2月15日逝く
48歳で「脊髄性小脳変性症」を発症して23年間
辛さも恐怖もひたすらに包み込んで見事な生涯でした。
妻は大勢の皆さんに支えて頂いて、思い残すことなく旅に出ました
本当にありがとうございました。
2月15日:
一昨日から38℃前後の発熱があり、冷やすと直ぐに36から37度に下って
食事も今までと同じくらい摂ることが出来たので、さして心配していなかった。
夕食は、食べると咽る(むせる)症状がいつもよりひどいが、時間をかけて全部食べてくれた。
食器を洗っていると、仕事帰りのFさんが「おかあさん どう?」って訪ねてきた
二人で話をして
「昨日約束したパジャマの着替えしようか?」
「きょう・は・・・い・い」
「じゃあ 痰とって帰るよッ」と痰を吸引して
「おかあさん楽になったねェ」と
妻はFさんが来るのを待っていたかのように「ウン」 と答えて、何故か涙があふれていた。
そのままFさんに抱かれるようにしてベットに寝かされていたその時
「先生ッ」「血圧はかって酸素はかって」
・・・・「もうイイ」 「間に合わないヨ」
「先生・・・落ち着いて おちついて」・・・「わかる」
途切れ途切れに消えていく脈をとりながら、命を看取れと促してくれた。
午後7時01分・・・顔が静かに白むのが分かる
両掌で顔を包むようにして「かあさんッ かあさんッ」と呼びかけたが、もう動かない。
「おかあさん楽になったねぇ」・・・・「主治医を呼んで・・・・それまで動かさないで 」
Fさんの目も赤く潤んでいるがさすがに気丈である。
瞼を閉じ、口元をしっかり合わせ、タオルで固定して美しい表情に整えてくれた。
20年間、妻の病気に付き合ってもらった女医が「7:47死亡」の時刻を告げた。
「蓐瘡もなく、きれいな身体で、おとうさんもよく頑張った」と褒めてくれた。
看護センターの看護師二人が来て身体をきれいに拭き、最後の処置をすませた。
葬儀社の女性によって旅立ちの支度と化粧をしてもらい美しくなった。
その女性も泣きながら紅を差し「これで宜しいでしょうか」と化粧を終えた。
とてもいい顔をしている。 「今までに一番美しい顔で旅に出る」と言っているようだ。
「幸せだった」と安らかな顔が話しかけて来るような気がして・・・・涙が止まらなかった。
「皆さんお世話になりました。 ありがとうございました」 2012年2月15日 妻 没