うさぎの耳

大学卒業→社会人→看護学校→6年目ナース
読書の記録と日々の出来事。

植え付け

2011年04月30日 16時57分03秒 | 2011(うさぎ年)
ゴーヤ(ふつうのと白)、なす(千両二号)、きゅうり(北進)を植えました。



全部苗です。なすときゅうりは接ぎ木苗です。初心者なので無難に接ぎ木をチョイス。



プランターや土の購入、ゴーヤのネット、支柱などを買ったけど、原付移動のため大変でした。3回ほど往復。



キワーノっていうゴーヤと同じような育ち方をする南国フルーツの苗が欲しかったのに、まさかの売り切れ。悲しかった。広告にのってたから?今朝まではあったみたいで、正午過ぎに行ったのにー。残念。入荷の見込みもあまりないらしい。そういう訳で、白いゴーヤに変更。



ゴーヤは緑のカーテン目的です。




なすときゅうりは単純に育ててみたかったから。収穫できるように頑張るぞ。


ミニトマトはすでに植え付け済みなので、ゴーヤ、きゅうり、なすと合わせて4種類の野菜をベランダ菜園で育て中。

四月文楽公演『碁太平記白石噺、女殺油地獄』

2011年04月25日 21時45分42秒 | 2011(うさぎ年)
『女殺油地獄』が観たくって行きました(笑)



うとうとした部分も多々あったけど(汗)、最後は刮目して観ました。与平衛がお吉を刺し殺す場面。油まみれでこけつまろびつ必死な感じが伝わってきました!つるつるてんで油で滑るのもうまいこと表現してあって、また文楽の表現の技の新たな部分を観ることが出来て大満足!!



殺しの場面は何回か観たことあるんだけど、やっぱり迫力があって緊張します。


『碁太平記白石噺』


最初から笑える展開で和みました。騙したつもりが騙される…面白かったです!

『声を聴かせて』朝比奈あすか

2011年04月17日 11時00分18秒 | book
朝比奈さんが私の中でブーム。発刊順に読んでいきたいなと思う。



2話収録されていて、両方子どものいるお母さんの話でした。



赤ちゃんと母親が出てきて、その眼差しから最近読んだ『八日目の蝉』を思い出した。母親が子どもを愛する気持ちっていうことを『八日目の蝉』で初めて分かったような気がしてて、本書でも生まれて間もない赤ちゃんの花音ちゃんがいて、どちらかといえば脇役なんだけど花音ちゃんを通して母親の子供を思う気持ちを感じました。



花音ちゃんの母親である娘の奈保子と奈保子の母親のお話。2人の間に亀裂と呼ぶほどの隔たりはないんだけど、ちょっとした触れてはならない傷のようなものはあって、親が子どもを思う気持ちと同時に子どもが親を思う気持ちについて考えさせられた。




「ちいさな甲羅」
これも私の中でタイムリーな話でした。幼稚園のママ友関係のいざこざが扱われてました。ちょうどママ友のドラマを見たところだったので雰囲気はすぐ伝わってきました。
毎日子どもと2人きりで周りのお母さんに気を遣って、大変という言葉で言い尽くせない苦労が感じられた。集団で1人をはじくのって女性特有なのかな?やんわりとあなたとはもう関わりたくないって空気を出すママ友たちが妙にリアルに感じられた。



子どもよりもママ友からはじかれたことで母親の方が参ってしまう。幼稚園に送り迎えに行けなくなる。そこで旦那さんが怒らなかったところが個人的に良かった。仕事が多忙で存在感が薄かったんだけど、奥さんを責めなかったことでいい旦那さんだなと思った。現実だったら、夫婦間の関係もこじれちゃうところだと思うけど。



最後はまた前を向いて日々を頑張ろうっていう雰囲気が感じられて良かったです。精一杯の力で息子の名前を呼ぶ姿にいろんな思いが混じってる切実さがこもってる感じがして印象的でした。




やや消化不良な感じがするけど、文章全体の雰囲気が好きです!

『女に生れたら、コレを読め○活必勝法』勝間和代

2011年04月09日 22時08分59秒 | book
立て続けになりますが、最近読んだ本。




今度は実用書を。


かなり分かりやすいタイトルで、中身もかなりコンパクトにまとまっていてお手軽に読める。すぐ読めちゃいました。


勝間さんの本は2冊目かな?


○活というテーマで10のテーマが挙げらています。就活、婚活、美活、産活まで。
10あるのでどれかには必ずとっかかりを見つけられる本だと思います。あまり深いことは言及されてないけど、興味あるなってことがあればそのきっかけを与えてくれる本だと思う。

わりと耳にする○活をさっきは挙げましたが、日本活、エコ活なるテーマもあって新たなもの見方を発見できるかもしれません。
ただ、興味のないものは私はあんまりピンときませんでした(汗)


私は、コミュニケーションにおける気付きを得られたかなと思う。普段人とコミュニケーションとるし、それって特に意識してなかったけど、もっといろんな工夫をこらせば伝わりやすくなるよなーと今更ながらに再認識。


特に仕事においては正しくしかも相手に分かりやすく伝えることが求められていて、具体的には患者さんに対してはそれを意識している。けど、じゃあそれ以外の仕事で関わる相手に対しても同じだけ伝わるように努力していたかというとそこは反省しなきゃと思った。この本を読むことで、普段の自分のコミュニケーションの取り方を反省させられました。


さらりと読めるし短くまとまっているので、何かきっけけを探すには良い本だと思います。

『桐島、部活やめるってよ』朝井リョウ

2011年04月09日 21時42分14秒 | book
 図書館で予約していて、やっと回ってきた。青春小説と聞けばとりあえず読まなくてはと思っていて、ずっと読みたかった作品です。しかも著者が若い人だったので余計に興味がわいた。


期待がかなり膨らんでいたせいか、あまり面白いっってガッツ出せる感じではなかった。


まず、冒頭数ページで読みにくくて読みにくくて読み進める気力が萎えた。書き言葉よりも話し言葉に近かったからなのか若者の言葉だったからなのか、私の集中力が足りなかったのか、猛烈に読みにくさを感じてしまって軽く挫折。
今改めて読んでみると、いきなりたくさんの人物名が出てきてしかも切れ目がなかったからこれは誰の行動でっていうのが分かりにくい印象。


バレー部のキャプテンの桐島がやめるらしいということをきっかけにしてその周りの子たちにそれぞれスポットがあたって話が連なっている。それも周りの子たちといっても直接桐島くんを知らないような遠い関係の子がほとんどでその辺りは面白いなと感じた。


読みにくさを猛烈に感じたと書きましたが、いろんな比喩や風景の描写の言葉がとても美しくてセンスがあって、そこはとても好きになった。高校生の日常ではなく詩的な空気が醸し出されていて、妙に大人っぽさを感じた。


クラスの人間を階層に分けちゃうっていうのは分かるし、今の高校生ってこんな感じなんだろうなってリアリティも感じられて、ただリアル過ぎて、爽やかさはあんまりなかったかも。

青春小説に爽やかさとか若い勢いなんかを求めてる私には少々期待外れでした。

爽やかさはあんまりないけど、きらきらしている瞬間はたくさんあってそういう所は良かった。恋だったり、部活だったり自分の好きなことに向かっている高校生はきらきらしてた。このきらきら感がこの小説のいいところだと思う。


きれいな描写がたくさんあったのでその辺りに注目していきたい作家さんだなと思います!!



あさのあつこ氏トークショー「風景と物語」

2011年04月04日 15時50分54秒 | 2011(うさぎ年)
3/23/2011

地元の文学館で作家あさのあつこさんのトークショーがありました。彼女の作品のファンなので事前に往復ハガキで申し込み受講券をゲットしました。



大学生の時に、同じような感じで重松清さんの講演をやはり同じ文学館へ聞きに行ったことがあります。その時に聴いた事と重なる部分があり、とても面白かったです。
そして、重松さんの時には質疑応答が一切なかったのですが、今回は事前に質問したいことを募集し、できるだけ反映させるというスタイルでした。他にも違ったのが重松さんの時はお一人で話されてたけど、今回はインタビュアーというか学芸員さんが話を伺う形式で文学館に対する印象がアップしました!この形式の方が良かったです。



まず、現在もお住まいの美作(岡山)を創作の地としてどう感じているかという話をし、どんな子どもだったかということを小中高大と順を追って話を聞きました。その中で「物を書く」ということについて、創作のモチベーション、さらに作品の題材についてなどについての話を伺いました。



事前に募集した質問はこれから書きたい人つまり小説家になりたい人に参考になるような質問が多かったように思います。



最後にインタビュアーの学芸員さんが、今回の地震に関して言葉の可能性というか力について質問され、印象に残りました。



【創作の地・美作】
あさのあつこさんは大学時代以外を故郷美作で過ごされ、現在もお住まいです。「物を書く」に当たって感覚が大事だとおっしゃっていました。匂いだったり皮膚感覚だったり、どのように感じるかが大事。そして、美作でその感覚を育てられてきたので切り離して考えることが出来ないとおっしゃっていました。都会に出たくはないか?とよく質問されるそうですが、やはり美作で育まれた感覚と切り離して考えられないとのことでした。もちろん若い頃は都会に憧れたし、大学時代を都会で過ごした時にはずっとここにいたいって思ったそうです。
都会に出たくはないか?という質問は出版社の9割が東京に集中してることとも関係していて、確かに利便性を考えると東京が良い。だけど、編集者の方も温泉に入りがてら来てくれるしねって笑顔でおっしゃっていました!



生活の場としての美作についても言及され、美作に限らず普段なかなか(自分が住んでいる土地の)美しさが分からないとおっしゃっていました。旧跡や名所じゃない場所でも自分の住んでいる、生活している街の美しさが分からない。つまり気付くことが難しいと。気付く心さえあれば、何気ない道端の花にも美しさを見つけだせるとのこと。あさのさんは、写真を見て気付いたとおっしゃっていました。なるほどと思いました。私が地元の素敵なところは?って尋ねられたら、お城を挙げる。お城以外何もないよって言ってしまうと思う。だけど、それだけじゃないんだよということを教えられました。近所の山に沈む夕日だったりそこに生きる人たちの息づかいなどたくさん美しいところや、素晴らしいところがあるのだ。



【幼少時代から大学生まで】
本を全く読まない子どもだったそうです。山や川や谷があり遊ぶ場所には事欠かなかったので元気に遊んでいたそうです。しかし、中学生の時、シャーロックホームズにはまり海外ミステリーを読むようになったそうです。そこで、「物語とはこういうものなんだ!」と思われたそうです。ここにはないものをリアルに感じさせる‐。行ったこともない土地の様子がありありと浮かぶことをすごく感じられたそうです。
読書抜きではどんな子どもだったかというと、いい子でいようとしていたそうです。
高校生の時に、学校の宿題で初めて小説らしきものを書いて、先生が感想を赤でびっしり書いてくれたそうです。しかも今も残ってるらしい!!ファンとしては読みたい。
書きたいという思いがその頃からあって大学に入ってから児童文学と出会ったそうです。サークル活動で何か書ける所を探していて、友達についていったのが児童文学のサークル。そこで初めて児童文学に出会われたそうです。児童文学って子どもの読むものだと思っていたら、そこには愛だったり、生きるとはどういうことかなどがきちっと描かれていて、とても驚いたと。


大学を卒業してからは就活に失敗して、地元に戻り代用教員‐今でいう非常勤講師をしていたそうです。それも、夏休みや春休みなど休みがいっぱいあってその時間に書けるっていう思いもあって選んだそうです。2年間先生をされて、その間は自分なりに精一杯勉強して教師をやったとおっしゃっていました。だけど、今以上の力で子供たちと向き合っていけないと思って辞められたそうです。何気なく「先生はいいかげんだ」と、児童に言われて、書きながらだったけど手を抜いているつもりはなかったあさのさんは強烈にこの言葉が響いたそうです。この経験から「全ての仕事は貴いけれど、生の人間に向かい合う仕事は、本気で向かい合わなければならない」とおっしゃっていて、本当にそうだなと思いました。本気で向かい合わなければ子どもには分かる。子どもじゃなくても、この人本気でやってないなって分かっちゃう。





【ものを書くということ】
37歳でデビューしたあさのさんは、比較的遅めのデビューと言えます。それまでに結婚、出産もして子育てに追われていました。だけど、それまでにやってきたことに何一つとしていらないものはないと断言されました。すべてが書く糧になると。
例えば、殺人。人としてはマイナスなことだけど、それすらも書く糧になる。殺人を犯した人の気持ちはその人にしか書けないものかもしれない。あるいは、耐えがたい悲しみに襲われてもそれすらも書く糧になる。悲惨な経験すらも心の隅で「書ける」と思う。この言葉にはどきりとさせられました。作家の性とでも言いましょうか、ほんとに書く人なんだなと思いました。


すべてが書く糧になる。いらないものはない。無駄になるものは何もない。繰り返しこれらのことをおっしゃっていて、書くこと以外でも通じる考え方だなと思いました。仕事だったりこれからの人生だったり、そこまで大きく考えなくても一年後の自分だったり、いらないことや無駄なことって何にもないんだなって思います。それが辛かったり悲しかったりしてもそういう風に考えていきたいなって思いました。



物語を書きたい人以外でも「今の自分を文章で書き留めること」を勧めてらっしゃいました。「自分で自分の想い、生きてきた時間をぜひ残してほしい」と。あさのさんご自身は、パソコンで書いているけど紙とペンさえあればどこででもすぐにできるとおっしゃっていました。




【創作のモチベーション】書く人はどんな環境でも書く。まずこれをおっしゃっていました。「読む」より「書く」のはものすごくエネルギーがいる。だから言い訳をしてしまうと。時間が足りない、疲れている…など。だから、たとえ細い灯になろうとも「書く」エネルギーを絶やさないことが大事。
また、思いを捨てないこと。全ての経験が血肉となる。
書くことに年齢制限はない。唯一制限があるとしたらそれは「書く」ことを諦める、諦められるという一線。だけどそれは決して悪いことではないとおっしゃっていました。次のステップへ行くのだと。その人は、書くべき人ではなかっただけなのだと。



初めて本を出版した時は、夢が叶ったというのとはイコールではなかったそうです。この辺り、詳しいことは忘れてしまいました(汗)


【あさの作品について】

少女から少年へ


書く作業は全部自分でどこか自分を投影しているそうです。『あかね色の風』では主人公のを書きたかったそうです。少女は自分と同じ性だしかつては自分も少女だった。少女は自分。だけど「少年」は分からない。分かるために書く。あさのさんにとって分かるためには書くしかないのだとおっしゃっていました。そこから『バッテリー』の巧が生まれたそうです。



〈疼き〉


『バッテリー』の巧の話から重松さんが言っていたことと、とても近いものを感じました。
女性からたくさん私も巧のように生きたかったってお便りをたくさんもらったとおっしゃっていて、巧のように自分を曲げずに押し通す生き方がしたかったって自分が抱えていた「疼き」を巧によって気付かされたとでも言いましょうか。

この「疼き」と重松さんの言っていた「傷を創る」や誰かの傷をかりかりとこすることが物語を創るということだ(若干意味変わってるかも。詳しくは過去ログ参照)というのと通じるなぁと思いました。
あさのさんの巧もたくさんの読者の巧のように自分を通せなかったっていう疼きに読者が心動かされた訳だけど、そういう読者の傷をかりかりと巧の物語がひっかいたということなんだなと思いました。



同性の関係


あさの作品では同性の関係がよく描かれている。私も読んでいて感じます。なぜ、よく描かれているのか。それは「型にはめられにくい」からだそうです。異性であればたちまち恋人という型にはめられてしまう。人と人との関係性、名付けようのない関係は同性の方が書きやすいとおっしゃっていました。親子という関係の中だけでも、愛情だけじゃなく時には憎かったりしていろんな感情を抱いて関係性は変わるというようなことをおっしゃっていました。



ジャンル


少年少女のお話からSF、時代小説とジャンルの幅を広げて活躍するあさのさんのジャンルに対する考え方は、ジャンルという意識は全くないということでした。どういう人間を書きたいかそれだけだそうです。
時代小説は、現代よりシンプルな分関係をより先鋭に書けるとおっしゃっていました。現代は複雑すぎると。確かに江戸時代と比べると現代は複雑すぎる。
他に時代小説ではカタカナが一切使えないし、他にも使えない言葉がある。それをどう置き換えるかもなかなか難しいが鍛えてもらっているとおっしゃっていました。また、日本語の深さや美しさにふれ、豊かな言葉だなと感じるそうです。私も言葉に興味があるので激しく日本語の豊かさや美しさには同意。

SFではイメージする力をフルにしてこれも鍛えてもらっているとのことでした。


風景


インタビュアーの方はあさのさんが書く闇が好きだと言っていましたが、私はあさのさんが書く秋の風景が好きです。闇については、あさのさんは書けると思っているとおっしゃっていました。地元の山にある山の闇を。山というのは世界を区切っているという言葉に山の重さや暗さや大きさを感じました。







人を書く、どういう人物が書きたいかその芯さえ通っていれば、文章が下手でもかまわない。書けば文章は自然と上手くなるという言葉は印象に残りました。



あさの作品の魅力の源の一端に触れることができてとても嬉しかったです。自分を育んでくれた土地で生み出す言葉だから心に響くのだなと感じたし、素敵な風景もいつかどこかで目にしたものが小説の中で活かされているんだなと感じました。何より書くということはどういうことか、またあさのさんの書きたいという情熱が感じられました。



最後に、地震に関しておっしゃったことは今は「言葉」はいらない。救援物資や直接の支援が必要なんだと話されていました。時間が経てば、私たちがかける言葉だったり被災者の方達の言葉に耳を傾けることも必要になるでしょうと。
そして、何より空虚な言葉、実のない(字あってる?)言葉は使わないようにしようと思うと、おっしゃった姿に心打たれるものがありました。被災者のたった一言の言葉で救われ、胸がいっぱいになったエピソードからの話でした。そういう人のためにも空虚な言葉は使わない。重い言葉だなと感じました。私も上っ面だけの言葉は使わないように気を付けようと思いました。


濃い時間を過ごせました。熱い思いにふれられて、刺激になりました!