5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

テレビの災害報道

2021-01-17 21:17:08 | 映画・テレビ

今日は緊急事態宣言下最初の日曜日、コロナ感染確認者は愛知県内で218人(延21292人)死者は6人(累323人)と発表された。現在は683人が入院中でコロナ病床の占有率は62%と、政府の定めるステージ4の危険レベルを超えている。また重症者は57人のままである。全国ではあわせて5751人が感染、44人の死亡が確認された。

今日、1月17日は阪神淡路大震災から26年目の記念日である。

「不気味な地鳴りで目が覚めた26年前の今朝 、名古屋は零下2度の寒い夜明け前だった」とツイートすると、現役時代はTV局勤務だったISさんから長いメールが戻ってきた。面白いから引用させてもらおう。

『朝5時48分、大きな揺れで目が覚め、震源は何処かとテレビをつけた。名古屋は震度4とされ、震源は岐阜という第一報だ。その後は震源がどんどん西に行き、8時前にはどうやら淡路島のようだということになった。

当時はニュースの統括デスク。本社からの連絡ですぐに出社。名古屋の空港近くに住んでいる記者にすぐにヘリで現地に向かうよう指示をする。たぶん日本のメディアで一番早く現着したと思われた。

機上の記者とカメラマンが夢中になって現地の惨状を追いかけるうち、ヘリは燃料切れに。関西地域は飛び慣れているパイロットだから大丈夫だろうと信じていた。しかし、あるはずのポートアイランドのヘリポートがない。液状化で埋もれてしまったのだ。

強引に着陸はしたものの、燃料の補充はできず、泥に埋まって飛び立てない。折角の撮影映像は結局お蔵入りになった。慣れや慢心が緊急時には通じないということがその時の教訓だが、これはコロナでも当てはまっているように思えてならない。

地震の翌日、記者同行で現地に応援に入ると、神戸の市役所はまるで難民収容所のごとき状況で、周辺に居る記者や技術スタッフも疲労困憊の様相。名古屋から持って行った救援物資はそこで広げるわけにはいかず、狭い車内に黙って置いてきた。新神戸から三宮までは歩いたが、途中の家々は潰れて下を見ないで歩くと危険だった。

系列テレビ局は、傾いた局舎内で手書きフリップを使いライフラインの現状や水食料の配布情報などを映像化して発信し続けた。ネットユーザー達は彼等の現状を逐次発信し被災者たちに足りないものや欲しいものを整理しながら訴求した。

後に震災報道への執念が評価された地元テレビ局だったが、緊急状態にあっては只今の生情報がいかに必要か、その情報が正しいものであるかを問われることにもなったのだ』

震災当時はすでに携帯もインターネットもあったが、今のようなスマホが通信インフラとして一般化するにはそれから10年近くがかかった。

政府肝入りで5Gを導入したネットワーク社会に向かおうとしている日本だが、ここで突然大地震が襲ってきたとしたら「阪神大震災から四半世紀を過ごした今のテレビ局にはマス媒体としていったいどんな存在価値があるのだろうか?」TVマンOBのISさんはきっとこう自問したのだろう。

 


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