5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

鶏肋

2020-11-10 21:02:13 | 韓国

11月10日愛知県発表のコロナ感染確認数は129人で、今月に入って最多。名古屋市58人、豊橋市15人、岡崎市8人、豊田市4人、その他で44人。これで県内感染確認は7069人となった。全国ベースでは1270人が確認されている。再三の警戒領域である。

〈鶏肋〉と漢字で書いて〈タッカルビ〉と読ませる。鶏脇腹のカルビ肉を焼いて食べるのだから鶏肋でいいのだ。最新のJさんブログは「今日はタッカルビにしませんか」というタイトルで、この春川の名物料理について書いている。

江原道の春川といえば、ドラマ〈冬のソナタ〉のロケ地だったことで、一時は日本人ファンたち必見の観光地だった。Jさんの過去ブログにも九州のおばさん達が〈冬ソナ〉詣でに訪れた話題が紹介されているが、そこではタッカルビについての言及はなかった。

ウイキによると、日本でも人気のタッカルビは、韓国の流行に注目した外食産業が、いち早く日本にも取り入れようとした為だとある。

その好例がチーズタッカルビだろう。新しい話題に敏い女子高生ら若者を中心に注目された結果、2017年の流行語大賞を取り、インスタ映えすると注目度が急上昇、大ヒットに繋がった。

今回、Jさんたちお仲間が行ったのは、ポピュラーな〈春川明洞のタッカルビ通り〉ではなく、昭陽湖畔にある〈タッカルビ村〉。メニューも昔ながらの〈炭火焼鶏肋〉を探して大いに楽しんだとある。

面白いのはタッカルビの由来だ。少し長いが彼の説明を参考として引用しておこう。

<1950年代の末から60年代の頭初、春川の要仙洞の呑み屋で、薬味に浸け炭火で焼いた鶏のカルビを、酒のつまみとして出したのが始まり。値も安く量も多いから春川にある102補充隊(芸能人部隊という別名があるらしい)をはじめとする軍部隊の将兵たちに爆発的な人気を呼び全国に広がっていった。当時は、安価だから庶民カルビとか大学生カルビと呼ばれた>

<元来、タッカルビは養鶏場が多かった洪川と春川で始まった。春川式の最初は、炭火に網を置き、味付けされた鶏肉を焼いて食べるやり方だった。それが人気を呼ぶと、いろいろな野菜や麺を入れて量を増やす新しい調理法が考案され、この過程で炭火網より大量調理が簡単な円い鉄板に代った>

<鉄製の大きなグリル板で、餅と野菜と鶏肉を辛い味付けで炒めて食べる現在の姿に変わったのは80年代後半から90年代にかけてだ。鶏の肋骨に付いているカルビ肉をぶつ切りにし炭火で焼いた初期の調理法ではなく、所得水準の向上とともに、身が多いモモ肉を使うようにも変わった。だから名前はタッカルビでも、その実は、カルビ肉が入っていない鶏料理となってこれが全国に拡がったのだ>

現在のタッカルビ(の多く)は鶏肋ではなく鶏腿を使い、直炭火の網焼きではなくガス火の鋳物グリル焼きに代わっているということが分かった。短い間に食の変容が起きていたわけだ。Jさんのまとめはこうだ。

<食文化というものは自然環境や社会環境と密接な関係がある。その国独特の文化とともに人びとの口に合うように常に進化しているのだ。庶民カルビ、大学生カルビから始まった春川タッカルビは、今や韓国の食文化として国内はもとより海外にまで展開している>

 


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