インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

ヴィパッサナーアシュラム体験記(書評)

2015-10-31 21:47:15 | 私の作品(短編・エッセイ)
以前少し触れたヴィパッサナー瞑想体験記、Vipassana: The Journey of A Thousand Steps(38歳の二児のインド人母ライターが著者)を三日前読了したので改めて書評を掲げさせていただく。

キオスクで手に取ったとき、直感で今の私が求めている答が見つかりそうと買い求めたのだが、その閃きにたがわず、スピリチュアルな気づきがいくつもあった。

著者の深い懊悩が伝わってくる良書で、具体的に何で悩んでいるかは記されていないが、とにかく過去の傷、感情の重荷から解き放たれるため、男友達推奨のヴィパッサナーアシュラムを、アラヴァリヒルに訪ねたわけだ。

アシュラムの所在地もはっきりとは記されてないのだが、おそらくラジャスタン州のアブ山である。デリーからさほど遠くない、私も過去一度訪問歴のある避暑地だ。

そこで完全な沈黙を保って一日十時間半の瞑想(休憩や食事を挟んで何回かに分けて行われる)を十日間という厳しい修行を課され、ほとんど瞑想の初心者だった著者が、白い光を見たり、滝のようなエネルギーの流れを体感し、如来(Tathagata)になったと有頂天になる。
無論、実際にはそんな生易しいものでなく、長時間の瞑想ゆえにひざや腰が悲鳴をあげて激痛を訴え(蓮華座で坐れず痛くなると崩したり伸ばしたり、腰を心持浮かせたりと、ひっきりなしに座型を変えて施行)、中日には孤独と絶望感を覚えたり、娘が恋しくなったりと、感情の嵐を体験するわけだが、苦しんだだけの糧はあり、奇跡現象を体験するのである。

過程で、アシュラム敷地内の孔雀や、遠目に望めるアラヴァリヒルなど、自然の美しさや、出入り禁止の本堂の神々しい美麗さも描かれ(四日目に本堂の小部屋での瞑想が許可される)、激痛を伴う苦行の中途で護符と目した孔雀の羽、雨に濡れた薄汚いものだったが、お守りと思い定めた物質現象に遭遇し欣喜雀躍する。

ヴィパッサナーアシュラムでの最初の体験を本にするという意図のもとに、初日は禁じられているペンと紙も盗んだりした著者だが、結局罪悪感に駆られて戻し、同時進行でメモをとることはあきらめる。そして、脱落者が出たり、掟を破って会話したりという、ルール違反もいるほかの受講者に混じって沈黙を貫き通し、激痛にもがくひざと腰に耐え瞑想し続ける。
沈黙を課されているためほかの仲間との会話も禁じられているのだが、そんななかで著者がソウルシスターと心中ひそかに名づけたアメリカやイタリア、パンジャブ州からの参加者女性との結びつきも描かれる(男女別の行法)。

しかし、これが最初で最後と、アドバイザー講師にも公言していた著者だったが、八ヶ月後に再訪、それも夏の盛りの五月に救いを求めるようにアシュラムを訪ねる。
下界に戻って以降、試練に見舞われ、決してたやすい人生でなかったことが示唆され(手術したとあって、健康を害していたようだ?)、前回の経験で瞑想中外科手術的に抉り出した心の傷のはずだったが消失しておらず、救いを求めての再来だったのだ。が、初回と裏腹に奇跡現象は一切起こらず、避暑地といってもうだるような暑さの中へとへとになりながら、結局のところ、如来になるにはまだ何度も生まれ変わらなくてはならないようだとの諦観と共に、アシュラムを去るのである。

奇跡現象は起こらなかったが、二度目は深い知恵を賜ったと納得して。

このページにすれば短い、エピローグ的な再訪部分が、生きている。
最初の体験だけだったら、長時間の瞑想をして、悟りに近い奇跡現象に見舞われたと天狗になって終わってしまうところだが、結局、奇跡はマヤ、幻想で、悟りには程遠い、今も苦悩のさなかにある煩悩の自分への諦観と共に、にもかかわらず、深い知恵を得たといって去っていくのである。

著者の悩みがもう少し具体的に書かれていると、もっとリレートできたような気もするが、ある意味生まれて老いて病を得て死んでいく人間誰しもが持つ根源的な苦悩とも言え、そうとらえると、あえてプライバシーを保ったのは効果的だったのかもしれない。

私の想像では、夫との関係に問題あるように思われたのだが。といっても、夫は初回幼い娘連れで、妻をアシュラムまで車で送ってくれたのである。が、最終日にアシュラム体験について、長々と電話で話したのは、ここに来るよう薦めてくれた男友達だった。それと、ライターとしての経歴に不満を持っていたようにも思える。
己に重ねあわせての、うがちすぎだろうか。

過去自分が他者によって傷つけられたこと、また反対に自分が意識しているいないにかかわらず傷つけたこと、そうした古傷が癒されていくことを望む箇所があり、著者が深いトラウマを背負っていたことがわかる。

ちなみに、ヴィパッサナーとは、実業家としても大きな成功を納めた故ゴエンカ師が教唆する、釈尊の編み出した原初の行法にのっとった瞑想形式で、在家聖者ながら巨万の富を惜しげもなく捨てて、無明の民に教えを垂れることを決意したことといい、カリスマ性のあるグルである。本書の随所にビデオ越しのグルの講義内容が出てくるが、含蓄に富み、立ち止まって考えさせられるものがある。

仏教国である日本の日本人にはわりとしっくり来る教えかもしれない。かつ瞑想もインパクトがありそうである(日本にも、京都などに同協会がある)。釈尊の原初の瞑想と聞いたら、敬虔な日本人仏教信奉者は興味を持つのではなかろうか。

蛇足ながら、扉に著者写真があったが、美人である。
これなら婚外交渉もありそうとは、またしてもうがちすぎだろうか。

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秋雲と残照の饗宴(写真)

2015-10-31 21:25:47 | 季節・自然
一昨日、浜に出たときの写真をアップしたい。
十一月間近でいよいよ秋たけなわだが、低気圧で小雨がちらつき、水平線には一条の厚い雨雲がかぶさっていた。

雲と夕焼けの対照が美しく、空は時々刻々移り変わり、秋らしい筋雲と淡いオレンジの斜光の饗宴で目を楽しませてくれた。

以下、ちょうどラクシュミー(吉祥天)女神祭真っ最中の、夕暮れのベンガル海をどうぞ。























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今年のラクシュミー(吉祥天)偶像(写真)

2015-10-31 18:47:31 | カルチャー(祭)・アート・本
昨夕、浜に出て再度海辺の背後に祀られていたラクシュミー女神を撮影したので、写真をアップしたい。インドでは富と繁栄の女神様、私のお気に入りでもある。昔付き合っていた年下のインド人恋人には、ラクシュミーと思われていた私。勧善懲悪の勇ましいシャクティ(コズミックパワー)のドゥルガー女神より、穏やかで優しい女神様で、富をもたらしてくれるのだから、好きにならずにいられようか。

では、今年の富貴女神の華麗なる金ぴか偶像、どうぞ!


海側から望む女神様の祀られた仮設テント小屋、仮の寺院
・パンダルと呼ばれる


近づいてみると。大音量のヒンディ映画ミュージック、
参拝者が群れていた


入り口にあった白鳥のはりこ像


天上の布幕と、プラスチックの椅子


遠目にも、聖域は光り輝く黄金色


さらに近づくと、当地プリーのジャガンナート寺院の
シンボル的宇宙の主の、真っ黒いお顔にまん丸目玉の
尊顔が最頂に見えてきた

  
さらに近づく。二匹の白い小象が鼻をもたげ、その内側に象の頭のガネーシャと、知恵と芸術の女神サラスワティ、蓮の花の上と、守護神の白いふくろうの上にお乗りになり、蓮をお持ちになっている美麗な偶像が神々しくて、思わずサンダルを脱いで合掌


台座に白いふくろうの守護神、手前に見えているのはお供え物
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紙面刷新にあたってのご挨拶

2015-10-31 18:17:13 | 私の作品(短編・エッセイ)
拙ブログの愛読者の方ですでに本日分を覗いていただいた人には一目瞭然だが、紙面を刷新しました。
インドではもうすぐ、旧暦のお正月ディワリー。
というわけで、少し早いが、新たな年に向けて、テンプレート変更、今夏金沢にベースを設けたことでもあり、インドに偏ったエスニック風ではなく、水辺が好きな自分の好みを反映し、ベンガル海と犀川のウエーヴをイメージしたものにした。

私の本名、下のほうの名前三智江の江は、川や海を意味する漢字、で、陳腐かもしれないが、ブルーに紫や淡黄の混じった波を顕した絵にした。ベンガルの荒波と、犀川に加賀友禅を流しているイメージ、ほかに想念波動、それもポジティヴで明るくさわやかなイメージ、ブルーというと、夏のイメージになるが、秋の爽快さにも通じると思う。

紙面一新で気分もリフレッシュ、タイトルは旧来どおり、「インドで作家業」としたが、サブタイトルは、「ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ」と変えた。

なおタイトルは、金沢の副ベースではインプットに務め、インドでは従来どおりアウトプット、執筆専念のつもりでいるため、当面そのまんまにした。
しかし、金沢での読書や文化的催しの堪能も作家業の一環、そういう意味では、日印半々在住作家業ということになるのかもしれない。
まだ、今後日印滞在の配分がどうなっていくかわからないし、また比重がどちらの国に傾くかも不明なので、当分はインドベースのつもり、インドでもっぱら書いていく作家業、執筆本業はこちらという意味で、題は旧存である。

内容的にはすぐには変わらないと思うが、来年あたりから金沢の情報が多くなるかもしれない。
一月中にいったん帰国、秋には家族で金沢訪問を予定している。

みなさま、今後ともご愛読のほどくれぐれも宜しくお願い申し上げます。

「インドで作家業」著者
李耶シャンカール(モハンティ三智江)
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美麗セクシー若ジュリー(動画)

2015-10-30 00:00:51 | ラッパー子息・音楽ほか芸能
久々にジュリーの動画を覗いた。

著作権に触れて消され、また復活と、ねずみといたちの追いかけごっこを繰り返しているが、以下、復活動画をご紹介。

夜のヒットスタジオでドライアイスの白煙もくもく背景に、セクシーに歌を披露する若ジュリーが素敵!
沢田研二/憎みきれないろくでなし✩1977.9.5R

伝説の畳、サムライも復活しておりました。夜のヒットスタジオのステージが畳張りの必見、桜吹雪の舞う中、今なら放映禁止物のナチのハーケンクロイツ腕章の黒の革ジャン片肌脱いで、かっこいい!
沢田研二💃サムライ✩1978.1.21R

黒の網衣装がスリムな肢体に粋でぴったり!
名曲です、しっとり歌い上げる往年のラブソングをどうぞ!
沢田研二/時の過ぎゆくままに✩1975.8.21R

ビューが少ないのは、著作権に触れていったん消されまた復活、を何度も繰り返してるせいです。
若ジュリーはサイコー!

最後に私のお気に入りの曲。
歌詞が素敵。
孤愁漂う美顔に、紫色の衣装が嵌ってる!
沢田研二_ロンリー・ウルフ
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かわせみラベルの現地製缶ビールで息抜き

2015-10-29 22:10:13 | 私の作品(短編・エッセイ)
まだ推敲終わってないけど、今日は息抜き、キングフィッシャービールを飲んでしまった。
ビル・エヴァンスのピアノジャズ、Bill Evans - Time Remembered (Full Album)でリラックス(作業用に邪魔にならないBGMです。ご試聴ください)。

時代物ファンタジーが書けてやっとエンジンがかかったのはうれしいが、歴史音痴の私には調べることが多すぎてさすがに疲れる。
体験ベースの私小説と違って、そういう意味では大変である。

いろいろ調べているうちに、知らなかった江戸時代の知識も加わったりしてそれがそれで面白いのだが、昨日あたりからビール飲んで少し息抜きしたいなあとの希求が強くなっていた。

ほんとは昨夜飲みたかったのだが、まだ加筆する箇所があったので、それを終わらせて今日に回したのである。

さすがにぐったり。

でも、以前まったく知識のない車の整備業界のことも調べて書いたし、今後この種の作品も多くなるのだろう。
売れてる作家だと、編集者が資料を用意してくれるのだろうけど、こちとら自前、インターネットが便利で助かる。間違いもあるから全面的には信用できないのだが、海外在住作家には福音である。

本日は浜にも出れて、秋の海を満喫できたし、さあて、明日からもうひと踏ん張り。



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壮大な爽海とラクシュミー(吉兆天)祭

2015-10-29 18:35:08 | 季節・自然
二日ぶりに浜に出た。
このところ先般初稿を仕上げた時代物の推敲に追われていて、ネットで調べた文献を読んで頭の中で咀嚼し、自分の文章にして加筆の作業が大変で、かつ瞑想体験記なども午前様で読了したりと、疲労がたまっていた。

このあたりで息を抜こうと考えていたところで、本日夜はビールを飲むことにしているが、二日ぶりに秋の爽やかな海を見れてリフレッシュ、案の定、ラクシュミー、富貴女神偶像の祀られた仮天幕が出ていた。
まず東寄りの浜の後方のテント小屋に、お参りに行く。スマートフォンを忘れたので、撮影できなかったが、金ぴかの女神様は壮麗でため息が漏れる。当地の宇宙の主、ジャガンナート様の、一見すると土人のように真っ黒でまん丸目玉のお顔も、女神様の頭上の最頂点に覗いていた。

先の七月、18年に一度のナバカレバラ大祭が催され、偶像が新たに神木から掘り起こされたことを記念してだろう。

渚に戻ると、土手のように盛り上がった汀から見下ろす大海は、いかにも秋らしい爽やかな青みを帯び、ひときわ波の白さが際立つ。穏やかに押し寄せる波、潮の香に混じる木を炊く匂いが、夕暮れの郷愁をそそる。
東西に長々と伸びる海の壮麗さは往時、ニルヴァーナホテルの屋上から俯瞰した天上の光景にも似て、フレッシュ感がいっそう勝った。

この海の美しさに惹かれて、当地への永住願望が芽生えたのだ。ニルヴァーナホテルの女主人になりたいと焦がれ、かなわぬ恋に身をやつしたこと、あれから三十年もたってしまったなんて信じられない(世紀の大熱恋物語は、昨冬上梓した「涅槃ホテル」をご購読くださいますように)。

空を仰ぐと、うろこ雲、西の下空は薄オレンジに染まって、汀がほんのり色づいていた。落陽に海は白々ときらめいている。
ことのほか美しい夕景、青い海と夕焼け、西の空のキャンバスにねずみ色の絵の具を散らして引きずったような秋雲、陸(おか)に近い一帯はオレンジの絵の具でうっすらぼかされている。
大空に飛び散った雲は灰色で、いま少し雨滴を含んでいるようだ。

二日ぶりに出た秋の海の夕景の壮麗さに魅了された。

明日はスマートフォンを持って、ラクシュミー偶像を撮影しよう。

深呼吸して戻り始めた横手に椰子林のシルエットが浮かび上がり、薄茜色の空と美しい対照を織り成し、反対側の仮天幕の張られた辺りは白と緑の蛍光灯がきらめき、女神様の祀られた青いテント小屋を幻想的に浮かび上がらせていた。
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インド本場の瞑想体験記(洋書紹介)

2015-10-25 22:42:40 | ヨガ・スピリチュアル
息子が帰郷中、久々に一緒に駅のキオスク本屋(田舎の当地の本屋代わり)に出向いたが、そのとき直感的に今の自分が求めている答となりそうなアシュラム体験記(Vipassana: The Journey of A Thousand Steps)を買って、昨夜で半分まで読み進めた。
Aravali hill(おそらく首都デリーからさほど遠くないラジャスタン州のMount Abu)にあるヴィパサナアサナのアシュラムだが、ライターでもある著者の実体験記は啓示に満ち、興味深い。

実はヴィパサナアサナについてはたびたび雑誌や新聞で目にしていたのだが、この本を読むまで詳細についてはほとんど無知に等しかった。
故人の在家聖者、ビジネスマンとしても成功を納めた故ゴエンカ師が創設した組織である。

インド在住歴の長い私はこれまでも、別派のヨガにいくつか触れてきたが、いまだにグル、導師と仰ぐだけの聖者には邂逅せず、現在は自己流でヨガのアサナや瞑想を行っているが、ヴィパサナ流派は、釈尊が編み出した原初の行法にのっとるもので、日本人の私にはしっくり来る部分もある。

人生は苦痛の連続というどちらかといえばペシミズムだが、それも、結局は生まれてきた最終地点が死に行き着くからである。どんなに高い地位に上り詰め、どんなに高い名声を得たところで、また巨万の富を積んだところで死は免れえず、人は手ぶらでこの世を去っていく。確かにそう考えると、死ぬために生まれてきた人生は苦痛以外の何物でもない。

生死を繰り返す輪廻の鎖を断ち切るコツが、ゴエンカ師の口を通してビデオ講習で語られるわけだが、何度も読み返さないと理解できない教えで、そのくせ少なくない精神世界書を読んでいる私には直感的に摑める部分もあり、立ち止まってしみじみ考えさせられるものがあった。

ちなみに、この教えは今書いている小説にも加筆しておきたいところだ。

ヴィパサナアシュラムで完全な沈黙を保って一日十時間半十日連続の厳格な修行体験をすることになった著者自身(四十代の二児の母)が、人生は苦という説には異を唱え、苦しいこともあるけど、楽しいこともある、私は生まれ変わるのを止めるためでなく、現在の葛藤を解消するために来たんだとアジテートするように、私も人生は苦しみのみならず、すばらしいこともあると反論したいが、再生を望む手合いはきっと精神レベルは低い、煩悩のやからなのだろう。

霊的にもっと高度なレベルになると、死ぬために生まれる連鎖を止めるために修行、もう生まれ変わって苦しまなくて済む、つまり生老病死を超えた至高の境地に導かれるのだろう。

この問題は書きだすと長くなるので、まだ半分しか読んでないことでもあり、読了したら、また改めて書評をアップしたい。


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ベンガル湾の入日(写真)

2015-10-25 21:27:12 | 私の作品(短編・エッセイ)
三日前に撮影したベンガル海のサンセット写真を遅ればせながら、アップしたい。
















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秋月を愛でる逍遥

2015-10-25 21:09:12 | 私の作品(短編・エッセイ)
本日は日が落ちて薄暗くなってから浜に出た。
満月に近い明度の強い月光が明り取りになって、前の道を渡るのも恐くなかった。

ドゥルガー女神のお祭りも終わって、車の行き来も少なめ。
夜の端緒の海上の空には、ほぼまん丸のシルバームーンが煌々と瞬き、月を愛でる旅客を照らす。
大波が押し寄せ、吹き抜ける風は秋の匂い。

しかし、日中はまだまだ暑い。
今年は日照りでお百姓さんの自殺が当オディッシャ州でも相次いでいる。

八月に金沢から戻って以降、足腰にはしんどい低気圧続き、雨季も終わってオータムといいつつも、かんかん照りで暑い。

十月はやはり日本にいたいところ。

時代物ファンタジーはなんとか規定の三百枚まで延ばせそうだ。
調べることが多くて、金沢に戻ったら、資料館を訪ね歩いたり、図書館での調査に追われそうだ。しかし、面白いものが出来上がった。

私の小説の一番の読者は私自身。
私は自分の小説の大ファンなのだ。
面白いと思うし、よく書けてるとわれながら感心することも。
作家にはこうした自意識過剰が必要である。

今回初の時代物にトライしたことで、少し自信がついた。
今後臆せず、時代小説にチャレンジできそうだ。
ただし、今回のは限りなく現代語に近い時代用語で書いたので、なんとかなったが、本格物だと、厳しいかも。

なんだかんだいってるうちに、十一月も間近。

ヴィエンナ産の白ワインが手に入ったので、時代物ファンタジーの推敲が終わったら、ひとり祝いするつもりだ。

来月は金沢を舞台にした古風な現代恋愛小説に着手予定。
投稿も年末までに二、三編。

クリスマスとお正月は家族と過ごしたいので、年内はインドにとどまることになった。
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