Umi kakasi

自分が感じたことを思うままに表現してみたい。

天草

2010-01-06 16:14:01 | 旅の写真
天草の 概略
  

大矢野島、上島、下島を中心に大小120余りの島々が散在する天草。
1966年20万島民の悲願であった本土と島が5つの橋で結ばれた。
天草パールラインと命名されロマンの島も身近に観光できるように
なったのである。
しかし、この美しい風土の背景には天草四郎をはじめとするキリシタン悲哀の
歴史が秘められている。
寛永14年(1637年)10月の幕府のキリシタン禁止令により多くの
殉教者がでた。ここ天草や島原でも農民がキリシタン弾圧と過酷な年貢の
とりたてに蜂起し戦いをおこした。
これが「天草・島原の戦い」である。大矢野島で生まれた天草四郎は、
「天草・島原の戦い」で農民側の盟主として幕府軍と戦った。
このとき四郎はわずか16歳の美少年であった。ここでは数々の伝説に
包まれた天草四郎の真の姿と天草のキリシタンの歴史や「天草・島原の戦い」
の関連資料を展示しジオラマや立体映像で紹介されている。

天草の橋
    
  
   
大小120余りの島からなる天草。キリシタンの島として知られ豊かな自然に恵まれた島である。1966年20万島民の悲願であった本土と島が5つの橋で結ばれた。天草パールラインと命名されロマンの島も身近に観光できるようになったのである

大江天主堂

島原の乱で島原のキリシタンは全滅したと思われていたが、この大江地区では隠れキリシタンとして信仰を守り続けていた。大江天主堂は丘の上に建つロマネスク様式の白亜の堂が美しい天主堂です。

崎津天主堂
 
崎津は小さな港町で大江と同様に隠れキリシタンの里であった。波静かな羊角湾のほとりに高い尖塔が建っている。この教会が建てられたのは永録12年(1569年)で、天草におけるキリスト教はここを中心に栄えた。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿