6/9「秋葉山866m登山」:火事を防ぐお守りと火祭りで有名な浜松市の「秋葉山」に登って来た。
ところで「秋葉山」ってなんて読んで(呼んで)いますか
私は「アキバヤマ」ですが、ここでの正解は「アキハサン」でした。
・ことわざ「秋葉山から火事」は「アキバサンから火事」です
・「秋葉原駅」は「アキハばら駅」
・AKB48は「秋葉原(通称アキバ=A Ki Ba)の頭文字」とも
企画者3人の「A=秋元康、K=窪田 康志、B=芝幸太郎のB」だとも
「秋葉」と書いて「アキハ」だったり「アキバ」だったり、「山」は「ヤマ」だったり「サン」だったりと・・・
その上ここ秋葉山には「秋葉寺(しゅうようじ)」なる寺院と「秋葉神社(あきはじんじゃ)」の
神と仏が同居状態で鎮座してるんだそうで もう訳が分からない。
登り始めて最初に足を止めたのが、江戸の昔から秋葉詣での人々が一服したであろう「富士見茶屋跡」
今は朽ちるに任せた廃屋 標高318m地点。
大きな杉の切り株に乗せたハート形の小石は、若いハイカーの遊び心の連鎖か
神に頼るなら「秋葉アキハ神宮」 仏に託すなら「秋葉シュウヨウ寺」
標高585m地点に突如現れたゴミ捨て場
近付いてみると不思議なことに捨ててあるのは新品のヒシャク・・しかも穴を空けて
お堂とは言い難い奥を覗けばソッポを向いた観音像が二体あるが、穴の空いたヒシャクとなんの関係があるの フ・シ・ギ
(謎を深く考えることもなく頂上目指して通り過ぎたが、戻りのコースで登って来たご婦人に聞きました)
安産の地蔵さんだと教えて呉れたが却って謎が深まった。
「穴の空いたヒシャクじゃ流産するのでは???」って
その謎、立て札を最後まで読んで納得です・・・「秋葉三尺坊 女二誓願の一つ ・・・etc.」
「大願成就の暁に納める」なるほど でも「穴を空けて」ってナンか意味不明
ところで秋葉三尺坊ってなに:調べました。
秋葉山三尺坊は遠江(遠州)天狗の総帥といわれる有名な天狗です。彼は信州戸隠生まれの修験者で
自らの住まいを三尺坊と名付け、白狐に乗って諸国を巡ったのち秋葉山の仏教寺院「大登山霊雲院」に降り立ち
「秋葉寺しゅうようじ」と改称したそうな いわば火伏の元祖ってワケ
余談:だから秋葉さんの土産は、天狗の団扇(ヤツデの形)の饅頭なんだと
そこから数分登ると「四の鳥居跡」なる放置された石積みがあり、ここにも秋葉寺の名が読める
これはアキハではなく秋葉寺(シュウヨウ寺)に係った建造物の跡(=残骸)らしいと分かって来た。
着きました「秋葉寺 (シュウヨウ寺)仁王門」標高704m。「秋葉大権現」の扁額が掲げられている。
仁王門を潜ると本堂前に出るが何やら侘しい雰囲気で閑散として人の気配がない。
誰もいない留守寺のようである。右手の建物は隆盛を極めた頃の僧房らしいが
横に回れば窓枠や腰板は青い苔が張り付き痛みも激しく凋落の気配が著しい
そこで寂し気なワケを調べました:運が悪いと言う他ありません。
明治政府により「神と仏を一緒に祀るのはけしからん」と神仏分離令が出され、守り神の「秋葉山三尺坊」や
宝物は袋井市の秋葉寺の本寺「可睡斎(かすいさい)」に移してしまったので、ここにある「秋葉寺」は抜け殻なんです。
更なる追い打ちは、寺の住職亡きあとは廃寺と浜松県(偏在の静岡県)から引導を渡され、折しも発生した
山火事のドサクサに紛れて秋葉山頂上に金ピカの「秋葉神社」が建てられ、同時にバスも通う道路までが造られ
勝負あったとなる。当然「秋葉神社」と三尺坊本尊を祀る「可睡斎」は大繁盛し「秋葉寺」は衰退の一途・・・・哀れなり
それでも三尺坊(秋葉三尺坊大権現)により「秋葉寺(しゅうようじ)」の名を貰い、火伏せの元祖「秋葉信仰」霊場として
一番古いというプライドで信仰の伝統を守り続けているのかも・・・。
ここから頂上の「秋葉神社」までは、参詣道に咲くコアジサイの花を見ながら30分足らずだ。
少し長くなったのでこの先は次の頁で・・・・。