後期高齢者1と2と3と

後期高齢者に組み込まれて運転免許試験も認知症検査付き
せめてgooブログで脳トレに励むことに・・・

支えられて・・・・生きて欲しいと思う

2012年01月26日 | Weblog

 1月25日:ショートステイは難しいとの知らせがあった・・・

今日は週1回のデイ サービスに出掛ける日なので、ベットから車椅子に移って待機

行って本人は何をするでもなく、介護者の息抜きの為に行かされているとしたら・・・

そう考え始めると気持ちが重くなるから、また明日からの介護が出来るようにと

何も考えないで「山」に行こうと決めた。 あと2時間で午前中が終わってしまうので

遠くには行けない。 車で数分の「西蔵」から「本宮山」まで縦走して見ることに・・・

   また一つ増えた “生きた証”

結果は、時間切れで途中で引き返してきた。 
もう一つ山を越せば・・・あと1時間と云う処まで来たが、戻りの時間を考えて断念した。

午後2時半には下山したが、一時は前が見えない程の雪が舞って「いいタイミング」だったと
山に向かって「ありがとう」を告げ、雪の風情とほど良い疲れに満足して帰宅した。

    「西蔵~本宮山」 尾根伝いに縦走

    下山したところで雪に・・・・

  「今日一日をありがとう」 独り言をいいながら4時間半、14Kmを淡々と歩いた


     本宮山を目の前にして時間切れ「断念」

  白い大木を目印に引き返す 
   

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修理屋さん

2012年01月23日 | Weblog

容体が落ち着いて介護の内容が“定型化”して来た反面、空き時間を埋める
工夫をしないと運動不足と頭の老化が進みそうだ。 
しかも、最近の夕食はFさん宅のお世話になりっ放しで自炊の放棄状態

何かを始めないとイケナイと思っていたら、早速ひまつぶしの材料が出来た。

1.我が家の乾燥機のベルトが切れた
  修理中に瞬間接着剤で親指と人差し指がくっついた 
  カミソリで削いだら肉まで切れた  ・・・・でも軽傷デス

2.Fさん宅の掃除機が壊れた。 ついでに包丁研ぎも



だまし騙しの修理が出来て、遅番の出勤前に寄って「途中で検問が有ったら
銃刀法違反かなぁ」とか言いながら掃除機と包丁を車に積んで行った。

 

今から洗濯物を乾かしてテストしまぁ~す

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上ってます

2012年01月22日 | Weblog

最近では一時の“追い込まれた心境”が解けて、緊張感が和らいだ所為か
身体が少しおかしい・・・。 

4年半前のヘルニア手術で入れた樹脂網のあたりが痛い。
寝ていても腰が痛くて目が覚めるが、痛くて寝返りが出来ない。
朝は布団の中で準備運動しないと起き上がれない。
椅子から立ち上がる最初の一二歩は腰が痛くて歩き出せない。
腕の関節が痛い。
正座したり、つま先に力を入れたりすると足が吊ってしまう。

などなど、あっちこっちが痛い・・・・歳もあるが何と言っても運動不足が原因だと思う。

一般的に気温の高い夏場は血圧が下がり、冬場は血管が収縮するので血圧が上がる。
そんな一般的な変化に加えて、去年6月から山歩きを始めた途端に、大幅な血圧降下で
「効果あり」を実感したが、今年の冬は異常な血圧上昇である。

今回の「妻の介護」と関係があるのかなぁ・・・あるとしたら人間の身体ってスゴイなって思う。

       この冬の血圧は異常値です

 

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支えられて・・・・生きる

2012年01月20日 | Weblog

永久の道半ばで引き返して来て呉れました。

大勢のみなさんに支えれられて・・・・・戻ってきてくれました。
今は、三度の食事もキチンと食べ「良く飲み(水)、良く寝ます」

1月14日:誕生日
 Fさんからお祝いのケーキとプリンが届いて、妻の歳に並びました。
 その夜は、あれこれ取り混ぜて嬉しい一席も設けて貰い、酒と肴に酔いました。

      プリンを半分食べて「オ・イ・シ・イ」と妻の声が嬉しい

1月17日:昨夜来の小雨
 本宮山の頂上は雲に隠れてどうやら雪らしい・・・・と飛んで出掛けたFさん
 「スパッツ無しで裾が汚れた」と嬉々として戻ってきて、雪で丸みを帯びた頂上一帯を
 “スマホ”に再現して見せてくれた。 
 アイゼンが無かったのでスッテンと転がって大笑いされたとか・・・あぶネェ
 

 今年の話題作mont bell(モンベル)の「チェーンアイゼン」をプレゼント
 

1月18日:デイ サービス
 僅かでもいいから「生きている証」 を感じて呉れたらと・・・ 
 たとえそこで何かが起こっても「悔いません」と伝えて、週一回のお願いをした。

 昼食の頃、施設から「熱が37.5度と高いが・・・」と電話が
 原因は分からないが、一日の中で眠くなるタイミングで体温が一時的に
 上昇する事は退院以来知っているので様子を見て貰うことに・・・
 (いつもと同じなら30分~一時間で平熱に戻る)
 どうやら治まったようで夕方5時に無事帰宅。

 時計の針の明け暮れだけは従前の一日に戻った。
 庭のザボンも大きな実を付けて、去年と変わっていない。
 なのに、なんで妻の身体だけが・・・と。   否、考えまい
 「活きた証」を残して、やれる事はヤルと決めたんだからと思い直す。

 ザボンを切って、久し振りに同級生のKさんを訪ねる。 Kさん夫妻に会って心が和む。
 妻のためにと煮物や味ご飯を頂いて、「支えられてる」を感じながら軽トラを走らす。

   今年も変わらず出来たザボン

 

遠く離れたブロ友「ショコラさん」からもメールが届いた。
「幸せに生きた・・・・  祈っています」

妻の事、自分の事を日々支えてくれてるFさんとご家族。

出来ることがあれば言ってと手を差し伸べてくれるボランティア仲間のFさん。

パソコンが縁で親交を深めたTさん母娘、Sさん、Oさん・・・。

「生きて生きる幸せ」を贈ってやれるように・・・皆さんに感謝です。 

 

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支えられて・・・・ねがい

2012年01月12日 | Weblog

1月12日:

木曜日の11時は訪問看護の時間。
11時ピッタリに看護師のTさんがやって来て、手際よくチェックを始めたが
遮るようにして「酸素補給をやめたこと」、「痰の吸引も殆ど要らなくなったこと」など
ここ二三日の変わり様を伝えた。

看護師Tさん:
処置を済ませて、「元気になったね」、「呼吸の音がきれいになったね」
「良かった よかった」 と笑顔の後
前回の緊急入院は、脱水による血圧低下(⇒意識障害)だったかも?
明日の訪問入浴サービスの後は、スポーツ ドリンクがイイことなどのアドバイスを貰った。

次週からはデーサービスが・・・・月末にはショートステイの可能性も出てきたことなど
すべて承知していて、横の連携が素晴らしいと思う一方で、自分の知らないうちに
“司令塔”になって動いて下さった入院先の婦長さんの人間性に感銘を受けた。

入院していたS市民病院のO婦長さんとは“山登り”で話が始まり、聞けば今回の
訪問看護施設の所長、Wさんとは学生当時のワンダーフォーゲル部仲間だそうで
それなら・・・という訳ですべてが連携出来るネットを作って下さった。

寝たきりで、そのうえ酸素吸入器や吸痰器の要る重度身障者を引き受ける施設など
到底ないものと思っていた(実際に二三当って貰ったがNOであった)
それが、歩いて10分ほどのところの施設がOKしてくれた。 
しかも酸素吸入器や吸痰器を新たに設置してのOKだからスゴイと思う。

いつもながら人の出会いと巡り会いの不思議は、「科学」を超えた何かを感じさせる。

 

身体がサッパリしたのか眠ってしまったベットを見ると
「病気平癒・一畑山薬師寺」の“お守り”がぶら下がっていた

                            ・・・・娘だと思う

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支えられて・・・・笑顔

2012年01月10日 | Weblog

1月10日:

退院は主治医、看護婦長、お世話になった職員の方々にエレベータ前まで送られて
行く末を暗黙の内に認めあって帰宅した

・・・が、あれは何処か別次元の事だったのかと思えるように、日に日に顔に血が通ってきた。
だから「山」にも行った。
そして、本当にこのまま時間が経って欲しいと願う気持ちが強くなった。

昨日は帰宅時間の早かったFさんが、買い物の外出も間々ならない事情を察して
「要るものがあれば買って届ける」って電話が来て、“ミキサー食”の食材をお願いした。
届けに寄ったついでだからと、夕食をパッパッと作ってから妻の顔を覗きこんで

「顔色がよくなって良かったねぇ~」 と話かけ 「わかるゥ~」と聞くと
顎を引いて「ウン」と頷き、嬉しそうな笑顔でFさんを見つめていた。  

ここ半年以上見せたことのない「笑顔」をみた。 嬉しかった。

明日は(休みだから)「昼から来てお汁粉作ってあげるね」「お餅食べたい?」
そう言い残してサッと帰って行った。 
わずか15分か20分の出来事で、まるで「疾風のごとく現れて疾風のごとく去っていく」
月光仮面のような早業だった。

そして今日の昼時に、3人分の昼食と夕食を作りに来て呉れて、合間を見て
何やらワードの書類を作って、今夜はクラブの会合に行くと戻って行った。
暫くしたら“おでん”と“お汁粉”を持って来て「今から会合」と車で飛び去った
・・・もしかしたら「女月光仮面」かも。

何がどうあれFさんを見ると嬉しそうな表情で「笑顔」になるのがまた嬉しい。 

作って貰った食事を全部きれいに平らげてくれたことが、またまた嬉しかった。


晴れていたかと思うと俄かに変わる山の天気のように
今日一日は穏やかでも明日は、否、今夜は雨になるかも知れない
そんな命をつないで
一日でも多く寄り添ってやりたいと願う。

Fさん今日はありがとう  感謝。

 

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支えられて・・・・命

2012年01月09日 | Weblog

1月8日:

“想い出”に、今は「生きた証」としてまた一つ加わった。

6日に退院して来た時に比べると表情が和んで見えるし食欲もある。 声も出る。

ただそれだけで「嬉しい」と思う。

重篤な中にあって数少ない“家を空けられる間”ができて、昨日に続いて「山」に行った。
「筈ヶ岳(はづがたけ)+寧比曽岳(ねびそたけ)」は、雪かな・・・と思ったが取り敢えず行って
無理なら戻ると決めて、朝6時半に家を出た。

「距離優先」を選択して、千両(ちぎり)の山を越え、クラガリ渓谷から作手(つくで)経由で
設楽(したら)の大多賀町を目指す・・・ナビでは1時間20分と近い。

ところが、ところがである・・・雪と崩落で通行止めと迂回の連続で林道や狭い脇道に誘導
され、「ラリー走行」のような運転を強いられる・・・・でも、こう云うのってスキです。

   「この先凍結のため通行禁止」・・・・Uターン

      予定を大幅に遅れて10時半「寧比曽岳登山口」に到着


登山口から雪が・・・諦めて戻ろうと決めた時、下山して来た“登山者”が
「今日はアイゼンなしで登れるから大丈夫」って教えて呉れた。
ありがとうと礼を言って雪道を1時間登って11時40分に頂上に着いた。

気温-3度 快晴 ・・・・でも寒くない

     南アルプスの眺望が元気をくれる。 頑張れよ って

12時ちょうど「筈ヶ岳」は止めにして、元来た道をサッサと下る。 滑らないように・・・・
歩幅を狭くして踏まれていない雪を選んで足早に下る。

「死ぬなよ」、「死ぬなよ」と声に出して呼び掛ける
今日の“寧比曽の石”は、お前が生きた証の石だからと持ち帰る。

これから先、一つでも多く残させてほしいと願う。

 

12時35分、ありがとうと山に一礼して帰途に・・・・。 

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気分転換

2012年01月07日 | Weblog

1月6日:退院して家に戻った。

やることが一気に増えて自分の食事はどうなってるのか分からない。
あれやってこれやって・・・一段落すると食事も面倒になって結局は「抜き」になる。

夜もベットの横に布団を敷いて寝ることにしたが、40分、20分と小刻みに目が覚めて
酸素マスクが外れてないか、体温はあるかと額に手を当て、息はしてるかと聞き耳をたて
寝たのか寝なかったのかワケが分からない・・・午前5時の朝を迎えた。

でも気持ちは晴れている。

Fさんは1500メートル級の山に行くという。
自分も触発されて(妻のことは娘に頼んで)近場の「本宮山」に行くことにした。
本当はもっと高い山に行きたいのだが1000メートル超級の山は雪支度が必須になる。
しかし注文したアイゼンは生憎と未だ届かないので断念。

ブロトモの“じゅりっぺ”さんが、本宮山に雪が残ってたって書いてたから、それなら
日の当たらない裏側から登ろうと雪を楽しみに、未だ暗い6時からガレ沢を這い上がる。
表参道をトコトコ登るより、ルート探索気分でドキドキしながら雪を踏み固めて進むのは
気分転換にピッタリでした。

明日は寧比曽岳(ねびそだけ)・筈ケ岳(はずがたけに雪が無ければ行ってみる。

        本宮山頂上付近に残る雪

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医師もいろいろ

2012年01月07日 | Weblog

1月6日:退院。 

限りある時間だから、本人の気持ちが一番安らぐ「家で過ごす」を一義に配慮した
主治医の人間味に感謝して自分の車に乗せて帰宅した。

・・・・ただ、退院前日に排尿処置の為に掛かっていた泌尿器科の医師から
キツイことを言われてスッカリ沈んでしまい気分の重い状態を引きずっている。

 医師:「通院できるのか出来ないのか」
 自分:「外来で来た場合には酸素ボンベ容量が不足なので酸素の出る部屋を借りたい」
 医師:「めんどくせェ奴だなぁ」「じゃあ薬の治療は止めてバルーンにするしかないな」
     「第一、入院してるのにナンデ外来に相談に来るんだよ」
 看護婦:「明日退院されるので今後のことを相談に・・・・」
 医師:「「訪問看護でバルーン交換して貰えるように紹介状を書いておくから」

この医師が半ば“切れた”ような言葉の裏には伏線があって、妻のことを説明している時に
 自分:「尿漏れがあって、膿のようなものが・・・」と言ったことが気に入らなかったようだ。
 医師:「尿漏れなんてゼッタイ無い!バルーン入れれば細菌で、“なる”のは当たり前」・・・と

バルーンの入れ方が下手だと言われたと思い、ブライドが許さなかったのだろう。

なんだか罵倒されたように思えて気持ちが疲れてしまい、その日の夕食を用意して貰った
Fさんの家に着いたらそのまま運転席で眠ってしまい、起こされても食事を戴く気力がなく
その日は帰って寝てしまった。

Fさんから「大丈夫?」のメールを貰った。

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幸せとは・・・ 絆とは・・・・

2012年01月03日 | Weblog

12月4日:血圧低下で意識が薄くなったが食事後回復

12月12日:肺の感染症で入院
12月22日:退院

12月23日:肺炎の兆しで入院
12月29日:退院

1月02日:血圧低下で意識を失くし入院
1月03日:意識回復⇒入院中

退院した翌日に再入院するようなことを繰り返して、周りに迷惑をかけている。
介護者たる自分も一喜一憂して、腰の据わらない弱さを曝しているが、昨日(1/2)の
意識障害も、今朝は回復していた。 タドタドしいが会話も出来るようになった。

病が癒えてする“退院”ではなく、本人が「幸せだった」と思える覚悟の選択を
許可して貰った“情”を有難いと思う。

家に戻って迎えた束の間の正月、元旦・・・・唐突に「エヲ ・カ・イ・テ(絵を描いて)」と
言い出して、暫らく言葉を探って意味が分かった。
何年か前に鳥羽の灯台に行った時のスナップを描いた(描きかけの)絵を
完成して欲しいというものだった。

“餅つき”、“江の島”、“絵”・・・これで約束が三つになった。

“餅つき”、“江の島”は難しいが“絵”は描き上げるから、命の灯りを消さないで欲しい。

  [描きかけの画布]

  [パソコン上で描いた1枚]

 なんで今、こんなことを言い出したのか・・・・心の中の何処かに期待を潜めていたのだろう

入院先で食事を摂らせながら「描くよ」って約束した。

そんな時に「明日の朝ご飯食べに来ませんか?お雑煮作るから」とFさんのメールが・・・・・。

涙腺が弱くなったようだが「歳のせい」ばかりではない。

幸せとは・・・絆とは・・・

 

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気力が・・・

2012年01月02日 | Weblog

朝はカニと柿をそれぞれにミキサーしたものと、ヨーグルトをきれいに食べて
口腔ケアを済ませて眠った。

昼になって少し目を覚ましたが直ぐに眠ってしまった・・・よほど眠いのかと思い
体温とSpO2を計ってそのまま眠らせておいた。

3時になっても眠っている。・・・体温とSpO2は問題ないが何かおかしい
呼んでも目覚めないし叩いても反応が無い!!

今回、入院した時と同じだと気付くのが遅かった!!
血圧が異常低下して意識を失っていたのだ。
3日前に退院したばかりの病院に救急車で駆け込んだ。

酸素吸入も、「マスク」をやめて「鼻孔式」にしてもSpO2が94~97を
確保できるまでになったことが判断を遅らせてしまった。

病院に着いて一瞬意識が戻ったが直ぐに眠ってしまい無反応になった。
でも、すべての監視データは正常値になっている(脈拍、SpO2、血圧 ・・・etc.)

主治医に聞いた。「何が原因ですか」「介護に手落ちがあったからですか」と
主治医:「この病気の成せるもので、唐突に血圧が下がって逝く方も多いのです」。

呼び寄せた子供たちに伝えた。
「お母さんは苦しまずに、眠ったまま逝くから、意識が戻る時を逃がさず見舞いなさい」

今夜は主の居なくなったベットで眠る。 明日は意識が戻ってくれると願いながら・・・・。

もう夕食を摂る気力も、着替えをする気力もない。

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支えられて…2012年元旦

2012年01月02日 | Weblog

年賀状を書く時間も無く、正月の煮物も酒もないまゝ歳を跨いで新年になった。

年越しはFさんの家に招かれて蕎麦で温まり、栗きんとんや和菓子など戴いて
お世話になった一年に感謝しつつ家に戻った。

この家に“正月”を思わせる色彩は、何年も前に描いた絵が只一枚・・・静かです。
             でも気持ちは沈んでいません。

搗いてもらった餅が“福餅”になったか妻の症状が“餅治して”(持ち直して)きた
声が出て、僅かながら意志の疎通も出来るようになった
食欲もあって入院していた時とはずいぶん変わって、血の通った顔になった。 

暫くの小康状態・・・・・と分かっているがそれで十分嬉しい

元日は山登りクラブの仲間と吉祥山に登って日の出を眺めると言うFさん
「良かったらどうぞ・・・」と誘われて、気兼ねと気分転換の半々で付いて行った。

   
少し離れて後を行くが、場違いを感じて会話も点が線にならない
やはりいつもの自分と違う雰囲気が伝わって声を掛け難くしていたものと思う

・・・・沈む

             「吉祥山頂上で日の出を待つ人々」

日の出は生憎の結果だったが、明ける空と山の冷気で気を取り直し
長く続いて欲しい「最終章」を願って、下山する皆さんの後ろに従う。

帰宅は、来た時とは違う少し遠回りの道を走って「わたしに出来ることは手伝うから」と
時間をかけて何度も励まされ、気持ちを立て直して家に着いた。
暫くして「黒豆が美味しく出来たよ~ン」のメールが来て、歩いて届けて戴いた。

さっそく「ミキサー料理??」を作って食べさせた。

たどたどしい「オ・イ・シ・イ」の声を聞き
病む妻の愛おしさと、人の優しさを知る一年が始まった。

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支えられて・・・・大晦日

2012年01月01日 | Weblog

12月27日:餅つき前日

自力呼吸が難しくなり、「イ・キ・タ・イ(行きたい)」の言葉も消えた。
SpO2値が80を下回るため、酸素吸入器なしでは生命が危うい状況に陥った。
明日から病院も年末休暇に入るため、もしもの場合は動きが取れないからと
主治医からストップが掛かる。

12月28日:餅つき

ドクターストップで介護の用が無くなったFさん「山に行くことにした」と言ってたが
何せ人手不足と高齢化で餅のつき手が居ないので、無理言って
“山で鍛えたパワー”を提供して貰うことに・・・

火を焚き餅米を蒸かし、石臼に移して杵でこね、ペッタン ペッタン4臼も搗きました

病院で待つ妻に届ける「鏡餅」も作ってくれた

搗き終えて病院に向かう途中は雪道で、暫し童心に戻ったFさんにホッとする

 

届いた鏡餅に手を誘って「わかるかッ!」と訊くと「ハぁ・イ」と言うが、目は虚ろで空を追う。
それでも主治医から「明日からは自宅で療養だよ」と告げられて、「ホ・ン・ト(本当)!」と
うわ言のようにして飽かずに繰り返している・・・嬉しいんだろうな。

医師に呼ばれて病状の説明を受ける。
「病院に戻ることは無いかも知れないが本人の希望だから本望だと思います」
もし何かあったら私に知らせなさいと・・・連絡先の紙片を貰った。
この大晦日が越せるかどうかを暗黙裏に知らされたが、気持ちはブレなかった。

「生かされて生きるより生きて生きる幸せ」を介護士の方から教わったと話すと
「良い方に巡り合いましたね」と狼狽えなかったことに安堵の様子。

12月31日:

29日に退院そして大晦日。 
家には酸素供給機も置かれ停電に備えてボンベも8本用意した。
何より大変なのは食事だ。 “ミキサー食”など作ったことが無いし、作って食べさせて
終わるとユウに2時間超だ。
そんなこんなで自分の食事などは、そこら辺りの目に付くものを摘まんで済ます。
でも嬉しいことに、顔色も良くなり、声も出て無事に年を越しました。

いま生きている、それだけで貴い・・・・支えられて大晦日。

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