幾度も決意しながら、実行できないのが、朝の過ごし方である。
目覚めた後、新聞をベッドで読むことが習慣となっている私は、行動開始がまちまちである。朝日・読売の二紙をゆっくり読むと、8時を過ぎることが多い。時には9時前に起き出したりする。
今朝は、5時過ぎに新聞を読み始め、7時前に一応読み終えた。
珍しいことだが、同時に起床した。
起床後の手順は大体決まっている。
まず、骨粗鬆症の薬をコップ1杯の水で飲む。
次いで、パソコンを起動させておいて、顔を洗う。簡単な化粧をしたりしなかったり。
(化粧を怠った日に限り、突然の来客があったり、玄関で対面しなくてはならない配達人があったりするのは不思議である。)
今日は夕方、通夜に出かけなくてはならない。そこで、朝、簡単に化粧をした。
ささやかな化粧は、一日のスタートの心準備みたいなものだ。
きれいに見せようという意識はない。それは、若いときも、老いた今も。
骨粗鬆症の薬を飲んだら、30分はモノを口にしてはいけないことになっている。
そこで、起動されたパソコンの前に来て坐る。
受信メールの確認、次いで私のブログを開ける。
まず、ブログの訪問者数を確認する。最近は、書かない日も多いのだが、かなり多くの人が開いてくださっている。思いの外人数が多いと気分がいいし、<ばかばかしい!>と罵声を浴びない程度のものを書かねばと思う。
今朝は、「クオリア日記」を読んだ。
かの有名な茂木健一郎氏のブログである。
「クオリア日記」を読むことになったのは、全くの偶然だった。
先日、ショパンに関する番組(BSハイビジョン)※を見た。
横山幸雄のピアノで、ショパンの名曲を沢山聴くことができた。
また、この番組では、ジョルジュ・サンドの側からショパンが語られるという、新鮮な形をとっており、草笛光子の語りもよく、深い感銘を受けた。
この番組が、故・黒田恭一氏(音楽評論家)の遺稿に基づくものであることを知り、パソコンで調べた。その折、茂木氏の「クオリア日記」に出くわしたのだった。
私の開いたページ(2009年㋅4日)は、黒田恭一氏の訃報に接し、お悔やみを述べた文であった。そのページには、かつて二人が対談された時の写真が添えてあった。
いつの間にか横道に逸れ、黒田氏のことは横に置いて、暫く「クオリア日記」を読み続けたのだった。
※ プレミアム8
読まれなかったフレデリックへの手紙 ~ショパンを愛する人たちに捧ぐ~
この番組は、故・黒田恭一さんの未完の遺稿「朗読のための脚本」に基づく
もの。
出演 横山幸雄(ピアニスト)
コメンテーター 池田理代子
朗読 草笛光子
日常生活の中で、身体より脳が疲れると思うことがよくある。そして、そんなときは決まって生きる意欲が減退する。そうした折、書店で偶然求めて読んだのが、
『脳を活かす生活術』(茂木健一郎著)
『「脳にいいこと」だけをやりなさい!』(マーシー・シャイモフ著・茂木健一郎訳)
であった。
茂木健一郎との接点といえば、二冊の本を読んだだけである。
今回、その著者のブログがあることを知り、投稿された記事があれば、毎日読むことを日課にしようと決めたのだ。
最近の記事には、坂本龍馬に関連したものがある。
昨日今日は、<脱藩>ということについて書かれている。
昨日の題名は、「自分自身からの脱藩」となっていた。
<脱藩すべき真の相手は、組織でも、国でも、ある一つの文化でもない。本当に脱藩すべきなのは、これまでの自分、古い自分である。>
<自分自身から脱藩して初めて、人は偶有性のさわやかな風に身をさらすことができる。>
そんな表現に、「然り!」と肯くのであった。ダラダラとした生活にとっぷりつかり、脱藩など諦めきっている自らを自覚しながら…。
考えてみると、<脱藩>を諦めたときから、老化は加速するのかもしれない。
上記のブログには、70歳を過ぎてから絵筆をとった丸木マスさんの作品「梅が咲く」も添付されていた。
最近は、次第に身体を動かすことが少なくなりがちである。
そこで、もう一つ決めた朝の日課は、家の周囲を必ず一巡することである。雨が降っていれば、軒下の犬走を歩けばいい。
今朝も、小雨が落ちていた。
何か花が咲いていないかと見て歩いた。
<ムラサキシキブ>の小さな花が咲いているのに気づいた。
白い実になる花は白く、紫色の実になる花は淡いピンク色をしている。
目覚めた後、新聞をベッドで読むことが習慣となっている私は、行動開始がまちまちである。朝日・読売の二紙をゆっくり読むと、8時を過ぎることが多い。時には9時前に起き出したりする。
今朝は、5時過ぎに新聞を読み始め、7時前に一応読み終えた。
珍しいことだが、同時に起床した。
起床後の手順は大体決まっている。
まず、骨粗鬆症の薬をコップ1杯の水で飲む。
次いで、パソコンを起動させておいて、顔を洗う。簡単な化粧をしたりしなかったり。
(化粧を怠った日に限り、突然の来客があったり、玄関で対面しなくてはならない配達人があったりするのは不思議である。)
今日は夕方、通夜に出かけなくてはならない。そこで、朝、簡単に化粧をした。
ささやかな化粧は、一日のスタートの心準備みたいなものだ。
きれいに見せようという意識はない。それは、若いときも、老いた今も。
骨粗鬆症の薬を飲んだら、30分はモノを口にしてはいけないことになっている。
そこで、起動されたパソコンの前に来て坐る。
受信メールの確認、次いで私のブログを開ける。
まず、ブログの訪問者数を確認する。最近は、書かない日も多いのだが、かなり多くの人が開いてくださっている。思いの外人数が多いと気分がいいし、<ばかばかしい!>と罵声を浴びない程度のものを書かねばと思う。
今朝は、「クオリア日記」を読んだ。
かの有名な茂木健一郎氏のブログである。
「クオリア日記」を読むことになったのは、全くの偶然だった。
先日、ショパンに関する番組(BSハイビジョン)※を見た。
横山幸雄のピアノで、ショパンの名曲を沢山聴くことができた。
また、この番組では、ジョルジュ・サンドの側からショパンが語られるという、新鮮な形をとっており、草笛光子の語りもよく、深い感銘を受けた。
この番組が、故・黒田恭一氏(音楽評論家)の遺稿に基づくものであることを知り、パソコンで調べた。その折、茂木氏の「クオリア日記」に出くわしたのだった。
私の開いたページ(2009年㋅4日)は、黒田恭一氏の訃報に接し、お悔やみを述べた文であった。そのページには、かつて二人が対談された時の写真が添えてあった。
いつの間にか横道に逸れ、黒田氏のことは横に置いて、暫く「クオリア日記」を読み続けたのだった。
※ プレミアム8
読まれなかったフレデリックへの手紙 ~ショパンを愛する人たちに捧ぐ~
この番組は、故・黒田恭一さんの未完の遺稿「朗読のための脚本」に基づく
もの。
出演 横山幸雄(ピアニスト)
コメンテーター 池田理代子
朗読 草笛光子
日常生活の中で、身体より脳が疲れると思うことがよくある。そして、そんなときは決まって生きる意欲が減退する。そうした折、書店で偶然求めて読んだのが、
『脳を活かす生活術』(茂木健一郎著)
『「脳にいいこと」だけをやりなさい!』(マーシー・シャイモフ著・茂木健一郎訳)
であった。
茂木健一郎との接点といえば、二冊の本を読んだだけである。
今回、その著者のブログがあることを知り、投稿された記事があれば、毎日読むことを日課にしようと決めたのだ。
最近の記事には、坂本龍馬に関連したものがある。
昨日今日は、<脱藩>ということについて書かれている。
昨日の題名は、「自分自身からの脱藩」となっていた。
<脱藩すべき真の相手は、組織でも、国でも、ある一つの文化でもない。本当に脱藩すべきなのは、これまでの自分、古い自分である。>
<自分自身から脱藩して初めて、人は偶有性のさわやかな風に身をさらすことができる。>
そんな表現に、「然り!」と肯くのであった。ダラダラとした生活にとっぷりつかり、脱藩など諦めきっている自らを自覚しながら…。
考えてみると、<脱藩>を諦めたときから、老化は加速するのかもしれない。
上記のブログには、70歳を過ぎてから絵筆をとった丸木マスさんの作品「梅が咲く」も添付されていた。
最近は、次第に身体を動かすことが少なくなりがちである。
そこで、もう一つ決めた朝の日課は、家の周囲を必ず一巡することである。雨が降っていれば、軒下の犬走を歩けばいい。
今朝も、小雨が落ちていた。
何か花が咲いていないかと見て歩いた。
<ムラサキシキブ>の小さな花が咲いているのに気づいた。
白い実になる花は白く、紫色の実になる花は淡いピンク色をしている。