12月27日:餅つき前日
自力呼吸が難しくなり、「イ・キ・タ・イ(行きたい)」の言葉も消えた。
SpO2値が80を下回るため、酸素吸入器なしでは生命が危うい状況に陥った。
明日から病院も年末休暇に入るため、もしもの場合は動きが取れないからと
主治医からストップが掛かる。
12月28日:餅つき
ドクターストップで介護の用が無くなったFさん「山に行くことにした」と言ってたが
何せ人手不足と高齢化で餅のつき手が居ないので、無理言って
“山で鍛えたパワー”を提供して貰うことに・・・
火を焚き餅米を蒸かし、石臼に移して杵でこね、ペッタン ペッタン4臼も搗きました
病院で待つ妻に届ける「鏡餅」も作ってくれた
搗き終えて病院に向かう途中は雪道で、暫し童心に戻ったFさんにホッとする
届いた鏡餅に手を誘って「わかるかッ!」と訊くと「ハぁ・イ」と言うが、目は虚ろで空を追う。
それでも主治医から「明日からは自宅で療養だよ」と告げられて、「ホ・ン・ト(本当)!」と
うわ言のようにして飽かずに繰り返している・・・嬉しいんだろうな。
医師に呼ばれて病状の説明を受ける。
「病院に戻ることは無いかも知れないが本人の希望だから本望だと思います」
もし何かあったら私に知らせなさいと・・・連絡先の紙片を貰った。
この大晦日が越せるかどうかを暗黙裏に知らされたが、気持ちはブレなかった。
「生かされて生きるより生きて生きる幸せ」を介護士の方から教わったと話すと
「良い方に巡り合いましたね」と狼狽えなかったことに安堵の様子。
12月31日:
29日に退院そして大晦日。
家には酸素供給機も置かれ停電に備えてボンベも8本用意した。
何より大変なのは食事だ。 “ミキサー食”など作ったことが無いし、作って食べさせて
終わるとユウに2時間超だ。
そんなこんなで自分の食事などは、そこら辺りの目に付くものを摘まんで済ます。
でも嬉しいことに、顔色も良くなり、声も出て無事に年を越しました。
いま生きている、それだけで貴い・・・・支えられて大晦日。
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