ノリタケの森の次に向かったのが、家康が前田利光(加賀、能登)、加藤清正(肥後)、黒田長政(筑前)
細川忠興(豊前)、福島正則(安芸、備後)などに命じてつくらせた豪華絢爛な城 名古屋城 です。
徳川家康が、九男義直のために天下普請によって築城したとされ
以降は、徳川御三家の一つでもある尾張徳川家17代の居城として明治まで利用されました。
大小天守や櫓、御殿の一部は昭和初期まで現存していたが
名古屋大空襲(1945年)によって天守群と御殿を焼失しましたが、戦後に天守などが復元されています。
天守閣に向かって歩きますが、お天気良すぎてくらっくら・・・・
築城の名手加藤清正が、肩勾配の技法で築いた石垣は
清正流三日月石垣 と呼ばれるそうです。
内部も一部を除いてカメラOKだったのですが、暗くてあまりいい画像がありませんでした。
目立っているのに画像に収まりにくいのが、金の鯱。
この角度からが一番、金の鯱が見えていたと思ったのですが
それでも画像にすると、わかりにくいですね、残念。
焼き立ての 金シャチ焼
ホカホカでいい香り~
応援いつもありがとうございます
細川忠興(豊前)、福島正則(安芸、備後)などに命じてつくらせた豪華絢爛な城 名古屋城 です。
徳川家康が、九男義直のために天下普請によって築城したとされ
以降は、徳川御三家の一つでもある尾張徳川家17代の居城として明治まで利用されました。
大小天守や櫓、御殿の一部は昭和初期まで現存していたが
名古屋大空襲(1945年)によって天守群と御殿を焼失しましたが、戦後に天守などが復元されています。
天守閣に向かって歩きますが、お天気良すぎてくらっくら・・・・
築城の名手加藤清正が、肩勾配の技法で築いた石垣は
清正流三日月石垣 と呼ばれるそうです。
内部も一部を除いてカメラOKだったのですが、暗くてあまりいい画像がありませんでした。
目立っているのに画像に収まりにくいのが、金の鯱。
この角度からが一番、金の鯱が見えていたと思ったのですが
それでも画像にすると、わかりにくいですね、残念。
焼き立ての 金シャチ焼
ホカホカでいい香り~