SHARE(シェア)
〈共有〉からビジネスを生み出す新戦略
レイチェル・ボッツマン
ルー・ロジャース
小林引人=監修・解説
関美和=訳
NHK出版
最近、この本を読み出している。
SHARE(シェア)というタイトルになんとなく
つられて、買ってしまった。
読んでいるうちに、想定外のセレンディピティーに遭遇した。
いつの頃からか、「神の見えざる手」という言葉を聞くように
なったが、この言葉について、いろいろと考えさせられる箇所
があった。
この「神の見えざる手」について、ウィキペディアの記載に、
これまた、面白いことが書いてあった。
見えざる手(みえざるて、英: invisible hand)は、アダム・スミスの
『国富論』の第4編第2章に現れる言葉。
古典的自由主義経済における市場仮説を指す。
『国富論』には1度しか出てこない言葉であるが、非常に有名となっている。
また、神の見えざる手(invisible hand of God)ともいわれるが、
『国富論』には「神の(of God)」という部分はない。
以上。
さて、SHARE(シェア)という本の中で、興味深い部分を
抜き出して見た。
以下、抜粋、引用。
第三章「私」世代から「みんな」世代ヘ
一度でもアフリカの農村部を訪れたことがあれば、その経済を
表すのにぴったりな言葉がすぐ頭に浮かぶだろう。
それは、「モア」。
何もかもが、「もっと」必要だ。
水、食べ物、インフラ、教育、健康、そして安定した政治。
このもっとも基本的なリソースの欠如と、その結果生まれる貧困
こそ、300年余り前にアダム・スミスが見たものだった。
スコットランド生まれの偉大な経済学者スミスは、18世紀の農民が
貧困から抜け出せる社会を目指した。
生産性の向上が豊かな社会につながるというのが彼の信念だった。
『国富論』の中でスミスは、利己的本能と[自己愛]こそが人間を
動かすと論じ、だからその特質を利用することで社会全体が豊かに
なり、労働力が効率的に分配されると説いた。
当時を振り返れば、アダム・スミスが生産性の向上を説いたことは
もっともなことだった。
1700年代のイギリスは決して往みやすい場所ではなかった。
平均寿命は35歳。
死んだ犬や描、ネズミ、馬までもが砂利の道ばたで腐り果て、
生ゴミがあらゆるところに散乱し、疫病や肺炎、天然痘が
蔓延していた。
医学は未発達で、1775年の死亡白書によると、虫歯だけで、
800人が死亡したとされる。
ほとんどの人は、崩れそうなレンガの建物の一室で暮らしていた。
建物が崩壊することもめずらしくなかった。
今、際限のない消費社会の中で、「モア]はその意味を失った。
生産性の向上と市場の効率化というアダム・スミスのわかりやすい
目標が、現代の経済や社会、そして地球を脅かす思想になるとは、
彼自身思いもしなかったに違いない。
『グローバル経済という怪物ー人間不在の世界から市民社会の
復権へ』の中で、デヴィッド・C・コーテンはこう言う。
「スミスは節度のない欲望に導かれた市場システムを説いたので
はない。
彼は、小作農や職人が家族を養うために、産品を最適な値段で
売る仕組みを説いた。
それは自己の利益だー欲望ではない」
アダム・スミス、そしてのちにミルトン・フリードマンの二人は、
自己利益の追求が社会全休の利益につながると信じた。
第二章では、この信念がわずか数世代の間に、技術的な創意工夫
というどちらかといえば健全な話から、ブランドや製品やサービスを
とおした自己のアイデンティティのあくなき追求へと形を変え、
ついにはとどまるところを知らない究極の消費主義のシステムに
なってゆく過程を振り返った。
1950年代、つまりハイパー消費主義の幕が上がる頃には、人々は
まず何より第一に、消費者として自分を意識し、市民としての意識は
二の次になっていた。
お互いに助け合うより企業に頼る方が身のためだと思うようになった
のだ。
集団やコミュニティの価値観よりも、消費者としての自立や「何を
おいてもまず私」という心理が先だった。
「自分のものは自分のもの」として、完全に自己完結していることが
究極のゴールだという誤ったコンセプトが、あたかも個性と自立の尊重
のように唱えられた。
ダグラス・ラシュコフは、著書『ライフ・インク』に、こう書いている。
「家はその持ち主の王国だとみなされた。
自分で成功を勝ち取り家を建てることが自立した人間の証明だと
され、地域の共有資源や共同駐車場、それになんであれ、人と
共有することは郊外の暮らしではよしとされず、忌み嫌われた」
フェンスの向こうに往んでいるお隣さんとは、もはやはしごを
借りるような親しい間柄ではない。
悲しいかな、この頃では隣人が「赤の他人」という方がふつうだ。
最近の調査によると、アメリカ人の四分の三は隣人がだれだか
知らないいう。
イギリスでは六割が隣人の名前を知らない。
「モア」の消費文化は企業の拡大には役立ったが、人間同士を引き離
してしまったようだ。
50年代と60年代をとおして、製造者とマーケッターは、労働者が
趣味や自由時間を犠牲にして、より大きな車やより広い家、またより
新しいテクノロジーを手に入れるよう誘導した。
その結果、[社会資本」は劇的に減った。
ハーヴァード大学で公共政策を研究するロバート・D・パットナム教授
は、社会資本を「協調的な行動を促して社会の効率を上げる信頼、規
律、そしてネットワーク]と定義し、社会資本のコンセプトを広めた人物
だ。
著書『孤独なボウリングー 米国コミュニティの崩壊と再生』で、パット
ナム教授はアメリカのボウリング人口の研究から、社会資本の減少を
たどった。
1980年から1993年の間に、アメリカのボウリング人口は10
パーセント増えたのに、ボウリング・リーグの数は四割も減っている
ことを彼は発見する。
そして、こう言っている。[これを些細なことと思うかもしれないが、
実は1993年には、800万人のアメリカ人が少なくとも一度は
ボウリングに行っている。
これは1994年の下院選挙で投票した人の数より三割も多いのだ」
独りでボウリングする人が増えたということは、多くの人がビールと
ピザを黙々と食べていること、人間同士の関わりが薄れたことを意味
する。
社交の時問が減れば、仕事や買い物の時間が増える。
1980年から2000年の間に、アメリカ人の購買力は三倍になった
が、皮肉なことに労働によって得たその果実を楽しむ時問はほとんど
なくなった。
クリントン元大統領が1993年にスピーチしたように、「ほとんどの
アメリカ人はムダに長時間働いている」
アイルランド出身の偉人な政治家、哲学者-そして今なら未来予言者
と呼ぶ人もいるかも知れない-のエドマンドパークは、1757年
にはすでに先を読んでいた。
「人間の本質的な欠陥は、とどまるところを知らないことだ。
そこそこでは満足できず、貪欲に求めるあまりすべてを失ってしまう……]
今どうにかしなければならないのは、この「貪欲に求めすぎること]だ。
アダム・スミスは、パークが「経済について自分とまったく同じ考えを
もつただひとりの人物」だと評した。
二人とも、競争をとおしてよりよい社会をつくりたいと思っていたが、
そこでは個人の利益と社会全休の利益をバランスよく追求することに
なっていた。
それから三世紀たった今、彼らの理想が実現されるかもしれない。
私たちはこの50年ほど続いた消費の「トランス」状態から今ようやく
目覚めつつある。
この変化の根底にあるのは、相互に結びついた二つの現象だ。
ひとつは価値観の転換。
経済成長は頭打ちなのに、リソースは無限であるかのように消費し
つづけていてはうまくいくはずがないという消費者意識の広がりだ。
だからこそ、人々は「買ったもの」をより有効に活用し、さらに重要な
ことに、「買わないもの」からも何かを得ようとしている。
また同時に、ものを追い求めつづけることで、友人や家族、隣人、
さらに地球との関係を犠牲にしていることに人々は気づきはじめて
いる。
それが、コミュニティを再生させたいという強い思いにつながっている。
今、私たちは「自分にどんな得かあるか]を追い求めることから
「みんなにとってどんな得になるか」を考えようとするその大きな
転換点にいる。
それ以上に、個人の利益と社会の利益が、お互いの肩にかかって
いることもわかりはじめた。
温暖化を止めるのは、それが自分の利益になるからだ。
選挙に行くのも、それが自分にかえってくるからだ。
ウィキペディアの記載を訂正するのも、それが自分のためだからだ。
以上。
この文章を読んで、今わたしたちの日常において、使われている
「神の見えざる手」という言葉って、何かしら可笑しいのでは
と思ったのである。
つまり、彼が、この言葉を考えた時代が、わたしたちが、想像も
したことのない状況下にあったという事実である。
ウィキペディアの資料を取り混ぜながら。
「スミスの仮説は、新自由主義やマネタリストのイデオロギーと
なった」とされている。
こういうことも書かれていた
「スミスが生きた18世紀の価値観であった「餓死してしまう貧困」に
照らし合わせれば、それを防げるという意味で彼の説は正しかったと
言える。」全く同感である。
また、下記のようなことも書かれていた。
「誤解されやすいがスミスはグローバル経済には批判的な論を展開
している点には注意が必要である」
なんとも、新自由主義者の「方便」のために、アダム・スミスの意志
とは、関係なく「神の見えざる手」という言葉が使われたなんて。
アダム・スミスにとっては、思いもよらない「合成の誤謬」・
「限定合理性」の出現となったようだ。
それにしても、戦後の世紀末的な状況は、戦後第一世代のわたし
たちに大きな責任があるのではと、自責の念にかられていたが、
今回のこの本を読んで、この世紀末が、一体どこからやってきた
のかという答えが見つかったようだ。
先程の引用の文章である。
50年代と60年代をとおして、製造者とマーケッターは、労働者が
趣味や自由時間を犠牲にして、より大きな車やより広い家、またより
新しいテクノロジーを手に入れるよう誘導した。
1950年代、つまりハイパー消費主義の幕が上がる頃には、人々は
まず何より第一に、消費者として自分を意識し、市民としての意識は
二の次になっていた。
お互いに助け合うより企業に頼る方が身のためだと思うようになった
のだ。
集団やコミュニティの価値観よりも、消費者としての自立や「何を
おいてもまず私」という心理が先だった。
「自分のものは自分のもの」として、完全に自己完結していることが
究極のゴールだという誤ったコンセプトが、あたかも個性と自立の尊重
のように唱えられた。
結局、これらの行き着いた所が、今わたしたちが、生きている時代
なのだ。
企業が拡大し成長するために、わたしたちは、「モア」の消費文化
をあてがわれ続けきたのだ、そして、わたしたちは、
ブランドや製品やサービスをとおした自己のアイデンティティのあく
なき追求、とどまるところを知らない究極の消費主義に洗脳されて
しまっているようだ。
いい本に出逢えたと喜んでいる。
久しぶりのセレンディピティーであった。