うさぎの耳

大学卒業→社会人→看護学校→6年目ナース
読書の記録と日々の出来事。

しいたけ

2013年11月28日 18時53分51秒 | agriculture
しいたけ栽培キットでしいたけを育ててます。今日、初めて収穫しました。

お世話は、霧吹きで水をかけるだけ。とっても簡単。


ビニール袋に入れて育ててます。


まあまあ大きくなってて、やっぱり最初はしいたけさんを味わえる料理でと思い、バター炒めで食べました。肉厚で美味しかったです。

2013年11月公演『伊賀越道中双六』

2013年11月12日 16時23分00秒 | catch
三連休の時に、文楽観劇しました。

つ・い・に、この日がきました!

『伊賀越道中双六』通し公演!!

私の熱い思いをとりあえず語ります。この作品は、私が大学卒業時の卒論でテーマにした作品で、私にとって文楽作品の中でも特別な作品です。
卒業してからもちょいちょい文楽を観に行ってて、いつか『伊賀越道中双六』が通しでかかればいいなー、生きてるうちに実現すればいいなーくらいだったんだけど、こんなに早く実現しました!
あんまりメジャーな作品でもないので、通しで上演はないかもなぁと思ってたんだよね。ちなみに大阪で通しでするのは21年ぶりらしく、それにめぐりあえた私はラッキーガール!

通常、文楽は全ての段(作品まるまる)を上演することってほとんどなくて、見せ場の段だけっていうのがほとんどで、何作品かそれぞれ一段だけだったり、二段だけだったり上演されます。


通しなので、1部(昼公演)と2部(夜公演)両方観て全部観る。丸一日観るのは体力いる。10時半からちょこちょこ休憩挟みながら21時前まで。


当然、睡魔に襲われた時間もありました。完全に寝てはないけど、うとうとしながら寝てはいけないと睡魔と闘う自分。
昼公演は、若い人多いなと思ってたらある大学の国文学科の人が集団できてたもよう。もっと若者に来てほしい。
客席もほぼ埋まってました。夜は昼よりおきゃくさ少なかったです。


この春から学生なので、学割料金で観られてそれも嬉しかった。一般と比べると1000円以上安い!
思いの外早いスピードで貯金がなくなってるので、お財布にやさしい料金設定は大切です(笑)

席は、私はこの辺りで観たいっていうのがはっきりあるんだけど、予約した時にはかなり埋まっていてそれでもまずまずの席で観られました。
外国人の方が4人くらい並んでイヤホンガイド使いながら鑑賞されてて、敵討ちの概念は理解されるとして、実の息子を手にかけるとか理解されるのかしらとすごくいろんな場面で考えてしまいました。日本人だから、日本で学んできたから深く考えなくても分かる文化
がたくさんあるよなぁ。夫をたてるとか、男性が優位だとか。
今回は、敵討ちの話だからまだ外国の人でも理解出来るかもしれないけど、心中の話とかってどう思うのかなと気になる。文楽、心中の話もまあまああるからね。
私は、歴史に材をとった時代物の方が好きです!

敵討ちの話なので、男性がメインで改めて観てみると、華やかな女性は出てこない。関所の前のお茶屋のお袖が唯一目を楽しませる色みの明るい着物を着てましたね。ほんとはお姫様のきれいな着物を着てるキャラクターが好きです。あくまで視覚的にだけど。


話のあらすじを知ってても、一番しびれたのは、やっぱり住大夫さんの「沼津里の段」。ぶっちぎりで他の段より良かったです!!ぶっちぎりで!!
『伊賀越道中双六』の一番見せ場の段なんだけど、涙を流してるお客さんがたくさんいました。
実の親子なのに敵討ちの敵と味方に分かれてしまう。養子に出したきり会ってなかった親子が実の親子と分かりながらも名乗れない、自分の命をかけて敵の行く先を聞き出す平作(父親)と最後には親子だって名乗りあえるんだけど、亡くなっていく平作…。

明らかに自分の中で感情を一気に持っていかれたというか、突き抜けた瞬間っていうのがはっきり分かって、初めてそんな体験をしました。リミッターがばんっと外れた感じ。
住大夫さんの語りの力だと思います。
素人の私が聴いてもそれと分かるくらい住大夫さんの語りは特別。ご病気されたことを感じさせない素晴らしい語りでした。お姿を見た時は、一回り小さくなった感じがしてちょっとショックだったけど、平作と十兵衛(息子)の世界に完全に引き込まれてしまいました。

最初、笑えるようなおどけた場面から始まって、これだけ切ない親子の話にまでもっていくのが一段の中で収まってる。それが魅力なのかなぁ。よくできてるなぁ。卒論書いたけど、きっとあんまり分かってない。

ほんと、沼津だけでも聴きに行ってほしいです。


「岡崎の段」では、唐木政右衛門(敵討ちの助太刀をしてくれる)が巳之助という実の息子を刺し殺すっていうこれまた敵討ちのためにやむなしの場面があるんだけど、思ってたよりは胸に響かなかった。巳之助が赤ちゃんだから?沼津がめちゃくちゃ感動したから?お谷という巳之助の母親が不憫すぎます。

遠眼鏡でのぞいて見えてる遠くの場面を途中で挟むっていう演出を初めて観たんだけど、ちょっと観てる間に飽きてしまいました…。

景色(舞台装置)としてはやっぱり雪がはらはら舞ってる沼津が良かった。

動物キャラで馬がちらっと出てました。

三味線の弦が弾いてるときに多分切れて、すぐに張り直して弾いててすごいなぁと思った。私は、基本的に人形と字幕を見てて、あんまり大夫さんや三味線さんの方を見ないけど、音がないなぁと思って見たら、弦を張り直してる感じで弾き始めるタイミングをはかって普通に再開されたので、すごいなあと思いました。弾きながら弦を調節されてる場面ってよく目にするけど、弦を張り直す早さにさすがプロだなと思いました!

見事に敵討ちが成就して終わりなので、良かった、良かったという気持ちで劇場を出られました。

芸術の秋、満喫。

『あのひとは蜘蛛を潰せない』彩瀬まる

2013年11月11日 07時52分00秒 | book
久しぶりにまったり読んだ。読書、ほんとに久しぶり。

面白かったー。胸キュンとかドラマチックなことは起こらないんだけど、微妙な言語化しにくい感情や自分の中で扱いきれない、もて余してしまうような感情が書かれてると思う。


将来、私が母親の面倒見るのかなぁと漠然と思った。

この話の主人公は、兄が家を出てから母親と二人で暮らす28歳で、母親がこうあるべきっていう娘像に抗えない。
兄が異動でこちらに帰ってくるのと同時に母親と同居するタイミングで初めて家を出て一人暮らしをする。
兄は結婚していてもうすぐ赤ちゃんが生まれる。


母親をかわいそうだと思う感情から自分は母親の味方でいなければいけないと思って、母親と争うことを避けて過ごしてきた。みっともないって注意されながら、母親の世間から見られて恥ずかしくないようにっていうのに縛られてる。


「かわいそう」って何?って考えさせられた。他の人から主人公はかわいそうって言われて、私、かわいそうなの?ってなる場面があった。自分が母親をかわいそうだと思ってるのに、その自分が他人からかわいそうと言われる。
どんな立場から見るかによって、かわいそうなのか、かわいそうじゃないのか変わる。そして、「かわいそう」
に続く言葉を持ち合わせていないと主人公が思っている場面があって、何だかそうなのかもと思った。かわいそうだから、助けてあげるよ。というのは上から目線過ぎる、傲慢な気がしてきた。

大学生の年下のバイト君と付き合うことになって、その辺は少しキュンとくるポイント。主人公は、ドラッグストアの店長です。でも、その付き合いも甘いという空気とは少し異なる。二人が距離を置いて、亀裂が入ってしまった場面あって、このまま別れちゃうの?それはちょっと痛いなと思いながら読んでたら、その危機は乗り越えられて、良かったと、一読者として思った。

大学生のバイト君も、心に苦しいというか扱いきれない思いを抱いてて、主人公の母親も兄もお嫁さんも、皆それぞれに抱えてるものがある。何かが欠落しているとまではいかないけど、埋めれない、もしくは逃れられない何か。


一人暮らしをする中で、少しずつ母親のこうあるべきっていう所からは踏み外していけるんだけど、緋色のさざんかは夢から出ていかない。


主人公がこれまた心に問題がありそうなドラッグストアのお客さんと最後には通じあえて、思いが届いて一歩踏み出せた、殻を突き破れたところで終わっていて読後感は良いです。年下の彼とも関係修復というか一段上の関係を築けるようになる場面もあって、恋愛の方もすっきり。


全て解決したという訳ではなく、少し良い方向へ物事が運び出したという印象。



主人公の抱える母親との関係に関するどうしようもできない、自分でも何にからめとられているのか分からないような思いって多かれ少なかれ娘と母親の間には存在するんじゃなかろうか。

友達みたいに何でも話せる仲良し親子がいるのも事実だろうけど、母親を嫌悪したり、離れたい、距離を置きたいって思うことあるんじゃないかなぁ。


私は、母親を軽蔑してた自覚がある。今ではないけど、一時期すごく母親を軽蔑してたと思う。母親のありがたみを今では少しは分かるようになってるけど。
今の関係は言いたいことは言ってるし、母親も私に言いたいことを言ってるけど、私は母親を見下してる。多分、そうすることで自分を保ってる部分があるんだと思う。それと同時に私が母親を守ってあげなくちゃという所まではいかないけど、そんな感じのことを思ってるんだと思う。



うまく感想を書けた自信はないけど、面白い小説です。言葉にするのが難しい部分をすくいとって見せてくれてる。明るい小説ではないけど、暗くもなくて、彩
瀬まるさんの小説初めてだけど、他の作品も読みたい。

音楽療法

2013年11月10日 13時00分00秒 | catch
音楽療法について話を聞く機会がありました。

患者さんに合わせて計画をたてて、音楽を使って持てる機能を伸ばしていく。病気の程度や好みの音楽的傾向、苦手な音、子どもさんだったら保護者の要望をとりいれて実施する。


楽器を演奏することで、手を動かすことが目的の場合もあるし、じっと座っておくことが難しいので、出来るだけ長く座れるようになることが目的の場合もあるそうです。

理学療法士や看護師と協力しながら音楽療法をするそうです。


計画たてて、目標を設定し期間を区切って評価する。看護と似たようなステップを踏むんだなと感じた。


お話し頂いた例では、最後に演奏会を
開かれたということで、タイミングをはかりながら楽器に触れて音を出すことが出来てとても感動されたそうです。

ほとんど体を動かせない患者さんの為にいろんな楽器が開発されていて、シンセサイザーのように音色が自由に選べて、タッチパネルに触れるだけで音が出る楽器がありました。大きさもかさばらなくて、枕元にも置けちゃいます。



お話し頂いた方は、子どもを対象に働いておられる方で、その子の持ってる力を出来るだけ活かしたいという思いがすごく伝わってきました。すごく素敵な人でした。人間的魅力に溢れてる。
他に印象に残ったのは、患者さんを主体としているというかとても尊重しているということを話の中で感じました。そんなの当たり前といってしまえば当たり前だけど、それぞれの患者さんのコミュニケーションのレベルに寄り添って意思疏通したり、あくまでも患者さんのペースを尊重する。


普段の生活では、自分を優先したり、相手のペースが遅ければ急かしたり自分でやってしまったりすることがある。逆に追いつけないくらい早いと諦めて自分のペースでいったり。
相手を主体とし、
相手のペースに合わせるって慣れてないと難しいと思う。相手が出来るまで待ったり、出来るように手助けしたり、自分でやったら早いけどそれをしないで待つ。

スリッパの話を思い出しました。リハビリ中の患者さんがいたとして、時間はかかるけど、自分でスリッパを履ける患者さんに自分が親切心からスリッパを履かせてあげればすぐに履けるけど、それは看護なの?という話。何でも良かれと思ってこちらがしていては、患者さんの回復を遅らせたり阻害する。常々、出来ることは患者さんにしてもらいましょう。患者さんの協力を得ましょうということを授業で聞く。


一人で出来ることではない(相手が必ず存在する)し、音楽を間に置きながら心を通わせてしているんだなと思いました。


音楽療法士は国家資格ではないらしく、資格を得るためには、大学などで学んだり、講習会に通って試験を受けるそうです。2年くらいはかかるみたいで、なかなかとりにくい資格だなと感じました。ピアノの実技試験もあり、それはそんなに高いレベルは求められてないそうです。


人数も外国に比べたら少ないらしい。


音楽を通して、出来るっていうことや楽しいってことを感じてもらいながらリハビリ的な効果で機能を維持したり、伸ばしたり出来るのは素晴らしいことなんだなと感じました。

音楽療法の認知度はそんなに高くないと思うので、もっとたくさんの人に知ってほしいです。