ぶらぶら人生

心の呟き

体験者と非体験者

2017-08-17 | 身辺雑記
昨日、『天声人語』(8月9日)の書き写しをしていて、考えさせられることがあった。
8月9日といえば、長崎に原爆が投下された日であり、この日のコラムは、今年2月に逝去された、作家・林京子さんに関わることであった。(『祭りの場』を始め、被爆体験をテーマにした小説やエッセイを書いて来られたことは、周知されている。)
コラムの最終段落に、林さんの文章からの引用として、丸木俊さんの言葉が記されていた。

「体験しなければわからぬほど、お前は馬鹿か」

と。
丸木俊さんの言葉が、どういう文脈の中で綴られたものか、また林京子さんが、どんな場面で引用しておられるのかもよく分からない。
ただ、この場合の<体験>は、林京子さんと丸木俊さんとの共通項である<原爆体験(戦争体験)>のことであろう。
書き写しのペンを止め、<うーん>と、考え込んだのである。

非体験者が、<お前は馬鹿か>と言われないレベル(体験者と同じレベル)に、自己を高めるのは、容易なことではない! と。
地上に芽生えた植物が、日を重ねればひとりでに成長するようなわけにはゆかない。
私自身、学ばなかったこと、体験しなかったことについては、<お前は馬鹿か>と罵られても仕方ないほど無知である。
その自己反省に基づいて、学ぶことと、思考することの大事さを思う。

戦争を体験しなかった人の数は、年々増えてゆく。
72歳以下は、戦後生まれであり、戦争の非体験者である。
しかし、その中には、歴史を深く学び、自ら思考することによって、体験者の境地を十分分かっておられる人もある。
が、かなりの人は、日々勤勉に働くだけで、過去100年の歴史に無関心過ぎはしないだろうか。

学校の教育でも、歴史ついては、過去から現代へではなく、まず近代史・現代史から学ばせたらどうだろう?
指導者が間違って、教育勅語を教えたりしたら、これまた大変なことであるけれど……。
まず正しく過去を認識することなしには、より良い未来は開けないのではないか?
自己反省をこめ、ぺんを止めて、考えたのであった。
正しく教え、正しく学ばせることこそ、不可欠ではないだろうか! と。

(老女なりに、真剣に考えたのでした。)
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一日が終わり、一日が始まる

2017-08-17 | 身辺雑記
8月16日の落日




8月17日の朝陽




こともなく一日が終わり、
こともなく一日が始まる。


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