部屋に寛ぐと、目の前に広い庭が広がる。その庭はそれに続く低い山を借景としている。今は緑が多く、色彩的には変化に乏しい眺めだが、四季折々、庭の風情を楽しめるよう樹木が植えられ、その種類は豊富だ。
都会の騒音と無縁の、田舎の持つよさが、一帯に広がっている。
十室だけの小規模な湯宿だが、どの部屋もみな、庭に面して窓が開かれている。
<草庵>の名が、似つかわしい宿である。
飛騨の高山から、古民家を移築して造られたというお食事処は、宿泊施設とは棟を異にしており、それだけで雰囲気を楽しめるようになっている。
夜の明かりが、いっそう趣を演出する趣向になっている。
料理は、夜も朝も、ひときわ工夫が凝らされていて、味は申し分なく美味、目にも美しくて、大満足だった。
今朝(6月28日)、宿を出る前にいただいたコーヒーも、喫茶室のテーブルや椅子の一つ一つが吟味されているため、その雰囲気もプラスされて、いっそう美味しくいただくことができた。
夜がふけると、しじまの中を、庭池の蛙たちが大合唱を始めた。が、不思議なことに、ずっと鳴き続けるのではなく、しばし鳴き止んでは、しんと静まる瞬間がある。まるで一つの楽章から次の楽章に移る間をとっているかのように。
日本的な、古い良さを存分味わうことのできる湯宿「草庵」は、昼も夜も、ひっそりとしていて、ひとりでに心を和ませてくれる、いい宿だった。
雅や静寂を好む人には、きっと喜ばれる湯宿であろう。
都会の騒音と無縁の、田舎の持つよさが、一帯に広がっている。
十室だけの小規模な湯宿だが、どの部屋もみな、庭に面して窓が開かれている。
<草庵>の名が、似つかわしい宿である。
飛騨の高山から、古民家を移築して造られたというお食事処は、宿泊施設とは棟を異にしており、それだけで雰囲気を楽しめるようになっている。
夜の明かりが、いっそう趣を演出する趣向になっている。
料理は、夜も朝も、ひときわ工夫が凝らされていて、味は申し分なく美味、目にも美しくて、大満足だった。
今朝(6月28日)、宿を出る前にいただいたコーヒーも、喫茶室のテーブルや椅子の一つ一つが吟味されているため、その雰囲気もプラスされて、いっそう美味しくいただくことができた。
夜がふけると、しじまの中を、庭池の蛙たちが大合唱を始めた。が、不思議なことに、ずっと鳴き続けるのではなく、しばし鳴き止んでは、しんと静まる瞬間がある。まるで一つの楽章から次の楽章に移る間をとっているかのように。
日本的な、古い良さを存分味わうことのできる湯宿「草庵」は、昼も夜も、ひっそりとしていて、ひとりでに心を和ませてくれる、いい宿だった。
雅や静寂を好む人には、きっと喜ばれる湯宿であろう。
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