朝から、雨が激しく降ったり止んだりの一日だった。
ここ数日、活字ばかり眺めていたので、少々疲れた。
草花舎で食事をしてこようかと考えているうちに、冷たい雨が激しくなった。
外出を諦めて、家で食事。
2時半を過ぎて、ひととき、青空がのぞいた。
散歩がてら、傘を持って出かけることにした。
草花舎まで歩く。
カメラを手にし、雨後の庭に出てみた。
紫陽花の大きな葉の紅葉が美しく、それを撮ろうと近づいたとき、葉陰に咲いている花を見つけた。
こんなところに花があったかしら?
よく見る花!
と、思いつつ、とっさに名前が出てこない。
瀬戸内寂聴さんの本に、<人の名前だけでなく、花の名前も思い出せない>とあるのを読んで、私も同じだと思った。
が、寂聴さんに比べれば、私は10歳若い。
にもかかわらず、固有名詞に限らず、言いたい言葉を度忘れすることがしばしばである。
頭の中の引き出しを一生懸命探しても、全く思い出せない場合がよくある。
諦めていると、ふとしたはずみに、湧くように出てくる。
数時間経って、あるいは数日が経ってから、思い出したりする。
老いて、頭の働きが鈍くなった。
考えたり書いたりする時の、能率の悪さ!!
悩んでも仕方なく、赤瀬川原平さんにならって、《老人力》が、ますますついたと思うことにしている。
だが、何とも歯がゆい思いである。
こんなはずではなかった、と。
庭を一回りしているうちに、「シクラメン」という、花の名前が出てきた。
でも、昨年も、あの位置に咲いていたかしら? と、半信半疑である。
そこで、Yさんに尋ねた。
やはり、シクラメンであった。
上品な色の花である。
Yさんは、まだ花には気づいておられなかった。
「咲いてる? あそこに、根を投げ捨てておいたの」
と、さっそく庭に出て行かれた。
一輪折り取ってきて、硝子の花瓶に入れられた。
葉も添えて。
その葉に気づけば、シクラメンであることを疑わなかっただろう。
庭のあちこちに、八つ手の花も咲き始めている。
初冬の気配である。
落葉樹には、まだ赤い葉が残っている。
けれども、裸木になるまでに、そう時間はかからないだろう。
コーヒーとケーキをいただく。
その後、Yさんに、高倉健さんの訃報や瀬戸内寂聴さんの闘病について伝える。
出かける前、寂聴さんについて調べたいことがあり、タブレットを開いた。
その画面に、いきなり飛び込んだのは、高倉健さんの死亡を伝えるニュースであった。
<今月10日に、悪性リンパ腫で死去。83歳没と。>
瀬戸内寂聴さんの項を、改めて開くと、これまた予想をしないニュースが飛び込んできた。
<半年ぶりの執筆手記「92歳の闘病」>と題した「京都新聞」の記事である。
背骨の圧迫骨折や胆のうがんを患い、5月以降、2度入院、今は自宅療養をなさっている、と。
訃報や闘病の話は、寂しい限りだ。
生ある者にとって、病も死も、必定のこととは思いながら。
以下、室内の花など。
ここ数日、活字ばかり眺めていたので、少々疲れた。
草花舎で食事をしてこようかと考えているうちに、冷たい雨が激しくなった。
外出を諦めて、家で食事。
2時半を過ぎて、ひととき、青空がのぞいた。
散歩がてら、傘を持って出かけることにした。
草花舎まで歩く。
カメラを手にし、雨後の庭に出てみた。
紫陽花の大きな葉の紅葉が美しく、それを撮ろうと近づいたとき、葉陰に咲いている花を見つけた。
こんなところに花があったかしら?
よく見る花!
と、思いつつ、とっさに名前が出てこない。
瀬戸内寂聴さんの本に、<人の名前だけでなく、花の名前も思い出せない>とあるのを読んで、私も同じだと思った。
が、寂聴さんに比べれば、私は10歳若い。
にもかかわらず、固有名詞に限らず、言いたい言葉を度忘れすることがしばしばである。
頭の中の引き出しを一生懸命探しても、全く思い出せない場合がよくある。
諦めていると、ふとしたはずみに、湧くように出てくる。
数時間経って、あるいは数日が経ってから、思い出したりする。
老いて、頭の働きが鈍くなった。
考えたり書いたりする時の、能率の悪さ!!
悩んでも仕方なく、赤瀬川原平さんにならって、《老人力》が、ますますついたと思うことにしている。
だが、何とも歯がゆい思いである。
こんなはずではなかった、と。
庭を一回りしているうちに、「シクラメン」という、花の名前が出てきた。
でも、昨年も、あの位置に咲いていたかしら? と、半信半疑である。
そこで、Yさんに尋ねた。
やはり、シクラメンであった。
上品な色の花である。
Yさんは、まだ花には気づいておられなかった。
「咲いてる? あそこに、根を投げ捨てておいたの」
と、さっそく庭に出て行かれた。
一輪折り取ってきて、硝子の花瓶に入れられた。
葉も添えて。
その葉に気づけば、シクラメンであることを疑わなかっただろう。
庭のあちこちに、八つ手の花も咲き始めている。
初冬の気配である。
落葉樹には、まだ赤い葉が残っている。
けれども、裸木になるまでに、そう時間はかからないだろう。
コーヒーとケーキをいただく。
その後、Yさんに、高倉健さんの訃報や瀬戸内寂聴さんの闘病について伝える。
出かける前、寂聴さんについて調べたいことがあり、タブレットを開いた。
その画面に、いきなり飛び込んだのは、高倉健さんの死亡を伝えるニュースであった。
<今月10日に、悪性リンパ腫で死去。83歳没と。>
瀬戸内寂聴さんの項を、改めて開くと、これまた予想をしないニュースが飛び込んできた。
<半年ぶりの執筆手記「92歳の闘病」>と題した「京都新聞」の記事である。
背骨の圧迫骨折や胆のうがんを患い、5月以降、2度入院、今は自宅療養をなさっている、と。
訃報や闘病の話は、寂しい限りだ。
生ある者にとって、病も死も、必定のこととは思いながら。
以下、室内の花など。
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