ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

青梅丘陵ハイキングコースに春を探しに行きましたが・・・・

2016年03月26日 | ハイキング/奥多摩

2016/3/16  報告です。前夜に某山の会の例会を見学させてもらいました。HPがあって、会員募集をしていて、沢登りを楽しんでいる会を探していたのです。それに、あまり沢登りの難度が高くても困ります。奥多摩や丹沢で日帰りの沢を楽しむ程度が僕にはちょうどですから。

そして、絶対に外せない条件があります。それは会員の年齢が僕よりも若いこと。実は僕が長年所属していた山岳会では一人二人の例外はありましたけれど、常に僕が一番の若手だったのです。若いということは体力があって当然、荷物も一番重くて当然、頑張って当然、当たり前のようにそう思われていました。それが心地よい時代もありましたけれど、自分自身がそれなりの年齢になっても僕より若いメンバーが現われずに、やはり同様の期待をされるのは辛いものです。いつしか「労わってもらえるような山行がした~い!」と切望するようになったというわけ。

例会に参加させてもらったその山岳会はとても居心地の良さそうな会でした。二次会にも誘っていただき、帰宅したのは深夜遅くになっていたのです。

そんなことがあっては、翌朝は超遅い出発にならざるを得ませんよね。


▲軍畑駅をスタートしてすぐ、道路脇の石垣に今年初めてのスミレを見つけました。僕の大好きな花です。10代のころから自分に娘が出来たなら菫子と名付けようと決めていたくらいです。
今日は山に春を見つけたいと思ってきたわけですけれど、ここはまだ里。でも、スミレは別格です。10:14ころ。


▲車道脇に不動尊がありました。平成五年に寄付を40万円ほど募って新築したと書いてあります。材木一式は製材会社が寄付したようになっていますから、この不動尊のおられる小さなお堂を新築したということなんでしょうね。中央や左の像は不動尊らしいですけれど、右の像も不動尊なのでしょうか? 10:29ころ。


▲不動尊のお堂に並んでお地蔵様でしょうか? お堂に並んでいます。右の丸い石はどうしたのでしょう? 10:30ころ。


▲高水山への道と途中で分かれ、さらに進むと榎峠です。道がカーブする場所から右へ登山道が始まります。10:46ころ。


▲登山道を入ってすぐ左に石碑が立っていました。『榎峠開鑿工事紀念碑』とあり、壱円から拾五円までの寄付者の名前が刻まれています。ほとんどが三田村の人々のようです。ネットで調べるとどうやら明治33年の工事のよう。当時は丹沢の大山詣のために秩父方面の人々がこの榎峠を通ったようですね。この石碑の右側に峠越えの旧道が通っていました。こちらの方が本当の榎峠のようです。10:48ころ。


▲低くて里に近い山ですから、ずうっと植林が続きます。僕もS子もまだ花粉症を強くは発症していませんから大丈夫ですけれど、花粉症の人が歩くには辛い山道なのでしょうね。11:00ころ。


▲小さなアップダウンが続きます。11:18ころ。


▲雷電山494m。地元では雷電山で雷が鳴ると雨が降るという言伝えがあるそうですが、それが山の名前の由来なのでしょうか? 11:26ころ。

雷電山山頂で小休止。


▲北を眺めると、奥多摩工業の採石場がありました。11:26ころ。

山頂で少し休憩し、再び歩き始めてから17分ほどで辛垣(からかい)山への分岐になりました。このコースを以前歩いた際には、通らなかったので今回は辛垣山コースを歩くことにしました。


▲これまでもそうだったのですが、この山域には石灰岩が多くあります。石灰岩の礫も多く転がっていましたし、写真よりも大きな石灰岩の岩も多く見られます。12:12ころ。


▲辛垣山457mのピークは目立たない山頂らしくない場所です。それよりもこの写真の少し凹んだ場所の方が特徴的。「辛垣城址」との説明看板も立っていました。
どうやら大正時代末期までこの一帯で石灰岩採掘が行われていたらしく、その影響で山頂付近の地形も若干変わってしまったようですね。
それはともかくとして、中世にこの青梅地方を治めていた豪族三田氏が建てた山城跡なのです。1563年に八王子の滝山城主・北条氏照に滅ぼされたそうです。12:21ころ。


▲辛垣城址を後にし、再び本コースに合流しました。12:31ころ。


▲峠のような場所に着きました。南へ降りると二俣尾駅、北へは成木8丁目の正沢へ降りるようです。小さな石の祠があって、その前にはたくさんの小石が積み上げられています。何のためなのでしょうか? カップ酒の瓶と塩が盛られた小皿が2セット供えられていました。12:33ころ。


▲この峠はネットで調べると、どうやら名郷峠と呼ぶそうなのですが、道標の下にはこのようなペットボトルに入れられた水が置いてあります。「御神水」とありますから、神様に供える水、石の祠の前に置かれたカップ酒の瓶の中にはこの御神水が入ってるのだと思います。12:34ころ。


▲送電鉄塔を過ぎ、見晴らしのいいピークに到着しました。ベンチもあったので、ここで小休止。12:54ころ。


▲このハイキングコースは青梅丘陵トレールランニングが行われるコースでもあるようです。そのせいでしょうか、平日にもかかわらず数多くのランナーと出会いました。写真中央、向うから走ってくるのもランナーです。13:24ころ。


▲途中、見晴らしの良い場所がありました。誰が設置したのか、眺められる山々の山名を表示してありました。それを参考に幾つかの山名を示してみます。東(右)側からです。奥武蔵の山々が眺められるというのは当然ですが、日和田山までもが見えるとは新鮮ですね。空気が澄んでいたら、越上山の右側に男体山も見えるのだそうです。13:34ころ。


▲左側にも奥武蔵の山並みが続きます。秩父市の武甲山も見えるとは驚きですね。13:39ころ。


▲キブシです。13:45ころ。


▲倒木更新というのでしょうか? 倒木に生えた苔の上に杉でしょうか、針葉樹の芽生えとドングリの芽が並んでいました。どちらが生き残るのでしょう? 13:53ころ。


▲三方山で一本立てようと考えていましたが、どうやら登山道とは少し離れたピークだったようで、休憩できませんでした。S子は少し疲れてきたようで、ベンチが出て来たこのピークで久し振りの休憩です。14:07ころ。


▲変ですねぇ? 変でしょ! この木の根っこ、生きている根っこです。コンクリの路側とこの木の根っこの位置関係はどうやって成立したのでしょう!? 分かる人、教えてください。14:40ころ。


▲青梅市の中心街の街並みが近づいて来ました。14:47ころ。


▲こうやって拡大写真を見ると、なかなかに美しい花です。でも、実際は小さくて地味な花。僕はこんな花にこそ魅力を感じてしまいます。スゲの仲間ですが、名前の同定は難しくて分かりません。カヤツリグサ科だそうです。14:52ころ。


▲今年はあまり馬酔木(あせび)の花を見ていません。14:58ころ。


▲青梅市中心街です。15:08ころ。


▲山道がいつの間にか舗装道路になっています。15:42ころ。


▲青梅駅に降りずに、そのまま前に進みました。一度は見てみたかった青梅鉄道公園が。いろんな種類の蒸気機関車の実物が展示されています。鉄オタではないので、外観を見ただけで満足。15:46ころ。


▲勝沼山乗願寺が途中にありました。解説板を読むと、1300年に三田氏によって開山されたとも言われる由緒あるお寺のようです。15:59ころ。


▲勝沼公会堂がありました。レトロな感じの雰囲気のいい建物です。昭和初期に建てられた木造洋館で、地域の方々が維持、管理に努められているのだそうです。16:02ころ。

ここからは東青梅駅へはすぐです。まだ時間的に早いですし、昨晩のおかずがたくさん残っていたこともあって、通例になっている居酒屋での打ち上げはせずに、家へ帰りました。

最低限、週に1回くらいは山を歩いておきたいのですが、なかなか実現していません。山へ行く間隔が空いてしまうと、山へ行くこと自体が億劫に感じられることすらあります。S子と二人だけだと、どうしても相手の体調や気分などを気にかけすぎてしまいます。山へ行けば楽しく感じることは確実なので、とにかく出かけることが大切ですね。


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