後期高齢者1と2と3と

後期高齢者に組み込まれて運転免許試験も認知症検査付き
せめてgooブログで脳トレに励むことに・・・

支えられて・・・最終章

2011年12月23日 | Weblog

命の灯が細くなってきました。

何も言わずに出掛けていたデイ サービスも、実は気乗りがしていなかったことは知っていた。 
僕が元気でいるためには、リフレッシュの時間が要ると話して「ウン」と言わせた時間だから
山に登る度に「記念の石ころ」を拾ってきて渡していた。

どうやら「竜頭山」が命の最終章になりそうだ。
 

12月21日:生きる時間の選択をする時が来てしまった。

自分の至らなさが命の時間を縮めてしまったと思えば、このまま 辛く嫌だった
入院の記憶を持ったまま永久の旅に送るのでは不憫に過ぎる。
それに、まだ果たしてない約束が残っている。“暮れの餅つき”と“江の島の旅”だ

だから、やれることは精一杯ヤルから、少しでも長く生きて「ありがとう」を告げて
それから旅に出て欲しい・・・・・。  主治医には「胃瘻を・・・」と告げた。

家に戻って詫びて泣いた。
過去に涙を流したことは幾度かあるが、声を上げて泣いたことは無かった。

12月22日:退院した(12月12日入院)。

肺機能が低下しているから誤嚥に気を付けるようにとの指示と、痰の吸引器操作を
会得して退院の許可を貰った。
痩せて軽くなり物言わぬ妻を背負って車に乗せたが、それでも背負った身体の体温が
嬉しかった。 運転の傍ら「家に帰れて良かったなぁ」「よかったね」と話しかけると
「ハァ・イ」と声が漏れるのを聞いた。

家に戻って間もなく、Fさんがロッククライミングの練習帰りに寄って、妻のために
クリスマスの花を届けて呉れた・・・・優しい方です。  
昨日、今日の経緯を話したら「それが(●●子さんにとって)幸せなの?」
「それは、ご自分の満足感でしょ!」と・・・ 気持ちが振れた!!

家に戻った妻は少し元気が出てきて、病院では出来なかった食事もでき、ストローで
お茶も飲めるようになった・・・・ほんとうに家に戻りたかったのだと分かる。

夜になって痰が絡んで苦しそうなので、買ったばかりの吸引器で吸引したが
うまく出来なくてモタモタしていたら“酸欠状態”に陥りグッタリして体温も低下して
指先が冷たくなってきて焦った。  
死ぬかも知れない!!   Fさんを電話で呼んだ。
テキパキと処置してくれて、顔に血の気が戻りなんとか落ち着いた・・・たすかった!

“胃瘻”をFさんに話した。人の一生は「生かされて生きるのではなく、生きて生きる」ことが
幸せなんだと思えるようになった。 妻自身が「幸せでした」と想い感じることなのだと。

だから少なくなった時間を大切に大切に刻んで行こうと決めて、また泣いた。

12月23日:再入院

退院した翌日の朝10時頃に、訪問看護の打ち合わせが済んで「では拝見」となって
発熱と酸素不足の症状が見付かり、肺炎の危険を感じて昨日まで居た病室に逆戻りした。

うわ言の様に言う「餅つきにイ・キ・タ・イ」「イ・キ・タ・イ」を叶えて上げたいなら
「命の時間と交換になるのを覚悟で」と・・・・・主治医が許可してくれた。
主治医とは発症当初から15年来のお付き合いなので、“情”の部分も汲んでくれて
何かあったら最期は私が看るから必ずこの病院に来なさいとも。

夜の食事も一口も食べられないのに、酸素マスクの下から「餅つきイキタイ」を繰り返し
言っていた・・・命の灯りが消えないことを祈っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

贈られた時間

2011年12月18日 | Weblog

12月15日(木)朝6時、佐久間ダムの奥にある竜頭山(りゅうとうざん1351m)に向かう。

前日、病院のベットで酸素の補給を受けながら途切れ途切れに話をした。
「明日は静岡県の高い山に登って来るよ」
[ハイ  キ・ヲ・ツ・ケ・テ]

山が好きになったから登る・・・今日はそうではない。格別な思いで山登りを決めた。

入院することになる数日前に[もうすぐ喋れなくなる・・・コワイ]「傍に居て」と執拗に叫んで
いたが、「大丈夫だよ 喋れるよ」と軽く受けて流していた。
しかし今そのことが現実のこととなって一日毎に会話が難しくなっていく。
・・・あの時に何故もっと労わってやれなかったのか、優しくしてやれなかったのか
自責の念が消えない。

そんな思いを吹っ切るには何かに没頭出来る状況に身を置くしかない。
それには登ったことのない知らない山がイイだろうと、以前、Fさんに頼まれていた
「竜頭山」の地図があるので、ここに行くことにした。

家から1時間20分で現地着(7時20分)。ナビを設定して8時丁度に平和(ひらわ)登山口に


子供連れでも歩けるほど良く整備されていて、鎖場も梯子もない安全な山だが急な登り坂が
延々と続くいわば体力テストのような山でした。
それでも「青なぎ」と呼ぶところから右と左に道が分岐していて、右は中級者、左は初級者の
道標があり、往きは右、戻りは左の初級者コースを逆から下りてくる周回ルートが一般的とか。
中級者コースと言っても「本宮山」よりもオトナシイ道程で“山に登る”と言うにはおこがましい。
只、800mを越すと急に風がピューピューと強く吹き付ける地形になって、鼻水が垂れ
涙も出て両方とも千切れて飛んで行く。 耳が冷たく痛いので、ここから防寒手袋と防寒帽に
服装を整えて一気に頂上へ・・・・・・とはいかなかった。

休み休みで何とか頂上に辿り着いたら3時間20分とは・・・・歳相応としておきます。

遠くに富士山を見て、疲れも家のことも忘れる自分だけの一時を贈って貰ったと思えた。

ナント!頂上は“スーパー林道”が開通していて「車いすトイレ」や別荘のような立派な
避難小屋まであって、拍子抜けの感が強い。

戻りは「ほおずき平」と云う頂上公園を横切って初級者コースを駆け下りる。
途中で転倒して手の小指の関節が外れた が、曲げ直したらポキって音がして直った。
(でも、そのあと腫れて痛い)

往きには気付かずに渡った鉄橋が、戻りに見たら壊れて落ちそう
“通行危険”の処置をして無事下山した。下山時間は2時間でした。
    

いつもそうしている様に、登った山の「石ころ」を記念に拾って来るが、今日は格別の
感慨を持って拾って来た。 帰途に病院に寄ってこの石を見せて、まだ歩けた頃に
二人で登った箱根の「明神ケ岳」の話をした。
顔に笑みが出て「はァ・・・ァ」と声にならない声で喜んでくれた。

そしてその後ハッキリ聞き取れる声で[カエッテ・キ・タ][「カエッテ・キ・タ][「・・・キ・タ]
[カエッテ・キ・タ]と瞬きをしない目で姿を探して迎えてくれた。

自分の生きる命の時間を縮めるかのようにして与えてくれた今日の山行。
何度も何度も「ありがとう」の独り言を言いながら記念の石を置いて病院を出た。

このブログを書いてる今(12月18日)はもう声が出ない。
でも僅かに唇が動いて何か言っているのだが・・・目は姿を追えないようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「嘆いても始まらないッ」と・・・

2011年12月14日 | Weblog

12月12日朝。  呼んでも反応が弱い。目も半分閉じて虚ろで昏々と眠っていて
とても朝食を摂れるような状況ではない。そのまま寝かせておいたが、少し長すぎると
血圧を計ると上65下44と異常に低い → 焦った
(今日は介護士としての)Fさんから「慌てるな! 落ち着け!」とメールのフォローで病院へ

CT、MRI、X-ray、血液検査では特別な問題は無かった・・・が、しかし、誤嚥性ではないが
肺炎一歩手前の感染症の所見が出て再び緊急入院することになった。

日々の介護に疲れていて、しばしば乱暴な言葉や接触をしてしまい、今回のことの誘因に
なったとの自責の思いが拭えずにいると、「嘆いても始まらないよッ」と言われ気を取り直す。

仕事としての“介護”でも「イイ加減にしてッ」っと思うことがあるそうで、ごく自然の感情だから
そのことに捉われるなと言われる。 主治医の女医も「病院で預かるから息抜きしなさい」と

二日前の「本宮山」岩場で、ストックの先端を失くしたのも気持ちが凹む一因だったが
Fさんが「今から探しに行くか」と方向転換して「本宮山」に登りに出かけた。
「国見岩」の岩壁を這い上がり探したが、結局、見付けられずにそのまま踏み跡も目印も薄い
急斜面をズリ下りる暴挙?の下山開始。

時々ルートらしき赤テープがあるが、直ぐに怪しげに沢を下る道なき道を下って麓を目指す。

無事に麓まで下りて、正規の登山道を歩く頃は気持ちが軽くなって
鮮やかな千両の赤にも目が行く“ゆとり”が出来た。

慌ただしかったが、縮んだ気持ちが膨らんで一日が終わった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

支えられて・・・リフレッシュ

2011年12月12日 | Weblog

眠剤で意識がもうろうとしながらも「気持ちが悪い!気持ちが悪い!」と言って
1時間程は叫んでいたが、やがて静かになった。
明け方になって再び呼ぶので行った見たら、枕やパジャマ、シーツがチョコレート色に
染まっていて思わず「吐血」かと驚いたが、その日の定期検診で話したら
早速、胃カメラ検査となり診察の結果は「異常なし」であった(12月8日)。

そんなこんなで最近は介護に疲れて、自分でも嫌になる程イライラが溜まってしまった。
そんな気持ちが日頃の言動に出るのだろうか・・・
見透かしたようにFさんから「明日の朝、5時に山登りに行きませんか」ってメールが来た。
「朝5時」と言うには理由があって、日曜日の午前中なら家を空けられるって我が家の事情を
推し測ってのFさんの気遣い。

明け方5時半、Fさんの車で自身5回目の本宮山に向かう。
辺りは真っ暗の駐車場で「ヘッドライト要らないよね」なんて話しながら身支度を済ます。
今日のFさんは新調した冬用ズボンがカッコいい。  防寒手袋にジャケット、さらに
ゴアテックスのレインウェアと完全な冬装備で、5時50分真っ暗な登山口を出発。

でもなんだか今日のFさんは様子がオカシイ・・・何度も立ち止まって呼吸を整えて汗を拭う
すぐにレインウェアを脱いでリュックにくくりつけて少し楽になったようだ。
7時13分、周囲が明るくなってきて分かった・・・着過ぎで体温調節が出来なくなって
完全に“ゆでダコ状態”でした。ネックウォーマーを取り、防寒帽も取り、気を取り直して
頂上に向かった。

朝日が昇ってきて空が高く広がって気持ちが洗われる・・・この一時が欲しくて山に来る。

ちょっと厚着をし過ぎました。

いつもより20分ほど余計に時間をかけて頂上に到着。
お握りとコーヒーで朝食を済ませた後、鎖場のある「国見岩」を周って下りることになった。
ジャケットを軽いものに交換して身軽になった所でいつもの饒舌で早口のFさんに戻った

仕事のこと、エクセルのこと、ワードのこと、それに自分の介護の愚痴を織り交ぜながら
陽気に、時にマジに、気持ちのリフレッシュを重ねて登山口に帰着する頃は
すっかり晴れやかになった。

「支えられて・・・介護」を実感した早朝登山だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする