1月14日、父の命日であり四天王寺へ。
併せて先日、聖徳太子の父、用明天皇を祭る「用明殿」の完成を祝う落慶法要が執り行われた。太子の没後1400年(令和4年)を記念した「御聖忌」に関連する行事の一環である、と報じられていましたので見学に。
聖徳太子を祀る聖霊院(写真下)の敷地内にあるのではと思い、聖霊院でお参り後係員に場所を尋ねました。
場所は、聖霊院の北側隣接地の宝物殿入り口横に再建されており、玉垣や灯篭を数基設置整備中でした。
用明殿
建設時期は不明ですが、元和9年(1623年・江戸時代初期)の古文書に記述がある。
「摂津名所圖會」に「祭神は欽明帝・敏達帝・用明帝・崇峻帝・推古帝・穴穂部間人皇女等を鎮め奉る。江戸時代には徳川家康を祭る東照宮とされたが、倒幕後は用明天皇を祭る「用明殿」に戻った。
明治期に幣殿と拝殿を併せ持つ大掛かりな建物となったが、昭和20年の大阪大空襲で焼失した。
建築様式は、照り屋根で参拝者用の空間として前流れの庇を持ち、流造と呼ばれる。
再建された用明殿は、幅2.7m・奥行3.5m・高さ4.5m。
帰りに、仁王門前で行われていた「どんど焼き」を見学。
見ている間にも、正月飾りを持参し火の番をする担当者へ手渡される方多数。
どんど焼きとは、正月飾りの門松やしめ縄それに書き初めなどを、火にくべて焼き払う日本の伝統行事で、左義長とも呼ばれる。
併せて先日、聖徳太子の父、用明天皇を祭る「用明殿」の完成を祝う落慶法要が執り行われた。太子の没後1400年(令和4年)を記念した「御聖忌」に関連する行事の一環である、と報じられていましたので見学に。
聖徳太子を祀る聖霊院(写真下)の敷地内にあるのではと思い、聖霊院でお参り後係員に場所を尋ねました。
場所は、聖霊院の北側隣接地の宝物殿入り口横に再建されており、玉垣や灯篭を数基設置整備中でした。
用明殿
建設時期は不明ですが、元和9年(1623年・江戸時代初期)の古文書に記述がある。
「摂津名所圖會」に「祭神は欽明帝・敏達帝・用明帝・崇峻帝・推古帝・穴穂部間人皇女等を鎮め奉る。江戸時代には徳川家康を祭る東照宮とされたが、倒幕後は用明天皇を祭る「用明殿」に戻った。
明治期に幣殿と拝殿を併せ持つ大掛かりな建物となったが、昭和20年の大阪大空襲で焼失した。
建築様式は、照り屋根で参拝者用の空間として前流れの庇を持ち、流造と呼ばれる。
再建された用明殿は、幅2.7m・奥行3.5m・高さ4.5m。
帰りに、仁王門前で行われていた「どんど焼き」を見学。
見ている間にも、正月飾りを持参し火の番をする担当者へ手渡される方多数。
どんど焼きとは、正月飾りの門松やしめ縄それに書き初めなどを、火にくべて焼き払う日本の伝統行事で、左義長とも呼ばれる。