後期高齢者1と2と3と

後期高齢者に組み込まれて運転免許試験も認知症検査付き
せめてgooブログで脳トレに励むことに・・・

後期高齢者1と2と3と「 貧乏旅行4日目」

2020年01月22日 | Weblog

2020年01月02日:「貧乏旅行」最終日

昨夜は最近はやりのスタイル「スーパーホテル」なる処に泊まったが、広い温泉風呂と

清潔な宿泊施設にリーズナブルな価格がとても気に入った

渋滞と混雑覚悟で奈良公園に寄って家に戻る計画で「若草山」登山に行くも正月休みで入山不可。

そこで春日大社、東大寺を巡って家に帰ることに・・・

春日大社:
午前8時半、延々と並んで駐車場に入ったが境内は人影まばら。

朝早いためか春日大社も空いてた。

午後2時を過ぎて、駐車場に戻る頃は露店も出てさすがに正月らしい賑わい。

東大寺の名称:
「東大寺」って、大仏さんのあるこの建物の呼び名だとばかり思っていたが、正しくは「金堂 こんどう」だとッ
でも、金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)もあれば「大仏殿」もあり
入り口の南大門 扁額には「大華厳寺 だいけごんじ」とあるが・・・一体何なのよ 

・東大寺
・金光明四天王護国之寺
・大仏殿
・大華厳寺

東大寺の異名と言われる南大門の扁額「大華厳寺」・・・南大門(なんだいもん)だけに「難題門」デス

東大寺の見所:
・「金堂」(大仏殿金光明四天王護国之寺大華厳寺 )  国宝

・大仏(盧舎那仏像 るしゃなぶつぞう)国宝

・大仏さんの守護神(国宝ではありません)

・建造物 国宝

聞いてみたい東大寺のなぜなぜ:

・聞いてみたい寺の呼称と正式名称
 二月堂は観音堂。 三月堂は法華堂。 四月堂は三昧堂。

・聞いてみたい寺の欠番名称のわけ
 ✖→二月堂→三月堂→四月堂・・・一月堂は何処にある

答え:12キロほど離れた場所に「笠置寺」があり、正月 (1月) に"お水取り"をしており、先を越された
東大寺は 翌二月に観音堂で"お水取り"を行ったことから「二月堂」になった・・・とか
後は惰性で三月、四月かな ・・(実際は二月堂より三月堂の方が先に在ったので惰性でないと思うが)。

正月(1月) 堂は他にも三重県伊賀市に観菩提寺(正月堂)がある。

・謎の生物 8本足の蝶
大仏正面左下に蓮の入った花瓶があるが、そこに止まっている蝶は何故か足が8本ある。

・見落としそうな東大寺の優れモノ

金銅八角燈籠 国宝:
灯をともす部分 (火袋) の扉で、尺八を吹く音声菩薩の羽目板が盗まれ 今あるのはレプリカだそうです。
(後日見つかって、本物は東大寺ミュージアムに保存されているとの由)


賓頭盧尊者像(びんずるそんじゃぞう):
自分の体の悪いところと同じ部分を撫でると治ると言われているが、頭までは手が届かない高さである。

これで昨年末からの世界遺産巡りの貧乏旅行もほぼ終わった。

九度山、高野山、仁徳天皇陵古墳、法隆寺、平城宮跡、東大寺・・・

一番アホらしかった所は「仁徳天皇陵古墳」。二番目は「高野山」の企業墓地。

一番印象に残ったことは、建造物や仏像の名前が難解難読で覚えられない、読めない。

次回はもっと事前調査をして出掛けないと・・・・(と思うだけ)

 

 

 


   

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後期高齢者1と2と3と「 貧乏旅行3日目」

2020年01月22日 | Weblog

2020年01月01日:「貧乏旅行」3日目

洋上から初日の出を・・・の予定が「友ヶ島」行きの船が"正月休み"でした。

急遽「仁徳天皇陵古墳」と「法隆寺」に変更。

「仁徳天皇陵古墳」:
昨年7月に世界遺産に登録されて、さぞかしと期待したが見事にガッカリ

ガッカリか素晴らしいかはその人それぞれだとは思うが、観て触れて価値を実感したい自分には「アホくさ」の一語。

イメージしていた「仁徳天皇陵古墳」

実際に出会った「仁徳天皇陵古墳」は(上記写真の赤丸部分) ただの森じゃん

一つには「仁徳天皇陵古墳」があまりに大きく、仕方無いとは言え一工夫が有ってもイイのでは

確かに一工夫の痕跡があるには有りましたが・・・     「アホくさ」

 もうッ    「アホくさ」デス。

 

「法隆寺」:
日本初の世界遺産として190以上もの国宝・重要文化財があり、飛鳥時代の栄華を今に伝えていた。

国宝の数々が・・・

建造物の見事な造りについつい見落としそうなところをカメラを通して見ることが出来た。

五重塔の先端(相輪)に鎌が括り付けてあるが・・・

なんでも「雷よけのまじない」で取り付けられたそうです。


もう一つは日本最古の「金堂」ですが、よく見ると三階建てのようだが二階部分は外観だけで中は無いとか

四隅の柱に何やらかざりがあるので、カメラでズームしたら龍でした。

 

ちょっと離れた薬師寺に移動

薬師寺:
ここも国宝が多くあって楽しめました。

国宝の東棟は111年振りの解体修復が終わり、のぼり旗も出ていた。

この西と東の双塔では面白い話を聞いた。  
西塔は東塔より1.1m高く、三重の屋根の反りも緩やかだそうで、これが500年後には
同じ高さになり、1000年後には屋根の反りも同じになるとか 

理由は、地盤沈下と木材の乾燥収縮を考慮した西塔再建当時の(1981年)大工の知恵だとか

ンじゃあ今回、解体修復が成った東塔の場合はどうしたんだろう・・・などと余計な心配しながら次の「平城宮跡跡」へ

平城宮跡:

広ろッ   広さにビックリ。

朱雀門と大極殿の間を電車が走っているのに二度ビックリ。

ここでも太極殿南門の復元工事が行われていた。

 

今日はここらで切り上げて、どこか安宿を探してユックリ寝て明日帰ることにしました。

 


 


 

 

 

 

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後期高齢者1と2と3と「 貧乏旅行2日目」

2020年01月13日 | Weblog

2019年12月31日:午前5時 道の駅「くどやま」はまだ真っ暗で天候がどうなのか分からないが

これから高野山目指して世界遺産の高野山町石道を歩きます・・・20キロくらい8時間かな

「高野山」といえば真言密教の聖山、研鑽修行の聖域と言うことだが、それにはあまり関心がなく

標高900メートルもの山上に、とんでもなく広い平坦地があることを見たい野次馬的興味のみ。

なぜあんな地形が出来たのか、高野山のどこが「世界遺産」たる根拠なのか・・・

本気で知りたい方はこちらに和歌山県教育委員会の資料があるのでクリック。

周囲が1000メートル級の山に囲まれた中に忽然と広がる平坦地「高野山」

山とは思えない山だから行ってみたくなるのは野次馬そのもの

山登りの最初に覚えさせられる等高線図"山地図"をみるとホント不思議な場所です。

前日泊まった九度山「慈尊院」の百八十町石から、「高野山町石道」を歩き高野山入り口「大門」を目指します。

大門到着時の気温は2.4℃  所々日陰に雪が残ってはいるがほぼゼロでした。

大門横のトイレ脇に六町石があり、ここから10分くらい歩いた壇上伽藍 根本大塔下に一町石があった。

大門から壇上伽藍の金剛峯寺まで歩きながら思った「ここってホントに山の上なの 」ってくらい平です。
山の上とは思えない広い町中と道路が奥の院まで延々続いている。

 クリックすると拡大します。

案内マップを見ながら奥の院まで行くが、お墓には全く興味がないのでへそ曲がり的、野次馬的興味で
「あの建物どうやって造ったンかなぁ」「これはナント読むンだッ」とか・・・難解難読の連続
 ダジャレですがここに通じる路線も「南海鉄道」「南海バス」。ナンカイずくしです。

・壇上伽藍の「壇上」ってなに:
 道路より一段高い地形を「壇」に見立てた文字通り壇の上に建てた伽藍。
 本来は高野山全体を「道場」という意味合いで「壇場」と書いたそうな。

・「三鈷の松」ってなに:
 そもそも"三鈷(さんこ)"とは、飛行三鈷杵(ひぎょうのさんこしょ)」と呼ばれる密教法具の「三鈷」のことで
 空海が所持していた仏具のことだとか。 伽藍を高野山に造るにあたり仏の意思を確認するために
 法具・三鈷杵を空へ向かって投げたその後、伽藍を造る場所に行ったらこの「三鈷」が松の木に引っ掛かって
 いたというその松が「三鈷の松」だって ますますウソ臭い訳の分からない話でした。
 空海のフィギュアが握っているフォークの様なのが三鈷杵と云う仏具
 クリックすると拡大します。

・読めない:
 金剛峯寺(こんごうぶじ)、根本大塔(こんぽんたいとう)、中門(ちゅうもん)、西塔(せいとう)
 東塔(とうとう)、御影堂(みえどう)、御社(みやしろ)、持明院(じめいいん)、町石道(ちようせきみち)
 御廟橋(ごびょうばし)、御供所(ごくしょ)、嘗試地蔵(あみじぞう)、蟠龍庭(ばんりゅうてい)
 金剛三昧院(こんごうさんまいいん)、三鈷の松(さんこのまつ)、西南院(さいなんいん)
 大玄関と小玄関(おおげんかんとこげんかん)、准胝堂(じゅんていどう)

・意味不明の「高野四郎」:
 説明では「全国の寺院中4つ目に大きい鐘であることに由来して"高野四郎"と呼ぶ」とあるが
 ナンデ“四郎”なのか洒落にもなってない。

何処に行ってもさしたる感慨もなく取り敢えず写真だけ撮って来た。

記憶に残ったものでは「高野四郎」鐘撞と「一町石」に出会えたこと。

 

商売上手な持明院:四国八十八ケ所の霊場巡りが5分で出来ちゃう庭がありました。
「八十八ケ所の御砂踏み場」と書いてあった

奥の院の入口「一の橋」

ここから先は戦国武将の廟や墓が並ぶメインストリート。 織田信長、豊臣秀吉、武田信玄、上杉謙信、伊達政宗
石田三成、徳川家康、薩摩島津家、明智光秀・・・その中に紛れ込んだかのように鶴田浩二や市川団十郎も。
     

一歩横にそれるとガラリ雰囲気の異なる企業墓地があり、商魂丸出しの高野山があった。

更に何でもありの筆頭は、柳家金五郎が建て、賛同した花菱アチャコの句碑のある「楽書塚」
どうぞ何でも落書きして下さいだって・・・違和感の極み。

ようやく奥の院に到着したが これより先は撮影禁止で「御廟ノ橋」からの一枚

これから真田幸村ゆかりの蓮華定院に寄って九度山まで戻ります・・・夜間歩行です。

   蓮華定院と梵字の書かれた庭
 

  

 

 

 

 

 

 

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後期高齢者1と2と3と「 貧乏旅行1日目」

2020年01月05日 | Weblog

年末年始は、恒例になってしまった格安ホテルと車中泊の"貧乏旅行"で過ごしました。

年末は高野山に登り、年始は大阪堺市の仁徳天皇御陵と奈良の春日大社などの世界遺産巡りです。

2019年 12月30日:九度山で車中泊

今日は、九度山町の世界遺産「慈尊院」、「丹生官省符神社にうかんしょうぶじんじゃ」と

真田幸村が隠棲し再起を誓った場所「勝利寺」を訪ねて早々に車に戻って寝ることにした。

TVドラマ「真田丸」で名を上げた九度山。 「道の駅くどやま」は真田幸村の情報発信センターを兼ねている。

早速 幸村ゆかりの「勝利寺」に行ってみた。

のぼり旗も仁王門も幸村の甲冑と同じ「赤色」・・・そういえば町中「赤色」がやたら目立ってる感じで
レンタル自転車も赤だった。 もしかして村おこしカラーかも

 

道の駅の後方が慈尊院で高野山詣での入山口だ。参詣でのための道が世界遺産に登録されている。

卒塔婆の代わりに建てられた石の道標を「町石」と呼び、109メートル間隔で高野山奥の院まで180本があるそうだ。

距離にして約20kmほどを~10時間かけて歩きます。

 

慈尊院の世界遺産登録記念碑:石碑の文字は画家「平山郁夫」の直筆とある

 

その一方で世界遺産とは思えない「これはなんだッ」って場所に出会う。

慈尊院は弘法大師の母が「我が子が開拓している山を見たい」と訪ねるも、当時の高野山は女人禁制であり

この慈尊院から高野山を眺めていたとの説から「女人高野」の呼び名がある。

そのため子授け、安産、育児、授乳、良縁などを願って乳房型、絵馬を奉納する女性が多く

訪れることから、古くからの信仰の場であったと有吉佐和子の小説「紀の川」にあると・・・ 納得

 

境内奥の多宝塔脇の階段を登った所がもう一つの世界遺産「丹生官省符神社」ですと案内にあるが

何と読んだらイイのか?? 字が読めません    「にうかんしょうぶ じんじゃ」だそうです。

この神社の役割?は…
慈尊院の守り神だそうで字も読めないが「官省符」の意味も分からない  (詳しく知りたい方はこちら

守り神として地元の丹生都比売・高野御子の二神を祀った神社がこちら(重要文化財)

 

車に戻る坂道で、紀の川の向こうに珍しい景色が広がっていた。

 

明日は高野山に登ります(と言うより歩くが正しいか)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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