インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

幼い愛犬の急死に涙、涙

2007-02-25 17:15:45 | 私・家族・我が安宿
<2月2*日>
うちにもらわれてきてまだ一月ちょっとのアルセイシアン(シェパード)の生後2
ヶ月の子犬が、急死した。

                

ぬいぐるみのように黒毛がふさふさの、ころころ太ったかわいらしい子犬で、夫と
もども溺愛していただけに大ショック。
動物好きの私たちはこれまで何匹もの犬猫を飼ってきたが、苛酷なインドでは、ペ
ットも短命、そのたびにつらい思いをさせられてきた。
猫では5年、犬なら8年持てばいいほうで、生後まもなく、あるいは1、2歳で逝った
ペットも数知れない。
うちの宿に泊まった長期滞在者から譲り受けた初代猫、アドルフは交通事故で急
逝、享年5歳だった。犬派の夫が忠猫といって溺愛していただけに、食事も喉に通
らないほどの嘆きようだった。
ドーベルマンもたくさん飼ったが、一般に血統書付きの犬は軟弱で、しょっちゅう
病気をしては、私たちを心配させたものだ。犬に攻撃されたり、喧嘩の傷で逝った
猫も二匹。

長いこと犬は飼わずにきたのだが、番犬としてアルセイシアンを飼おうという話に
なり、夫が伝を頼って初のシェパードの子犬を譲り受けたのだった。
どちらかといえば猫派の私だが、ジュピターだけはそのあまりの愛らしさに夢中に
なってしまい、少し大きくなったら、浜に連れて行こうと楽しみにしていただけ
に、あっけなく逝ってしまったことが惜しまれてならない。
後でわかったことだが、生来肝臓が弱かったようで、獣医に薦められてのビタミン
入りの食餌がかえって負担となり、思わぬ命取りとなってしまったようだった。成
犬になるまで母犬の元にとどまらせれば、いくら短命でも数年は生きたろうと思う
と、生後まもなく無理に引き上げてしまったことが悔やまれてならず、涙が止まら
なかった。
                         

アシュラムで「神様、どうかジュピターの命をお救いください」と懸命にお祈りし
たのだが、戻ってくるころには、一階のリビングは、ペットが亡くなった何よりの
証拠である消毒くさい匂いに浸され、犬小屋代わりにしていたガレージにも、ジュ
ピターのベッドは見当たらなかった。

夫はすでに愛犬をベッド代わりのかごに入れたまま、裏庭に手厚く葬ってやってい
たのだ。

いつも亡くなってしまってから後悔することだが、こんなに早く逝くなら、もっと
もっとかわいがっておくんだったと、忙しさにかまけて遊ぶ時間を先延ばしにした
ことが悔やまれてならず、一晩中あふれる涙を抑えることができなかった。

                   

それにしても、ほんとかわいいもの、美しいものはどうしてこうもはかないのだろ
う。人でも動物でもあまりに愛らしすぎると天がとっていくという説があるが、ジ
ュピターも並外れて可憐な生き物だっただけに、造物主が早々にさらっていく誘惑
を抑え切れなかったのだろう。

ジュピター、短い期間だったけど、楽しかったよ、いっぱいの愛をありがとう。
今頃は天国で元のころころ健康な子犬に戻って、きゃんきゃん飛び跳ねているよ
ね。

今朝、いつもリビングのじゅうたんの隅に丸まっていた小さな黒い体はどこを探し
ても見当たらず、改めてぽかりと空いたようなうつろな寂しさを持て余している
私。
数日前に撮ったジュピターの写真もまもなく現像されるはずだが、惜しむらくは形
見になってしまった。

                                 



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ダンス協会主催の技能に優れた舞踏祭

2007-02-23 20:35:44 | カルチャー(祭)・アート・本
<2月2*日>
今日は、当地から35キロ離れたコナールクで催される、「コナールク・ダンス&ミ
ュージック・フェスティバル」のラストデー。このお祭りは、当州古来の古典舞
踏・オディッシーその他のダンス&ミュージックの振興のために、オディッシー
グル、ガンガダール・プラダン師によって1986年始められたもので、今回ですでに
22回目。

昨年11月、同地のサンテンプル(太陽神殿、13世紀に建造された荘厳な遺跡)をバ
ックグラウンドに催されたダンス・フェスティバルにも参加したので、どうしよう
か迷ったが、ここ数ヶ月お祭りづいてる私、ダンス協会主催で会場もコナールク・
ナトゥヤ・マンダプと別とのことで、行くことに決めた。

車は並木に縁取られた舗装されたマリンロードを快適にすべるように走り、45分後
に浜に出た。
今は観光客も少なめで、日の落ちた人気のない浜に夫とともに降りる。
観劇前の腹ごしらえというか、いつものようにペットボトルに詰めてきた白ワイン
を、露店で買ったトマト味(スパニッシュ)のポテトチップス大袋(20ルピー、美
味。クリーム&オニオン味も外人好みで活ける)をつまみながら、ちびちびと。
ここ数日冬季がぶり返し朝晩冷え込むこともあって、空気が澄んだ夜空には星が降
るように瞬き、西の中天は銀器のような三日月と金星がくっきり。押し寄せる波が
闇の間隙をついてほの白く閃き、墨色の水平線には漁火がぽつぽつ瞬き、ムード満
点。
壮麗な夜のベンガル湾を肴に、インド製にしてはわりとおいしいワイン、「ヴィ
ン・バレット」(Rs350)を飲み終わった後、会場へ。

                  

タイミングよくこれから始まるところで、最終日の第一演目は、背景に仮設された
壮麗な寺院の段差状になった屋根と、舞台上手に35名もの男女オディッシーダン
サーが位置し、カラフルな装束で優雅な舞いをいっせいに繰り広げるという壮観
さ、観客にあっとと息を呑ませた。
さすがオリッサ・ダンス・アカデミー主催だけあって、踊りがすばらしい。
ほろ酔い加減で観る当州名物オディッシーの、手印(ムドラ)やステップが独特の
舞いは夢のように美しかった。
               
                                

二番目の出し物は、少女6名による、ヨガとオディッシーをミックスしたアクロバ
ット舞踏、「ゴティプオ」。まず、チャクラアサナ、仰向けになった体勢から四肢
を張って体を宙に浮かせるヨガのポピュラーな技を披露する三人の舞い手、湾曲し
たその腹部に残りの少女が飛び乗って骨がないように柔らかい体で披露する難技は
じめ、次々に繰り広げられる息もつかせぬ妙技に、会場からは拍手が鳴り止まなか
った。
                    

ヨガを習得中の私にはなじみのアサナばかりで、印といい、改めてオディッシーと
の浅からぬ因縁を確認できた思いだった。民謡調の張りのある歌伴奏も軽快でリズ
ミカル、スポーティーな踊りとマッチしてよかった。

次はカルカッタからの舞踏団によるダンス劇、三番ともオディッシー尽くしで愛好
家の私には願ってもなく、とっくり鑑賞させてもらった。

アンドラプラデシュ州からのクチプディに変わった9時過ぎ、腰を上げる。出口付
近にハンドクラフトの露店がいくつか出ていたので周ってみたが、とくに見るべき
ものもなく、優れた舞いを堪能した快い満足感とともに、帰路に着いた。

                                  
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神様が恋人?

2007-02-19 21:01:13 | ヨガ・スピリチュアル
<2月*日>
オリッサベーカリーの裏にある、故パラマハンサ・ヨガナンダ師のアシュラム
(ヨゴダ・サトゥサンガ・ドゥヤノ・ケンドラ)にヨガの合間を縫って、週2、3度
通いだして三週間。

そもそもは先月初め、当地のブックフェアで、同アシュラムが出店しており、そこ
でメディテーション関係の小冊子を買い求めたところ、主催者に瞑想会に参加しな
いかと誘われたのがきっかけだった。
毎日午後5時半から7時の間行っているとのことで、場所を聞くと、なんと自宅から
徒歩7、8分で行ける近さ。で、某日、夕刻の浜の散歩ついでに立ち寄ってみたの
だ。

屋上で、アシュラムの世話人兼指導者による簡単な体操が繰り広げられた後、階下
のカーペット敷きのフロアの上に座布団紛いの小じゅうたんがいくつも並べられた
瞑想室に降りる。正面の壁には、協会のロゴ(モノクロの三枚の蓮の花弁の中央に
白い星のマークのある神秘的なもの)を取り囲むように先代グル4師(パラマハン
サ師は4代目)の写真が祭られ、その下が花や線香、お供え物が置かれた祭壇にな
っており、指導者が厳かに「プージャ」、ハイビスカスやジャスミンの乗ったトレ
イと小器の精油にともした聖火をささげる祈りの儀式を行う。同時に、信者たちも
掌を合わせ神妙に礼拝する(祈祷の文句はすべて英語で、指導者の後をなぞるよう
に唱える)。このあと、神にささげる賛歌が英語でときにヒンディ語も織り混ぜ、
3曲ほど合唱され、約40分間の瞑想に入る。

表道を外れた路地のかなり奥の裏通りにあることもあって、静謐な環境で瞑想には
もってこい。たまに、咳が漏れることもあるが、信者ばかりの集いなので、瞑想慣
れしており、抹香のほのかに立ち込める室内は深閑とした静寂で満たされる。携帯
のマナーの今ひとつよろしくないインドでは、映画館や劇場で鳴り出すことはしょ
っちゅうだが、ここばかりは別天地、うっかり切るのを忘れて追った私は初日、お
おいに恥をかく羽目に陥らされた。

                           

最初は少し足がしびれ、蓮華座から途中で正座に組み替えたが、二度目以降は蓮華
座で通して行えるようになった。背後に椅子も数脚置いてあり、座位が苦手な欧米
人への配慮も行き届いている。パラマハンサ師は、座位のみならず、椅子に座って
の瞑想も認めているとのこと。

参加者は基本的にすべてディヴォウテ(信者)で、毎日顔ぶれが違い、世界各国の
みならず、インド各地からも訪れ、日曜ともなると、八畳足らずの狭い瞑想室は、
信者であふれ返るのである。

このほか日曜には、指導者がグルの講義録を朗読するレクチャータイムもあり、事
後、各国から集ったお弟子さんたちによるバジャン、祈りの歌の集会が催されたり
する。洗われたようにすがすがしい顔立ちのフランス女性がうっとりと陶酔したよ
うに、神への賛歌をささげたり、ブラジル出身の男性が手作りの笛を奏で、世話人
がタブラー、インド古来の鼓を叩いて拍子をとる即興演奏など、聞きほれる美し
さ。
                           

パラマハンサ師は、「あるヨギの自叙伝」(「Autobiography of a Yogi」)でつとに知
れ渡り、1930年代に米でヨガの教えを広めた宣教師で、ヨゴダ・サトゥサンガ・ソ
サイエティの本部はカリフォルニアにあるため、師が生み出したエネルギッシュな
エキササイズ、「クリヤ・ヨガ」を学ぶには、本部に問い合わせての通信教育
(Self-Realization Fellowship)になるとのこと。

敬虔なディヴォウテに混じって40分余の瞑想をしながら、まだ通いだしたばかりの
私は、今ひとつ神への献身度が足りず、メディテーション自体ももう少し深く入っ
ていくには時間を要しそうだ。

「あるヨギの自叙伝」は昨年すでに読了済みだが、現在は、米各地での講義録、
Journey to self-realization」、「The Divine Romance」を毎夜ひもといて、学びを
請うている。

ちなみに、世話人によると、ブックフェアでは本を買った人たちすべてにアシュラ
ムへの勧誘を行ったが、顔を現したのは私のみ、とのことだった。
近年グル探しのスピリチュアルジャーニーに出た私にとって、これは「招ばれた」
ということになるのだろうか。
パラマハンサ師が私の求めている師であるかどうかは、現時点では定かでない。


<2月1*日>
今日はバレンタインデー。

                

昨年は大學受験で自宅在中だった息子に、チョコレートの詰め合わせを贈ったが、
今年は誰にしようと考えていて、ふと最近通いだしたアシュラムの先代グル4師
(正確に言うと、初代グル、マハヴァタラ・ババジは不死で、いまもヒマラヤの山
奥で生存中)に贈ろうと思いつく。

早速午後遅く、サイクルリキシャで西の浜にあるしゃれたケーキ屋さん、「モンギ
ナス」までひとっ走り。グル用には、卵なしの菜食者用のオレンジ、いちご、チョ
コレートと色違いのケーキを5ケ、カラフルな彩りの詰め合わせにしてもらった。
あと、夫とマネージャーの甥用に卵入りのチョコレートケーキ各種5ケも求め、100
ルピーに満たない出費で、ほくほくと二箱手に戻った。

バレンタイン用のカードも買いたかったのだが、生憎店は閉まっており、何か変わ
りになるものはないかと引き出しを探っていて、昔、当ホテルに長期滞在したアー
チスト肌のIさん自製の、蓮池に小さな祠のあるパステル調の手作りカードを偶然
見つけた。

Heavenly Father,
I, as a God's child,
demand you,
Please reveal thyself,
Give me your blessings

(天の神様、神の子として要求します。姿をお現わしください、そして恵みを垂れ
てください)

                                

とおなじみになった祈りの文句を裏にしたためた。
できれば、薔薇の花束も添えたかったが、うちのベランダの鉢はいつも長期間か
かって、やっと一鉢にひとつつぼみをつける状態、田舎の当地ではしゃれた花屋も
見当たらず、断念。
                  

久々にインドの民族服、コバルトブルーのサルワールカミーズでおしゃれして、ア
シュラムへ。
インドでは、神様へのお供え物は判で押したようにローカル製のミルク菓子と決ま
っているので、受け入れてもらえるか心配だったが、瞑想後、世話人に贈り物を手
渡すと、まずマスターにお供えしなさいと言われた。ローカルスウイートに限らず
なんでもお召し上がりになるとのことで、晴れて祭壇にささげることができた。

                           

いつも日曜はありがたいミルク菓子(インドではお供えしたスウイートは「プラサ
」といわれる)をいただいているので、感謝の気持ちも込めてのささやかな返
礼。
しばらく祭壇に乗ったあとは、欧米各地からやってきた敬虔なお弟子さんたちにシ
ェアしてもらった。

家に戻って、夫や甥にもチョコケーキをプレゼント。

なかなかいいバレンタインデーになったなと満足しつつ、バンガーロルのカレッジ
在の息子に、「Happy Valentine! Did u get choco?(バレンタインおめでとう。
チョコもらった?)」のsmsを送った。
            
                  

翌朝、ベランダに出ると、薔薇の鉢に一挙につぼみが四つもほころんでお
り、奇跡を目の当たりにしたような不思議な気分にさせられた。
私には、一晩で突然膨らんだ四つのつぼみが、グルの化身のように思われたのだ。


                                  
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ノミター先生の結婚式に参列

2007-02-09 20:07:58 | 宗教・儀式
<2月*日>
今日は、一年間私に当オリッサ州の言語・オリヤと、インドの母国語・ヒンディを
教えてくれた23歳のノミター先生のバハゴロ・ウッチョボ(オリヤ語で結婚式の
意)。おりしも、結婚シーズンで前の道をライブバンドのにぎやかな行進がひっき
りなしに行き交い、あちこちの路上で華麗な垂れ幕が目に付くこのごろ。

前もってこの日のために金粉が散らされたコバルトブルーの花模様をあしらった華
麗な民族服パンツスーツ、サルワールカミーズを新調しておいた私は、昨日美容院
でやってもらったヘンナ染め・メヘンディ、両掌と甲の上に描かれた孔雀と
つる草の精妙な模様が一晩たってオレンジ色から濃い茶色に浮き上がったのにわく
わくしながら、会場に赴いた。
サルワールカミーズは主に、未婚のヒンドゥ女性、イスラム・シク女性の日常着だ
が、私自身着付けが難しいサリーが苦手のこともあって、あえてパンツスーツでお許し
いただいたというわけ。ヨガメイトの一人でもあるブラジャの、目抜き通り・グランドバ
ザールにあるお店では、一枚の布をまとうサリーとちがって、ブラウス、スカート、
ショールに分かれたレヘンガも二、三置いていたが、今ひとつ気に入りのものを
見つけることができなかったのである。

お祝いには、オリヤ語で「オビノンドノ!! ボフト・ドンニョバード・モッテ・
シキャーウティバル・エコ・ボルショ・パーイン、ムー・アッシャコルチ・トゥモ
ロ・シュコ・ショトト(おめでとう!! この一年オリヤ語とヒンディ語を教えて
もらって本当にありがとう。いつまでもお幸せに)」と綴ったカードと祝い金500
ルピーを携えて。

               

ジャガンナート寺院の裏側にある彼女の自宅には、弟さんの聖紐式のとき訪れたこ
とがあったが、結婚式会場は家の近くのロッジを借りて行われるとのことで、現地
にたどり着くと、「ナミ(ノミターのニックネーム) ウエッズ ビロンチ」と垂
れ幕のかかったアーチの後に続く、金銀のモールで飾られたきらびやかな天幕が私
を出迎えてくれた。

親族の一女性に控えの間に案内される。ゴージャスなシルクのサリーや、刺繍・ス
パンコール付きのサルワールカミーズと着飾った女性たちが右往左往し、さすがに
室内は華やかムードが漂う。
花嫁は準備中とかで、しばしノミター嬢の親友という、鮮やかなスカーレット色の
パンツスーツをまとった女性と歓談、程なく、金色のモールが格子模様に飾られた
真紅のショールに頭を覆った新婦が登場。カメラの撮影が始まったが、本人は恥ず
かしがってなかなか布の中から顔を覗かせない。年配の女性がショールを払い、前
を開けてあごに手をかけ上向きにさせ、やっとフラッシュがいっせいに焚かれた。

私に気づくと、恥ずかしそうに挨拶、この機を逃さず、すかさずカードと祝い金を
手渡し、つたない現地語で綴った文面に感激された。

衣装は黄色の綿のサリーとシンプルなものだったが、メヘンディを施された両手首
を幾重にも覆う金の腕輪に混じって既婚の象徴である緋色の腕輪、髪の分け目に垂
らした金の鎖状の髪飾り、金の耳飾り・ネックレス、やはりメヘンディを施された
足首には銀の足輪と、豪華なアクセサリー尽くし。先進諸国のプラチナに比べる
と、インドの伝統的なゴールド嗜好はいまだに根強く、購買力は世界一とも言わ
れ、こうした結婚式ともなると、花嫁の生涯の財産となるべく大量の装飾品が購入
されるのである。
このほか、花嫁の家族にとって、頭が痛いのが、ダウリーといわれる、嫁入り前の
持参金制度。最上層のカーストブラーミンという由緒ある階層に育ちながらミド
ルクラスのノミター先生も、1ラーク(約25万円。インドの物価は日本の7-9分の1
に相当)要求されたとかで、さすがに困った風情だったのを思い出す。が、両親は
どうにか支度金をまかなったようで、今日の慶びの日を迎えることができたのだ。

                               

中庭にはすでに新夫とその一族が到着しており、僧たちによる儀式が厳かに執り行
われていた。
ベージュのシルクの民族服パンツスーツ、純白のシルクのターバンに紙製のきらび
やかな金冠をつけた花婿は、がっしりした体躯の、黒い口ひげを蓄えたなかなか
の男前。電気屋さんを営んでいるとのことで、経済的にも確立しており、ノミター
先生にとっては願ってもないご縁だったようだ。

本格的な儀式が始まる前女性群は屋上の会食席へと案内され、バナナの葉っぱに盛
られた甘いドライダル(豆スープ)、ギーの香りが香ばしい炒めごはん(プラ
)、魚カレー二種、サラダの定食(ミール)、最後にデザートとして砂糖としょ
うが入りミルクを甘く煮詰めたキールが供され、美味な馳走に舌鼓を打った。

控えの間に戻るや、花嫁は新品のサリーに衣装替え、インドでは黄金の色というこ
とで好んで用いられる鮮やかな黄色に赤い縁取のある綿製をまとい、いよいよ本番
に臨む体勢。思い起こすに、今は去ること二十年前、夫の姪の結婚式に参加したと
きは、目が覚めるような孔雀色のシルクのレヘンガだったが、ブラーミンというこ
ともあってか意外に質素、ほかのカーストとはやや趣が異なるようだ。
一般に、花嫁衣裳は、金糸銀糸の縫い取りがあるあでやかな真紅のサリーと相場が
決まっているが、最近は、赤以外の色も好んで用いられ、ファッションコンシャス
な都会では、レヘンガもポピュラーに着用されている(ちなみに、ヒンディ映画で
よく用いられる婚礼シーンでは、鮮烈なジェットブルーやショッキングピンクのレ
ヘンガも)。
新郎からはすでに新婦宛に、金の結婚指輪やネックレス、シルクの錦綾のあるサリ
ーなどが贈呈されていた。

ようやく、待ちかねた花嫁の登場。花婿の対面に、赤いショールを頭から被り顔の
まったく見えない新婦が腰を下ろすや、早速僧によるヴェーダの吟唱とともに、式
が始まった。
新郎新婦の右手を重ね合わせいらくさで縛ると、小壷の口に乗せられた茶色い椰子
の実の上に据え、聖水が振り掛けられ、新郎に結婚指輪が贈呈された。
この後、新婦は新郎の右側に回り込んで並んで座る形になり、新郎と同じ冠を前頭
部につけ、白いショールと薄橙のショールの端を結んでつなぎ合わせたものが、白
が新郎の肩、橙が新婦の肩へ来るように掛け回された。

葉っぱに盛られたバナナや米菓子、薄橙の新品の布地などたくさんのお供えに取り
巻かれた中央で、井桁に組まれた小まきに火がくべられる。新郎が油を滴らせる
と、火は勢いよく燃え盛った。

次に両者は立って、新郎が新婦の背後に回り、新婦の両手を外側から包み込むよう
にした後、掌中が新婦の弟によって生米で満たされ、炎の渦中に振りまく儀式が数
度繰り返された。
最後は、新郎の親族が前に出て、かごから籾殻を振りかけ、素焼きの小器にともさ
れた聖火(現地語でディーポ)を回しながら、お祝い金や、金の時計・指輪などの
贈り物を手渡す儀式。

この間、私は初めて見るブラーミン一族の結婚式が物珍しく、カメラのシャッター
を切る手が止まなかった。
ネオリッチによる金にいとめをつけない、大ホテルを借り切っての夜通しの豪勢な
披露宴がご時世のこのごろ、華美を避けたシンプルな、少数の家族・友人に温かく
見守られてのこじんまりとした結婚式にほのぼのとした好印象を抱かずにはおれな
かった。
                       

正味二時間半で式はとどこおりなく終了、晴れて正式の夫婦となったご両人は控え
の間に退いた。
新婦はやや緊張してナーバスになっているようで、紫色のサリーで着飾った小柄な
母親が心配そうに見守っていた。

どうやら、ショールの下で、ノミター先生はひそかに涙しているようだ。姪の結婚
式のときも、いざ花輪で飾られたお迎えの車で新郎宅へと去るお別れの場面に際し
ては、涙涙の感動ものだったが、新米ミセス・ノミターも、両家のアレンジのもと
に突然決まった結婚だっただけに、心の準備ができておらず、親や兄弟との別れ、
住み慣れた実家を後にしなければならないことがつらいのだろう(インドのヒンド
ゥ教徒は、都会など一部を除いて、ほんとんどが同カースト内による見合い結婚で
ある)。

このあと、マハ・プラサド、神様のお供えものをいただく儀式があるとのことだっ
たが、私は、弟に断って、新婦を気遣う新郎のほほえましげな光景を目に、その場
を後にした。
                               

適齢期の先生がいずれ結婚することはわかっていたが、こんなにも早く突然に決ま
るとは思ってもおらず、今後のノミター夫人の幸福を祈ってやまない一方で、でき
ればもう少し教えてもらいたかったと、一抹の寂しさに浸されつつ帰路に着いた私
であった。






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ワイン片手にリッチなカルチャーを堪能

2007-02-06 21:29:11 | カルチャー(祭)・アート・本
<1月3*日>
今日は、古代の石窟寺院、カンダギリ・ウダヤギリで行われるカラベラ・フェステ
ィバルの最終日(カラベラとは、昔の王様の名前にちなんだもの)。
一度このお祭りを見たいと思っていた私は、夫同伴で車で二時間の同地を訪ねた。
現地にたどり着いたのは日が落ちかけた時刻、たくさんの露店が軒を並べる路地を
過ぎて、公園のようになった一角の整備された遺跡パーク内に入場料を払って入る
と、旅行者時代訪れてうろ覚えの記憶がある、岩を切り出して造築された石窟寺院
が目前にそびえ立っていた。平地に近い下方に開けるこの二階建ての寺院のほか、
坂紛いの傾斜状の石段を昇った先に見上げるように高い列柱の切り出された大きめ
の寺院があり、地元の観光客が、屋根のてっぺんによじ登ったり、周辺の岩山のそ
こかしこに群がって思い思いに楽しんでいた。
                    

隅の大岩に腰を下ろした私たちはまず、前もってペットボトルに入れてきた白ワイ
ン(ヴィン・バレット/インデージュ社の銘柄で州都で350ルピー)をプラスチック
のカップに注いで乾杯、眼下に開けるぽつぽつと灯の瞬きだした街並みをポテトチ
ップをつまみに堪能、ほろ酔い加減になったところで私一人だけ、岩を伝ってそろ
そろと下方まで降りて二層構造になった寺院を見学、ここは紀元前2世紀ごろジェ
イン教徒が修行した場とのいわれがあったが、低い柱に囲まれた僧坊はかなり天井
が低く、六畳ほどの広さだった。二階も昇ってみたかったが、ライトアップされて
いるのが一階だけなので、足元がおぼつかなくて断念。スポットライトに浮かび上
がる遺跡前には家族連れ観光客が群れて、子供たちが物珍しげになかをのぞいた
り、岩の上に駆け上がったりと、無邪気な歓声をあげていた。

観光にまるで興味がない左党の夫は岩に座ったまま、インド製にしてはわりといけ
る白ワイン(同じ銘柄の赤は消毒くさくて今ひとつ)をひたすら堪能していた。飲
み終わったら上の寺院の屋根にも上ってみようと言っていたのだが、あえなく時間
切れ。
夫がぐずぐずしていたせいで出発が遅くなり、遺跡に落ちる壮麗な夕日を逃したの
みならず、ゆっくり見学している暇すらなかった。

気を取り直して、奥のグラウンドに設けられたカラベラ・フェスティバルの会場
へ。
最初の催し物は、州都のグループ、男性八名の舞い手によるオディッシー、華やか
さには欠けるが、技能はさすがとうならせるものがあった。次は、カルカッタのダ
ンスアシュラムからの女性群によるオディッシー、純白のつややかなシルク地に
緋、ぼたん、オレンジ、緑、濃緑、黒と踊り子ごとに異なる彩の縁取りのある舞装
束をまとって、シバとパールヴァティの舞いが優雅に繰り広げられた。オディッシ
ーに特有のまげを覆った白い髪飾り、シルバーの腰帯がきらきらときらめいて見と
れる美しさだった。
                           

三番目は、パンジャブ州からの男性陣によるにぎやかなバングラダンスが繰り広げ
られ、客席は喝采に沸いた。
この先まだ催しは続きそうだったが、九時近くになっていたため腰を上げて、露店
を物色することに。民芸調の布地のショルダーバッグを55ルピー、竹製のかごを30
ルピーに値切って買ったあと、先刻石窟寺院から遠目に見て人々が群れている風情
が気になっていた、岩山の上の灯のともるヒンドゥ寺院にも昇ってみた。お酒が入
っていたため、夫は参拝はパス、石段を降りて大通りに出、車に戻った。


<2月*日>
先日カラベラ・フェスティバルを見たばかりだったので、間際までどうしようか迷
ったのだが、ダウリギリで催される「カリンガ・マハトゥサヴ」、マーシャルアー
ト舞踏祭に当日になって、行くことに決めた。
紀元前3世紀のカリンガ戦争時十数万の戦死者を出したことを悼み仏教に帰依した
アショーカ王の法勅碑文が残されていることで有名な観光地で、この丘の上には日
本山妙法寺の建てた平和の塔、シャンティ・ストゥーパーもある。
途上渋滞で7時前に現地に着いたが、幸いなことにお祭りはまだ始まっていなかっ
た。外国人だったせいか、プレス席との立て札の掲げられた前方席に案内され、程
なく、ショーは始まった。

一番最初は、北隣・西ベンガル州のミドゥナポールからやってきた一団による勇猛
な軍舞、山吹色の腰巻きにサフランオレンジのふんどしを巻きつけ、同色の前掛け
をまとい、両上腕にはオレンジの腕輪、両足首に銀の鈴輪をまとった装束で、果敢
な踊りを繰り広げる。16、17世紀の皇帝下の兵隊の心身の訓練として実施されたと
のいわれがあり、エキサイトな表現力に満ちたエネルギッシュな舞い。アクロバテ
ィックまがいの勇技が披露されるたび、観客席からは拍手喝さいが飛ぶ。見事な演
技に見とれながら、今回はカメラ持参で来た私は夢中になってシャッターを切っ
た。ライトアップされて闇に浮かび上がる荘厳なストゥーパーの象牙色のドーム、
なかに祀られたブッダの坐像がオレンジ色に照り映え、ムード満点の舞台背景。
舞踏ダンスを初めて見る私はすっかり魅了され、やっぱり思い切って出てきてよか
ったとしみじみ。

次は、アンドラプラデシュ州からのグループで、赤い布で装飾された馬をかたどっ
た張子の入れ物に下半身を浸した二人の舞い手が登場、つるぎを手に戦いの舞踏を
繰り広げた後、ふんどし姿の裸身の男たちが長い棒くいで打ち合う奮闘舞が披露さ
れた。最後は、あっと息を呑む火踊り。たいまつをいくつも手中に振り回
しながらの、あるいは大きな針金状の輪に等間隔でともされた炎を体の周りで回し
たりと、暗い照明の舞台に火の粉が飛び散って、危険と背中合わせの見事な演技に
観客は声もなく、見とれるばかりだった。

                    

最後は、当地プリーからの舞踏団の登場、ジャガンナート寺院の防備のためにプリ
ー周辺に築かれた要塞のなかで発達したといわれる、主神、ジャガンナート様への
奉仕の舞いが披露される。天使の羽のような張子を背負った神や悪魔を具現する舞
い手は、カルチャー色豊かな、目もあやなカラフルな装束で観客を魅了する。

ここで私たちは席を外して、背後の人気のない場所まで行くと、ペットボトル入り
の白ワイン(先のカラベラ祭の帰途州都で買ったもの)を、持参したポテトチップ
ス、パイやクッキーとともにいただく休憩タイム。

                             

ほろ酔い加減になって舞台に戻り、続きを堪能。
ショーは9時過ぎに終了と早めだったが、初めて目の当たりにしたマーシャルアー
ト・ダンスの舞踏の面白さに、おおいに満足して帰途に着いた。

                                



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