5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

卒業・定年、辞職

2012-03-22 21:56:13 | 社会
駅のプラットフォームには着物に袴の女性が数人。証書らしき巻紙を持っているから卒業式の帰りだろう。フェイスブックのウオールには娘の卒業式の写真をアップして喜ぶ親馬鹿もいる。黒板には「ご」卒業お目でとうとある。中学教師の日本語レベルが知れる。春は卒業式のシーズンでもある。

夕方の駅前、花束をぎごちなく抱えた初老の男。いや男たち3人と連続してすれ違った。こちらも、サラリーマンの卒業式なのだろう。「長い間お疲れ様でした」の紋切り挨拶と一緒に押し付けられたものか。花束の大きさが気になって落ち着かない様子、見られて恥ずかしそうである。気持ちは大いに判る。「いらない」とは大人気なくて云えない。でかい花束を贈ればそれでイイと思う担当者は、退職する者の都合や気持ちを考えない馬鹿である。

そんな3月、隣の韓国ではちょっと違う。というのは異業種仲間のJさんが専門紙に寄稿しているコラム。題して「建設業の春」。

詩好きの彼は、「春の乙女」という韓国歌曲の1節を最初に持ってきた。

   春の乙女がやって来た
   新しい草の服を着て
   白い雲のヴェールを被り
   真珠の露を履いて
   花束を胸に抱き
   誰を尋ねて来たのやら

花冷えの寒さが過ぎれば春風がそよいで韓半島にも足早に春がやってくる、、、はずだが、彼の関係する建設業の時計だけは未だ冬のまま、先行きが見えてこない。住宅の売れ行きがはかばかしくない。韓国建設業の置かれている現実は悲劇的なのだ。

「実は、今日会社を辞めました。 これまでお世話になりました。」

中堅の建設業の管理職からのメールメッセージを受けたJさん。会社都合で「辞めろ」という経営者の勝手な経営姿勢を怒る。企業経営は経済環境により大きく揺れる。うまくいくこともあれば、逆にだめな可能性もあるが、 しかし、その責任を従業員に被せるのには問題があるというのだ。

「経営者は、組織の目標を効率的に達成するために、人的、物的、金融的、情報的な資源を、計画し、組織し、指揮し、統制する者である。」「経営者は、自身で会社のすべての業務を直接行うのではなく、従業員が業務を行うことが出来るように、後押し、支援し、動機付けすることによって、企業の生産性と品質を向上させる能力がなければならない。」 彼は、経営学者、R.W.グリフィンの言を引用している。

韓国企業の多くが、こうした経営姿勢をもつわけではなく、特に建設業の場合は、従業員の管理や処遇に大きな問題が残るというのだ。

労働代価としての賃金。これは労働者自身と家族の生計をたてる手段であり、唯一の幸福であるはずだが、最近は、この「幸福」を受け取れる期間が短い。特に仕事も無く街に出る若い人々が多いのが気になるという。

建設業が苦しいのも、経営者の資質も、仕事のない若者も、日本と同じではないか。韓国は元気だというが、内実は苦しいのだ。

最後にJさんは、片山恭一の『世界の中心で愛をさけぶj』を、近頃の状況にオーバーラップする小説テーマだと引用する。

「しあわせは時々刻々と姿を変える雲と同じようなものだ。金色に輝いたり、灰色に沈んだりしながら、ひとときも同じ状態に留まっていてはくれない。」

春の捉え方は、そのひとの環境と意識によって、大いに違う。




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