インドで作家業

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椅子と骨(短編小説第2回)

2023-11-25 11:46:35 | 私の作品(掌短編・エッセイ・俳句)


椅子と骨(短編小説第2回)
https://ginzanews.net/?page_id=65286

去る21日夜にホーチミン経由のベトナム航空便でインドの首都ニューデリーの空港(Indira Gandhi International Airport)に無事たどり着きました。
出迎えの息子と空港近くのホテルに一泊した翌朝、寝台エクスプレスバスで北インドの山間聖地リシケシに単身向かい、現地人夫の四回忌(命日は11月22日)と併せて、亡母の散骨も済ませました。

生前インドに一度も来たことがなかった母が、肉体を喪くしたあとの遺骨とはいえ、聖なる母河ガンジスの源の清流に流されて喜んでいるようにみえました。
折しも、サンセット後の河の女神ガンガーに捧げる祈りの歌がヒンドゥーの火の祭礼とともに、山に囲まれた宵闇の河岸に厳かに流れ、慰霊にもってこい、感動的かつエモーショナルな四回忌となりました。
母もガンガー・アルティー(Ganger Arti, 河の女神ガンガーに毎夕捧げられる火を用いた祈祷儀式)に初めて触れて、その敬虔さに心洗われる思いだったと信じます。

Prayer一団の女性のひとりが、焚かれた火の煙を手で引き寄せる私に、清浄な白い花を贈ってくれました(そのときは白蓮と思ったのですが、ジャスミンだったのかもしれません)。
日本から飛来し供花を持たない私に恰好で、膝まづいて河に流し、黙祷、聖なる水を額に押しいただいて、慰霊、涙がおのずと溢れるとても感動的な一瞬でした。

夫と母には最高の(supreme)供養になったと思います。四回忌はヨガのふるさと・リシケシでと決断した我が意志が完璧に満たされた瞬間でした。リシケシは、破壊と再生を司るシバ(Shiva)神(苦行者の形を取って現れるヨガの最高神)の聖地、亡き夫が熱心に信仰していた神様でもあり、故人も生前二度程訪ねたリシケシをとても気に入っておりました。
プライベートとはいえ、いい儀式になってよかったです。薄墨のシルエットを描く山の上にくっきりと浮かび上がる清涼な白月が、祝福(blessing)を垂れ、一部始終を静かに見守ってくれました。半月の近くにひときわ明るく瞬く星粒、ああ、あそこに母や夫がいるのだなと、感慨深く見上げました。

同行出来なかったものの、全てをアレンジしてくれた息子には、感謝の思いしかありませんでした。
今日はリシケシ三日目、商業主義に堕し俗化した観光地の趣にやや失望を覚えているのですが、Tapovanエリアにしたことも、今ひとつだったかしれません。過去夫と訪ねたアシュラムが河伝いに並ぶエリアだったら、年月がたっているとはいえ、まだしも清廉な雰囲気が残されていたかもしれません。でも、徒歩で6キロの山の上のNeer waterfallも訪ねました。山道を登る途上、インド人ライダーが拾ってくれたおかげで、めずらかな滝の一望かないました。乳色がかった翡翠色の滝つぼではインド人ファミリーが沐浴して、歓声をあげていました。

以上、長くなりましたが、インドからの第一報とさせていただきます。
インフラが整っていないインドは旅しづらい国で、日本と比べると(出発前訪ねた明石はとても良かったです)、不満ぼろぼろ、でも、なるたけニュートラルかつオープンマインドで、カオスと喧騒の国(中心部はこの時期煙霧が発生し、230キロ離れた山の麓のリシケシですら大気汚染と無縁ではありません)、一年八ヶ月ぶりのインドを寛容に両手で受け入れようと思っています。
また、詳細は記事でお伝えさせて頂きます。

お時間のある時、冒頭にお送りした短編小説第2回も、拝読いただけると、幸甚に存じます。

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