後期高齢者1と2と3と

後期高齢者に組み込まれて運転免許試験も認知症検査付き
せめてgooブログで脳トレに励むことに・・・

支えられて・・・・ありがとうございました

2012年02月22日 | Weblog

 
   2月15日逝く

48歳で「脊髄性小脳変性症」を発症して23年間
辛さも恐怖もひたすらに包み込んで見事な生涯でした。

妻は大勢の皆さんに支えて頂いて、思い残すことなく旅に出ました

本当にありがとうございました。

2月15日:
一昨日から38℃前後の発熱があり、冷やすと直ぐに36から37度に下って
食事も今までと同じくらい摂ることが出来たので、さして心配していなかった。

夕食は、食べると咽る(むせる)症状がいつもよりひどいが、時間をかけて全部食べてくれた。
食器を洗っていると、仕事帰りのFさんが「おかあさん どう?」って訪ねてきた

二人で話をして
「昨日約束したパジャマの着替えしようか?」
「きょう・は・・・い・い」
「じゃあ 痰とって帰るよッ」と痰を吸引して
「おかあさん楽になったねェ」

妻はFさんが来るのを待っていたかのように「ウン」 と答えて、何故か涙があふれていた。
そのままFさんに抱かれるようにしてベットに寝かされていたその時

「先生ッ」「血圧はかって酸素はかって

・・・・「もうイイ」 「間に合わないヨ
「先生・・・落ち着いて  おちついて」・・・「わかる

途切れ途切れに消えていく脈をとりながら、命を看取れと促してくれた。

午後7時01分・・・顔が静かに白むのが分かる
両掌で顔を包むようにして「かあさんッ かあさんッ」と呼びかけたが、もう動かない。

「おかあさん楽になったねぇ」・・・・「主治医を呼んで・・・・それまで動かさないで
Fさんの目も赤く潤んでいるがさすがに気丈である。
瞼を閉じ、口元をしっかり合わせ、タオルで固定して美しい表情に整えてくれた。

20年間、妻の病気に付き合ってもらった女医が「7:47死亡」の時刻を告げた。
「蓐瘡もなく、きれいな身体で、おとうさんもよく頑張った」と褒めてくれた。

看護センターの看護師二人が来て身体をきれいに拭き、最後の処置をすませた。
葬儀社の女性によって旅立ちの支度と化粧をしてもらい美しくなった。
その女性も泣きながら紅を差し「これで宜しいでしょうか」と化粧を終えた。

とてもいい顔をしている。 「今までに一番美しい顔で旅に出る」と言っているようだ。

「幸せだった」と安らかな顔が話しかけて来るような気がして・・・・涙が止まらなかった。

「皆さんお世話になりました。 ありがとうございました」    2012年2月15日 妻 没  

 

 

コメント (2)
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支えられて・・・・バレンタイン

2012年02月13日 | Weblog

退院から1ヶ月半が過ぎて、どうにか命をつないで落ち着いて来た。
それでも、唐突に血糖値が30になって意識がなくなったり
一日に一二回体温が38度あたりに上ってオロオロしている。

そんな中で今、一番の難問は自分の食事を作ること
妻の食事は三四品を作ってミキサーにかけてしまうと、どれもこれも
同じ味になってしまうので「まぁイイかぁ」である・・・・これって手抜きかも  

先ずは血糖値と血圧/心拍数を計り、体温と血中酸素量を計ったら痰を取って・・・・
次いでベットの姿勢を整え、一口一口スプーンで口に運んで食べさせる。
最後にヨーグルトに混ぜた4種類の薬を飲ませてようやく食事が終わる。
続いて入れ歯を洗い、口の中をケアして最後にインスリンを注射して完結。
ここまで済むと食器を洗って、さて自分の食事を・・・と思っても、もう
どうでもよくなってしまう。

そんなことから
Fさんの家で夕食を一緒にさせて貰うようになって、ついつい“甘え”が
常態化して久しい。 
専用の箸と茶碗と湯呑も揃って、本来なら当家の主の席を占拠している。
はみ出した娘さんは補助椅子です・・・・ごめん
料理はFさんと同じ皿からそのまま箸で取って戴いている。
ほとんど家族の一員に同化して“お父さん的”待遇です。

  
明日14日はSt. Valentine's day

昨年までは妻が「どこからも来ないと寂しいでしょう・・・」とか言って
代行義理チョコをくれたが、今年はそれも適わなくなっていたら
Fさんの娘さんから手作りチョコを頂戴した

  

「人とはなんて美しいものだろう、人が人であるときには」 ギリシャ神話

 

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支えられて・・・・誕生日

2012年02月06日 | Weblog

この一週間はアタフタしてしまった。

1月29日:
パソコンにHなポップアップ広告が組み込まれてしまった。 どうにも削除できなくて
ついに真っ白に(再インストール)する羽目になった。
これが随分と手こずって昨日(2月5日)やっと修復できた。

再インストール時のトラブルや、「何でも認証」をしないとインストールさせない
マイクロソフトのエゲツなさなどが分かって、すごくイイ勉強をした

2月1日:
デイサービスに行くことが気持ちの負担になっているのだろう。 前夜はしきりに
「デイ・デイ・デイ・・・・」とうわ言のようにして一人で喋っていた。
行きたくないのは分かっているが、少しでも身体を動かさないと「拘縮」が起きると
Fさんから教わっていたので、説明して行かせることにした。

さっそく「低山歩き」に出掛けることにして、先週「断念」した西蔵~本宮山に再挑戦。
出掛ける時間が先週と同じだから、途中で時間切れになるのは当たり前なのだが
速足で歩けば何とかなる気がして出掛けた。

しかし、そうは早く歩けずに引き返す時間が来てしまい、前回よりほんの少し進んだ
地点でUターンして戻り始めたら雪が降りだした。

僅かの間に周囲はすっかり白くなって踏み跡が消えていく・・・・・ヤバイことになった  
   

防寒とか食糧の緊急避難装備は一応持ってるが、使った事ないし使いたくない

ならばイッソのこと、目の前の本宮山目指した方が短時間で着くし、安全に下山できる
・・・という訳で、「断念」して引き返すつもりが結果的には縦走してしまった。

2月2日:
退院1ケ月後の定期検診でS市民病院に行く。 外は生憎の雪で寒い。
酸素ボンベとウロバッグ付きの身体に、手足がダラリとして何も出来ない妻は重い。
車に移乗するまでに一汗かいての出掛けとなる。

診察の結果、体重が5kg減少していた以外は、即、命に係わる所見はなかった。
ヤレヤレである。

昼食少し前に帰宅したが、眠っていたので昼食を摂らずにそのまま寝かせておいた
・・・これが良くなかった   血糖値が36まで下がってしまい体温も34度しかなくて
体は冷たくなっているし意識がなく無反応   焦った

主治医の指示で、口を開けてブドウ糖2袋(20g)を流し込んで1時間・・・意識が戻った。
ヤレヤレである。

2月3日:
朝も昼もよく食べて安心していたら、昼食後に40.1℃の発熱。
すぐに病院に連れてくるように・・・で、またまたS市民病院に行く事に。
尿路感染の疑いで抗生剤一週間分を貰ってきた。

2月4日:
昨日の今日だから、何事もなければいいが・・・
やっぱり異変が起きた   排尿処理してたら鮮血が  

契約している訪問看護センターに電話すると「主治医に電話して聞いて下さい」だって  
何のための訪問看護契約なのか 
「緊急の場合は電話ください。24時間対応デス」って言ったのは誰だよ
3時間後に電話で「どうでしたか?」って聞いてきた   腹が立つゥ~

結果的には自然に治ってしまった。

2月5日:
誕生日である。 もうこの日は来ないかも知れないと思った時もあったが、良く頑張った

Fさんが花籠を持って来てくれて「わかる?」って目の前にかざすと、たどたどしいが
「ワ・カ・ル」と言えた。 薄っすらとしか見えていないのかも知れない目尻に涙があった。

みなさんに支えられて妻は71歳になった。  ありがとう

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