ぶらぶら人生

心の呟き

童門冬二著 『小林一茶』

2009-02-13 | 身辺雑記

 昨日は、予報どおり、朝から快晴だった。
 <明日(つまり今日)と明後日は、お天気が下り坂>との天気予報を聞いて、昨日の午後、街に出かけてくることを思い立った。
 (その判断は正解だった。今日は終日、春一番かと思われる南風が吹き荒れていて、外出には不向きなお天気だった。)

 14日には、<御入仏>の経を上げていただくことになっている。そこで、供花やお供え物を用意しなくてはいけない。それを昨日果たしたのであった。

 どうせなら、確定申告の書類を仕上げて、税務署に持参しようと、お昼前にその作業に取りかかった。数字を書き込む作業なので、やり始めれば、集中力を要する。 それを私自身に課すことが、気分を楽にしてくれる面もある。
 このところ、心に隙間を与えないように、自分を追い込んでいる。
 ものを思う時間がたっぷりあると、精神的によくない。
 書類作成は、何とかできた。
 間違いがないかが気になり、幾度も目を通しているうちに、1時間以上が過ぎていた。それでも、自力で今年も作成できたことに安堵した。
 が、来年もできるかどうか?
 説明を読み、掛け算やブラスマイナスなど、計算機を使って簡単な計算をするだけの単純な作業だが……。

 とにかく、税務署に書類を提出し、ショッピングセンターで、仏壇にお供えするお花やお菓子類を求め、久しぶりにお店の前にある喫茶店に入った。
 コーヒーを飲みながら、バスの時間まで、本を読んだ。

 それが、童門冬二氏の『小林一茶』である。
 今日にかけて、読み上げた。
 250ページの本だが、1ページに余白が多く、とんとんと読み進められるのはありがたい。私は、本を読むとき、表現の一字一句が気になり、速読が上手な方ではない。特に最近は、年取ったせいか、活字がびっしり詰まっていたり、難解な文章だったりすると、なかなかページが進まず、読みずらさを感じる。
 この本は、そんな意味での難点が全くなかった。
 作者の平易な文章に沿いながら、小林一茶という俳人に付き合った。

 <一茶は真の自己改革者であった!>と、帯に記されているし、この本の最後にも、
 <「偉大な自己改革者のひとり」
   であった。>

と、結ばれている。が、この見方には少し頭を傾げた。果たして、一茶は、自覚的な自己改革者であったのだろうか、と。
 最後まで、人間の<負>を背負い続け、それを超克しえない人だったように感じるのだが……。意識的自己改革というより、ままならぬ健康状態、身辺に降りかかる不幸により、若き日の激しさが消え、変化を余儀なくされた面が強いのでは? という気がする。(あくまでも、私の感想である。)
 私はむしろ、一茶の、死の時まで、俗臭が強く、聖人君子のようには生きられなかったところに、むしろ魅力を感じている。
 私自身がダメ人間なので、同類に会うと安心感を覚えるらしい。

 この本で知ったことだが、俳句について教えを請う人に対し、一茶は、自らを<師>と呼ぶことを禁じ、「門人」扱いもしていない。「ご同期、ご同行」と、一茶は呼んでいたという。私はこういう、差別のない平等感を、一茶の偉いところだと思うし、大いに同感を覚えるのだ。

 <一茶は信心深く、ホトケを信じていたのでその宗教心からそういうよび方をしたのだ。つまり、
 「信心深い人は、ひとりで歩いていてもかならずその人にホトケがついている。だからその人は決してひとりで歩いているわけではない。ふたりで歩いているのだ。その同行者は、ホトケである」
 と考えていた。そしてこの考え方を、俳句のほうにも及ぼしていた。(以下略)>

 
と、筆者は述べている。
 私は、浄蓮寺住職から一茶の話を聞いて以来、句作品と仏教との係わりが気になって、一茶について書かれた本を求めた。
 しかし、童門氏の著作では、その点に関しては、あまり詳しくは触れられていない。
 既述の箇所と、

 <この年(注 文政十年)の十一月八日の寒い日に、門人の家から出てきて気分が悪くなり、やがて午後四時頃念仏を一言つぶやくとそのまま死んだ。>

 
という文章が、本の終わり近くにあるくらいだ。
 文中の<念仏をつぶやく>という表現から、さすが信心の人であったことをうかがわせる。
 (素人なりに、一茶の句の中には、仏心を感じ取れるものがあるけれど…。)

 この本には、一茶の生きた時代的背景が分かりやすく書かれていて、参考になった。また、現代社会との接点や人の生き方にも目を向け、筆者の考え方を述べているところなどが、なかなか面白い。
 枝葉末節の部分でも、読む楽しさを随所に感じた。
 その一つ。
 筆者が血液型にこだわっておられるのに、興味を覚えた。一茶はB型だっただろうと。(しかも、三箇所にわたって。)

 <躁と鬱の起伏が激しい一茶は、現在でいえば血液型はおそらくB型であろう。すぐカッとしたり落胆したりするかわりに、すぐ幸福にもなる。>P169

 <(余談だが、血液型で歴史上の人物を判断するのはよくないと思うが、一茶の血液型はB型だったのではなかろうか。躁鬱性が激しく、人におだてられるとすぐその気になり、ちょっと批判されるとこの世もあらぬ絶望状態に陥る。しかしいずれも長続きしない。これがB型の特性だ)>P227

 < 一茶の血液型はB?
 前にわたしは、
 「一茶の血液型はBではないか」
 と書いたことがる。B型には特性がある。
 ●調子がいい。
 ●おだてにすぐノる。
 ●しかし憎めない。
 ●本人はすぐ幸福になり同時にすぐ不幸になる。
 ●こんな性格だから、職業としては表現を主体とする芸術家に向いている。反対に秩序を重んずる組織人には向かない。好き勝手なことをするからだ。だからB型は「あいつは好き勝手なことばかりしていて、協調性がない」といわれる。
 ●他人へのサービス精神が旺盛だから愛嬌者で多くの人を楽しませる。しかし本人は至って孤独で、時々ポツンとしていることがある。
 ●だからまわりからは理解されにくい。いままではしゃいでいたかと思うと突然落ちこむ。だから一緒にわらっていた連中は変な顔をする。「どうしたの?」ときくが「なんでもない」と弱々しいわらい方をして、またたちまちはしゃぎだす。こういうことを繰り返す。
 したがって一般的には、
 「B型は、組織の中でも自分の好きなことをやらせれば能力を十二分に発揮する。しかしリーダーとしては向かない。協調性や妥協性がないからだ」
 といわれる。
 こういう特性をモノサシにして考えると、一茶は典型的なB型人間だった。だから一茶自身がいかに自分の失敗を悔み、夜ひとりで輾転悶々と自己嫌悪で身もだえしていても、案外まわりが気づかなかった。(以下略)>
P241~242

 引用が長くなったが、筆者の、このB型談義が面白い。
 私自身がB型なので、自分のことを言われているような気分にさせられる面があるのだ。B型の弊害面を、私は多々持っている……。
 筆者自身も、もしかしてB型? と、いらぬ想像をしたりしながら、そのこだわり方に苦笑してしまった。
 昨年は、血液型の本、特に<B型>に関する本が実によく売れ、ベストセラーになったという。(実は私も求めた。)
 この『小林一茶』は、10年前、1998年の出版なのだが……。

 一茶が慕った惟然という俳人について、相当たくさんの句を並べ、かなり詳しく紹介してあった。私は名前さえ知らなかったので、興味深く読んだ。芭蕉の門人ではあるが、いわゆる蕉門の正統派からは、その価値を認められなかった人らしい。広瀬惟然(~1711)については、広辞苑にも出ていた。
 
 この本を読むことで、一茶の生きた時代、一茶自身の生い立ちと生涯を、かなり詳細に知ることができた。
 一茶については、また後日、書き足してゆくことにしようと考えている。

 (本文の最初のページに、
 <石川啄木のように、「ふるさとは、遠くにありておもうもの」という歌を詠んだ人もいるが、……>
 
とある。石川啄木のところは、室生犀星の間違いではないだろうか。)

コメント
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