後期高齢者1と2と3と

後期高齢者に組み込まれて運転免許試験も認知症検査付き
せめてgooブログで脳トレに励むことに・・・

四十九日の夜

2012年03月31日 | Weblog

3月31日は、小学生から中学生に、学生から社会人に・・・・と、大勢の人が

この日を境に別れの日と出会いの日になる。

逝った者と残った者にも同じ境のある四十九日が3月31日に重なった。

ここを離れる妻の霊は、新たな世界で再び両親に、そして友達に巡りあう。
残った自分は、過去に感謝して、明日からの広がりに生きる喜びを待ちたい。
そう言い聞かせて心の整理をしたが昨夜は眠りが浅かった。

土砂降りの雨の中で納骨を済ませ、帰宅してガランとした部屋を見ると
「ああ ホントに独りになってしまった」との思いに包まれ、飲みかけの
コーヒー茶碗を両の掌で包んだまま一時の放心をした。

夜の9時半を回った頃「30分ドライブしませんか?」ってメールが届いた。
「多分そんなことじゃないかと思ってね
「先生は話をしながら自分で自分を立て直せるヒトだから」

そう言って“遅番帰り”のFさんが、帰宅前の30分間を割いて近郊を一周してくれて
「どう少しは元気になれたぁ 」 「じゃあまたネェ~」と帰って行った。

人の心が読めるケアマネさんだとFさんに感謝。

Fさんありがとう。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歩くには歩いたが・・・

2012年03月30日 | Weblog

「浜名湖を歩いて一周」に参加してきました。 

朝5時に家を出て新居町駅前の「新居町図書館」に6時集合。
今日のメンバーは登山クラブの重鎮HTさん、お世話になってるFさん、そして最高齢の自分で合計3名。
⇒ 6時10分スタートした。

サテ何時間後に戻って来れるやら・・・・とにかくついて行かなければの頭しかない。

Fさんは、HTさんを登山の師と仰ぎ、互いに命綱を預ける信頼の師弟関係だから
歩くテンポもお喋りする口の滑らかさも絶好調だ。
それに引き替えこちらは、初対面の固さと格の違いを意識して、ただただ
肩を並べて先を行く二人に置いて行かれないようにと黙々と後を追う。

歩き始めて2時間ほどで最初の休憩をとり、少し固さも解れて次のポイント「舘山寺」に向かう。
10時丁度に「舘山寺」に到着・・・4時間歩いた。

「まだ4時間しか歩いてない・・・まだこの3倍も歩くのかァ 」と
口では大変そうに言うが、表情は明るくチラホラ開いた桜に春を満喫している。
この先3時間はトイレが無いのでここで空に・・・文字通り身も心も軽い。
腹ごしらえも出来て、桜花をカメラに収めて「佐久米」目指して GO

ただ、この先は車の往来が多い姫街道なので、ちょっとシンドイかも・・・・・。

周回コースのほぼ半分になる「西気賀」から「佐久米」に差し掛かると、Fさんが足が痛いと
歩行の姿勢が少し崩れるが、舌先は至って元気・元気

13:27「佐久米駅」到着(出発から7時間17分経過)。
しばしトイレと足の休息。 
この時Fさん「靴が痛い」と訴えたが「靴が・・・ではなく“足が”が正しい日本語だ」と茶化して
賑やかな雰囲気で次なる地点「瀬戸」を目指した。

これが今日最大のミステークになるとは終ぞ(ついぞ)思わなかった

瀬戸到着:15:10 (スタートから9時間歩いた)

瀬戸大橋の階段を下りるのも辛いと言いながらも湖岸のブロックでHTさんと並んでピースのポーズ。
Fさんは我慢強い(・・・・・・口は軽快なので、まだイケルと思った)

でも、ここからゴールまではまだ3~4時間は掛かる

最後のトイレ休憩駅「知波田」に寄って、いよいよ最終コーナー「湖西」に入り
ここからゴールの新居駅まで残り8kmだ。

(本当は、ここで止(や)めたかったと後で聞いたのだが・・・・)

「ここで止めたら悔いが残る」 「ゆっくりでイイから・・・」と
座り込んだFさんを励まし、持ち合わせの絆創膏やクッションを水脹れの足底に貼る。

(結果的には止(や)めにくい雰囲気を作って煽ったことが情けない)

何とか気力を立て直して足を前に運ぶFさん・・・・
何度となく立ち尽くしてはまた歩く。
もう新居の町に入ってきたが、ゴールはなかなか見えてこない。
すぐ後ろについてFさんが止まれば止まり、進めば進み、見守るようにして歩く。
自分も左足の小指が痺れて限界を感じ始めているので、Fさんの
精神力の強さと負けん気に凄さを感じながら「新居の関所跡」を過ぎた。

やがて19時になる。スタートしてから13時間になろうとしている。

新居の駅が見えて来た・・・もうすぐゴールできるよ
座り込むようにして駅舎に着いたFさん。
先にゴールして待つHTさんが手を差し伸べて労う。

「よくやったね」と師の握手が優しい。

・歩いた距離:54.6km (87,584歩)
・所要時間:12時間55分 (休憩40分を含む)
・歩いた時間:12時間15分 (休憩40分を除く)
・歩いた速さ:4.5km/毎時 (休憩40分を除く)

終わって残ったもの・・・感動はない。喜びもない。
翌日、起き上がることさえ困難にしてしまった申し訳なさが残った。

Fさんが「歩けない」と言った時「止めよう」と言えなっかた優しさと勇気の無さは
自分だけが生きて帰った兵士が、自責の念に駆られたと云う話に似て
身の置き場所がなくなる心地がする。

 


 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まさか!?が 二つ

2012年03月28日 | Weblog

昨日(3/27)お墓が完成したと知らせがあった。
ここから少し離れた「国府」という所に両親と兄のお墓があり
向い合せるようにして妻のお墓を建てさせてもらった。

大勢の方に支えて頂いたお蔭で、泣き言一ついわずに、見事に生き抜いた分
これからは “おだやかに” ・・・と、そんな祈りを込めた細やかなお墓ができた。

  

 

29日の「浜名湖一周」を控えて、お墓まで歩いて行ってみた。
まさかのこと その1が起った

靴底の薄いウォーキングで固いコンクリート面だったのが原因か、親指あたりにマメができてしまった。
距離にしたら13キロ程度で、いつもの山歩きに比べたら半分以下なのに・・・である。
これでは、とても とても55キロはおぼつか無い。

そういえば過去に三度歩いたことがあるが、その時は雪の積もった“柔らかクッション”だった。

早速Fさんに伝えたら、「エアーサ*ンパス」が効くらしいと教えてくれたので
今日これから買いに行き明日に備えることにする。

 

まさかのこと その2

夜勤明けのFさんが、家に帰る前にコーヒー休憩に寄った今朝のこと。

帰り掛けに「言おうか言うまいか迷ったが・・・」と前置きして

「実は・・・」
「おかあさんが居た」と真顔で言う。   まさか  

「イヤ (姿は見えなかったが) いつも座ってたこの場所から」
「どうぞ」って言ったのが「確かに聞こえた」と言うのだ。

玄関を開けて「お邪魔しまぁ~す」と入ってくると「どうぞ」との受け答えは、確かに
その通りで、妻もFさんの来るのを楽しみにする日常だったが、それでも「まさか」である。

「おかあさん ここに居るよ。 いるから安心して、ちゃんと寝なさいよ」と言い残して帰って行った。

「そら耳かと思ったが確かに聞こえた・・・・」車に向う庭先でも、まだ言っていた。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

話をしてますか?

2012年03月26日 | Weblog

今日は48回目の記念日。

結婚して今日に至るまでの48年間、只の一度も「結婚した日」を意識したことがなかった。
だからお祝いの真似事も一度もしたことが無いままに終わってしまった。

今頃は、7年前に送った母親に会って「ひどい亭主だったね」なんて話をしてるかも

おふくろさんはなんて言うかなぁ~

式当日の写真と一緒に「祝辞」もキチンと包装してあるのを見つけて
「すまなかった」の思いでシュンとなってしまった。


半ば寂しい一日になりそうだったが
Fさんが楽しい話を持ってきてくれて元気回復。

今週末の29日に、浜名湖を歩いて一周するから参加するゥ    だって

浜名湖を一周すると、駅伝コースで53Km,一般道で55Km
歩く時間は10~16時間で、朝は5時にスタートして夜の7時、8時まで歩きっ放しなんだと

早速ウォーキングシューズを買って来て、いつものランニングコースを歩いてきた。
歩いた距離は6.5kmで、所要時間は1時間8分。
時速5.7kmだから結構活発に足を運んだことになるが、この調子で10時間も歩くなんて
とてもとても・・・・・ムリムリ

でも、どうなるか分からないが挑戦しようってことで、「行くよって」Fさんに伝えた。

結果はまたのお楽しみデス。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もうすぐだね

2012年03月24日 | Weblog

今年の“ボケ”は、いつもの年より蕾の数が一段と多く綺麗に咲いたように思う。 

花を見ても部屋を眺めても、何もかもが妻への想いに結びついて「まだダメだなぁ・・・・」 と思う。

いつものように目を覚まし、いつものように話をしていたベットは、今は花瓶が置かれて花が眠っている。

食卓にいる姿がいつも見えるようにと乞われて、ここにベットを移したことを思い出すと
またまたウルウルして花の焦点がボケて映る。

もうすぐ四十九日を迎える。
お墓も出来たので、その日に一緒に納骨するが
それは気持ちを前に向けるためで想いを切るのはないから・・・・。

意思は継いで行くと約束したように、「春には咲けよ」と言い伝えた球根達も
開花の準備を整えてもうすぐ咲くよ。

昨日、訪ねてきたFさんが「暖かくなったら “江の島” 一緒に行くからね」って言ってくれた。
よかったなぁ かあさん。

Fさんありがとう。

そう 4月は巣立ちの月、旅立ちの月なんだ。
自分が、妻が、また新たな道に踏み出す月なんだと気持ちを切り替えて
古くなって色褪せた妻のアルバムや未整理写真のリニューアルに取り掛かった。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

継ぐこと

2012年03月16日 | Weblog

逝ってひと月が過ぎ、庭のあちこちに黄色や紫の花が咲き始めた。

  

昨年のいつ頃だったか・・・・・

ペタンと伸ばした両足の間にプタンターを置いて、握ることが難しくなった手指に

移植コテを挿し込むようにして土を掻き分けていた。

どうにかクボミ(穴)をいくつか作って、球根を埋めていたが、深くは掘れないので

球根の半分が顔を覗かせていたり、横ちょを向いたりしていたが、そのままにして

春の来るまで庭の隅に置くことにした。

今そのプランターの中で蕾が膨らみ始めたもの、花を咲かせているもの

見せてやりたいなぁ・・・・・・と、あの日の陽だまりに思いをめぐらす。

「花壇にはこれ植えて・・・」と網に入った球根を渡され、無造作に掘った穴に

ポイぽいっと落として土を被せておいたのが、今、芽を出してきた。

どんな色のどんな形の花が咲くのだろうか・・・・・。

球根に「春には咲けよ」と命を与えた主は、それを待たずに逝ったが

その意思は「継いで行くよ」と今朝報告した。

    

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

涙を超えて

2012年03月12日 | Weblog

今日3月11日は、東日本大震災から一年の日を迎えた。 
もう1年なのか、まだ1年なのか・・・

      

追悼式に臨む遺族の代表は
「愛する人を想う気持ちがある限り悲しみは消えない」・・・が「涙を超えて強くなる」と誓うという。

そんなニュースの画面に自分の心境を重ねて、痛々しいほど代表者の心の内が伝わってくる。

もう26日なのか、まだ26日なのか・・・自分の思いは「まだ26日目」 で悲しみは消えない。
が、しかし、多くの方に支えて頂いた妻と同様に、自分も今、多くの方に励まされていることを
実感しており、今月末の四十九日目を区切りに一歩前に出ようと思っている。

朝7時、カーテンを開くと眩しいほどの光が射し込んできて、東を向いた仮祭壇の遺影を照らす。
「かあさん 山に行ってくるよッ」と、その場の思いつきで「本宮山」に行く気になった。

快晴。 まだ道に迷わず辿り着いたことがない「西蔵~本宮山」をスッキリ縦走してやろう・・・と
そんな思いがあったから何も考えず、ただひたすらに“踏み跡”を辿って
一時間も歩くと見晴のイイ「鉄塔」に着いた。  一息入れる。

足元の斜面は春の息吹が流れていて「山はいいなぁ~」 「ありがとう」とカード入れの中の写真に話しかける

この先アップダウンのきつい尾根を2時間歩いて、12時30分本宮山の頂上公園に着いた。

持参したカップラーメンにお湯を注いで昼食をとる・・・・ウマァ~イ
ただ困ったのが残った汁の始末・・・そこいらに捨てられないので、お湯を注いで
薄めてはまた薄めして全部飲んじゃった。

1時ちょうど、今来た道を引き返す。 
途中「3・11  14:46」を迎えることになると時計を確認して早足で下る。
戻りは、踏み跡を探る心配もなくヒノキの尾根道を淡々と下る。 

気が緩んだ分、抑えていた感情が蘇る。一人大きな声を出して呼びかけた。

「さようなら**子」 遠い旅だ 「迷わないで行けよ」 「転ぶなよ」

「ありがとう~」 「サヨウナラ」 ・・・・涙の乾くを一しきり待って西蔵の分岐に向かう。

山を下り終えた「登山道入り口」で14:46を迎えた。  脱帽して黙禱する。         

追悼式で読まれる言葉の深さに万感の思いがよぎる。

「愛する人を想う気持ちがある限り悲しみは消えない」

「それでも私たちは涙を超えて強くなる」

妻との別れを重ねて黙禱が長くなる。

時計の針は戻せない。・・・・しかし
築いた「絆」の一語と共に歩んで行くことはできる
そう言い聞かせ、もう一度山に一礼して車に戻った。

いい一日をありがとう。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後の贈り物

2012年03月09日 | Weblog

昨日、新しいWindows7パソコンが届いた。
64ビット、8GBメモリーでとてもサクサク動いて気分がいい。
(隣にあるノートPCの32ビットWindows7より遥かにイイ

今まで使っていたディスクトップはXPだったが、最近のソフトでは思うように走らないことが多く
昨年の暮れに「お前の貯金で買っていいかなぁ」って軽く話したことがあった。

今年の2月になって「買ったの 」って聞かれ、「ホントに買っちゃうよ 」なんて話しをしてたのに
それから十日もしない間に逝ってしまうなんて・・・・。 

こんな経緯があって、妻からの最後の贈り物として購入させてもらい受け取った。

 

妻が身に着けていた洋服やアクセサリー、残していった書き物やアルバム・・・
何をとっても「思い出」が巡って前に進めない。 なかでも、動かない手指を使って作ったであろう
アルバムを見ると、自分の行く末を見据えて決めたアルバム作りに、母として妻としての優しさを想う。

子供達其々の写真と夫婦がそれぞれに辿り育ったころの写真が、個々のアルバムに納めてあった。
しかし、妻自身が写った写真は未整理のまま引き出しの小箱に仕舞い込まれていたので
これを「妻のアルバム」に整理しようと決めた。

             

そんな訳で「高性能PCが欲しい」との思いが募った。

今、Fさんが「一緒に出掛けた時の写真を動画風DVDにして届ける」って
フォトショップを開いていることを妻に語って伝えた・・・・聞こえているよな

Fさん ありがとう

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山の出来事

2012年03月03日 | Weblog

妻を送って10日が経ち、役所の手続き、お寺のこと、お墓や仏壇のことなどが一段落した。

コーヒーを淹れる度に「あぁ 逝ってしまったなぁ・・・」と2時間ほど椅子に沈んでしまう。

気落ちしたことが顔に出るのだろうか、Fさんが気遣って
「旦那も本宮山くらいなら登るから3人で 登りませんか」と、気持ちを外に向けろと誘ってくれた。

2月26日:
前日の雨で滑り易いが低山歩きなら支障のない天気になったので、“ちょっと散歩” の軽装備で
「本宮山」に向かった。
登山口に近づいた所で・・・・「もうちょと歩き甲斐のある山の方がイイなぁ」となって
急遽「鳳来寺山」に行先を変更。

この行先変更が今日一日を大きく変えることになる。

表参道の石段を一息に、30分のハイペースで登り切り奥の院に向かう。
途中、眺望の開ける岩場があって、大方の人はここで一服するとか・・・・。

  その通り ここで一服のFさん夫妻と崖っぷちが好きなFさん

・・・・・・・・・・・・・ここは30年前に妻と登った場所でもあった

なぜ、今日この場所に来ることになったのか不思議な気がした。

奥の院に着いたがやっぱり歩き足らない
「もう少し歩きたいね」
「このまま棚山高原まで行こうか
「時間切れなら途中で引き返そう」 

・・・玖老勢分岐まで行った所で昼の握り飯を食べて、今来た尾根をUターンするが
先ほどから救急車や消防車のサイレンが麓から伝わってくる。
「火事かなぁ・・・
「さっき(先ほど)から長いこと鳴ってるねぇ」

10分ほど引き返した所にハシゴ(丸太梯子)の掛かった岩場があるが、その下方に
銀色のアルミシート(実はレスキューシート)を被って横たわる男性と、顔面蒼白の女性が
座り込んでいる場に遭遇した。

雨で濡れたハシゴに滑って、足を骨折して動けないとか・・・あのサイレンはこれだったのだ。
持ち合わせた携帯カイロやレスキューシートを渡してヘリの飛来を待った。

遠くにヘリの音が聞こえるが、位置が外れているので気が焦る。
やがて近づいて来て上空あたりを旋回しているが判らずに飛び去ってしまう。
再び飛来したヘリを見上げて、3人が、派手なジャンパーやコートを懸命に振ると
どうやら見つけてくれたようで 「降下するので風に注意しろ」との拡声音が聞こえた。
急いで骨折した足をストックで固定してハングアップ(吊り上げ)に備える・・・・が
「気流が悪くて降下出来ない」 と飛び去ってしまった。

困惑している所に元気な青年二人が下山してきたので、「背負って下すか・・」 相談
しかし相当の距離と急登を行けるかどうか・・・ルート調べをしていると
先刻来の救急車と消防車のレスキュー隊員7,8名が到着して、ホッとした。

レスキュー隊員と救助に加わってくれた青年二人がとても頼もしく見えた。

「山が人の心を純にする」そう思えて、帰路の心は晴れやかだった。

そして今日、想い出の鳳来寺山に誘ってくれたFさん夫妻に感謝です。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もう一つの生命

2012年03月02日 | Weblog

2月22日:

主が居なくなって一週間が経った。

広くなった部屋に立ち、二人で交わした会話の一言一言を追いかけて、独り言を声にして
話しかける・・・「おはよう  寒いね」 「ぜんぶ食べて呉れてありがとうね」 「ポカリ飲む?」
(ポカリ→ポカリスエット) 

……まだ辛さが付きまとってシャンと出来ずにいる。

そんな弱い気持ちでいると、単なる偶然も何やら因縁めいて見えてくることがある。

妻は、好きだった父親を天国に送る際に、「これ貰っていくね」と背丈10センチ程の松の盆栽を
形見代わりに持ってきていた。 厚木→豊橋→新城→豊川と転々と移り住んだ23年間も
何の手入れもしなかったが枯れることなく、妻と共にあった。

それが、
昨年末の入退院を繰り返すようになった頃から、根本部分の葉が枯れてきた。
でも、それが終焉の兆しなどとは思ってもみなかったし、葉が枯れるのは自然のサイクルだと
気にしなかった。

今日、ガランとした部屋からその松を眺めると、生命の証を示す緑は一葉として無かった。

松には父親の祈りがこもっていたかのようだ。
自分と同じ病を発症した娘を守り、寄り添い共に生きたように思えてならない。

      

  枯れた松は土に還るまで静かに置くことにします・・・・・・

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする