インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

ベンガル湾季節便り/夕空に半月

2012-05-31 21:14:19 | 季節・自然
日中蒸し風呂のようなオフィスで原稿を打った後、夕涼みに浜に出た。
雲が、水平線に黒々と垂れ込めていた。
そのうち天からぽつぽつと雨粒が落ちだし、傘を持ってない私はあわてた。

椰子の葉で編んだパラソルが六つ、五つ星ホテル前の砂浜に並んでいるので、いざとなったら、あそこで雨宿りしようと、足を伸ばした。
ところが、雨はぱらついたのみで止んでしまい、満潮の海に足を浸して涼むうちに、黒い雲もいつのまにかきれいに吹き払われ、夕日が背後の地平線上に顔を出した。
サフランオレンジに燃える落陽には、一筋の雲がかかっていた。

波打ち際では、たくさんの海水浴客が戯れていた。
日が半分沈んだところで、きびすを返す。
途上の民家が、結婚式の準備だろうか、黄橙色のフリル状の電飾で一面に飾られ、軽快な打楽器に合わせて音楽が流れてきた。

火炎樹の下を潜り抜けて、戻る。
朱色に彩られた地にかがんで、花びらを一枚拾った。
赤みがかった橙だ。
桜の花弁より、ずっと大きい。
熱帯桜真っ盛りの今は、雨季の近いことを告げる印でもある。

戻って、マンゴーをむさぼった。
熟れて甘く、乾いた喉を滑り落ちる。

ベランダに出ると、空が燃えていた。
オレンジからピンク、藤色へ変幻する夕空の高いところに、おぼろに半月がかかっていた。

もう少し浜にいればよかったと悔いながら、そのままそこに立ち尽くして、夏の上弦の月を仰ぎ続けた。

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しのぎやすい曇天

2012-05-29 19:54:51 | 私・家族・我が安宿
昨日から曇天、空一面を雲が覆っているせいで、太陽が翳り、やや過ごしやすくなった。
体もようやく、現地の環境になじんできたようである。
先般の帰国旅行では桜三昧を堪能したが、わが移住地、東インド・オディッシャ州、ベンガル湾沿いの聖地プリーでは、火炎樹が燃えるようなオレンジ色の花を噴き上げ、ぱっと目を惹くあでやかさだ。

熱帯桜の異名をとるだけあって、枝振りが桜にどことなく似通っているのである。
日本の四季に恵まれた穏やかな気候下の愛らしいピンクと違って、いかにも熱帯らしい鮮やかな炎色だが、それがまた風土に合っている。

スリランカの南国の浜辺では、芳香の強いチャンパの花樹が咲き乱れていたっけ。純白の五つの花弁の中央のしべがほんのりレモンがかっており、地に点々と落花している様が目を惹いた。

日のあるうちに、浜に出た。
満潮で中空に弾けるほど波が高かったが、波打ち際では子連れの家族やカップルが水と戯れていた。
海水浴にはもってこいの陽気だが、ベンガル海は波が荒く、遠浅でないので、泳ぐに適さず、汀でばしゃばしゃ戯れるだけだ。それでも、大波が押し寄せ、体ごと弾き飛ばされる。
熱帯の海だが、波は思いのほか凶暴だ。
荒波にパーンと張り倒される感じ。

私は、素足を浸すのみだったが、急に波涛が押し寄せ、短パンの裾がびしょ濡れになった。

来月一日まで曇天が続き、熱帯の苛烈な日差しは遮られるようだ。
戻った当初は熱波の渦中だったが、少し過ごしやすくなって、ほっとしている。

昨日から、原稿に取り掛かり始めた。
デッドラインは、六月末だ。
差し当たっては、原稿優先、ほかのことは何も考えてない状況だ。

専念して、六月中には形にしたい。

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熱波に閉口

2012-05-27 15:34:46 | 私・家族・我が安宿
およそひと月半の帰国旅行から戻って三日目。
デリーのドライな猛暑にも参ったが、海がすぐそばの当地プリーのミッドサマーは高湿度で、気温は三十度半ばながら、体感的には四十度近く感ぜられる。
ちなみに、州都ブバネシュワールは四十三度で、デリーより暑い。当オディッシャ州の奥地は、四十五度以上で、何十名と死者が出ている。

インド人夫とて、ばてたようにベッドに伸びている。
愛犬ジュピターもはあはあ荒い息で、床にだらり。
私も、つい冷房室にこもりきりに。

最悪なのは、一日に三、四時間電気が切れること。供給をまかないきれずの計画停電である。
いつ電気が切れるかわからないので、冷房はついつけっぱなしになる。切れたとき、余寒で乗り切れるからだ。自家発電機があるので、扇風機は作動するが、弱電で冷房は不可なのである。

いやあ、予想以上にしんどい。
夏風邪を引いてしまい、咳が止まらない。にもかかわらず、貧乏性の私は、時間を無駄にしまいと起き上がったりするから、十分に休養が取れない始末だ。

六月中に仕上げなければいけない長い原稿があるのだが、さすがにジェットラグも引きずっている今は、手が着きそうにない。

オフィスに冷房を入れて、快適な環境下で原稿が打てるようにすべきかもしれない。

ああ、しかし、くそ暑い!

スリランカまでは、旅行気分でよかったのに、帰印して暑熱地獄の只中だ。

来月初旬の雨季がひとしお待ちわびられるが、遅れるとの予想も出ているだけに、苛酷な気候にアジャストするまで、いま少し時間を要しそうだ。
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スリランカの拾い物ツアー

2012-05-26 19:51:39 | 
五十日の帰国旅行を終えて、昨朝、わが移住地、インドのプリーに戻った。
先般二十日のフライトでコロンボ一泊、翌夕首都デリーに帰着、二泊して息子のPIO(Person Of Indian Origin)カード(15年間インドへの出入国がフリーになるインド出生者もしくは、インド人が配偶者向けのビザ手帳)申請、翌日は夫の甥の車で今秋インドで挙式予定の弟夫婦(すでに入籍)一行が泊まる予定のヒルトンホテルの下見と動き回り、二泊三日の冷房寝台車で東インド・オディッシャ州の海岸部であるわが居住地、プリーに無事たどり着いたのである。

今回は過密スケジュールだったせいと、デリーが42度の酷暑真っ盛りで、戻ってプリーも三十度半ばとはいえ高湿度の蒸し暑さ、体調を合わせるのが大変で、夏風邪を引いてしまい、昨日は一日冷房室のベッドに横たわっていた。

今日は50日ぶりにヨガを行い、ぬるめのお風呂に入って、久々に自炊して煮物とわかめサラダを作り、昼食に舌鼓を打った。スーパーやお弁当屋さんの出来合い弁当をひと月半食べてきただけに、わが手で作ったものはさすがにおいしく感ぜられる。

午後遅く、パソコンに向かい、メールチェック。急ぎのメールを三本打った後、日が落ちた薄暗い中を浜へ。西寄りの空にはこんじきの三日月が浮かんでいた。
久々のベンガル湾の空気を思いっきり、吸い込んだ。
この海水は、スリランカのネガンボビーチにつながっているわけだなと、ふと思いを馳せる。

今回初めてスリランカ航空を利用したが、安い割にはサービスがよくて、乗務員もフレンドリーで、かつお酒飲み放題、すっかりスリランカびいきになってしまった私、二倍も高値のインド航空にしてたら、何よりストライキで帰れなかったはずだ。そう、インド航空は、パイロットが給与未払いを不服とするストに突入して十日かそこらたつのである。スリランカエアにしてよかったあ、である。

機内食も帰路を全部ヴェジタリアンにしたら、昼は野菜天丼、夜は野菜グラタンと、カレーが苦手な私には食べやすく、おいしかったし、座席裏のタッチ型スクリーンでは、インド映画も二作鑑賞、白ワインをお代わりして文庫や雑誌に読みふけるうちに、九時間という長さが苦にならないほどのあっという間の旅程だった。
行きはバンドラナイケ空港での一時間待ちの東京行き国際便への乗り継ぎ、帰りは航空会社のアレンジするホテルでコロンボから18キロ離れたネガンボビーチに一泊後の翌午後デリー行き便だったが、コロンボの街中と思い込んでいたのが、海がまん前のホテルに連れて行かれ、思わぬ拾い物をした感じだった。

その名もゴールデンスター・ホテルは一応プールはあるものの、老朽化しており、レストランの夕食もいまいちで、ファイブスターと聞かされていた私は当初がっかりしたが、ウエイターに周辺の見所を聞いたら、海がすぐそこと言われ、狂喜にのけぞった。
早速、高台のプールとその背後の屋外バーを降りて、椰子樹の植わった裏庭を抜けて、海に向かった。足に当たる地はすでに砂で、椰子の葉越しに、磯の香のする潮風が吹き抜けて、磯の匂いがぷうんと漂ってきた。
ものの数分で、渚に出たが、いかんせん、十時近く、照明は薄暗い。遠出は出来そうにもないので、周辺をうろうろ。しかし、海好きの私は潮の香を嗅いで、波音を聞いて、大満足。眼前に広がっているのは、見慣れたベンガル湾だ。もっとも、プリーと比べれば、はるか遠方の南に下ることになるが、雨季が近いせいか、夜空には雲が一面に広がっていた。

翌朝は早起きして、ビーチの端から端まで散策、岩礁を基点に三つの浜が開ける形状を確認できたが、二つ見ただけで断念、十一時に空港への迎車が来る手前、のんびりしていられない。
私が泊まったホテルの前のビーチが少し俗化しているのに比べ、岩礁の向こう側に開けるビーチは穴場的静けさに満ちていた。
機内でいっしょだった禿頭・長身の何人だかわからぬ男性が、相棒と楽しそうに戯れながら、写真を撮っていた。しばらく、足取りを眺めていると、背後の古めかしいコロニアルスタイルの大きなホテルに戻っていった。
私にも、こっちのホテルが割り当てられたらよかったなと恨めしく見守りながら、さらに足を進めた。

ビーチ散策のあとは周辺の町並みをうろつき、息子から所望されていた短パンを土産物屋のひとつで見つけたので、インドルピー1000をはたいて三着買った。インドの物価に比べると、高めで、およそ二倍、でも日本よりは安い。スリランカを擦過した記念にいいだろうと思って奮発、しかし夫にスリランカ煙草を買おうと思ったら、一本15インドルピーといわれ、100ルピー一枚しか残っていなかったので、7本しか買えなかった。が、パッケージは記念につけてもらえた。
それにしても、やけに高い。ミネラルウオーターがホテルで79インドルピーとか言われたし。ファイブスターということもあったのだろうが、インドではビールを買っても余りが来る値段だ。ミネラルは一本部屋についていたので、買わずに済んで助かった。

煙草はツーリストプライスでぼられているのかと思って、道端に所在投げに座っていたオートリキシャのお兄ちゃんに聞くと、一本23スリランカルピーというので、これが相場らしい。
お兄ちゃんに、ネガンボタウンに出れば、ダッチフォートや教会、ラグーン、フィッシングマーケットが見れると勧誘されたが、もう時間がない。
そうか、ここは元オランダの植民地か、どおりで、教会が散見されたわけだと納得、ちょっと南インドの港町コーチンを一回り小さくした感じで似ており、赤い瓦屋根のコロニー風民家とか、ノスタルジックだ。

名残惜しい思いいっぱいで、ホテルに戻った。
たった半日のトランジットツアーだったが、ネガンボビーチがすっかり気に入ってしまった私、次回の帰国も絶対、スリランカエアとひそかに心に決めていた。
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東京ラストデー

2012-05-19 21:19:43 | 
今日はいよいよ、東京最終日。
明日の午後一時二十分のフライトでスリランカの首都コロンボに発つ。
コロンボに一泊後、翌日のフライトでインドの首都デリーに向かい、夕刻帰印予定だ。

午前中スーツケースを宅配に出した後、午後一時に門前仲町で友人Tと待ち合わせ。
コーヒーと、おいしいお寿司、合間に深川不動尊と富岡八幡宮のお参り、またコーヒー、お土産に高級ほうじ茶まで買ってもらい、締めはもりそば、すっかりご馳走になってしまった。

門前仲町は、Tが以前十二年ほど住んでいた街で、帰国のたびにスーツケースを預けさせてもらったりで、私にとっても親しい街だったが、裏通りに、高名な寺社があるとは知らなかった。
深川不動堂の、諸願成就の不動明王木像は巨大、片目は半眼だ。どんな願い事もかなえてくれるとのごりやくがあるため、本殿前と御像前のお賽銭箱に二度小銭を投げ入れ、熱心にお祈りした。金運上昇のパワースポットとしても有名らしい。
ウイキペディアによると、江戸時代のはじめ、歌舞伎役者市川團十郎が不動明王が登場する芝居を打ったことで、成田山の不動明王を拝観したいという気運が江戸っ子たちのあいだで高まり、元禄16年(1703年)、1回目の成田不動の「出開帳」(今で言う秘仏特別公開)が富岡八幡宮の別当・永代寺で開かれ、これが深川不動堂の始まりとなったという。成田不動の出開帳は安政3年(1856年)まで、江戸時代を通じて12回行われたが、そのうち1回を除いて深川永代寺が会場となった。永代寺は明治維新後、神仏分離令により廃寺となり、旧境内は深川公園となった。しかし不動尊信仰は止むことがなく、明治11年(1878年)に現在の場所に成田不動の分霊を祀り、「深川不動堂」として存続することが東京府により認められた。なお、地名「門前仲町」は「永代寺の門前町」という意味らしい。

本堂の脇の新築まもない拝殿(新本堂で不動明王本尊を遷座)は、外壁が梵語をちりばめた不可思議なデザインになっており、土足を脱いで入り込むと、めくるめく金ぴかの拝殿が地下にしつらえられていた。お坊さんが読経、大太鼓を鳴らす。
一段上に上がり、床に掛け渡された石の太鼓橋を渡った対面のホールには、各種仏像や、掛け軸、ガラスの五輪塔(主に供養塔・墓塔として使われる仏塔の一種)に納められた極小不動明王像などが展示され、興味深かった。高野山真言宗とは密教なので、さすがに華美だ。

お堂を出た後、左折した路地の奥に見えていた富岡八幡宮に向かった。このお宮は、緑青屋根、丹塗りの東京都最大の八幡神社。別名「深川八幡」ともいい、建久年間に源頼朝が勧請した富岡八幡宮(横浜市金沢区富岡)の直系分社で、日本最大の神輿と水かけ祭りで有名。大相撲発祥の地でもあるだけに、力士関連の石碑も脇にいくつも立っていた。
境内の神輿蔵に納められている、巨大な神輿二基も見事だった。Tによると、神輿の下に掛け渡された担ぎ部分の柱が壊れて以降、展示用のみとなったというが、浅草三社祭のゆうに四倍はあるいかにも重そうな、神輿だ。
100名くらいの男女が担がないと、持ち上がらないのでないかと思わせる重量。担ぎ上げる部分の木材が壊れたというのもさもありなん。

脇から入ったため、入り口から出る逆参りになったが、富岡八幡宮の額のかかった、巨大な鳥居近くには、江戸時代、地図測量に貢献のあった伊能忠敬の像も立っていた。
フリーマーケットの催される第3日曜を除いた全ての日曜、境内には骨董市が立つという。明日がくしくもその日だが、出発で見れないのが残念だ。

最後の最後まで、江戸情緒を色濃く残す深川界隈の観光まがいのことをできて、大満足、黒船橋から見下ろす運河は黒い水面にゆらゆら灯を映し出していた。
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三社祭の夜神輿

2012-05-18 21:03:31 | 
今日は午前中、船便で本の小包(20数冊で4500円)を出したあと、遅ればせながら、拙著「車の荒木鬼」の印税の一部を、日本赤十字社主宰の東日本大震災義捐金に寄付させていただいた。

午後はスーツケースの宅配サービスに電話するのに、予想以上に手間取った。いつも利用しているABCがいっこうにつながらず(電話代だけで200円以上、延々音楽が流れて待たせられた)、やっとつながったと思ったら、三社祭で引き上げにいけないようなことを言われ、結局、歩いて十数分のところにあったヤマト運輸を利用することになった。
超重いトランクを自分で持ち運びしなければならないのかと、パニくった私だった。
しかし、クロネコヤマトのお兄ちゃんも要領を得ず、なんとか明日の午前中引き上げてくれるよう御願いしたが、少し心配。
スーツケース宅配では初めてヤマトを利用するし、空港内の引き取り場所も無論違う。
名の通ったクロネコヤマトだから間違いはないと思うが。

そんなこんなで、浅草三社祭を見に行こうと思っていたのに、宅配サービス手配でどっと疲れ、祭りには行けず、荷造り、六時半ごろにはどうにかトランクに納まってひと息、ティーを入れて一休み。
漫然とテレビを見流した後、八時前、外出。
威勢のいい掛け声が聞こえてくるので、もしかしてと通りを見ると、やったあ! 神輿が出ていた。
頂点に金龍の乗った浅草寺をかたどった、四面丹と黄金(こがね)の鳥居を祀った金ぴかのみこしを三十名近い男女が、江戸っ子の威勢のいい掛け声を上げながら、担いでいく。
周囲にも、背に浅草町の漢字のあるはっぴをきた若衆が群がり、手拍子、熱気が伝わってきた。

表道から路地に折れると、住民たちも家から顔を覗かせ、手拍子の声援を送りはじめる。外人旅行者も、ものめずらしそうにカメラを向けていた。
みこしは、浅草町二丁目会のちょうちんの垂れた事務所で泊まり、休憩した後、帰社、今来た道を戻り始めた。
三十分ほど、ついていったが、面白かった。

ひとときでも、三社祭の雰囲気を味わえてよかった。

夜のみこしはまた昼とは違った風情がある。
先般浅草寺を参拝したとき、蔵に納められていた神輿を見たが、あれが担がれて出ているわけである。
担ぎ手たちもみな一杯入っており、赤ら顔、酔いに任せて威勢のいい江戸っ子の掛け声を張り上げ、酒臭い匂いが混じった熱気を撒き散らしながら、進んでいく。

宅配サービス手配には泡を食ったけど、終わりよければ、すべてよし、今回の帰国旅行はタイミングもぴったし合って、ラッキーなことが多かった。
奇跡に近い邂逅もあったことを記しておこう。

ひと月間お世話になった外人宿(山谷のアイズヤイン)をあとにして、いよいよあさって、スリランカに向けて発つ。コロンボ一泊で、インドの首都デリーには、21日夕刻到着予定だ。

あわただしい旅程だったが、今回は特に想い出深い帰国旅行になった。
雨にたたられ、少し体調を崩したけれど、たくさんの人に会えたし、下町探検も堪能した。
締めくくりが三社祭。
楽しませてもらった。



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帰印間近

2012-05-18 11:27:35 | 
いよいよ帰印が迫ってきた。
昨日は秋葉原に出て、ショッピング、いつも安いムーブメントの腕時計を買う店がなくなっており、夫に頼まれていた土産はふいになった。
しかし、私にとっては怪我の功名。帰国のたびに、カシオの1000円時計に何千円と散財させられてきたため、苦々しく思っていたのだ。
いったい何十個の帰国土産時計が、夫の友人知人にばら撒かれたことか。
昨春から、単身帰国にしたので、この悪習にけりをつけたかったが、夫に頼まれて三個買う羽目になった。今年も四個欲しいというので、三個しか買わないと言い張って、出てきたのである。

一応他の店も覗いたが、適当なのが見つからない。これ幸い、時計は買うのをやめて、「洋服の青山」の店頭で安売りしていた衣服を、息子用に赤のベスト、夫用にTシャツ二枚を買い求めた。

バッグ店も一応覗いたが、欲しいと思うようなウエストバッグは見当たらなかった。
ブックオフに立ち寄って、105円文庫を七冊。友人に中古本をもらっていたが、少しは自分の読みたい本もストックに追加しておきたかった。
書泉グランデで、店頭に平積みになった注目本をざっとチェック後、地下鉄で南千住に戻る。
北口に下りて、ショッピングセンター・ララテラスにある、100円ショップ・ダイソーへ。重い荷物を抱えながら、だだっ広い店内を物色、日本食や土産類など、二十点ほど買い込んだ。

両手にビニール袋を抱えながら、南口に出て歩道橋を渡って、直進、泪橋の交差点を左折、「サイゼリヤ」でどっとソファ席に倒れこむように休憩、定番のミートドリアと飲み放題のドリンクバーをオーダーし、粘ること三時間、買ったばかりの文庫二冊を読み終えてしまった。
実は北口のショッピング街の二階にもサイゼリヤが入っているのだが、こちらはいつも高校生であふれ返り、騒々しい。
南口も週末はファミリー客であふれるが、平日はたいてい隅っこのソファ席を占領できるし、ドリンクバーをオーダーすると、各種ジュース、コーヒー・ティー飲み放題で、ゆうにニ、三時間は粘れる。子供も少ないので、騒がしくない。

本を読むには、ほかに飯田橋の「ヴェローチェ」、安コーヒーチェーン店もお薦め、客のほとんどが書類や本を広げる単身客で、店内は静か、みな粘る体制でいるので、気兼ねが要らず、ゆったりできる。

今回、サイゼリヤは取材メモをまとめたり、企画書を書いたり、本を読んだりするのにとても役立った。

さて、今日は浅草の三社祭だが、その前に本の小包を作り、船便で送らないと。

夜はトランクの荷造りと(かなり買い込んだが、入るだろうかとちょっと心配)、あと手荷物サービスに明朝引き上げてもらう旨電話しなければいけない。

しみじみ振り返ってみるに、なんとあわただしい滞在だったことよ。
帰郷した最初の十日間は超ハードで、人と会うのに忙しく、東京に戻って以降は、雨にたたられ動けず、体調も今ひとつ、少し中だるみしたが、大体会いたい人には会ったし、取材フォローも済ませた。数ある出会いの中には、予想だにしない邂逅もあって、人生の不可思議さに陶然となったことも。

当初の帰日目的はほぼ果たせた有意義な滞在になったが、できれば、もう少しゆっくり本を読む時間が欲しかった。資料として読みたいと思っていた広岡敬一の本は手に入らず、次回回しとなってしまったし。
しかし、終わりよければ、すべてよし。

もしかしたら、年内にもう一度帰国することになるかもしれない。

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エアコン寝台車と二等車の違い(銀座新聞連載エッセイ)

2012-05-16 23:32:02 | 印度の玉手箱(銀座新聞連載)
銀座新聞ニュースに最新エッセイが掲載されました。
写真とあわせて、ご一読ください。

寝台3等車内は会話なき中流インド人、猥雑な2等時代が懐かしい
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お台場海浜公園

2012-05-14 22:33:53 | 
水上バスで、お台場海浜公園に行ってきた。
前もって、ヒミコ(漫画家松本零次がデザインした未来型スペースシャトルをイメージした船)の発車時刻は調べてあったので、徒歩で向かい、15分前に吾妻橋脇の切符売り場に着いたが、13時20分のは売り切れ、二時間後の便しか買えなかった。

しかたがないので、二時間ほど浅草界隈をぶらついて時間つぶし、息子の土産用シューズを物色したり、浅草寺に再度お参りしたり、トイレ休憩にうんこビル(アサヒビール本社)を前後二度利用した後、キップ売り場の二階にある水上バス乗り場へ。
すでに、乗客が列を作って待っていた。

ヒミコが船着場に入ってきた。
宇宙船をイメージした未来型デザインだけに、さすがにかっこいい。
撮影後、乗り込む。日中気温の上がった今日は、冷房が効いている。
白いビニール革ソファーと、円テーブル&チェアのセットのしつらえられた、ガラス張りに近い船内は明るく清潔で、サロン風、前方にガラス張りの運転席、後方がトイレと売店になっていて、黒いソファー付。
テーブル上のメニューには、ソフトクリーム300円、ジュース300-350円、ビール500円、スパークリングワイン700円、ミックスナッツ250円とあった。

船は滑るように川面を走り出し、全面ガラス窓に次から次へと現れる橋光景、高層ビル群、眺望抜群だ。アナウンスは、銀河鉄道999の車掌さん、主人公の哲郎となぞの美女メーテルの会話で、案内が進められていく。
船内の前方には、主人公たちのイラスト看板も掲げられていた。

しかし、他の安めの平常船とちがって、甲板に出れないのが不満。橋の撮影も、船内からでは全貌を撮るのはむずかしく、半分くらいしか射程に入らない。船内は快適だが、やはり船が切る川風に吹かれながら、じかに外気に触れつつ、橋の全貌を仰ぎながら進みたいところ。

下流に入るにつれて、水のうねりは強くなり、海と変わらない様相になっていった。
最後の13橋、以前は跳ね橋だったという勝鬨橋を過ぎて、いよいよレインボーブリッジ、最新型のカーブを描くつり橋が眼前に迫ってきた。
しかし、窓からは車の走る高架部分しか見えず、写真でおなじみのカーブが見えたのは降りてから。

展望台が銀色の地球儀のような、フジテレビの特徴ある高層ビルが背後に立ちはだかっていた。
看板地図で調べて向かって右、まず石の敷き詰められた磯エリアへ、自由の女神のレプリカ像を見学、背後の階段を上がって、桟橋のようになった歩道を戻り、目の高さで像を再び愛でた後、海浜エリアへ。
人口浜のため、砂の足ざわりはいまいちだ。日もいまだに高く、汗ばむ陽気だ。照りつける日差しを避けて、松林の植わったわき道を歩いて、ぐるりと回り込んで端にある、台場公園まで。
江戸幕府がペリーの黒船襲来に備えて、品川沖に設けた砲台跡がこの石垣の上の高台に残されており、公園として整備され公開されているのだ。
高台から仰ぐレインボーブリッジは、正面とは違ったアングルでよかった。
ここまで来ると、海越しに見回す高層ビル群の眺めもよく、カップルが数組憩うのみで、穴場的静けさだ。

入り江をぐるりと回り戻って、再度地図をチェック、磯エリアの端に潮風公園があることがわかったので、向かった。
低空に長いフランスパンのような雲が浮かんでおり、その上に淡いマーマレド色の傾きかけた陽があった。
公園に入って、少し行くと、塔のようなオブジェが見えてきた。そこから見ると、雲の下から流れ出したマーマレドのような夕日がよく見渡せた。爛熟した日はビルとビルの間にとどまり、鮮やかな残光を放つ。「夕日の塔」との命名どおりサンセットの絶好の見晴らし所だった。

そこからさらに海に沿って進むと、しおかぜ橋という弧状の小さな連絡橋が現れ、渡ってしばらく行くと、広場が現れた。大きな円形にうがったフロアに水がひたひたに流れ込んでいる。取り囲むようにそびえるのは、ココ椰子、南国ムードが漂うが、日が落ちて海を渡る風は冷たい。
「噴水広場」の背後にまっすぐ伸びている道は、水と緑のプロムナードで、直進すると、船の博物館駅に出るらしい。
結局、夕日の塔まで戻って、ライトアップしはじめたレインボーブリッジとその左脇にルビー色に輝く東京タワー、高層ビル、埠頭の灯、灯の点った白い汽船の往来と、淡いすみれ色の上空、美しい対照にひととき見入った後、背後に伸びた街と緑のプロムナードを突き抜けまっすぐ行って、お台場駅に到着、ゆりかもめ線で新橋まで戻ることにした(310円)。

大きなガラス窓から仰ぐ東京湾エリアの夜景は美しく、新橋埠頭の手前で、ライトアップしたレインボーブリッジを目前にする幸運に恵まれた。
ニ連のダイヤの首飾りを吊り下げたような麗しさに、見入った。
昨今は、すっかりスカイツリーにお株を奪われてしまった感じだが、ルビー色に輝く東京タワーの美しさも、まだまだ捨てたものじゃないと思った。
新橋からは銀座線で銀座まで、銀座からは日比谷線で南千住まで190円、行き1520円の三分の一の値段で戻り、サイゼリアで定番ディナー、取材メモをまとめた。

これで、すべての取材は終わった。
しかし、今日は大当たり。
仕事がらみとはいえ、充分に楽しませてもらった。
ちなみに、外れで失望感が大きかったのは、西葛西、ここにはインド人ITエンジニアがたくさん住んでおり、インド料理店も五軒あるのだが、とりたててインド人街というほどの特徴はなく、ただの街である。
一角にインドグッズ関連の店が軒を並べる小通りができれば少しはインディアンタウンという雰囲気もできるのだろうが。今後の、リトル・インディアンタウンの発展を期待したい。

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通称うんこビル?

2012-05-14 22:12:03 | 
吾妻橋付近まで来ると、川向こうによく見えるアサヒビールの本社ビル、その脇のホールという低ビルは通称、「うんこビル」で通っていることを先般、友人に知らされた。

私はてっきり、南京豆(落花生)、ビールのおつまみと思い込んでいたのだが、言われてみれば、なるほど「うんこ」に見えないこともない。どころか、見れば見るほど、うんこ、この形状じゃ、うんこを連想されても仕方ない。
フランスの建築家によるデザインで、本来フラム・ドール、金色の炎をイメージしたものらしいが、いまやうんこビルで万人に通じる汚名?を着せられてしまった。

炎を横倒しにしたのは、建築上縦にできなかったせいらしいが、そのため、炎と見る人は少ないというわけだ。

私が、落花生をイメージしたように、皿に載ったソラマメ、との説もあるらしい。
脇の本社高層ビルは、ビールのジョッキをイメージしているそうな。であれば、金ぴかというのもわかる。屋上には泡のオブジェもあるとか?

いずれにしろ、宣伝効果抜群。

すぐ近くのスカイツリーと並んで、東京名所と化している。

ちなみに、台風でうんこが川に落ちたこともあり、そのせいか、暴風に吹き飛ばされたうんこがスカイツリーに突き刺さるとのうわさもちらほら。
ビールジョッキをイメージする金色の鏡面ガラスには、スカイツリーのすんなり伸び上がる雄姿が映し出され、絶景かな。

うんこビル、万歳!

追記/うんこビルの別途の使い方。
心地よい革張りソファーや、椅子&テーブルセットのある広いロビーは休憩にもってこい、トイレも清潔で、私はトイレ休憩に三度も利用させてもらった。エコ関連の展示もあるし、社史も壁面に掲げられているので、時間のあるときは立ち寄ってみたい。上、階にはレストランや、カフェも入っている。
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