ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

奥多摩周遊道路建設の影響で荒廃しきっていた“落沢”が蘇生しつつある?

2014年07月16日 | 沢登り/多摩川本流

2014/7/12  今日の沢登りのメンバーはS子、A野さん、K美さんです。S子は体力、脚力ともに落ちて来ていますし、A野さんとは昨年の9月以来の沢登り。それに仕事が多忙でほとんど山にも行けてなかったようです。K美さんとは今年の1月に一緒に山を歩きましたけれど、この春からは野菜作りにはまって、山歩きは疎かになっている様子。
でも、大好きな山の仲間たちですから、一緒に山へ行くと楽しいこと請け合いです。

と言うわけで、沢選びがポイントになるのです。心地よい沢歩きが出来て、体力的にハードではない沢。しかも、僕自身が行ってみたいとも思わなければなりません。
そんな困難な条件をクリア(?)した沢が奥多摩湖南岸に注ぎ込む“落沢”でした。昭文社のMAPにも二万五千図にも名前が載っているほどの沢ですから、それなりの沢であるはず。そして重要なポイントは、出合から奥多摩周遊道路に飛び出す遡行終了地点までの標高差が300mしかないことです。傾斜もなだらかですから、快適な沢歩きが可能だと予測したのです。
しかし、ネットで検索しても沢登りに活かせる情報は皆無。唯一、渓友塾の宗像兵一さんのHPに「旧奥多摩有料道路ができる以前は、奥多摩湖岸の沢の中ではナメ滝が多く、楽しめる沢だったが、道路ができて護岸だらけの沢になってしまった。」と書いてあっただけです。個人的満足度も「物足りない」評価ですらなく、それ以下の「なし」。
「護岸だらけ」と言うのはちょっとひっかかりますけれど、沢ほど年月を経て変貌するものはありません。良い方向へ変貌していることに一縷の望みをつないで、行ってみることにしました。
もちろん参加者には「全く未知の情報も何もない沢ですから、ハズレの酷い沢だと覚悟していてください。」と念入りにメールで釘を刺しておきました。

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▲麦山の浮き橋、通称・ドラム缶橋です。9:53ころ。
小河内バス停で下車し、歩き始めがこの時刻。ちょっと遅い気がしませんか? 最初の計画ではこれより50分ほど早くスタートできるはずだったのですが、いろいろ訳ありで・・・・
でも、メンバー全員が揃って一緒に歩けるというのが最優先されるべき大切なことですね。

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▲奥多摩湖のほぼ満水状態を見るのは久し振りの気がします。たっぷりの水を湛えているとそれだけで美しい。9:57ころ。

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▲麦山の浮き橋からは山のふるさと村遊歩道が湖岸沿いに付けられています。歩き易く、夏でも涼しい道ですね。10:18ころ。

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▲山のふるさと村から小河内ダムまでは「奥多摩湖いこいの路」として整備されています。でも、道路状況の悪いことが多く、もし歩く場合も東京都水道局のHPで確認した方がいいと思います。10:35ころ。
ちなみに、この掲示板に出ている奥多摩湖南岸の沢のうち、右から水久保(窪)沢、天神沢、手沢(京道沢が正しい呼称だと思います。その支流が手沢で、僕は京道沢の支流・死人沢を遡行したことがあります)、くき沢(岫沢。その支流のヨシスキ沢・ボウメキ沢を遡行)を遡行したことがあります。
蛇沢(蛇沢とは奥多摩湖に沈む前は天神沢、手沢、この蛇沢を合わせる本流の名前。この掲示板の蛇沢は間違えで、カルギ沢とした方がいいのでは)、大むぞ沢、さなぎ沢、橋沢などは遡行したことがありません。
今日の落沢で奥多摩湖南岸の沢4本目ですが、死人沢以外はまずまずの沢でした。

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▲落沢にかかる橋が見えて来ました。10:45ころ。

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▲橋から上流を眺めると、何段にもなって堰堤が連続しています。水量は小さな沢としては十分な量が流れているようです。10:46ころ。

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▲沢装備を整え、軽く朝食も食べて、出発です。乗り越えられない高さの堰堤があるので、最初は右岸の植林の中を歩きます。橋からは見えていなかったさらに上流の堰堤も現われ、それも一緒に巻きました。11:28ころ。

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▲どんなに酷い沢であっても大丈夫なように覚悟して来ましたが、穏やかで、さほど荒れていない流れにホッとした心境です。11:34ころ。

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▲流れに転がる岩にはびっしりと緑の苔が生えていました。それなりの期間、沢が安定している証拠です。11:37ころ。

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▲いい感じで水が流れ、浅いですが釜もあります。上流から水が激しく落下する音が響いて来ました。先に目をやると、大きな滝があるではありませんか! いきなり滝の登攀か? と予想外の事態に・・・・ でもこの写真に写っていますが、その滝は支流に架かる滝でした。11:41ころ。

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▲これが支流に架かる滝。名前が付いていてもいいくらいのなかなかの滝です。支流の名前はタキノ窪のようです。流水域は狭いはずなのに、どうして水量が本流と変わらないくらいあるのでしょうか? 11:44ころ。

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▲この滝を横に見ながら・・・・ 11:49ころ。

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▲小さな流れですが、心癒してくれる風景が現われます。11:52ころ。

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▲堰堤が出て来ました。高巻きます。11:57ころ。

この後、お昼時なので休憩をとりました。

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▲宗像さんが記している多くあったナメ滝というのはこんな所のことだと思います。奥多摩周遊道路が出来ることによって、大量の岩塊や土砂が落沢に流れ込み、このようなナメ滝の大部分を埋め尽くしてしまったのでしょう。12:27ころ。

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▲右岸から合わさるふたつ目の支沢です。タカザス沢ですね。12:30ころ。
入渓地点の標高が540mくらいですが、この出合でまだ605mくらい。1時間近く歩きましたが、まだ65mしか標高が上がっていません。850mの奥多摩周遊道路が今日のゴールですから、まだこれまでの3倍近くの標高差が残っています。

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▲破壊された堰堤です。何の力でこれほどの堰堤が壊れたのでしょう? 12:45ころ。

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▲破壊された堰堤の上流でも、再び堰堤が現われました。高巻きます。この沢の堰堤の高巻きには困難な高巻きはありません。12:48ころ。

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▲沢らしい光景も現われます。左の岩に生えているのはイワタバコ。まだ花の蕾も見えません。12:53ころ。

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▲先月の南秋川矢沢でも見た花です。調べても名前が分かりません。12:55ころ。

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▲水の流れの中を歩いたり、流れの脇を歩いたり・・・・ 12:56ころ。

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▲中流域でもこのような穏やかな流れの箇所が多くありました。12:59ころ。

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▲小さな支沢が合流しました。13:08ころ。

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▲大きな木が立っていました。何の木かはよく分からないのですが、クルミの木かな? 木の名前はよく分かりません。13:13ころ。

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▲小休止した後、歩き始めると、上流に人工物が転がっているのが見えました。小屋跡かな? と最初は思ったのですが、近づくと違うようです。13:34ころ。

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▲近くで見るとこんな感じ。何なのでしょう? 水を流すための溝のような気もします。13:35ころ。

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▲シカの下顎の骨でしょう。13:37ころ。

このまま当初の予定通り標高850m付近で奥多摩周遊道路へ出ると、あと1時間くらいはかかりそうです。今日は天益へ4時前後に行くと約束(予約)していますし、実はそこでK嶋さんとも合流することになっているのです。いくら遅くとも16:08のバスには乗りたいものです。それを逃すと、16:56になってしまうのです。

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▲という訳で、標高730m付近で左岸に上がっていく支沢から早めに奥多摩周遊道路へ出ることにしました。13:43ころ。

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▲支沢の途中には、何が崩れたのでしょうか、側壁のような人工物もありました。13:53ころ。

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▲頭上に奥多摩周遊道路が見えて来ました。バイクなどのけたたましいエンジン音はさっきから聞こえていましたけれど・・・・ 13:56ころ。

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▲道路まであと少し。14:02ころ。

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▲到着です。バイクがガンガン通ります! ここの標高は810mほど。14:03ころ。

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▲急いで装備を解除して(それでも時間はかかっていますが)、少し早足に下山開始です。15:25のバスに間に合う可能性もあるのではと、期待しているからです。14:21ころ。
S子は腕時計で確認していますね。

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▲車道歩きは終了し、ここからは山道。14:29ころ。

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▲思いのほか早く、山のふるさと村に到着しました。これは期待が持てそうです。14:44ころ。

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▲山のふるさと村の入口付近の駐車場の近くでサルの群れに遭遇しました。全体で何匹くらいの群れかは分かりませんでしたが、今年生まれたような子ザルもいて、とても可愛らしかったですね。あまり人に対して敵対的でもなく、恐れてもいないようでした。14:53ころ。

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▲慌てて柵を越えようとしているサル。14:53ころ。

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▲ドラム缶橋に戻って来ました。早く下山出来たので、バスには間に合いそうです。15:21ころ。

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▲僕だけ少し早くバス停に急ぎました。すると、すでにバスがいるではありませんか! 慌てて皆に声をかけます。でも、そのバスは臨時便で「続いて来るバスに乗ってください」と言われました。15:23ころ。

15:25のバスに余裕で(?)間に合い、奥多摩駅の天益へ。
でも、三頭山へ登っていたK嶋さんからメールが入っており、どうやら予定通り下山出来なかったようです。天益へ寄るかどうか迷っています。
4時ころに天益へ入り、4人で話しが弾みます。K嶋さんもだいぶん遅れましたが、合流することができ、5人で楽しい時を過ごすことが出来ました。

最後になってしまいましたけれど、落沢は蘇生、回復しつつあると思います。奥多摩周遊道路開通が1973年、40年以上が経過しました。工事による土砂や岩塊の流入物も、多くが奥多摩湖まで流れ出てしまったか、もしくは元々あったかのように沢の自然に溶け込んでいるようです。岩塊には苔が生し、堆積した土砂の上には草が生え、樹木も茂っているのでしょう。工事以前にはあったという連続するナメ滝は消えてしまっていますけれど、新しい姿で落ち着いた沢の自然が戻って来ているようです。
そのことが典型的に現われているのが堰堤のすぐ上流の風景です。工事によって沢に落下していった大量の土砂と岩塊を奥多摩湖に流れ込まないよう造った堰堤だったと思います。思惑通り堰堤で大量の土砂と岩塊が堰き止められました。当初は草も生えていないような無機質な光景が広がっていたのだと思います。それが次第に草が生え、樹木も茂り、もとからそうであるような穏やかな沢の流れがある風景に生まれ変わったのです。
そんな変化を無条件に肯定的に是認する訳ではありませんが、人間の思惑を越えて、自然も自然本来の姿へ戻ろうとしているのでしょう。
自然本来の姿は美しい。

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