昼過ぎから、雨となる。
ひととき、雷鳴も轟いて。
昨日のお天気を<陽>とすれば、今日は<陰>。
体調も、<陽>から<陰>となった。
新年に備え、まず、カレンダーを取り換えたり、仏壇・神棚などのお供え物をしたりした。
そのあたりまでは、まずまずの体調だったが、その後、下腹部に不快感が生じ、排尿も近く、何をする気にもなれなくなった。
コーヒーを飲んだ後ではあったけれど。
掃除は、諦めていた。
が、1時間休憩したところ、<陰>は<陰>ながら、少し調子が回復した。
そこで、一通りの掃除をした。
<大掃除>という言葉は当たらないが、今年の塵を一応払ったことにする。
洗濯機は、乾燥までやってくれるので、ありがたい。
先日来、洗濯可能な敷物は、すべて洗った。
母の時代の洗濯は大変だった、と遠い昔を思い出しながら。
冬は、あかぎれの絶えなかった母の手を思い出す。
掃除にしても、掃除機のなかった時代だから、それはそれは大変だった。
それにもかかわらず、不平ひとつ言わずに、母はまめまめしく働いていた。
私は、どうもその気質を受け継がなかったらしい。
最近は、掃除機を重いと思う。
スイッチ一つで、塵を吸収する掃除機を、誰か発明してくれないものだろうか、と考えることしきりだ。
自動掃除機は一台買って使ってみたが、物のない廊下にしか役立たなかった。
それでも感謝して、存分使った。
使いすぎたせいか、寿命は短かった。(安物だったのかもしれない。)
おせち料理を一つも作らなかったのは、今年が初めてである。
掃除よりは、まだ料理の方が楽しい。
母に倣って、(品数を少しずつ減らしながら)お節らしきものを一通り作ってきたのだが、それも今年で途絶えた。
お店が発売するお重を買う気はない。
見た目は美しく出来ているけれど、嗜好に合わないものが結構あって、食べ残しを計算すれば、もったいない。
数の子など、最小限の食品を買っておいた。
お正月は、お雑煮があればいい。
しかし現在は、胃の調子をうかがいながらの食事になる。
好きでも、少し自重しなくてはいけない。
いろいろ思い通りにゆかないことも多々あった一年ではあるけれど、なんとか越年できそうだ。
感謝しなくてはならない。
多くの人に支えていただいて、365日を生きられたのだから。
就寝時、毎夜、ベッドに入ると、
<今日一日ありがとうございました。よい明日が迎えられますように!>
と、心で呟く。
その時、無意識的に、PCのキーを打っている。
今晩は、除夜の鐘を聞きながら、
ITINENNKANN、ARIGATOUGOZAIMASITA。
YOITOSIGAMUKAERARE、YOROKOBINOOOIHIBIGA、SUGOSEMASUYOUNI!
と心の中のキーを打ちながら、呟くだろう。
× × × × × × × ×
昨日、散歩から帰ると、崖の上の東の空に、白い昼の月が出ていた。
(下の写真では、月影が淡くて見えにくいけれど。)
小学生3人が、崖で遊んでいた。
「危ないから、やめなさい」
と言った時には、男の子ひとりが、ずるずると下の溝まで滑り落ちていた。
もうひとりの子は、下まで滑るには距離が長過ぎ、上の道まで引き返そうとするのだが、なかなか上がれず、ずいぶん苦労していた。
女の子は、隣の子である。
さすがに急勾配の崖を滑り降りたりはしない。
男の子ふたりをよく見ると、以前、玄関の<ピンポン>を鳴らしたり、水道水を流しっぱなしにしたりした、二子の兄弟だ。
次々遊びを発見するものだ。
田舎の子どもらしいと思いつつ、怪我は怖いし、崖を崩してもらっても困る。
「もう滑らないでね」
と、念を押しておく。
私は外に出ることが少ないので、今日初めて気づいたのだが、日ごろから、格好の遊び場にしているのかもしれない。
夜は、玄関先に、輝くお月さまが、上っていた。
メロン型のお月さまである。
昨夜は、満天の星空でもあった。
今晩は、月も星も、見えそうにない。
明日は、雪のお正月になるらしい。
(書く予定の原稿を、数件残してしまった。年が明けてから、投稿しよう。時期を問わない内容のものだから。)
ひととき、雷鳴も轟いて。
昨日のお天気を<陽>とすれば、今日は<陰>。
体調も、<陽>から<陰>となった。
新年に備え、まず、カレンダーを取り換えたり、仏壇・神棚などのお供え物をしたりした。
そのあたりまでは、まずまずの体調だったが、その後、下腹部に不快感が生じ、排尿も近く、何をする気にもなれなくなった。
コーヒーを飲んだ後ではあったけれど。
掃除は、諦めていた。
が、1時間休憩したところ、<陰>は<陰>ながら、少し調子が回復した。
そこで、一通りの掃除をした。
<大掃除>という言葉は当たらないが、今年の塵を一応払ったことにする。
洗濯機は、乾燥までやってくれるので、ありがたい。
先日来、洗濯可能な敷物は、すべて洗った。
母の時代の洗濯は大変だった、と遠い昔を思い出しながら。
冬は、あかぎれの絶えなかった母の手を思い出す。
掃除にしても、掃除機のなかった時代だから、それはそれは大変だった。
それにもかかわらず、不平ひとつ言わずに、母はまめまめしく働いていた。
私は、どうもその気質を受け継がなかったらしい。
最近は、掃除機を重いと思う。
スイッチ一つで、塵を吸収する掃除機を、誰か発明してくれないものだろうか、と考えることしきりだ。
自動掃除機は一台買って使ってみたが、物のない廊下にしか役立たなかった。
それでも感謝して、存分使った。
使いすぎたせいか、寿命は短かった。(安物だったのかもしれない。)
おせち料理を一つも作らなかったのは、今年が初めてである。
掃除よりは、まだ料理の方が楽しい。
母に倣って、(品数を少しずつ減らしながら)お節らしきものを一通り作ってきたのだが、それも今年で途絶えた。
お店が発売するお重を買う気はない。
見た目は美しく出来ているけれど、嗜好に合わないものが結構あって、食べ残しを計算すれば、もったいない。
数の子など、最小限の食品を買っておいた。
お正月は、お雑煮があればいい。
しかし現在は、胃の調子をうかがいながらの食事になる。
好きでも、少し自重しなくてはいけない。
いろいろ思い通りにゆかないことも多々あった一年ではあるけれど、なんとか越年できそうだ。
感謝しなくてはならない。
多くの人に支えていただいて、365日を生きられたのだから。
就寝時、毎夜、ベッドに入ると、
<今日一日ありがとうございました。よい明日が迎えられますように!>
と、心で呟く。
その時、無意識的に、PCのキーを打っている。
今晩は、除夜の鐘を聞きながら、
ITINENNKANN、ARIGATOUGOZAIMASITA。
YOITOSIGAMUKAERARE、YOROKOBINOOOIHIBIGA、SUGOSEMASUYOUNI!
と心の中のキーを打ちながら、呟くだろう。
× × × × × × × ×
昨日、散歩から帰ると、崖の上の東の空に、白い昼の月が出ていた。
(下の写真では、月影が淡くて見えにくいけれど。)
小学生3人が、崖で遊んでいた。
「危ないから、やめなさい」
と言った時には、男の子ひとりが、ずるずると下の溝まで滑り落ちていた。
もうひとりの子は、下まで滑るには距離が長過ぎ、上の道まで引き返そうとするのだが、なかなか上がれず、ずいぶん苦労していた。
女の子は、隣の子である。
さすがに急勾配の崖を滑り降りたりはしない。
男の子ふたりをよく見ると、以前、玄関の<ピンポン>を鳴らしたり、水道水を流しっぱなしにしたりした、二子の兄弟だ。
次々遊びを発見するものだ。
田舎の子どもらしいと思いつつ、怪我は怖いし、崖を崩してもらっても困る。
「もう滑らないでね」
と、念を押しておく。
私は外に出ることが少ないので、今日初めて気づいたのだが、日ごろから、格好の遊び場にしているのかもしれない。
夜は、玄関先に、輝くお月さまが、上っていた。
メロン型のお月さまである。
昨夜は、満天の星空でもあった。
今晩は、月も星も、見えそうにない。
明日は、雪のお正月になるらしい。
(書く予定の原稿を、数件残してしまった。年が明けてから、投稿しよう。時期を問わない内容のものだから。)