先週に続いてリハビリ登山で「鳳来寺山684m」に行ってみた。
30年も前にぶらりと訪ねてお茶を所望した僧坊「松高院」のお庫裡さん(おくり=僧侶の奥さん)と
出会った話を思い出しながら、鳳来寺の「僧坊」って幾つ位あるのか数えながら登ってみた。
現在、僧坊の外観が残っているのは「松高院」と「医王院」の二つだけど、30年前の「松高院」では
お庫裡さんが一人で住んでおられ、朝な夕なに1425段の石段を登り下って本堂(鳳来寺)まで食事を
届けていたと言う・・・徳川家隆盛の時代は東照宮近くに「増道院」の名で守役を務めていたそうで、今の場所に移り
「松高院」となっても昔の流れで??「鳳来寺」に食事を 届けているって言っておられた。
・・・・立ち寄った30年前はそのお庫裡さんの娘さんが東京赤羽に住んでおられるとかで、自分も赤羽駅
を利用するサラリーマンだったので、東京に戻るついでにと“宅配便”を頼まれたと云うご縁がありました。
現在、僧坊の姿かたちを残すは「松高院」と「医王院」のみで窓は破れ荒れ放題の廃寺、この後、何年この姿が見られるやら。
現存する僧坊「松高院」と「医王院」
18の
表参道から1425段の石の階段を登ると・・・18の僧坊跡がありました。
地図に表すとこんな配置です
松高院も医王院も “松高院跡” 、“医王院跡”に改名する時がくるだろうが、訪ねるごとに衰退する姿は残念だなぁ~
東京駅構内で威勢のイイPR活動を見て、会社の仲間3人で車を飛ばして泊りに行った40年前の雲竜荘
今は合掌造りはトタン屋根に落ちぶれていた。
台風で壊れてみるも無残な鳳来寺「奥之院」
壊れて情けない姿を曝すなら、いっそ廃材を片付けて「奥之院跡」の立て看板にした方がイイと思いませんか?
凋落の一途をたどる観光地 鳳来寺にあって、せめて気の休まるのは恋人のパワースポットみたいな
ハート形の山が見える景色くらいです。