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リタイアーのよもやま話

「限定合理性」と「合成の誤謬」

2011-02-21 23:01:12 | 人生
世界経済を破綻させる23の嘘

ハジュン・チャン[著]
田村源二[訳]

徳間出版


読んでいて、


「わたしたちは市場任せにできるほど利口ではではない」
という箇所があった。



○限定合理性
市場参加者はかならずしも自分が何をしているのかよく
わかっているわけではない。

人間というのは、能力に限界があって、自分に直接かかわる
ことでも、きちんと理解することができないときがある。

専門用語を使わせてもらえば、わたしたちは〈限定合理性〉
しかもちえないのである(経済主体は合理的であろうとしても、
認識能力の限界によって、限られた合理性しかもちえない)。

世界は非常に複雑で、それにしっかり対処することなど、わたし
たちの能力ではとてもできない。

したがってわたしたちは、立ち向かわなければならない問題の
複雑さを減じるために、意図的に選択の自由を制限する必要が
あり、通常はそうしている。

政府の規制、とくに現代金融市場のような複雑な領域への規制が、
効果を発揮することが多いのは、政府が優れた知識を持っている
からではなく、政府が選択を制限することによって、当面の問題の
複雑さを減じ、不都合なことが起こる可能性を小さくしているから
である。

ここである。

この文章を読んで、ふと、思うことがあった。

じつは、わたしたちの生活も人生もすべて、この「限定合理性」の
連続だ。

ということである。

ずーっと、わたしの頭の中に、適当な言葉がなくて、説明できない
もやもやしていたものが、巣くっていたが、やっとその、もやもや
を説明できる言葉に、出逢った。

わたしたちの生活は、次々と立ち現れる「限定合理性」に、対応
して生きていく人生である。

日常的には、「思い違い」「勘違い」または「偏見」等の背景を
もとに、「不測の事態」「想定外の事態」等という形で現れる
と思っている。

この本の中では、

合成の誤謬ーある人々が特定のビジネスで成功できても、
他の多くの人がそこに参入すると、そのビジネスでは成功
できなくなる。

のことも書かれていたが、

結局、わたしたちの人生は、これら「限定合理性」、「合成の誤謬」
の連続に翻弄されて生きている。

高速道路を無料化すれば、フェリーがそのとばっちりを受けた。

公共事業を削減したら、豪雪への対応ができなくなった。

区画整理をしたら、従来の町並みがシャッター通りになった。

歯医者が多くなりすぎ、コンビニよりも増え、歯医者が倒産
している。

大学を卒業したが、その学歴を必要とする仕事が無くなった。

最悪なのは、若い頃は、核家族で、楽しんだが、老いては、
孤独死を潔く、受け入れる覚悟をしなくてはならなく
なった。

わたしたちの生活も人生も、「限定合理性」と「合成の誤謬」
に翻弄されて生きている。

頭のもやもやしていたのは、すっきりしたのだが。

絶句してしまう。

不都合な真実だ。

鳩山前首相 方便発言また釈明    「真理に導く手段の意」

2011-02-21 22:24:36 | 政治
今朝の新聞にあった記事である。


民主党の鳩山由紀夫前首相は20日、米軍普天間飛行場の
県外移設断念の理由に米海兵隊の抑止力を挙げたのは
「方便だった」と発言したことについて「方便とは真理に
導くための手段のことだ。

真理とは、すなわち辺野古への移設で、そこに導くた
めの手段として『抑止力』と言った」と釈明した。

北海道伊達市内での後援会会合で語った。

県外移設断念の経緯をめぐっては「普天間の海兵隊ヘリ
部隊の役割は決して敵を襲うものでなく、(当初は)それ
を抑止力と言い切るのは無理があると思った。

しかし地上部隊とヘリ部隊は密接で離せないとの米側の理屈、
さらに空軍、海軍、海兵隊パッケージ全体が抑止力だとの
言われ方をすると、なるほどと(考えた)」とした。


さらに「私の考え方は正しいと思っているが、正しくな
いなら、いろいろお聞かせ願いたい」とも述べた。


以上。


この記事の中で、「真理とは、すなわち辺野古への移設」と
語っている。

となると、選挙前に、県民の前で、「国外少なくとも県外」と
言ったのは、なんだったんだろう。

今回の発言が本音だということになると、選挙前に言った
「国外少なくとも県外」は、選挙を有利にするための「方便」
になってしまうのではないか。

これって、県民を愚弄する行いではないのか。

彼の発言に、一縷の望みを託して、あれだけの県民大会を
開催したのである。

彼は、「人を弄べば徳を失い、物を弄べば志を失う」という
格言があったのだが、彼は、自分の行いをどう考えているの
だろう。



前回の方便発言の際は、「見込みのないのに、軽はずみな発言を
した」という趣旨のことが書かれていたし、その後の新聞紙上で、
彼を擁護する見解もあった。

それは、初めて、「基地の国外・県外という発言をした」という
ことを評価すべきだというのだったが、

「真理とは、すなわち辺野古への移設」となっては、擁護論も
萎えてしまう。

地元の世論に反してまでも、彼を擁護しようとした者たちへの
裏切りだ。

彼は、沖縄県民の全てを敵にまわしたようだ。



さらに「私の考え方は正しいと思っているが、正しくな
いなら、いろいろお聞かせ願いたい」とも述べた。

ようである。

沖縄の新聞で、騒がれた直後「真意伝わらず」と、一度釈明
したが、その真意って、「真理とは、すなわち辺野古への
移設」のことだったのかい?


県民は、彼の沖縄の基地についての発言の全てを、時系列に
覚えていて、彼の本性を検証しようとしていることを理解
できていないのであろうか。

今は、情報化時代だということを、全く理解できてないようだ。


「ひとつウソをつくと、ごまかすために三倍ウソを重ねなくて
はならなくなる。」

「嘘を隠すためには、辻褄を合わせるために、大きな嘘をつく
必要がある」

という話もある。

自分が何をしゃべってきたのかについて、あまりにも無頓着だ。

方便という言葉が泣いている。

勿論、「真理」という言葉も泣いている。

それにしても、自分が作ったという気負いもある民主党を

自分で、ぶち壊していることに気づいているのだろうか?