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後期高齢者1と2と3と

後期高齢者に組み込まれて運転免許試験も認知症検査付き
せめてgooブログで脳トレに励むことに・・・

後期高齢者1と2と3と「花と護衛艦」

2025年03月17日 | Weblog

朝、庭の花を撮って午後から護衛艦の見学に行った・・・家に戻ってから複雑な気持ちになった。

やっと春らしくなって庭の花が咲き始めた。

花蕊(かずい)や葉っぱのディテールとボケた背景は、肉眼では体験し得ない虚の世界(写真)に魅かれる。

午後は蒲郡港に自衛隊の護衛艦「やはぎ」が寄港したニュースを見て飛んで行った。

雨にも拘わらず長蛇の列が出来ていて、乗船・見学は2~3~時間待ちだとか!

コンパクトでスマートな容姿、電子化された操船設備と兵装、ユニコーンのアンテナ(空中線)、
窓のない船体などステルス性の高いデザインはまるでアニメの世界のようだった。

以前(大昔)にアメリカで「戦艦アラバマ」を見学・乗船した印象と比較して只々「凄い」の一言しかない。

でも、家に戻り日常の現実を見聞きすると気持ちが変わる。

自然災害に見舞われ明日の暮らしに困窮する人達への支援を置き去りに
国防費増大の一途を辿る国策に義憤を覚えるがどうだろう。

護衛艦一隻やめて4500億を災害復旧に当てて貰いたいものだ!。

構想(H17年)から就航(R6年)までどれ程の人と金を掛けて来たのだろうか?!
従来の護衛艦とは性能、コストなどで一線を画すという意味で新型護衛艦(もがみ型護衛艦)と呼ばれる
一番艦船の「もがみ」から5番目の、「やはぎ」の建造費は4500億円である。
これが全部で12隻造られ2027(R9)年3月に終わるとされている。

 

飲み会の土産にどうぞなどと10万円渡す輩に腹が立つよネ・・・怒ってます。

 

 

 

 

 


#後期高齢者1と2と3と「花は売れ残りがイイ」

2025年02月01日 | Weblog

昨年のクリスマスが終わった頃、スーパーで売れ残ったシクラメンを買ってきた。

以前にも萎れて花の終わった草花を ¥80でありったけ全部買ったら

大当たりしたので、二匹目のドジョウ狙いで一鉢買ってみた ¥350。

それが正月明けから生き還ったように花が咲き、只今真っ盛り。

売れ残った花は反骨精神が旺盛で、意地で咲いたと思われる。

 

 

買った値段は¥350と超安値で、なんだか儲かった気分。

 


#後期高齢者1と2と3と「ドクター イエロー撮った」

2024年11月11日 | Weblog

11月10日 (日)「豊橋市視聴覚教育センター」に出掛けた。

岩屋緑地の駐車場に着くと普段より人が多いので、何かイベントでも?・・・

訊いてみると「ドクター イエロー」を岩屋山頂 から見るのだそうだ。

思わずクライミングしたくなるような岩壁を、決まりを守って脇の鎖柵から登る。

標高70mの岩屋山のテッペンは360度の絶景です。

町なかの出来事もバッチリ

隣りのおばさんがスマホで調べて (ドクターイエロー通過まで) 約1時間待ちだって。

12時21分 豊橋駅方向に黄色の車輛が見えたッ  とシャッターを切ったが
ちゃんと撮れたか否は確認する間も無い・・・が写っていた。

東海道本線 二川駅付近を通過

あっという間に後ろ姿になった

行ってしまった・・・ドクターイエロー「T4形」の見納めです。

この程度で幸せになれるかなぁ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


後期高齢者1と2と3と「夏の想い出に-3」

2024年09月16日 | Weblog

8月13日:和歌山旅行の最終日 7:45 ホテル発 →10:05 生石高原(おいしこうげん)着

今日は家に戻る途中下車感覚なので、あまり期待は無い。
まして生石高原の売りは
「秋のススキ」なので、この時期は閑散期。

ただ標高があるので渡る風は気持ち良く、生石ヶ峰870mのハイキングは楽しみだ。

駐車場の前にお洒落なレストハウスがあり絶品の「紀州ミカンのカキ氷」を頂いた。

レストハウスを出て→右に進むと無線中継所方面・・・誰も行く気配なし。
         ←に進むと火上げ岩、生石ヶ峰方面・・・全員こっちに行く。

展望台

火上げ岩

岩に座った二人の服装が・・・どうやら結婚式の前撮りのようです。

頂上目指す二人(カメラマン入れて三人)に追いついたところで、スナップを何枚か撮って
後日メールで届けた 「Congratulations!」

もう直ぐ生石ヶ峰 870n・・・到着 11:20

さあ 戻ろう。 
山を下りながら生石高原に咲く花を撮って来たが、珍しィとかオーとか声が出るモノなし

沢山の想い出とたくさんの出会いを残した夏が過ぎようとしている。

また何処かで逢いたいね・・・・2024年夏

 

 

 

 


後期高齢者1と2と3と「夏の想い出に2-2」

2024年09月13日 | Weblog

8月12日:11:30 番所山公園 発 → 12:05千畳敷/三段壁 着

取り敢えず昼時なんで駐車場前のレストランに入る
1階は土産物、2階のレストランは切り絵がたくさん展示されていてイイ感じ。
階段正面でオーナー(らしき人物)がセッセセッセと切り絵を製作中で、産土に持ってけって 貰ってきた。

今回の旅行は「南海トラフ臨時地震情報発令中」で閉鎖されているかも・・・と
気にしていたが、海水面から切り立った断崖の上は普段通りに解放されていた。

しかし400mほど先の「三段壁」先端に、禁を破って釣り人が居る・・・

次の見所「三段壁」に移動・・・と言ってもすぐ横です。

「三段壁」はフツウに読めば "さんだんへき" または "さんだんかべ" だろがッ
看板見たらローマ字で [Sandanbeki] って書いてあった  だから「「サンダンベキ」と読む。

ここの住人は頭オカシイのでは 同じ疑問を持った人は他にもいた

読み方もさることながら名称由来だってホンマかいなって思いました。
 かつては漁師たちが、魚の群(鯨)を監視する場所を『見壇(みだん)』と呼んでいたのが
 『みだん』が転じて『見段』→『三(み)段』→『三(さん)段』→『三段(さんだん)壁』になったとサ

良く見る写真の撮影場所はこの位置らしい。

眺める位置を千畳敷側に移動して右側から撮った写真と
三段壁展望台側から撮った左側写真を重ねると「三段壁」の一気見が出来る。

今日の予定は終ったが、まだ陽が高いので世界遺産登録された「闘神社」に行って見た。

入り口の道路脇に、世界遺産登録記念の石碑があった。


そこで疑問が出た 「闘神社」か「鬪神社」か ????
JIS規格 X 0213では「鬪神社」であるべきで、和歌山県も文化庁も「鬪神社」だ。
なのに当の神社の神額も鳥居も「闘神社」です。・・・国語のテストの〇✖はどうなるの?

武蔵坊弁慶と湛増の像

勝手な個人的推測:
その昔源平合戦の折に、武蔵坊弁慶の父「湛増」がどちらに加勢すべきか迷い
赤(平氏)と白(源氏)のニワトリ(鶏)を戦わせた逸話にちなんで「闘うニワトリ(鶏)神社」と
駄じゃれ文字を作ったに違いない・・・神社規則の許認可権は県知事だから仕方ないか。 

明日最終日は,「備長炭発祥の地」と「生石(おいし)高原」に寄って豊川に帰る。

 


後期高齢者1と2と3と「夏の想い出に-2-1」

2024年09月10日 | Weblog

8月12日:7:30 和歌山ホテル発 → 9:30 番所山公園着

駐車場の横が公園入口になっており、身障者や高齢者は更に奥まで乗り入れ可のようだ。

今日のお目当ては南方熊楠の「十二支考」を彫った城所啓二さんのチェーンソーアートだ。

亜熱帯植物の繁る入り口を進み、トンネルを出ると早速「辰」が目に留まる。

番所山公園が新規に開設される際の記念にと寄贈され、干支の十二支
(・子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)が園内のあちこちに配置されていた。

イノシシ(亥)の背に風化による傷みがあって気になったが、この言葉を知って心の大きさに感服。

「木の作品は、公園の森とともに風化していくのもひとつの味で、森との一体感を
感じてもらえたら」
城所啓二

城所さんは豊橋生まれで、高校卒業までは北設楽の東栄町。現在は和歌山住まい。
それで東栄町でチェーンソーアートの大会があるんだぁ・・・と勝手に推測。


150mほど先には南方熊楠記念館がある

番所山公園のラストに、番所鼻灯台と昭和天皇の歌碑を訪ねた。

昭和天皇が戦艦長門に乗船して、田辺の畠島に水産動物の採取に出掛けた折りに、南方熊楠から
艦上で講義を受ける(1929年6月1日)。
それから33年後、白浜を訪れた天皇は田辺湾に浮かぶ神島を見て思いを馳せ、熊楠との一期一会を
懐かしみ和歌を詠んだ。

「雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」と詠み、記念碑が南方熊楠記念館前にある。

今回、番所山公園を訪ねて智の巨人と言われる「南方熊楠」、チェーンソーアートの「城所啓二」を
知ったことは大きな収穫になった。

午後からは、車で30分の千畳敷きと三段壁に行ってみる。

 


後期高齢者1と2と3と「夏の想い出に」

2024年09月08日 | Weblog

朝5時に窓を開けると、今日が始まる風が気持ち良く、夏がユックリと去っていくのが分かる。

この夏は以前から行ってみたかった和歌山県の「友ヶ島の戦争遺構」と
南方熊楠 (みなみかた くまぐす )の「十二支考」のある番所山公園を目玉に出掛けた。

2泊3日の相変わらずの貧乏旅行を、一日毎に分けてブログに揚げた。

8月10日:夜8:30我家を出発→和歌山県 紀の川「道の駅  万葉の里」12:10着・・・車中泊
8月11日:早朝5:15「道の駅  万葉の里」→ 友ヶ島汽船 加太港着7:03
 始発は 8:30だが、8時前に並んでいないと満席になり次第出航してしまうと漁師さん。

 8:30乗船 → 友ヶ島 野奈浦桟橋着9:04

友ヶ島の今は住人ゼロの無人島になったが、映画「天空の城ラピュタ」を体感できる
スポットだそうで、100人が乗れるという船も乗りこぼれが出るそうだ。

友ヶ島のメインは「由良要塞」の一角を占める「友ヶ島砲台群」であり、中でも
第三砲台跡は保存状態が良く秀逸の戦争遺構だと思えた。
(砲台跡や煉瓦造りの地下弾薬施設は、2003年に「土木学会選奨土木遺産に選ばれた)

第三砲台跡を出ると、紺碧の淡路島水道(紀淡海峡)を見下ろす絶景に、「戦争」の二字を忘れる。

今日はこれから和歌山城に寄って、和歌山駅前の宿で寝る。

 

 

 


夏の空

2024年08月26日 | Weblog
夏も終わる8月の最終日曜日、ナンデまたそんな処へと言われるような
豊橋動植物園の観覧車に乗りに行って来た。

連日の暑さで園内に人の姿はなく、観覧車の掛かり員までが
「ケージの中は暑いから熱中症は大丈夫ですか?水は持ってますか?」と気遣ってくれる
 
空っぽのケージに入って地上70mに向かって離陸 ・・・ たわいもなくイイ気分


 
 
高いところまで昇って来た。 園内は閑散としていて居心地がいい。


高い所から遠くの景色を眺め、夏の空を仰ぎ気分上々で家に戻るとします。
 
 
折角来たんだからと広い園内を一周して、これはスゴイって思ったのが「自然史博物館」。
一見の価値あり・・・ただし自然史に興味ない方には、ただの石コロが置いてあるだけ。
 
シマウマと(恐竜)ブラキオサウルスに送られて園を後に・・・



これで入園料¥300はイイですね
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

後期高齢者1と2と3と「9ヶ月の空白は大きかった」

2024年07月23日 | Weblog

■7/20(土曜):先々週は本宮山に登ってヘロヘロになったことをブログしたが、今回はまたしても

ヘロヘロになって途中敗退する羽目に・・・😢

まだ一度も歩いたことのない「長彦登山口」から「富士見岩」までのつもりが

歩き始めから36℃のカンカン照りで、異常な発汗にみるみるうちに歩行速度が落ちる。

1時間ほど歩いたところで熱中症が気になって撤退を決めた。完敗。

歳と云えばそれまでだが、9ヶ月のブランクは効くぅ~ 涼しくなったら再挑戦します。

■一夜あけた21日(日曜):全く暑い

空をと見上げれば飛行機雲を引いて鮫のようなジェットが、

地上では優に100を超える蝉の抜け殻と、ふ化して間もなく飛行する待機中の蝉。

足元は葉っぱが必要以上に多い「スパイダーリリー」です

いよいよ夏本番になりました。

 

 

 


後期高齢者1と2と3と「9ヶ月振りの山歩き-2」

2024年07月09日 | Weblog

今週は家から15分の本宮山(789m)に登ってみた。

この暑さは結構キツイだろうなと思いながら行ったら、その通りめちゃくちゃキツかった。

大方の人は2時間前後で登り、往復3~4時間で下山してくるが

今回は過去経験したことの無い「長時間記録」を作ってしまった  

ナント 往復7.5時間は もう帰りたくなくなるくらいキツかった。

休み休み+休み・・・+足攣りも二度三度 それでも、また行こうと思うから病気かも

 

 

 


後期高齢者1と2と3と「9ヶ月振りの山歩き」

2024年06月26日 | Weblog

怪我から9ケ月振りに山歩き。 寧比曽岳 (ねびそたけ1120m)に行こうと家を出たが、

段戸湖ルートは片道4時間の急登あり、熊遭遇情報ありは安全を考え急きょ変更。

浜名湖奥の富幕山 (とんまくやま563m) に行って来た。花を撮りながら往復3時間半はイイ選択だった。

登山口 8:38

花を撮るが名前は・・・誰か教えてください







登山口 (下山) 12:04

次は、もうちょっと高くて熊のいない山に行ってみたい

 

 

 


後期高齢者1と2と3と「葦毛湿原転倒その後」

2024年06月18日 | Weblog

葦毛湿原のグラグラする木道の隙間に落ちて怪我をしたことは書いたが(2023-09-18 投稿

ここまで酷いことになろうとは・・・・・。昨年9月4日の怪我から9ヶ月間、今月16日に解放された(2024/6/16)。

途中、まさかの膝下切断話まで聞かされビビったが、幸い友人の元看護師さんの助言で気持ちが落ち着いた。

なぜこんなに時間がかかってしまったか、今、事故の顛末を纏めて見た。

要因1: 病院の選択を誤った

   ・1番目の病院・・近所の「OS整形クリニック」「1ヶ月もすれば治る」の言葉に安堵して7日間放置した。

   ・2番目の病院・・駅前の「HI病院」に変えたが、皮膚科医は「一週間に一度の在籍」なので15日間で止めた。

   ・3番目の病院・・川向こうの「SS皮膚科」医療設備はゼロに等しい個人開業医。
    色々な薬を選んで呉れるので、期待して4ヶ月と24日間も通院するが傷は悪化の一途をたどる。
    2023/03/7 最悪の結果を迎え市の夜間救急センターに駆け込んだ。

 ★反省:
   ・見た目にカスリ傷程度でも侮ってはイケナイ。
    中々治らない時は、セカンドオピニオンを受け入れている総合病院に変わるべきだ。
    医療機器による分析データが迅速に得られ、優れた医師の居る病院と云うことだ。
    分かってはいるが具体的にどうするか・・・身近な人に聞いてみると道が開けることもある。

   ・上記3軒の病院に頼ったため、5ヶ月28日間も無駄に過ごした(2023/9/8~2024/3/7)。
    其のため2023/03/7の夜中に異変が起きた。
    壊死した部位が腐り膿や体液が皮膚を破って噴出した・・市民病院救急センターに駆け込む。

以下の掲載写真は生々しいのでサムネイル表示です画像をクリックすると拡大表示されます

■市民病院救急センターの対応 2024/3/8:

・血液検査結果・・感染症の疑いが濃い。CRP値=10.99(正常値0.3以下)
            

・抗生剤投与後・・3時間経過後に変色と腫れが膝上部に拡がらなければ「効果あり」 
         拡散がありCRP値が20以上なら「膝下切断
         
・結果・・「効果あり」休日明けに担当専門医の診察を受けるようにとの指示。

■市民病院皮膚科受診2024/03/13:

・血液検査結果・・CRP値=1.02(正常値0.3以下)         

・今後の処置1・・壊死組織除去と創面の修復「クロスロードパスタ軟膏」

         投薬開始2024/3/13→→→→→→→投薬終了2024/3/29
                 

 今後の処置2・・抗菌薬による治療投薬 開始2024/4/22/→→→→→→→投薬終了2024/6/22 

・抗菌薬・・フィブラストスプレー(冷蔵庫保管のこと。10日間以内に使い終わること)
      ベンクリーム軟膏

         投薬開始2024/4/22→→→→→→→投薬終了2024/5/23    (使い終り次第終了)
                              

■市民病院救急センターで使用した薬(痛み止め薬は除く)

 

★★★ 友達のアドバイスに感謝(Caree:看護師→国際線スチュワーデス→厚労省官僚)

 *友達「お元気ですか?
    
 ・自分「足の怪我が治らず痛くて参ってる」

 *友達「写真見せてください」「これは蜂窩織炎(ほうかしきえん)です」。
    「命に係る事もあるよ」「何処の病院ですか?」

 ・ 自分「〇✖▲病院だよ」

 *友達「別の病院の専門医師に連絡するから直ぐに行ってくださいッ!」

 #紹介先の医師「良く治療出来ており、今の治療を続けてOKです」

 *自分「メチャメチャ安心した。友達にありがとう」

蜂窩織炎とは: 皮膚の下に皮下脂肪があり、皮下脂肪の下に筋肉があって
   この皮膚の層構造の深いところから皮下脂肪にかけて細菌感染した状態を蜂窩織炎と呼びます。
   皮膚の浅い層が(溶連菌などの)細菌に感染した状態を「丹毒」と呼び、蜂窩織炎と区別しています。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


後期高齢者1と2と3と「一週間遅れの子供の日」

2024年05月16日 | Weblog

5月5日は80年前の自分も子供だったが、遊びに出掛けるなんて時代ではなかったので

今回、その分4泊5日 1600kmの遊びに行って来た。そのブログをと思っていたら

現役のチビたちがやって来て「どこかに連れて行け」と相成り一週間遅れの「子供の日」に

付き合った。

前日から泊まりでやって来て、翌朝早くから「ぎょぎょランド」で走りまわり、

午後から海に行きたいとかで、もう着いて行けない。

今日の赤羽根海岸は、サーファーが一人も居ない珍しい光景だった。

こどもたちの無邪気な表情がいい。

・・・疲れた 足の傷も痛い!

 

 

 

 


後期高齢者1と2と3と「カタクリ山 #歩けた」

2024年03月19日 | Weblog

足の傷が痛くて痛み止め飲んだら胃がおかしくなったので止めた。

痛みを忘れるには何かにハマって気を逸らすのも選択肢と、"カタクリ山" に行って来た。

戦国時代の西川城跡 (今は栗畑) は、カタクリの隠れた名所。

栗のイガだらけで自然の立ち入り禁止策 (柵) 

地元保存会のお陰で後期高齢者(+怪我人))でも歩けます 

こんもり西川城跡はカタクリいっぱいでイイ感じ。

近寄って撮ると・・・そっくり返ってます。


痛みを忘れて楽しむ事が出来て満足+満足・・・でもやっぱり山に登りたい


後期高齢者1と2と3と「傷口は消毒してはイケナイ」

2024年03月13日 | Weblog

もう半年も前の怪我が未だ治らずここまで引きずって来たが 仰天の結末が待っていた

怪我から6ヶ月と3日が過ぎた3月7日の夜、 靴下が冷たいなぁ~とズボンを捲ってビックリ

パンパンに腫れた足とパックリ口を開けた傷口から、血とも膿とも思える液体が飛び出してきた。
拭っても拭っても出て来る。

あまりにも唐突で少しパニック。「何が起きたんだどうすりゃ止まるんじゃ  」と焦る。

夜更けて救急車を呼ぶのも近所迷惑なので  急いで救急センターに向かった.。
明け方3時過ぎまで掛かったが、原因が分かった。

血液検査で「C反応性タンパク質CPR値が10.99」だと分かり(自分はサッパリだが 感染症と判明
CPR値15以上では重篤な疾患を発症すると医師から教えられた(通常0.00~0.014)

何故ここまで一気に悪化したのか・・・
医師と話していて「それ それが犯人だッ」って指摘されたことに思わず「エッ

「アルコールタイプ 除菌ウエットティッシュ」で傷口を拭いたのがイケないのだと・・・

アルコールは消毒と同時に皮膚細胞も壊すのだそうです

傷口清浄は、泡石鹸で洗いながら水道水で流す・・・厳守

傷口に触れるのだから普通のティシュより除菌タイプの方がイイとの思い込みで、実は前日掛かり付けの
皮膚科医に行った際に、現物持参で看護婦さんに聞いたら「それで大丈夫ですよ」って言われたのがヤバかった。

改めて思った 些細な怪我や病気と考えて医療分析の出来ない町医院に頼るのはダメってこと。
"経験と勘90%の町医者"ではなく「分析環境+治療機器」が整った病院を選ぶ時代だってことを痛感した。

ここまで長い期間を要したかを振り返る時、医院(医師)の治療内容に疑義を持たなかった自分の無知を反省。
■2023/9/4:左足に怪我→
・2023/9/8:O整形外科訪問 [レントゲン結果は骨に問題なし。治療の必要なし。1ヶ月で治るでしょう]→治らない。
・2023/9/13/~10/12:H医院5回訪問・通院 [飲み薬でこのままで治るので終わりにしましょう]→治らない。
・2023/10/12~2024/3:S皮膚科医院訪問:[塗り薬処方途中から抗生物質含有の塗り薬に変わる]→治らない→突然出血。
・2024.3./7:市民病院救急センター訪問:[感染症と判明]→抗生剤投与しか直す方法はない。
・2024/3/13:市民病院皮膚科訪問[ 抗生剤投与+皮膚潰瘍修復薬+生検培養検査 ]→治療の方向性が見えて来た。

■怪我から今日まで半年間の様子 
    
  3日後  12日後       6ヶ月後           6ヶ月3日後        6ヶ月4日後        6ヶ月6日後   6ヶ月10日後 

■2024年3月14日現在(傷口は ぼかし処理 φ15mm深部深さ8mmの陥没

一週間後の生検結果を待ちたい。