天野祐吉編 『笑う子規』 については、昨日のブログに書いた。
アマゾンに注文したもう一冊は、 『冬の本』 (2012年 夏葉社刊)であった。
<天野祐吉>で検索した折、この本の内容を十分確認しないまま、題名と表紙絵(装幀は和田誠さん)にひかれて注文した。
「冬の本」編集部の話によれば、<小さいけれど、たくさんの人が書いている本>・<「冬」と「本」、2つがそこにあるということを唯一のルールとして>編集された本、ということらしい。
なかなか洒落た発想の本である。
84人のエッセイ集。
天野祐吉さんは、『冬の本』に、84人の1人として、一文を寄せておられるだけであった。
「私の一冊」と題して。
その内容は、画家・谷内六郎さんの没後、遺されていた「落書病院日記」に感動し、現物のままを復刻版として、天野祐吉さんがつくられた話であった。
<六郎>の名に合わせ、696冊の限定本として。
いかにも、天野さんらしい。
エッセイの末尾は、
<復刻本ができた。冬の夜なんか、コタツに入って頁をめくっていると、心までポカポカとしてくるような
1冊となった。>
と、括っておられる。
谷内六郎さんといえば、「週刊新潮」の表紙絵を思い出す。
ほのぼのとした、どこか懐かしさのある絵が、思い浮かぶ。
PCで、「落書病院日記」を探してみたが、見つからなかった。限定本ゆえ、入手は無理な話だろう。
(『冬の本』の84人中、名前を知る人や題名から読んでみたいと思たった10作品を、今日読んだ。他の人たちの作品も、冬の夜の友として、読んでゆきたい。)
天野祐吉さんの逝去を機に、以前読んだ『隠居大学』 (2011年・朝日新聞出版)を本棚から取り出し、ページを繰った。
天野さんの人柄が、著名人6人(横尾忠則・外山滋比古・赤瀬川原平・谷川俊太郎・坪内稔典・安野光雅)との対談に滲み出ていて、とても味のある本であった。
珍しく読了日を、本の最終ページに書いていた。
一昨年の9月に読んでいる。
その頃のブログに感想を書いているのだろうが、過去のブログを開く気にもなれず、どんなことを書いたか、内容も思い出せない。
先日、朝日川柳で、天野祐吉さんをしのぶ作品を読んだ。
天気図を街の微風で書いた人 (神奈川県 梅若 茂晴)
達人の鮮やかすぎる店じまい (東京都 桜井 和子)
後者の川柳には、思わず肯いた。
私自身、同年の天野さんの逝去を惜しみつつも、<鮮やかすぎる店じまい>については、内心うらやましく思う気持ちがあったのだ。
アマゾンに注文したもう一冊は、 『冬の本』 (2012年 夏葉社刊)であった。
<天野祐吉>で検索した折、この本の内容を十分確認しないまま、題名と表紙絵(装幀は和田誠さん)にひかれて注文した。
「冬の本」編集部の話によれば、<小さいけれど、たくさんの人が書いている本>・<「冬」と「本」、2つがそこにあるということを唯一のルールとして>編集された本、ということらしい。
なかなか洒落た発想の本である。
84人のエッセイ集。
天野祐吉さんは、『冬の本』に、84人の1人として、一文を寄せておられるだけであった。
「私の一冊」と題して。
その内容は、画家・谷内六郎さんの没後、遺されていた「落書病院日記」に感動し、現物のままを復刻版として、天野祐吉さんがつくられた話であった。
<六郎>の名に合わせ、696冊の限定本として。
いかにも、天野さんらしい。
エッセイの末尾は、
<復刻本ができた。冬の夜なんか、コタツに入って頁をめくっていると、心までポカポカとしてくるような
1冊となった。>
と、括っておられる。
谷内六郎さんといえば、「週刊新潮」の表紙絵を思い出す。
ほのぼのとした、どこか懐かしさのある絵が、思い浮かぶ。
PCで、「落書病院日記」を探してみたが、見つからなかった。限定本ゆえ、入手は無理な話だろう。
(『冬の本』の84人中、名前を知る人や題名から読んでみたいと思たった10作品を、今日読んだ。他の人たちの作品も、冬の夜の友として、読んでゆきたい。)
天野祐吉さんの逝去を機に、以前読んだ『隠居大学』 (2011年・朝日新聞出版)を本棚から取り出し、ページを繰った。
天野さんの人柄が、著名人6人(横尾忠則・外山滋比古・赤瀬川原平・谷川俊太郎・坪内稔典・安野光雅)との対談に滲み出ていて、とても味のある本であった。
珍しく読了日を、本の最終ページに書いていた。
一昨年の9月に読んでいる。
その頃のブログに感想を書いているのだろうが、過去のブログを開く気にもなれず、どんなことを書いたか、内容も思い出せない。
先日、朝日川柳で、天野祐吉さんをしのぶ作品を読んだ。
天気図を街の微風で書いた人 (神奈川県 梅若 茂晴)
達人の鮮やかすぎる店じまい (東京都 桜井 和子)
後者の川柳には、思わず肯いた。
私自身、同年の天野さんの逝去を惜しみつつも、<鮮やかすぎる店じまい>については、内心うらやましく思う気持ちがあったのだ。