山仲間とのLINEのトークの中で、SS木さんが体力が戻りつつある僕と軽い山歩きをしたいと思ってるらしいとの噂を聞きつけました。早速、連絡を取ると、T橋さんとの計画があるらしく、僕も加えてもらうことにしました。(S上さんに教えてもらって、最近LINEを始めたんです)
「老いては子に従え」との諺がありますけれど、高齢者になってからは、若い人に教わることの方が多くなりますね。謙虚で柔軟な精神を持ち続けないと、最新の情報とか生活に必要な手段は得られないみたいですね。
LINEをし始めて分かったこともあります。例えば、「了解しました」を「了解」だけで済ましたり、極端な場合は「り」だけで済ましたりする若者の気持ちが理解できますね。LINEのやり取りのことを「トーク」と呼んでいるのを最初は不思議に感じたのですが、やってみると納得できました。「メール」ではなくて、間髪入れずに話し合う感覚なんですね。分かり合える限り、言葉を極限まで省略する。いわゆる若者言葉を大人が短絡的に非難するばかりでは駄目だと思いました。それはそれでひとつの文化、生活上の必要な様式なんですね。ただ、新聞記事のような教科書的文章も書く能力を同時並行で持っておかなければなりませんけれどね。
山のブログからは脱線気味になってしまいましたけれど、今回のこの山行はLINE仲間とのトークの中から生まれた初めての山行だったのです。
茅尻沢左岸尾根は倉沢谷流域にあります。本流の遡行はまだ未経験ですけれど、左俣の塩地谷は1990年4月15日、右俣の長尾谷は1990年5月12日に初遡行しています。当時はまだ、僕の手元にはこの沢の情報が全くなく、地形図だけが頼りの遡行でした。遡行図を記録しながらの沢登りでしたね。その何10年か後に茅尻沢も遡行しましたが、塩地谷の支流ですから、短くて小さな沢でした。登攀を楽しめるような滝はありませんし、小滝すらもないような沢でした。
この流域の尾根も幾つか登っています。倉沢のヒノキという巨樹があるのですが、その巨樹の背後に続く倉沢見通し尾根には何度も足を運んだことがあります。ヨコスズ尾根の滝入ノ峰へ突き上げている尾根です。広葉樹の美しい尾根ですね。
倉沢林道の途中に岩場が続いている場所があります。この岩場を幕岩と呼ぶようなんですが、この岩場からヨコスズ尾根の1289m標高点に至る尾根を幕岩尾根と呼ぶようです。この尾根と、幕岩尾根の1200m付近から南東に延びる尾根を登ったことがあります。後は長尾谷に沿った林道の終点からの尾根、棒杭(ぼうくな)尾根がありますが、ここは下降路としてよく使っています。不明瞭な箇所もありますが、ほぼ一般登山道化していますね。
2022年9月11日(日) 茅尻沢左岸尾根~天目山
▲9:18。この日のメンバーはSS木さん(左)とT橋さん。倉沢バス停で下車し、林道を進みます。
▲9:38。これが幕岩。左の尾根に沿って、幕のように岩場が続いています。
倉沢林道は魚留橋で長尾谷方面へ向かいます。魚留橋のすぐ手前に階段が付いていて、塩地谷沿いに続く仕事道があります。その仕事道を利用した方が、この日登る茅尻沢左岸尾根には近いのですが、この日は遠回りのルートから向かいました。
林道終点直前で、僕は用足しをしました。二人にはこの先で待っていてくれるように告げて。でも、その場所は本当に林道終点のほんの僅か手前だったんですね。二人は僕から離れることを優先して林道終点を通り過ぎ、僕は待ってくれていた二人に追いつくことばかり気にしていました。登山口は林道終点付近だったことは知っているのですが、二人と合流した場所も山道としては平らで広めの場所でした。「ここも林道なのかな~ぁ?」とか思いながら先に進むと、もう明らかに山道です。しかも、徐々に登って行っています。ここを登って行っても、この日歩く棒杭尾根に合流できるかも、と最初は期待していましたが、その山道は長尾谷の奥へ奥へと向かうばかり。僕は諦めて、戻ることにしました。
▲10:23。ここが林道終点で登山口です。茂った草木に覆われて、山道がまったく見えませんね。僕が用足しをした場所と二人が待っていてくれた場所の中間地点でした。
▲10:36。左の植林の中の山道を登って来て、棒杭尾根上に出たところです。
▲10:39。棒杭尾根の標高900m付近だと思います。左へ分かれる山道があります。棒杭尾根の山道からは離れて、左の山道に入りました。
▲10:42。山道はしばらくほぼ水平に続いています。涸沢を等高線に沿ってくるりと回ります。
▲10:46。隣りの塩地谷の左岸上部に来ると、山道は急斜面をジグザグに下って行きます。
▲10:49。塩地谷に着きました。水量は少なく、写真中央を右から左へ流れている水もよく見えませんよね。ここは素敵な場所です。1990年の僕の遡行図には「小屋跡」と記されていますから、作業小屋が建っていたんでしょうね。僕のあやふやな記憶で申し訳ありませんが、以前ここに生えている木に分厚く布が巻かれていて、誰か空手修行で山籠りしていたような様子が見られたこともあります。
▲11:12。休憩した場所の対岸が茅尻沢左岸尾根です。茅尻沢は休憩場所の少し下流に出合があります。塩地谷を渡ってなだらかな尾根を登ってくと、すぐにしっかりとした山道が現われました。こんな立派な山道があるとは予想していませんでしたから、有難く利用させていただきました。
▲11:13。これ以上ないような晴天です。空気もカラッとしていて、快適でした。
▲11:18。ホウキタケの仲間、ヒメホウキタケでしょうか?
▲11:19。イグチの仲間ですね。食べられそうです。
▲11:28。ジグザグに山道を登って行きます。
▲11:59。標高1200mを過ぎたあたりから次第に尾根の傾斜がきつくなります。すると、山道が左へ回り込むようになりました。途中、写真のような桟(かけはし=桟道)もあります。
▲12:06。次第にヨコスズ尾根が近づいて来たようです。
▲12:10。あそこがそうかな?
▲12:12。道標が見えました。ヨコスズ尾根の登山道です。
▲12:33。登山道を一杯水避難小屋へ向かいます。なだらかな登山道です。
▲12:55。一杯水避難小屋です。何度も泊まったことがあります。素敵な避難小屋です。
▲13:31。一杯水避難小屋で小休止後、小屋の右側から天目山へ向かいました。天目山は別名を三ツドッケと言うくらいですから、三つのピーク(突起)を持っています。中央のピークが天目山1576.0mです。
▲13:32。左に見える山は川苔山1363.2mでしょうか? 右近くの山は三ツドッケのひとつだと思います。
▲13:47。3つ目のピークも乗り越えて、長沢背稜の登山道に出て来ました。ところで、長沢背稜ってどこまでなんでしょうね? 長沢の背後の稜線は芋ノ木ドッケから水松(あららぎ)山までです。水松山から日向沢ノ峰あたりまでは日原川北稜などと呼んだ方がいいと思いますけれどね。
▲14:03。一杯水避難小屋へ戻って来ました。これからヨコスズ尾根を下ります。
▲14:07。テングタケの仲間です。たくさん生えていました。
▲14:16。登山道は右の山腹を巻いています。ロープが張ってあって、「この先危険! 登るな!」と警告しています。こんなのを見ると、どうした訳だか侵入したくなりますよね。・・・・ それは冗談ですが、この先がこの日登って来た茅尻沢左岸尾根の本当のピーク1388m標高点なんです。途中で左に巻いたので、そのピークは踏んでいません。なので、行ってみようと。
▲14:19。ちょっと岩っぽい箇所も出て来ますが、ピークまでは問題ありません。ピークも地味なところで、ただ通過するだけでした。
▲14:32。1388m標高点からは南南西へ下るべきでした。地図を確認することなく、登って来た方角と同じ方向へ下ってしまいました。南東方向へ降りたのです。登る時に避けた急斜面に突入してしまいました。コース間違いの場合、それが下りなら急斜面でもどんどん下ってしまうものです。100mくらいは下ってしまったかもしれません。さすがに間違いに気付き、進行方向の右(写真では左)にあるはずのヨコスズ尾根に戻ろうとしました。ここは右に必ずヨコスズ尾根があるので、それで良かったのですが、もっと複雑な地形の場合はきつくても登り返すべきなんです。写真では傾斜は分かりにくいですけれど、木から木へと飛び移るような歩き方をしています。木に掴まらないと、ズルズルと落ちて行ってしまいそうです。
▲14:38。森に光が入って来ています。ヨコスズ尾根も近いはず。
▲14:41。T橋さんが「尾根に出たよ~っ!」って叫んでいます。
▲15:43。滝入ノ峰にも立ち寄らず、どんどん下って行きました。途中で、こんなキノコの様子が。キノコの名前は分かりませんが、キノコのシロのようです。丸くリング状に生えていますからね。
▲16:04。山道終了です。
▲16:10。東日原バス停に到着しました。あと10分後くらいにバスは発車します。
バス停からは天益さんに電話。奥多摩駅に着いたら、寄れることになりました。天益の女将さんがおっしゃるには「もう店を閉めるつもりだった」とのこと。客は我々だけでした。すでにたくさんのお客さんが来られたようで、餃子も我々に出してくれた分しか残っていなかったようでした。有難うございます。
SS木さんとは今年のお正月以来ですね。男二人がゼ~ゼ~ハ~ハ~荒い息で歩いているのに、静かに息も荒げずにすいすい歩いています。強いですね。