まったり まぎぃ

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元に戻ったのかな?

2011-03-01 09:06:19 | 介護関連

同居を開始して約16カ月。

先週、義父母の二人は元住んでいた田舎に戻りました。

まぁ、本人の意思と言ってしまえば聞こえは良いですが、意志決定が出来なくなってる今、周囲の事情と言った方が正解かもしれません。

ここに至るまでのすったもんだは、今更ここに並べ立てるつもりはありませんが(mixiでは並べ立ててましたが・・・)。

早く言えば、同居解消。元の場所に戻った・・・ってとこです。

でも、時間は流れてて、周囲の思いも変わってて、環境も変わってて、完全に以前の状態に戻ったわけでは無く、戻れる事も絶対にありません。本人たちの住む場所が元の場所に戻ったってことのみです。

この16カ月の間に、いろんな事が変わってしまいました。

本人たちの認知症は確実にすすんでますし、それを介護する者たちの意識も変化してきています。

 

以前から何度も書いてるように、子育てが家庭によって違う様に、介護の方法も各家庭で絶対に違うモノだと思います。

環境や住む場所、金銭的問題、介護者の考え方・・・etc.

そして、絶対的な正解も無ければ、完全な失敗も無いと思っています。

それに、ずっと同じ方法で行ける事も無いと思うんです。事情に応じて変化していくべきだし、変化せざるを得ないと。

 

ただ思うのは、実際に介護するモノが自己責任に於いて介護方法を選択すべきだということです。

一番状況を把握できてる立場ですから。

周囲の者は、それに対して助言を与えたり相談に乗る事はあっても、決して自分の考えを押し付けたり従わせたり、また、世間一般で言われている教科書的な方法等を強要しないでほしいです。

ニュースで流れている“成功した介護方法”とか“献身的な介護”等は、それが本当に稀な事だからニュースになっていると言う事だと言いたいです。

それらは単に“その状況で、その環境にある、一つの家庭で成功した件”でしかないのです。

 

こういう事を知った自分を、人間的に成長したんだから・・・と慰める事は諦めのように思えます。

出来れば、経験せずに済ませたいと思うのは、あまりにも無責任な考え方でしょうか。

人は必ず老い、認知症にならない人は稀かもしれません。

殆どの人が向き合わなければいけない事だと思います。

だからこそ、自分の老後を子供を含む人任せにすべきではないと思うんです。

意志決定が出来る間に、方向性を示しておくべきだと思います。一番自分にとって、そして、周囲の者にとって負担が少ないと思える方法を選択しておくべきです。

人の考え方なんて、本当に、ころっころ変わります。

こういう私も、実際自分が老いた時、どんな犠牲を払っても子供たちに看取ってもらいたいと我がまま言う可能性は充分あります。

それに、近い将来、離れて住んでいる実家のオンマにも訪れるこの状況に、表彰されそうな方法を選択しろと弟夫婦に強要するかもしれません。

感情が思いっきり入るであろう“その時”の意志は、やっぱり公平な判断じゃないと思うんです。

だから、公平な判断が出来る間に、だいたいの方向性は家族に示しておくべきだと思います。

 

ただ、その状況を目の前にして湧き上がる感情が、冷静さを欠くものだとは思うんですが、それが良くない事だ・・・とまでは、言い切れません。

これが、また悩んでしまう要因でもあります。

 

“まぎぃ限定”の考え方で言いますと。

大事にしたいのは、これから先の縁だと思っています。

自分までつながってきた縁を、未来につないでいくのが自分の役目だと思っています。

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