ぶらぶら人生

心の呟き

笹本恒子 写真・文 『恒子の昭和』

2015-05-15 | 身辺雑記
 笹本恒子さんの『恒子の昭和』は、配送予定より一日早く、10日に届いた。
 笹本さんの<昭和の報道写真集>である。

 前3冊の内容は(5月8日のブログ「溌溂人生」に紹介)、ご本人の生き方が語られたものであり、それはそれなりに、老いの身の現在や余生の生き方をについて考えさせられることが多かった。
 しかし、より深い感動をもってページをめくることができたのは、 『恒子の昭和』であった。


            
            本の表紙は、昭和28(1953)年の写真。
            北原怜子さん(1929~1958・社会奉仕家)を取り囲む子供たち。
            敗戦から8年を閲している。
            それでも、まだ戦後的風景である。



 笹本恒子さんは、大正・昭和・平成と生きて来られた。100歳でなおご活躍中である。
 女性報道家の草分けでいらっしゃる。
 都会では、戦前においても、女性の職業の選択肢が、田舎にくらべれば遥かに恵まれていたのだろう。

 私が就職した当時は、まだ職業婦人の少ない時代だった。
 が、働いて自立したい気持ちが強かった。
 自立することの大事な条件の一つは、金銭的に他を頼らないことであろう。
 養われるのではなく、自らの力で自分を養う。
 そのためには、当然、働かなければならない。
 私は、昭和の最後の年まで働いた。正確には平成元年の3月まで。(定年を待たずに退職)

 私の人生は、昭和の55年間と、平成の27年間である。(これから先のことは分からない)
 
 もう一度、人生のスタート点に立てるなら、私が歩んできた職業以外を選ぶだろうなと考える。
 とにかく一人でできる、創造的・独創的な道を選びたい。それが、私の性に合っているだろうと思う。

 今思い返せば、私は幼稚な少女だった。
 職種を多く知らなかったし、ぜひ何かをしたいという欲求もあまり持たなかった。
 時代や生きた環境が、大いに影響しているだろう。

 しかし、もう一度生きなおしたいとは、露程も思はない。
 私が歩んだ人生に対し、後悔はしてない。
 巡り会えた人たちのことを思うと、すでに鬼籍の人も含めて、自分の人生は、実に幸せであったと思う。
 

 この本の写真は、笹本さんの作品の一部なであろう。
 そのCONTENTSは、
 
  PART.1 [人々編]  昭和を生きた人々
  PART.2 [出来事編] 激動の昭和

 の二部からなっている。

 私はとりわけ、人物像に惹かれた。
 特に、太田薫・浅沼稲次郎・尾崎士郎・佐多稲子・徳富蘇峰・室生犀星・長谷川伸・坪井栄・井伏鱒二・沢村貞子・丸木俊・斎藤史・三岸節子・新藤兼人等々の、昭和を生きた(昭和まで生き延びられた)面面の、ある日・ある時の表情に魅せられる。
 まだまだたくさんの方々の写真が載っているのだが、個人的に関心のより強い人に引き付けられた。

 笹本恒子さんの報道写真家としての腕前は、確かなものだと感心した。
 写真家であるゆえに、昭和を代表する方々にお会い出来た幸せを、少々うらやましくも思う。
コメント
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