薬はその副作用を抑えるためのものなのかもね。
#コメント欄でも貰ったんだけれども、まさにマクロスFでいうところのグレイスが考えていた全人類インプラント化計画の可能性も無きにしも非ず、というところかな。
#トライアルシステムについては個人的に消化不良のところもあったしなぁ・・・。
それが「対話」。
・・・だったりして。
うーん、妄想しすぎか。
とまあ、今回やっぱり一番気になったというか、これからきっと盛り上がっていくであろう刹那とマリナ姫の二人の「対話」と、リボンズの言う「対話」、きっとこれは正反対なんだろう、という点だけは多分直感的に間違ってないかな、と思ったり。
そういう意味では旧ロックオンが今回登場したけれども、新ロックオン=ライルと、そのロックオンのことを唯一ライルと呼ぶ(カタロンではジーン1だし)アニューという、人間とイノベイターのカップルというのも一つの可能性なんだよねー。
#今回のエンディングを見る限り、シーツの後ろに見えた髪の毛は淡い紫だったからきっとアニューの髪なんだと思う&何よりロックオンの制服とアニューの制服が対になっていたので。
#一瞬フェルトかなーとも思ったんだけど(バックが赤だから制服がピンクでも有りと言えば有り)、シーツの後ろの髪を見るとやっぱりアニューだと思う。
今回のエンディングは非常に好きで、無残に朽ち果てたガンダムがそれぞれ横たわっているんだけれども、何かを成し終えて力尽きた感がある、というか何よりも、2ndシーズンの最初のエンディングでもそうだったんだけど、時間が経って、朽ちた兵器にも花が咲いている、という表現が共通しているんですよね。
これは1stシーズンのOP曲である「Daybrake's Bell」の「澄み渡る未来が来たなら草花も兵器に宿るだろう」という歌詞にも共通する部分。
このガンダムダブルオーの2シーズンを通したイメージはここで共通しているので、目指すべきところ、こうであって欲しいと願う世界はきっとそうなんだろう、と思ったりするんですよね。
そして最後に少年兵の頃の刹那が、未だに見せたことの無い笑顔を見せて終わる。
これだけでも意味がある、と言う気がする。
過去は変えられない、と旧ロックオンが言った。
けれども(最期に私怨に走って命を落とした自分のようになるのではなく)、刹那は変われ、と言う。
EDで見せる少年兵の刹那の笑顔、これもひとつの到達点、なんだろうなぁ。
ということで、新ED。
非常に良かったです。
展開としてはいよいよ軌道エレベーターを舞台にしたクーデター勃発。
個人的にはもっと早く軌道エレベーター崩壊か!?というのを期待していたのですが(笑)、現在の人類の宝とも言える軌道エレベーターを挟んで、アロウズがどう動くのか、それも興味があるところ。
#オートマトン投下、とかやりかねない。
セラフィムの特性って何だ?とか、ブシドートランザム!!とか気になるところはまだまだたくさん。
そういう中で、もう一つ余談というか、多分本命だと思われる話を少し。
ランゲージダイアリーのあいばさんに記事を紹介してもらったので、お互いに紹介というのも恥ずかしいですが(笑)、イノベイターの位置づけと本当の意味でのイノベイターの違い、と言う点からこの物語のラスト、というかテーマの帰結を予想。
確かあれは11月だったと思うんだけど、出張中にとある経済雑誌でドラッカー関連のコラムを読む機会があって、そこには最近使われている「イノベーション」と言う言葉はドラッカーが提唱したものと違っている、もしくは正しく理解されていない、というものだったんですね。なるほど、と。
もともと「イノベイター」という言葉もドラッカーの著書タイトルなんだけれども、ちょうどダブルオーも2ndシーズンが盛り上がってきたところだったし、興味深く読んだんですよね。
「イノベーションは一部の天才によるひらめきではなく、誰でもどの組織でも活用可能な「体系」「方法論」である」というのが趣旨であるということ。
そしてもう1点。
ドラッカーは著名な経済学者であると同時に、彼自身を評して「社会生態学者」であり「社会幸福論者」でもある、という点。
ドラッカーの関心は、(彼の戦時中の体験などから)若いころから一貫して、社会的な存在としての人間の幸福に焦点があたっていて、社会が正しく機能し、かつそこに生活する個々の人間がそれぞれかけがえのない役割を持ち、充実した人生を生きるためには何が必要か、という探求こそが彼のライフワークなのだ、と。
ああ、これはまさにダブルオーの世界観だな、と。
今のダブルオーに出てくるリボンズをはじめとしたイノベイターたちは、自分たちが上位種だと言い、世界の変革を促すものだ、と言っている。
これはある意味間違った「イノベーション」の解釈で、ダブルオーのスタッフは逆にそれを狙って「真のイノベイター」とはお前たちに非ず、ということを示唆しているんじゃないか、と思ったので、あれは確かあいばさんの誕生日の後くらいだったかな、お祝いコメントをかねてこんなことをWeb拍手で送ったんだよな、確か。
それで先週の第14話「歌が聞こえる」。
マリナ姫の歌が、子供たちの歌が戦いを止めた。
イノベイターたちじゃなく、切実に戦争なんかやめて、一緒に家に帰ろうと願う気持ちが戦場に届いた。
こういったひとりひとりの切実なる思いがダブルオーのツインドライブ&トランザムに乗って世界に届いていく。
無機質化する戦争への危機感の中、大切なのは、失ってはならないのは人の気持ち・感情であると。
「イノベイター」への誤解と、社会幸福論。
イオリア・シュヘンベルグは、最初僕はアイザック・アジモフのファウンデーションシリーズのハリ・セルダン(心理歴史学者、というかほぼ預言者)的位置づけかと思っていたんだけど、そのハリ・セルダン的雰囲気を残しつつも、でもまさに社会学者としての故P・F・ドラッカーなのではないか、と思うようになったんですよね。
そういう意味からも、そしてこの物語の流れからも、僕は個人的にこのダブルオーのラストを「真のイノベイター」とは?的解釈からリボンズたちイノベイターではなく、名も無い、平和を望む多くの人々の声が結集した形へと収斂していくんじゃないかと予想しています。
#この辺はあいばさんのラスト予想と全く同じですね。
というわけで、既に僕の中では数あるガンダムシリーズの中でもストーリー面で屈指の出来になっていて、実は一番好きかもしれない、と思うところなのです。
#ちなみにBlue-Rayは1stシーズンは買わなかったけど、2ndシーズンから購入することにしました。
ダブルオー、まじで面白いっす。
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