5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

四本の塔

2020-12-05 20:43:51 |  旅行・地域

12月5日の愛知県内コロナ感染確認数は219人。うち名古屋は111人、豊橋は5人、岡崎は6人、豊田は6人、他市町村は91人で、累計は11170人となる。また、東京都は過去最多の584人を確認、累計は4万3377人だった。感染状況指標は最高レベルの「感染が拡大している」だが、飲食店等の時短だけではラチはあくまい。

中日夕刊のシリ-ズ〈街の記憶〉は10月2日のこのブログで岡崎の「旧岡崎銀行本店」の記憶を取り上げたが、今日もここから引用させてもらおうと思う。

12月4日の掲載分は「運河の往来支えた知恵」という見出しで、名古屋市中川区の「松重閘門」を取り上げていた。岡崎方面にむかう名鉄の電車が名古屋駅を出てしばらくすると運河にかかった小さな鉄橋を渡り山王駅を通過する。東側の車窓からは運河の先にレンガ色の四つの塔を望むことができる。これが「松重閘門」である。

万歩のコースのひとつだからよくこの傍を通り抜ける、いわば自分にとって見慣れた都市風景のひとつなのだ。

藪野健氏のスケッチは運河沿いの材木商の二階家を大きく描き、その先に閘門の塔を配置した構図になっている。「街の記憶」というタイトルには細密のデジタル写真よりも、こうしたエンピツ画の方がしっくりする。

『松重閘門は水運が盛んだった昭和5年(1930年)、堀川と中川運河を結ぶために設けられた。運河から船を閘門に入れて水を満たす。水位がほぼ1メートル上昇したら堀川側の扉を開けて船を出す。堀川と運河の高低差を解消し、自由に船が行き来できる仕組みになっている』とある。

しかし、松重閘門は陸上輸送の増加にともなって昭和43年(68年)に閉鎖されてしまう。38年間の短いお勤めだったわけだ。

跡は埋め立てられ、一部を市道の江川線が走り、さらにその上を高速4号線が跨いでいる。残りは公園とは名ばかりの空間。今も残された門扉を上下させる四本の塔だけが街の記憶をわずかに留めているのだ。

藪野の画は4年前の作だとあるが、現在との違いはない。公園には桜の木が2~3本植わっている。来年もコロナの春になるのは必至だが、桜が咲けば、四本の塔がこの時だけは美しい装いに変容するのだ。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿