インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

豊かなスマートフォン・ライフ

2012-02-29 20:02:09 | 私・家族・我が安宿
息子が戻って、教わったことで、急にスマートフォーンの用途が増えたという感じ。
それまでラジオの聞き方すらわからずにいたのだが、イヤホーンを差し込まないと、聞けないことがわかった。イヤホーンはアンテナ代わりのため、携帯のスピーカーから流れる設定に変えても、イヤホーンなしだと、流れてこないということである。
納得。

当オリッサ州は局数が限られているため、二チャンネルしかチューニングできなかったが、早速ローカルクラッシクを録音して、保存した。

このほか、玄人はだしのラッパーである息子の自作自演の歌もたくさんキープしてもらって、ご機嫌。
とくに、「バン・ガロール」(Ban Galore(豊かさの禁忌)、息子が勉学中の南インドのIT都市Bangaloreにかけている)というテンポの速いリズミカルなラップが私のお気に入り。わが子ながら、惚れ惚れするうまさだ。
これなら、ファンが多いというのもうなずける。

どちらかといえば、ラップは私にはにぎやか過ぎて、メロディアスなジャズのほうが好みだが、息子作詞作曲、自演の歌というのは悪くない。
というわけで、朝から何回繰り返して聞いたことか。

ゲームもこれまで、一個しかできなかったのが、やり方を教えてもらって、レパートリーが増えた。

急に豊かになったスマートフォーン・ライフなり。

いやあ、たしかに文明の利器、重いラジカセ携帯せずとも、どこにでもミュージックを持ち込めるようになったとは便利この上ない。

遅ればせながら、スマートフォンの機能を楽しむこのごろである。
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ベンガル湾季節便り/群れ飛ぶ鳶と白月

2012-02-29 19:51:41 | 季節・自然
今夜は帰郷している息子含めてのワインパーティーなので、日のあるうちに浜に出た。
五時十五分過ぎに家を出たが、朱鷺色の落日が路上からも見えて、美しかった。途上、丹精された庭の私邸にぶつかったので、ぼたん色のブーゲンビリアと、中にそっと忍び込ませてもらって、淡黄の大輪のダリアを撮った。とくに薄いレモン色のダリアは直径二十センチもある見事なものだ。





海辺に出るころには入り日は真紅と鮮やかになって、目を楽しませてくれた。
風が強く、薄緑色の海は白く波が立っていた。薄いショールでは肌寒いくらいで、襟元にきつくかき合わせ、うしおに素足を浸して、赤い夕日目指して歩いていった。近海はさび色ににごっており、外洋で潮の変わり目で浅緑になる海は、低気圧でうす曇の今日、夏から冬に逆戻りした様相だ。

波の届かない、盛り上がった土手のようになった内側で、子供たちが砂遊び、三角に砂山を固めてサンドアートの真似事をしていた。さらに進むと、いるかの砂の造型にぶつかった。作者は世界競技会で賞総なめのサンドアーチスト、スダルシャン・パトナイク氏、新聞やローカルテレビで見慣れた顔が、カメラをぶら下げながら、作品の傍らに立っていたのでわかった。社会的なテーマが多く、これは自然保護が題目の作品である。



当地プリーから90キロほど離れたところにある、アジア一のかん水湖、チリカ湖に生息するイラワジドルフィンといわれる小型の黒い珍種だ。ラッキーにも、私は一度、この浜でそのいるかを目撃したことがあった。
すぐ目の前の近海で飛び跳ねていたのである。まれな光景にはスリリングを覚え、釘付けにならずにはおれなかった。
チリカ湖から紛れ込んだものろうか。
遠洋ならまだしも、すぐ目の前の浅い内海で波と戯れていたのだから、驚いた。

日が沈み、淡いローズに照り映える波打ち際に立ち尽くして、胸いっぱい磯の気を吸い込んだ後、陸(おか)に上がった。
途上、とびが十数羽右に左に、上空低空に旋回している光景にぶつかり、見上げ続ける視野に、高い頭上に半月に足りない白い月がよぎった。


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英語偏重国の就職事情

2012-02-28 18:37:18 | 私・家族・我が安宿
南インドのIT都市、インドのシリコンバレーと異名をとるバンガロールで今現在就職活動中の息子が帰郷したので、今年の雇用状況はどうかと尋ねると、やはりユーロ危機のせいで雇用者数にも影響が出ている模様である。

しかし、息子の強みは、英語に強いこと。三歳からの英語教育で、会話、読み書きともに流暢である。
インドではいい就職口をみつけようと思ったら、英語力は必須である。
そのほかの技術はともかくも、英語さえ堪能であれば、職が見つかるとすら言っても、過言でない。

息子によると、大学院に進まず、すでに就職した友人もたくさんいるそうだが、英語の巧みでない者は試験で跳ねられ、給与の安い会社に甘んじているとか。

実はプリー出身の前ヨガインストラクターからも就職口を依頼されていたのだが、彼の弱みは英語が出来ないことで、ホテルの仕事を斡旋してもらえないかと拝まれていたのだが、マネージャーなどの汚れ職でない仕事は英語力が必須、結局うちのガードマンを月2000ルピー(1ルピー=約1.5円、インドの物価は日本の7-8分の1)でやらないかと持ちかけるしかなかった。しかし、ブラーミンという最上カーストでもあっただけに、プライドをいたく傷つけられたようだった。
「ぼくが捜しているのは警備員じゃなくて、ジョブだ」と怒りのこもったsmsが返ってきた。

そんなこといったって、ホテルの仕事ならなんでもいいと、あなたは言ったではないかと文句が出かかったが、ぐっとこらえる。職業に貴賎はありません、と言ってやりたいところだが、カースト社会のインドではタブーだ。
しかたないので、それなら、帰国までの二ヶ月間、ヨガを教えてもらえるかと持ちかけたが、気分を害していたせいか、オーケーの返事はもらえなかった。
ヨガレッスンだと、週二度で月500ルピーである。
二ヶ月きりのことだし、ほかに永続可能ないい職が見つかれば、そちらを優先してくれるようにと追記、「Thanks Madame」の返事がやっと返ってきた。

誤解は解けて、また友情が戻ったが、彼はいまだに無職だ。
いい職につきたいなら、最低限英語をマスターせよとは口がすっぱくなるくらいアドバイスしてきたことだが、彼のうちがあまり裕福でないため、個人教師についたりする余裕はないようだ。独学しかないが、いまだにマスターには程遠い実状だ。
かわいそうだが、インドでは英語が出来ないということは、まともな職にありつけないということにもなってしまうのである。彼は地元のコンピューター学院で基礎知識を学んだため、それを活かせる職を求めて、はるばる南インドのタミールナドゥ州都チェンナイまで探しにいったが、結局見つからず帰ってきた経緯もあった。

ヨガに関しては16歳のとき国内チャンピオンに輝いただけあって、それ相応の技能の持ち主だが、そのヨガだって、英語さえ出来れば、外国でインストラクターというチャンスが舞い込まないとも限らないのである。インド国内ではヨガはあまり人気がないが、国外ではブーム、本場インド人インストラクターは引っ張りだこ、現に私が以前通っていたヨガ教室の青年教師はシンガポールに高飛び、今は月ン十万を稼ぐ超リッチな身分にのし上がり、最近嫁を娶って現地に引いていったくらいである。
その彼とて英語は片言程度だったが、少なくとも個人教授について習得に努力していた経緯はあった。

しかし、ヨガの技能には差異がないのに、片や国外で金持ちインストラクター、片や無職とは皮肉なもんである。中流クラスと、低クラスの差もあったかもしれない。一口に国外に出るといっても、インドの常でン十万ルピーの手数料が必要になってくるのである。海外勤務の話がもたらされても、その手数料がアレンジできなければ、おじゃんである。

それはさておき、英植民地来の慣習で、第二母国語と化した英語はいまだにインド社会の端々に息づき、ミドルクラス以上の親たちがエリート教育と称して、子弟を英語一本やりの学校に通わせる風潮は根強い。
英語偏重、母国語軽視と嘆いても、現実に英語が出来ないと、生活面のみならず、就職口にも差し障ってくるということだ。お役所関連の文書はすべて英語だし、英語に堪能な人は、エリート教育を受けた知識人として仰ぎ見られるというのが、インド社会のある意味、苛酷ともいえる実態なのである。

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息子の帰郷

2012-02-28 18:23:52 | 私・家族・我が安宿
息子サミールが昨夜十一時前、戻ってきた。
州都ブバネシュワール着の列車で夫がいつものように車で迎えに行ったが、たいてい真夜中近くになるのが、今回は割りと早めで、私もネットの手を休めていそいそと出迎えた。
帰郷が延び延びになっていたものだが、今回はたったの四日間の超短期休暇である。

南インド・カルナータカ州都バンガロール、インドきっての西洋化されたIT都市でコンピューターを学んでいる息子は現在、大学院三年生。
最終年だけあって、就職活動に奔走しているせいで、帰郷もままならなかったのだ。

一月初旬に戻るはずが、二月末までずれ込んでしまったのであった。

すでに一社内定しているが、インドのこと、現実に招聘の手紙が来るまではわからないので、他社もトライしているのである。
五日に入社試験があるとかで、その合間を縫って戻ってきたのだった。

少し太った息子は元気そう。
いつもやせて帰ってくるので、今回は顔がふっくらしているのに驚いた。
髪型も、一部細い三つ編みにしてうなじに下ろしており、今風。
ラップミュージックが趣味なのだが、いよいよラッパーと化してきた印象。

何はともあれ、やっとお目見えてできて、一安心。
明日は、親子三人、恒例のワインパーティーだ。
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ベンガル湾季節便り/もやう引き海

2012-02-27 18:47:00 | 季節・自然
日が沈む直前、浜に出た。
海辺に出るころには、くれないの落日は下半分没した半円になっていた。
今日は昨日に引き続きの引き潮で、波打ち際が50メートルほど干潟のように現れていた。



ひたひたのうしおに素足を浸しながら、歩いた。
東の漁村側の近海には、セピア色の漁船がまるで青い草原に羽を休める蛾の大群のように留まっていた。

桜色に染まる汀の高い上空に白い三日月が浮かんでいる。
昨夜は、三日月をはさんでたての二等辺三角形の位置に瞬く金星(下)と木星(上)が美しかったが、時間が早いせいか、宵の明星さえ見えなかった。

引き海を楽しむ遊歩客、胴まで水につかっている者もいる。
濡れ砂に背後の五つ星ホテルのオレンジ色のライトがにじむように映し出される。
もやって、極西のホテル街の灯は灰色のベールに覆われぼんやりとしか見えない。

干潟のそぞろ歩きを楽しんで、戻った。

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ベンガル湾季節便り/ワインレッドの宵に三日月

2012-02-26 19:45:16 | 季節・自然
州都ブバネシュワールでは先日38度をマーク、まだ二月というのに、今からこれじゃ先が思いやられる。時期はずれの高温で、当地プリーでも今日の昼ベランダに出た感じでは、三十度半ば近くあるような暑感だった。

夕焼けもこのところ、季節の変わり目の、夏に突入したことを思わせる鮮やかさである。今日は日が沈んでから浜に出たが、六時過ぎでも薄ら明かりがあり、日が長くなったことが如実にわかった。

西の空が鮮烈な赤みを帯びて美しい。
ワインレッドにたそがれる空に、こんじきの三日月と宵の明星のコンビが浮かび上がり、ノスタルジックさをかもしていた。
真下の海も暗い葡萄色に燃えていた。

引き潮で干潟のように顕れた波打ち際は、波紋に松かさ模様を編んでワイン色に照り映える砂に、月がゆらゆらしろがね色に映し出される様がなんとも風情があった。

水ぬるむ初夏、ひたひたのうしおに浸すくるぶしも冬季のひんやりした肌触りから、生温いまとわりつく触感に変わった。

明日は日のあるうちに浜に出て、今の時節ならではの華麗な夕焼けを満喫することにしよう。
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古代医術アユールヴェーダ(銀座新聞連載エッセイ)

2012-02-24 21:21:41 | 印度の玉手箱(銀座新聞連載)
銀座新聞ニュースに、最新エッセイが掲載されました。
5000年来の歴史を持つ自然療法、アユールヴェーダについて述べたものです。
写真と併せて、ご一読ください。



インドで今も流行する5000年来の予防医学
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ベンガル湾季節便り/夏の緒の夕映え

2012-02-24 21:01:25 | 季節・自然
日が沈んでから、浜に出た。
途上、黒と白の牡牛が角を突き合っている現場に遭遇した。
インドではよく見かける光景だが、とばっちりを食らうと危ないので、少し離れたところから恐々携帯でパチリ。



案の定凶暴になっている牛二匹は位置を変えて、こっちの領域に突っ込みそうになるので、間一髪飛びのいた。
バザールでもよく牛の喧嘩を見かけるが、周囲の群衆は恐れて、さーっと潮が引いたように後じさる。
しかし、平生はのんびり、人には危害を加えない穏やかな草食動物だ。

今日の海は凪に近く、波がほとんどないせいで、ミルクブルーの大海には何十艘もの舟が連なっていた。
西の空がだんだら模様の臙脂に色づいている。
ひたひたのうしおに足を浸しながら進むと、途上十数名の逍遥客が群れている現場にぶつかった。
二人の漁師が白い投げ網を引き上げているのである。
小さめの水色の網目には銀色の小魚が絡まっていた。



そこを過ぎててくてく歩くうちに、西の下空は鮮やかな茜色から濃いピンクに変わり、波打ち際が名残りの陽を反映してきらめいた。



初夏らしい鮮烈な夕焼けだ。
濃桃から灰紫色にぼかしたような空の上に浮かんでいるのは、宵の明星。
頭上の高いところには、ひときわ美しいしろがね色の木星が煌々と瞬いていた。
さらに東寄りに、木星より暗めの星が一粒、ほかにも数粒、23日ごろから五つの惑星が見えるとのことだったが、星に疎い私にはどれがどれだかわからない。
あれが火星、水星、土星?とあてずっぽう。火星は赤みがかっているはずだが、それらしき色合いのは見つからない。

時々刻々と夕空は褪色し、紫紅に染め替えられた宵の中空に、金星がより明瞭に浮かび上がった。

いつもは西より早く闇の降りる東の空には浮き雲、薔薇色に染まっている。
ローズピンクに照り映える海原に数珠につながった漁船が美しい。

ふとこの近くで自主映画会が催されていることを思い出し、確か海沿いの小さなロッジが会場だったと思い、足を伸ばしたが、今年から会場が変わったものか、見つからなかった。
二月はカルチャー関連の催しが多かったが、行ったのはサンドアート祭りくらいだ。サーフィン祭りも、オディッシーといわれる当オディッシャ州古来の優雅な古典舞踏のお祭りも、見逃した。
帰国を来月末に控え、執筆スケージュールびっしりで、行っている暇がなかったのだ。
残念だけど、仕方がない。

ところで、今年は、当地プリーも観光省の外人客誘致のキャンペーンや催しが功を奏してか、去年より欧米人旅行者が多い。道を歩いていても、よく見かけ、わが安宿ラブ&ライフもおかげさまで、日本人はじめの外人客でにぎわっている昨今。
日本など一部の国のみ、到着ビザが空港で取得可能になったこともあるかもしれない。

州都は先日日中38度をマーク、冬は終盤、いよいよ初夏の兆しだ。
当地の室内気温も30度近いこのごろだが、今日の日中ベランダに出た暑感ではゆうに30度越えているように思われた。
昼間はエアコンを作動しているここ二、三日だ。

生温い夜気に、鈍いうなり声をあげて蚊がぶんぶん飛び回っていた。むき出しの手足がかゆくなってきたので、帰宅の足を速めた。
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夜逃げ?した日本人経営代理店その2

2012-02-21 22:35:18 | 私の作品(掌短編・エッセイ・俳句)
バンコック・カオサンロードの以前、私もお世話になったことのある、さる日本人経営の旅行代理店閉業の続報。

ネットによると、1月8日に夜逃げ?とあり、事件からすでにひと月半もたっていたことが判明した。
オーナーのM氏は腎臓病で人工透析を受けており、店には出ていなかったともある一方で、M氏が夜逃げしたとの文調の記事もある。

ちなみに、年末年始のシーズンはまとまったお金が手に入るせいで、夜逃げにはもってこいなのだそうだ。
かなり大勢の日本人旅行者がチケットをオーダー、泣き寝入りを強いられたようだ。
おそらくン百万持っての、逃亡である。
M氏もぐるで、タイ人妻との相談の上のことなのか、あるいは店に出ていなかったとしたら、タイ人妻と日本人スタッフが共謀、独断でやったことなのか。
誰が犯人なのか判然としないが、たといそのうちの一人であったとしても、巻き込まれただけの残り二人の被害者は顔を出せずにドロンするしかないだろう。

夫婦ぐるみの犯罪とも考えられるが、真相は藪の中だ。

ちなみに、今バンコックの有名安宿街カオサンロードで人気の日本人経営旅行代理店は「ジパングツアー」というのだそうだ。
カオサンより一本はずれた裏路地らしい。

M氏の代理店の栄枯盛衰を見守ってきたという人の記事も読んだが、M氏の月収は2000-4000ドルだったとある。
ネット上の評判はよろしくなく、チケット代金は、持ち逃げドロンを恐れる日本人の弱みに付け込んだように高かった。私自身も、高いと思いつつ、安心料でしかたないかと払っていたのだ。

彼の商売方針は遅かれ早かれ、破滅へと導く種をはらんでいたように思える。

それにしても、バンコックの日本人経営宿や、日本人経営代理店はメチャ稼いでいるんだなと驚き。ちなみに、インドほどでないが、タイの物価も安い。外貨価値のない中進国でン千ドル稼ぐとはたいしたもんだ。
それも、日本人相手であってこそだろうが。
インドの田舎町でホテル経営する私にはひとえにうらやましい。

しかし、その分うちは間違っても、夜逃げ?などという劇的な顛末には至らなさそうだ。
のんびりマイペースで良心的な安宿商売をやるのみである。


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ベンガル湾季節便り/初夏の夕海

2012-02-21 18:23:58 | 季節・自然
二月も下旬に入って、いよいよ季節も初夏に突入。
朝晩はまだ涼しいが、日中は三十度近くある。
ここ二日ほど、冷房も試験運転。
ずっと使ってないと作動しないことがあるから、まめにチェックしないと、本番の酷暑期不能なんてあわくう事態に遭遇する。自衛として、日中少しでも暑いときは、一時間ほど動かしているのだ。

日の入り時刻も五時半過ぎに出て、間に合うようになった。
今日の夕日はオレンジ味の強い光輝で、陸(おか)寄りに没した。
やや低気圧気味で空気は生温い湿り気を帯びているため、沈む間際はもやの淡いカーテンがかかっていた。



近海にはたくさんの船が出ていた。
昨日、破壊をつかさどるシバ神のお祭りだったため、波打ち際にはプジャ、祈祷セレモニーの名残りの供花マリーゴールドの残骸が打ち上げられている。茶色い椰子の実の殻も。
鮮やかな臙脂色の糸で綴った花束は波が押し寄せるたび、白い泡をかぶって移動、しおが退くとまた鮮烈な顔を覗かせる。



昼の気温が上昇したせいで、海に漬かっている人も多め。
そういえば、新聞によると、23日ごろから、金星、木星はおろか、火星、水星、土星の五つの惑星が肉眼で見えるとあった。

これは楽しみだ。
日が落ちてから、五つ星観察といこう。
金星、木星はわかるし、火星も赤みがかっているので、認識できると思うが、水星、土星はどうかな。
昨夜は金星が煌々とこんじきの放射光を散乱し、ひときわ美しかった。
南の水平線の少し上に長寿星、カノープスも目撃できた。
最近、カノープスをよく見ているので、寿命が十歳くらい延びたようだ?

ヨガを復活したため、胃の調子も悪くない。
長生きして、人の喜ぶ文章をたくさん書かなくっちゃ。
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