東栄町は「花祭」で知られた自然豊かな山里。 西口 保の童画が浮かぶのどかな花の里でもある。
遠い昔の別所街道、遠州街道、三州街道と続く主要街道沿いの集落ゆえに数々の民話、伝説も多く残る。
今回はいつもの山登りとは趣を変え、東栄町に伝わる千代姫伝説と御殿山の山名由来が知りたくて出掛けた。
御殿山の登山口は東栄町月村(つきむら)地区の槻神社(つきじんじゃ)の脇にあるが、槻神社が分かり難い。
(一旦は通り越して戻った)・・・曲がりくねった道を登り詰めた所が槻神社だ。
神社の名前が槻(つき)、地区の名も月(つき)これも分かり難い謎
着いてみたら古老数人で幟を立てたりして祭りの準備をしていた。賑やかな音もピーヒャラ聞こえる
明日4月2日の例大祭に舞う御神楽の練習をしているのだとか。
本殿左脇の「御殿山」と書かれた標識を見ながら、うす暗い杉の巨木の間を頂上に向かう。
頂上の標高は678.3m(地図に因っては678.6m)とあるが、登山口が450mほどの位置にあり
なだらかな山容に照らせば、ストック持って登山靴履くのも気恥ずかしいほどの楽ちん登山。
眺望は明神山と尾籠山がちょこっと望めるのみで、景色を楽しむ山ではない。
にも拘らず登山道は良く整備されているのでちょっと奇異な感じがした。
尖がり山が明神山その手前は尾籠山
汗をかくことも無く頂上の大村神社に着く。 休憩20分を入れて1時間40分
千代姫伝説諸説あり:何せ平安時代(794~185年)のお話ですから・・・
■大村神社を千代姫神社と呼ぶ背景
1.眼病平癒のために御殿山に向かった千代姫が道迷いで亡くなった。
2.尾籠(おろう)にある分家 金刺家を訪ねた際に御殿山に迷い込んで亡くなった。
3.意図的に違った道を教えられて亡くなった。
いずれにしてもこれを悼んだ村人が、御殿山に大村神社を建て祀ったことから
大村神社=千代姫神社と呼ぶ。よってこの登山道も千代姫参道と呼ぶのだそうです。
■大村神社の「大村」って地区の名前なの
親の姓が大村で千代姫は大村千代、村人は「大村様」と呼び敬っていたので「大村神社」となる。
■千代姫は誰の子なの
どこの誰に聞いても木曽義仲の家臣・手塚太郎光盛の孫娘である・・・が
中京テレビ朗読シアター「千代姫橋」を観てビックリ 家臣・手塚太郎光盛の娘で登場している。
御殿山の名称もいろいろ:
■月村に「月の御殿」とよばれる高貴な方 の館があったことで 御殿山=「月の御殿」と呼ぶ
■(即位前の)文武天皇が立ち寄った際に「月の御殿」に滞在したとのことで「御殿山」となった。
歴史探訪登山 をソソクサと済ませて下山(・歩いた距離3.3km ・歩いた時間3時間)
あらためて眺める民家の庭は、紅白ペアになって花桃と桜が咲いている。
それが家々の庭先に留まらず川沿いの堤防、公園広場が見事な彩に染まっていて感動ものです。
折角だからと4km先の「とうえい温泉」に寄って帰宅することにした。