ぶらぶら人生

心の呟き

11月の庭 (シクラメンを発見)

2014-11-18 | 草花舎の四季
 朝から、雨が激しく降ったり止んだりの一日だった。
 ここ数日、活字ばかり眺めていたので、少々疲れた。

 草花舎で食事をしてこようかと考えているうちに、冷たい雨が激しくなった。
 外出を諦めて、家で食事。

 2時半を過ぎて、ひととき、青空がのぞいた。
 散歩がてら、傘を持って出かけることにした。

 草花舎まで歩く。
 カメラを手にし、雨後の庭に出てみた。

 紫陽花の大きな葉の紅葉が美しく、それを撮ろうと近づいたとき、葉陰に咲いている花を見つけた。
 こんなところに花があったかしら?
 よく見る花!
 と、思いつつ、とっさに名前が出てこない。

 瀬戸内寂聴さんの本に、<人の名前だけでなく、花の名前も思い出せない>とあるのを読んで、私も同じだと思った。
 が、寂聴さんに比べれば、私は10歳若い。

 にもかかわらず、固有名詞に限らず、言いたい言葉を度忘れすることがしばしばである。
 頭の中の引き出しを一生懸命探しても、全く思い出せない場合がよくある。
 諦めていると、ふとしたはずみに、湧くように出てくる。
 数時間経って、あるいは数日が経ってから、思い出したりする。

 老いて、頭の働きが鈍くなった。
 考えたり書いたりする時の、能率の悪さ!!

 悩んでも仕方なく、赤瀬川原平さんにならって、《老人力》が、ますますついたと思うことにしている。
 だが、何とも歯がゆい思いである。
 こんなはずではなかった、と。

 庭を一回りしているうちに、「シクラメン」という、花の名前が出てきた。
 でも、昨年も、あの位置に咲いていたかしら? と、半信半疑である。

 そこで、Yさんに尋ねた。
 やはり、シクラメンであった。
 上品な色の花である。

 Yさんは、まだ花には気づいておられなかった。
 「咲いてる? あそこに、根を投げ捨てておいたの」
 と、さっそく庭に出て行かれた。
 一輪折り取ってきて、硝子の花瓶に入れられた。
 葉も添えて。

 その葉に気づけば、シクラメンであることを疑わなかっただろう。

 庭のあちこちに、八つ手の花も咲き始めている。
 初冬の気配である。

 落葉樹には、まだ赤い葉が残っている。
 けれども、裸木になるまでに、そう時間はかからないだろう。

      

  

      

  

 
 コーヒーとケーキをいただく。

           

        
 その後、Yさんに、高倉健さんの訃報や瀬戸内寂聴さんの闘病について伝える。

 出かける前、寂聴さんについて調べたいことがあり、タブレットを開いた。
 その画面に、いきなり飛び込んだのは、高倉健さんの死亡を伝えるニュースであった。
 <今月10日に、悪性リンパ腫で死去。83歳没と。>
 
 瀬戸内寂聴さんの項を、改めて開くと、これまた予想をしないニュースが飛び込んできた。
 <半年ぶりの執筆手記「92歳の闘病」>と題した「京都新聞」の記事である。
 背骨の圧迫骨折や胆のうがんを患い、5月以降、2度入院、今は自宅療養をなさっている、と。

 訃報や闘病の話は、寂しい限りだ。
 生ある者にとって、病も死も、必定のこととは思いながら。


               以下、室内の花など。          

  

  
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