女は女として育てられるから、女性的な特徴が出てくるだけなんじゃないの。女だって男と同じことができるし、そうすべきでしょ? なーんてこと考えてる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『限りなく優しくあれ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
「男女は魂において平等である」というのは、そのとおりです。しかし、それは、「男性と女性の現れ方に違いがない」ということではありません。「男女が平等である」ということは、「女性が男性のようになり、男性が女性のようになる」ということではないのです。
そういう考え方は、男女を分けた仏の心に反しています。「仏は何ゆえに男女を創ったか」ということを考えなくてはなりません。
「男女があるのはおかしい。一つの性であるべきだ。一つの種類の生き物であるべきだ」と思うならば、たいへん倣慢な考え方をしていることになります。ここが、実は、大きな間違いの出発点なのです。(中略)
女性のみなさんは、目覚めなければなりません。「男女が平等である」ということは、「魂において同じ値打ちがある」ということであり、「その現れ方や性質が同じでなければならない」ということではありません。男女の魂の性質までが同じであるならば、違った性として現れてくる必要はないのです。
たとえば、「コーヒーと紅茶は、その価値において平等である」とした場合、それはどういうことであるかを考えてみてください。
コーヒーを好む人が人類の三分の二であろうが、四分の三であろうが、それは紅茶の値打ちを下げるものではありません。コーヒーは、深い味わい、香り、コクのなかに、その本質があり、紅茶は、まろやかさ、透明感、軽やかさ、香りに、味わいがあります。好みの差はあっても、「どちらが上で、どちらが下」ということはないのです。
しかし、紅茶のなかにコーヒーを入れてごらんなさい。あるいは、コーヒーのなかに紅茶を入れてごらんなさい。飲めないでしょう。
コーヒーにも紅茶にも、それぞれのよさがあります。それを発揮しなくてはならないのです。男女についても同じです。
そのことを知らないために、間違った考えが生じています。
日本の進歩的女性のなかには、そういう間違った考え方に毒されてきている人が数多くいます。そういう女性に騙されてはなりません。
(27~32ページ)
もちろん、大川隆法先生は、女性が職業を持って社会で活躍することを認めておられます。
ただ、その場合でも、女性としての素晴らしさを最大限に発揮するように生きよ、女性が男性になろうとしてはいけない、と説いておられます(41ページ)。
どうして大川隆法先生が、このように説かれるのか。
それは要するに、仏(神)が男女を分けて生み出された、という霊的な真実が背景にあるわけなんですけど、この問題に興味を持った方は、ぜひこの大川隆法先生のご著書を読んでみられますように!
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『限りなく優しくあれ』
大川隆法著 |
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