うさぎの耳

大学卒業→社会人→看護学校→6年目ナース
読書の記録と日々の出来事。

あさのあつこ氏トークショー「風景と物語」

2011年04月04日 15時50分54秒 | 2011(うさぎ年)
3/23/2011

地元の文学館で作家あさのあつこさんのトークショーがありました。彼女の作品のファンなので事前に往復ハガキで申し込み受講券をゲットしました。



大学生の時に、同じような感じで重松清さんの講演をやはり同じ文学館へ聞きに行ったことがあります。その時に聴いた事と重なる部分があり、とても面白かったです。
そして、重松さんの時には質疑応答が一切なかったのですが、今回は事前に質問したいことを募集し、できるだけ反映させるというスタイルでした。他にも違ったのが重松さんの時はお一人で話されてたけど、今回はインタビュアーというか学芸員さんが話を伺う形式で文学館に対する印象がアップしました!この形式の方が良かったです。



まず、現在もお住まいの美作(岡山)を創作の地としてどう感じているかという話をし、どんな子どもだったかということを小中高大と順を追って話を聞きました。その中で「物を書く」ということについて、創作のモチベーション、さらに作品の題材についてなどについての話を伺いました。



事前に募集した質問はこれから書きたい人つまり小説家になりたい人に参考になるような質問が多かったように思います。



最後にインタビュアーの学芸員さんが、今回の地震に関して言葉の可能性というか力について質問され、印象に残りました。



【創作の地・美作】
あさのあつこさんは大学時代以外を故郷美作で過ごされ、現在もお住まいです。「物を書く」に当たって感覚が大事だとおっしゃっていました。匂いだったり皮膚感覚だったり、どのように感じるかが大事。そして、美作でその感覚を育てられてきたので切り離して考えることが出来ないとおっしゃっていました。都会に出たくはないか?とよく質問されるそうですが、やはり美作で育まれた感覚と切り離して考えられないとのことでした。もちろん若い頃は都会に憧れたし、大学時代を都会で過ごした時にはずっとここにいたいって思ったそうです。
都会に出たくはないか?という質問は出版社の9割が東京に集中してることとも関係していて、確かに利便性を考えると東京が良い。だけど、編集者の方も温泉に入りがてら来てくれるしねって笑顔でおっしゃっていました!



生活の場としての美作についても言及され、美作に限らず普段なかなか(自分が住んでいる土地の)美しさが分からないとおっしゃっていました。旧跡や名所じゃない場所でも自分の住んでいる、生活している街の美しさが分からない。つまり気付くことが難しいと。気付く心さえあれば、何気ない道端の花にも美しさを見つけだせるとのこと。あさのさんは、写真を見て気付いたとおっしゃっていました。なるほどと思いました。私が地元の素敵なところは?って尋ねられたら、お城を挙げる。お城以外何もないよって言ってしまうと思う。だけど、それだけじゃないんだよということを教えられました。近所の山に沈む夕日だったりそこに生きる人たちの息づかいなどたくさん美しいところや、素晴らしいところがあるのだ。



【幼少時代から大学生まで】
本を全く読まない子どもだったそうです。山や川や谷があり遊ぶ場所には事欠かなかったので元気に遊んでいたそうです。しかし、中学生の時、シャーロックホームズにはまり海外ミステリーを読むようになったそうです。そこで、「物語とはこういうものなんだ!」と思われたそうです。ここにはないものをリアルに感じさせる‐。行ったこともない土地の様子がありありと浮かぶことをすごく感じられたそうです。
読書抜きではどんな子どもだったかというと、いい子でいようとしていたそうです。
高校生の時に、学校の宿題で初めて小説らしきものを書いて、先生が感想を赤でびっしり書いてくれたそうです。しかも今も残ってるらしい!!ファンとしては読みたい。
書きたいという思いがその頃からあって大学に入ってから児童文学と出会ったそうです。サークル活動で何か書ける所を探していて、友達についていったのが児童文学のサークル。そこで初めて児童文学に出会われたそうです。児童文学って子どもの読むものだと思っていたら、そこには愛だったり、生きるとはどういうことかなどがきちっと描かれていて、とても驚いたと。


大学を卒業してからは就活に失敗して、地元に戻り代用教員‐今でいう非常勤講師をしていたそうです。それも、夏休みや春休みなど休みがいっぱいあってその時間に書けるっていう思いもあって選んだそうです。2年間先生をされて、その間は自分なりに精一杯勉強して教師をやったとおっしゃっていました。だけど、今以上の力で子供たちと向き合っていけないと思って辞められたそうです。何気なく「先生はいいかげんだ」と、児童に言われて、書きながらだったけど手を抜いているつもりはなかったあさのさんは強烈にこの言葉が響いたそうです。この経験から「全ての仕事は貴いけれど、生の人間に向かい合う仕事は、本気で向かい合わなければならない」とおっしゃっていて、本当にそうだなと思いました。本気で向かい合わなければ子どもには分かる。子どもじゃなくても、この人本気でやってないなって分かっちゃう。





【ものを書くということ】
37歳でデビューしたあさのさんは、比較的遅めのデビューと言えます。それまでに結婚、出産もして子育てに追われていました。だけど、それまでにやってきたことに何一つとしていらないものはないと断言されました。すべてが書く糧になると。
例えば、殺人。人としてはマイナスなことだけど、それすらも書く糧になる。殺人を犯した人の気持ちはその人にしか書けないものかもしれない。あるいは、耐えがたい悲しみに襲われてもそれすらも書く糧になる。悲惨な経験すらも心の隅で「書ける」と思う。この言葉にはどきりとさせられました。作家の性とでも言いましょうか、ほんとに書く人なんだなと思いました。


すべてが書く糧になる。いらないものはない。無駄になるものは何もない。繰り返しこれらのことをおっしゃっていて、書くこと以外でも通じる考え方だなと思いました。仕事だったりこれからの人生だったり、そこまで大きく考えなくても一年後の自分だったり、いらないことや無駄なことって何にもないんだなって思います。それが辛かったり悲しかったりしてもそういう風に考えていきたいなって思いました。



物語を書きたい人以外でも「今の自分を文章で書き留めること」を勧めてらっしゃいました。「自分で自分の想い、生きてきた時間をぜひ残してほしい」と。あさのさんご自身は、パソコンで書いているけど紙とペンさえあればどこででもすぐにできるとおっしゃっていました。




【創作のモチベーション】書く人はどんな環境でも書く。まずこれをおっしゃっていました。「読む」より「書く」のはものすごくエネルギーがいる。だから言い訳をしてしまうと。時間が足りない、疲れている…など。だから、たとえ細い灯になろうとも「書く」エネルギーを絶やさないことが大事。
また、思いを捨てないこと。全ての経験が血肉となる。
書くことに年齢制限はない。唯一制限があるとしたらそれは「書く」ことを諦める、諦められるという一線。だけどそれは決して悪いことではないとおっしゃっていました。次のステップへ行くのだと。その人は、書くべき人ではなかっただけなのだと。



初めて本を出版した時は、夢が叶ったというのとはイコールではなかったそうです。この辺り、詳しいことは忘れてしまいました(汗)


【あさの作品について】

少女から少年へ


書く作業は全部自分でどこか自分を投影しているそうです。『あかね色の風』では主人公のを書きたかったそうです。少女は自分と同じ性だしかつては自分も少女だった。少女は自分。だけど「少年」は分からない。分かるために書く。あさのさんにとって分かるためには書くしかないのだとおっしゃっていました。そこから『バッテリー』の巧が生まれたそうです。



〈疼き〉


『バッテリー』の巧の話から重松さんが言っていたことと、とても近いものを感じました。
女性からたくさん私も巧のように生きたかったってお便りをたくさんもらったとおっしゃっていて、巧のように自分を曲げずに押し通す生き方がしたかったって自分が抱えていた「疼き」を巧によって気付かされたとでも言いましょうか。

この「疼き」と重松さんの言っていた「傷を創る」や誰かの傷をかりかりとこすることが物語を創るということだ(若干意味変わってるかも。詳しくは過去ログ参照)というのと通じるなぁと思いました。
あさのさんの巧もたくさんの読者の巧のように自分を通せなかったっていう疼きに読者が心動かされた訳だけど、そういう読者の傷をかりかりと巧の物語がひっかいたということなんだなと思いました。



同性の関係


あさの作品では同性の関係がよく描かれている。私も読んでいて感じます。なぜ、よく描かれているのか。それは「型にはめられにくい」からだそうです。異性であればたちまち恋人という型にはめられてしまう。人と人との関係性、名付けようのない関係は同性の方が書きやすいとおっしゃっていました。親子という関係の中だけでも、愛情だけじゃなく時には憎かったりしていろんな感情を抱いて関係性は変わるというようなことをおっしゃっていました。



ジャンル


少年少女のお話からSF、時代小説とジャンルの幅を広げて活躍するあさのさんのジャンルに対する考え方は、ジャンルという意識は全くないということでした。どういう人間を書きたいかそれだけだそうです。
時代小説は、現代よりシンプルな分関係をより先鋭に書けるとおっしゃっていました。現代は複雑すぎると。確かに江戸時代と比べると現代は複雑すぎる。
他に時代小説ではカタカナが一切使えないし、他にも使えない言葉がある。それをどう置き換えるかもなかなか難しいが鍛えてもらっているとおっしゃっていました。また、日本語の深さや美しさにふれ、豊かな言葉だなと感じるそうです。私も言葉に興味があるので激しく日本語の豊かさや美しさには同意。

SFではイメージする力をフルにしてこれも鍛えてもらっているとのことでした。


風景


インタビュアーの方はあさのさんが書く闇が好きだと言っていましたが、私はあさのさんが書く秋の風景が好きです。闇については、あさのさんは書けると思っているとおっしゃっていました。地元の山にある山の闇を。山というのは世界を区切っているという言葉に山の重さや暗さや大きさを感じました。







人を書く、どういう人物が書きたいかその芯さえ通っていれば、文章が下手でもかまわない。書けば文章は自然と上手くなるという言葉は印象に残りました。



あさの作品の魅力の源の一端に触れることができてとても嬉しかったです。自分を育んでくれた土地で生み出す言葉だから心に響くのだなと感じたし、素敵な風景もいつかどこかで目にしたものが小説の中で活かされているんだなと感じました。何より書くということはどういうことか、またあさのさんの書きたいという情熱が感じられました。



最後に、地震に関しておっしゃったことは今は「言葉」はいらない。救援物資や直接の支援が必要なんだと話されていました。時間が経てば、私たちがかける言葉だったり被災者の方達の言葉に耳を傾けることも必要になるでしょうと。
そして、何より空虚な言葉、実のない(字あってる?)言葉は使わないようにしようと思うと、おっしゃった姿に心打たれるものがありました。被災者のたった一言の言葉で救われ、胸がいっぱいになったエピソードからの話でした。そういう人のためにも空虚な言葉は使わない。重い言葉だなと感じました。私も上っ面だけの言葉は使わないように気を付けようと思いました。


濃い時間を過ごせました。熱い思いにふれられて、刺激になりました!