あなたは考えたことがありますか?
死ぬときに人はどうなる10の質問
緩和医療医 大津秀一著
致知出版
の本にあった文章で、いろいろと思うことがあった。
以下、抜粋。
生きる意味とは? 幸福とは何か?
生きる意味を見出しにくい時代と言われるようになった。
それはなぜだろうか?
また、例えば第二次世界大戦中のような否応なしに戦争に
関わらなければいけなかった時代や、社会的規範なるものが
今より強い力を持っていた時代には、あるいは幸福の価値観
がある程度定まっていた時代は、外圧として「こう生きなさい」
という強制力があった。
現在は幸運にも、それがほとんどない時代なので、順応も反発も
出来にくい。
つまり、自ら地図を書き、目的地へ向かい、満たされにくい自己
実現まで向かわねばならない。
これまでとは別の意味で、生きるのが難しい時代なのだと思うの
である。
これまでは目標を強いられたので、その社会的標準に順応する
苦しさがあったと思う。
否が応なしに戦争に巻き込まれた世代は、本当に大変だったろう。
そして今は、自分探しに象徴されるような、終わりなき目的の
探索である。
生きる意味を見出し得ずに苦しむのである。
基本的欲求等が満たされているから、このような問題に
取り組むことができるとも言えるが、これはこれで
なかなか大変なことなのだと思う(もちろん繰り返しに
なるが、基本的欲求すら満たされない国々から比べれば
幸福だろうという思いを忘れてはならないだろう)。
以上。
振り返ってみるに、自由・平等等とかわたしたち戦後世代が、
当然として与えられた概念は、本当のところ、きわめて、
相対的な価値観だったのではないかと思われてならない。
これがそれらしく、思われたのは、なんと言っても、終戦と
いう節目を迎え、二度と軍国主義に戻らないという時代の
切望が前提としてあったからだと思うのである。
戦争によって、多くのインフラ、人的資源を失ったのだが、
生き残った者たちを総動員した国づくりを必要としたので、
社会に、多くの国民の活躍と才能が望まれたのだ
自由・平等という価値観は、時代を後押しもした、この
ことが、新しい時代を引き寄せることになったであろう。
そうこの時代こそ、自由・平等の理念は、生きていた
のだろう。
さて、
1950年代後半、神武景気の頃、豊かさやあこがれの象徴として
「白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫」が、「三種の神器」と呼ばれ
た。
高度成長期となった60年代半ばには、「3C」(カラーテレビ・
クーラー・カー〈自家用車〉)がこれに代わった。
平成の今、デジタルカメラ・DVDレコーダー・薄型大型テレビ
のデジタル家電が「新・三種の神器」と呼ばれている。
これらの商品で、象徴されるように、とりあえず社会は、
近代化を図るために、多くの才能と労働力を必要としたのだ。
この戦後復興の大きなうねりの中で、国民の多くの希望と
欲望に答えることができた幸運があったのではないの
ろうか?
そう、多くの国民が自分の才能を試す機会を得たこと
だろう。
しかし、商品が成熟するつれて、より効率化を求めて
ロボットが製造過程に参入したり、内需の飽和状態の
行き詰まりを解消するために、外需依存型に経済が
シフトされ、生産拠点が外国に移される等で、労働力の
需要が減ってきたことは、思い返されなければならない
だろう。
社会も成熟し、国民も自らの野心を満たすために
パイの取り合いを強いられるようになったのでは。
(自由・平等の理念は、賞味期限をきりつつあった
のだ。)
ところで、差し迫る閉息社会を打破するために、教育
で、個性とか自己実現とか持ち出して、国民に発破を
かけてきたことも思い返してみなければならないと
思っている。
結局、今にして思えば、国際化によって、日本が空洞化
していくにも、関わらず多くの若い者に、見果てぬ夢
みさせてしまったのが、そもそもの大きな誤算だった
のではなかろうか。
「つまり、自ら地図を書き、目的地へ向かい、満たされ
にくい自己実現まで向かわねばならない。
これまでとは別の意味で、生きるのが難しい時代なのだと
思うのである。
今は、自分探しに象徴されるような、終わりなき目的の
探索である。
生きる意味を見出し得ずに苦しむのである。」
と言うが、
変化する社会に主体的に判断し行動できる資質を培うという
ことが、教育で謳われたが、肝心な大人がそのような資質
を持ち合わせることなく、社会の変化に翻弄されて、人生
を弄ばれていたのが事実ではなかったろうか?
若者にしたり顔で、講釈をのべる大人が、うまく生き延びる
ことのできた勝ち組であるということを、自己理解でき
なくては、ことの本質は、把握できないのではなかろうか。
今や、まさに、戦国時代か幕末の混乱期と同然の有り様で
はないのでは、という理解が必要ではと思っている。
あの時代に時代の変化に振り落とされた人々が多くいる
ことを振り返れば、今や、誰かが地図を持っているだろう
とか、暗に期待する時点で、もう振り落とされた人間
というしかない厳しい時代なのではないか。
現在の日本を見限った若者が、和僑となって、アジアで
活躍しているが、自らの羅針盤を信じ、自らを頼み、
自らの可能性に挑戦する心意気のある者しか、自らの
才能を試してみたいと思う者しか、生き延びられない
時代が到来していると、いう現実にあって、どこかに
地図があるのでは、なにかに寄り掛かろうとする
精神では、すでに、生きる意欲がないと、揶揄され
てもしようがないのではなかろうか。
もっとも、言っているわたしの時代は、猛烈
に働いた仕事人間の人生だったが、親父たちの
世代と比較して見れば、所詮エスカレータのような
人生だったと思っているから、我が身を差し置いて、
言えることではないのだが。
しかし、若い世代がなんだかんだと言っても「乳母日傘」
で、育てられたという自己の現実を直視しなければ、
「一生迷ってろ
そして失い続けるんだ
貴重な機会を!」
と、怒声を浴びるしかない。