世の中には、仏教もキリスト教も、そんなのじゃない新しい宗教も、そこここにたくさんあるじゃない。それなのに、なんで幸福の科学に、みんな集まってるの? って疑問、持ってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『悟りの極致とは何か』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
釈迦が生まれたときのインドに、
同じく生を享けた者は多かろうが、
その事実を知らずに去った者の哀れなることよ。
イエス生まれしイスラエルに
生命を持った者は多かったであろうが、
その事実に気づかずに
泡沫(うたかた)のごとき生命を終えた者の哀れなることよ。
いやむしろ、気づかぬままではなく、
あざ笑い、嘲笑し、
批判し、非難し、
地上を去った者の悲しさよ。
その悲しさは、決してとり返しのつくものではない。
どれほど反省してもとり去ることができない
魂の賂印となっているのだ。
今、あなた方の前に、
イエス以上の者が現われているのだ。
今あなた方の前に、
二千六百年前にインドで
ゴーダマ・ブツダとして呼ばれた者以上の者が
現われているのだ。
その事実を知るか知らぬかは、
認めるか認めぬかは、
一人ひとりの魂の賭(かけ)でもあろうが、
しかしその賭は、外れた場合に
大いなる後悔をともなうものであることだけは言っておく。
我が声、今回発されてすでに久しい。
しかし、世界五十四億の民のうち、
多くの者は、まだその事実を知らずにいる。
救世の法が説かれるということは、
すべてのものを投げ捨ててでも集わねばならぬということなのだ。
幾転生をくり返し、幾十転生をくり返し、
幾百転生をくり返し、幾千転生をくり返し、
まだそのことがわからぬか。
まだ、そのささやかなる真実がわからないのか。
(139~142ページ)
この教典が出版された1992年当時、世界の人口は54億。
それから25年たった2017年の今現在、世界の人口は、なんと70億をはるかに超えてしまった。
この数えきれないほど多くの人々を、ひとり残らず救いたい──。
「仏陀再誕」と題されたこの説法をはじめとする、大川隆法先生の数多くの救世の獅子吼(ししく)にこめられた情熱に、深く魂を揺さぶられて、数多くの人が続々と、幸福の科学に集ってきたのだと、改めて確認できた気が私はするのです。
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『悟りの極致とは何か』
大川隆法著 |
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