インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

山車祭り間近

2011-06-29 22:18:54 | カルチャー(祭)・アート・本

プリー名物山車祭り、「ラト・ヤートラ」

雨季に入ったはずが、曇天続きで、お湿りがなく、蒸す陽気が続いている。
気温は酷暑期と比べると、低めだが、空中の湿度が飽和状態で、不快指数が募る毎日。

浜に出ると、荒波のせいで、波打ち際は土手のように盛り上がっていた。素足で下に降りていって、豪快にはじける波裾に下肢を浸す。ひんやりと気持ちいい。上空は薄い雲が全体に垂れ込め、海風もべとべとまとわりつくが、涼をとるにはもってこい。

当地プリーは来月三日から、恒例の山車祭りが開催されるため、準備に大忙しだ。巨大な三台の山車も完成間近、グランドバザールの大通りを華麗に占拠している。
目玉の象行進は、過去ラクシュミーという名の雌象がパレード中、足に怪我を負い、それが元で亡くなったことから、今年も残念ながらないようだ。
巨体の動物が人でごった返す通りを練り歩くのは非常に危険なことでもあり、寺院管理側としても、足踏みしているようだ。

それはさておき、例年通り、わが安宿ラブ&ライフも巡礼旅行者で満員になりそうだ。

お祭り前で、町は期待と興奮の渦にみなぎっていた。
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名物編集長の死

2011-06-27 19:28:36 | 著書関連ニュース


デビュー作「お気をつけてよい旅を!」(インドの安宿奮戦記)を世に出す機会を授けてくださった双葉社の名編集者、真井新さんが二年前に他界していたことがわかった。
2009年8月4日朝絶命、享年56歳だった。名物編集長として通っていただけに、これからもっともっと世に面白い本を出してくれただろうと思うと、本当に残念だ。

昨夜、真井さんの現在の肩書きを調べる必要があって、ネットでサーチしていたら、訃報ページが出てきたので、びっくりした私だったのだ。

そもそも、真井さんとの縁が培われたいきさつについて語っておくと。
双葉社の外注先の編集代理店だったネオテック社の若い記者さんがわがインドの安宿ラブ&ライフに取材に訪れ、私も実はライターですと明かしたら、じゃあ今度原稿お願いしますよとの話になって、後日ネオテック代表の佐藤直衛さんから直接原稿依頼が来たのであった。バックパッカー関連の情報記事だったと思うが、出来上がった原稿をファックスで送ろうとしたところ、ネオテック社の番号がわからず、直接親会社の双葉社に送る羽目になり、そしてその原稿が幸運にも当時副編集長だった真井さんの目に止まったのである。それが後日、本を出さないかとのありがたいお話が持ち込まれる好因になったというわけであった。

処女本を刊行するまたとない機会を授けてくださった恩人編集者だったにもかかわらず、長年不義理を重ね、音信不通のままでいたわが身の失態がつとに悔やまれる。真井さん、恩知らずの私をどうかくれぐれもお許しください。
こんなことなら、もっともっと親しくしておけばよかったと後悔の念に駆られることしきり。何せ、佐藤さんが間に立っていたため、編集作業は全部ネオテック越しで、真井さんご本人とは数えるほどしかお会いしたことがなかったのである。

ヨットが趣味の洒脱な都会人で(お住まいは茅ヶ崎、中堅どころの出版社の副編集長だけに年収は軽く一千万円を超えていた)、シャイな私は気後れを覚え、もっぱら佐藤さんと真井さんの会話の相槌役、作業上のことも、二人の間で取り決められ、著者の私は原稿さえ仕上げれば、あとは校正のみと、おんぶに抱っこで楽をさせてもらった処女出版だったのである。
初版五千部で印税も弾んでもらったことはいうまでもなかった。
大変に恵まれた処女出版だったのだ(増刷にはいたらなかったものの、双葉社の宣伝力のせいかおかげさまで完売した)。

もちろん、四百枚の原稿を書くにはそれなりの労苦があったが、先月出した「車の荒木鬼」の大変さに比べると、楽勝だったのだ。
2000年2月に「お気をつけてよい旅を!」は出版されたが、ちょうどホテルがシーズンだったため帰国もままならなかった。帰ったのはなんと二ヵ月もたってからという体たらくである。出版は出し始めのヒートしているときが肝心で、ここを逃さず、宣伝に努めないといけないのに、ど素人の私はそんなこともわからなかったのである。まこと風上にも置けぬ、傲慢な作家であった。

小説を出したいと思っていた私は、ノンフィクションということで、初めての本にもかかわらず、カジュアルに捉え、真剣味が今ひとつ足りなかったのである。今思えば、本が出る間際にインドから駆けつけるべきだったし、出版社に任せっぱなしではなくもっと積極的に宣伝に関わるべきだったのだが、素人に毛の生えた程度のしょうもない甘ちゃん作家だったためその辺がとんとわからなかったのだ。真井さんにも、もっともっと礼を尽くすべきだったし、その後の縁も大切にすべきだった。シーバスリーガル一本ぶら下げて行っただけの私に名編集者はやさしく応対してくださり、アマ気分の抜けない私を大目に見てくださったものだ。
いまさら遅いが、もっともっと甘えて親しくなって、たくさんのこと授けていただきたかったと悔やまれることしきり。

辣腕編集者とのコネを保ち続けていれば、第二のチャンスも即座に持ち込まれたかもしれない。この間、真井さんは編集長に昇進していたのだから。傲慢な私は、次は小説だと気負うあまり、そっちのほうにばかり目が向いて、いつしか疎遠になっていったのである。昔の私は人間的レベルが低かったので、人との縁をあまり大事にしなかったのだ。更年期を潜り抜けなければ、今の私はなかったと思う。二冊目の単行本を出すのに十年かかってしまった理由がそれである。大手出版社からノンフィクションを書かないかとの話を持ち込まれながら、もったいないことに一蹴してしまったいきさつもあった。チャンスはいくらもありながら、掴み取る機運を逸したのである。

今もし、真井さんが健在でおられたら、当時の無礼を深くおわびして、あれもこれもとお話したいことがある。
一見温和な眼鏡顔に秘められたシャープさ、売れる本への嗅覚が鋭く、それがベストセラーを何冊も世に出した功績につながった真井さん。
サッカー、テニス、レースカー好きのスポーツマンで、サッカー批評誌や、セナの本とかも出している。故人にお世話になった著者は無論多い。
生前の人望の厚さを物語るように、茅ヶ崎での「偲ぶ会」では大勢の参加者があったという。

三冊目の本が出たら、茅ヶ崎にある?お墓をぜひ訪ねたいな。
墓前に本を捧げることで、これまでの不義理を深くお詫びするとともに、真井さんに見出された才能が今やっと三冊目の本を出せましたよとご報告することで、恩返しが出来そうな気がする。

真井編集長、二年も逝去を知らずに来てしまいましたが、今心からご冥福をお祈り申し上げます。

海を愛するロマンチックで文武両道のスマートなインテリだった名編集長に、心からの哀悼を捧げたい。
その節は本当に本当にお世話になりました。
デビューの機会を授けてくださったご恩に深く感謝します!
ありがとうございました!!!

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帰国中のインド三大事件

2011-06-25 22:18:44 | 政治・社会・経済
三月末からふた月近くの日本滞在中の英字紙を少しずつチェックしているが、私が不在中の三大事件について記しておきたい。

まず一つ目は、わが居住地プリーのある当オリッサ州の北隣の西ベンガル州政権が変わったこと。34年間続いた共産党政権が失脚したのだ。長年の独占の上に傲慢に胡坐をかき、人民不在の汚職政権に住民がほとほと嫌気がさしたのである。前評判どおり、与党国民会議派(CongressI)との連立党トリナル・コングレス(Trinamool Congress)が圧勝、5月20日党首マムタ・バネルジ(Mamata Banerjee)が初の女性州首相に就任したのだった。タタ(Tata)社の世界一の最安値車(約30万)ナノ(Nano)の工場敷地問題で、土地を奪われた農民の側に立って抗議運動、弱者の味方を標榜する草の根党には、底辺層だけでなく、中流庶民も一票を投じた。

何せ、州都カルカッタは、私が旅行者だった三十数年前と比べても、道路状況など未整備で、発展が著しく遅れ、長年の悪政を物語っているのだ。2兆円という赤字財政を引き継いだ新女性首相も前途多難だが、手腕が期待される。マムタ首相は飾り気のない、庶民派政治家で、弁舌巧み、よく貧民救済ハンストを行うことでも知られる。常に綿のサリーに身を包み、住居も質素だ。今後、産業誘致で発展に拍車がかかることを祈るばかり。

次は、世界的に知れ渡った大きなニュースだが、9.11事件の首謀テロリスト、アルカイダ(Al Qaeda)代表のウサマ・ビン・ラディン(Osama Bin Ladin、巻頭写真左)が5月2日、銃殺されたこと。パキスタンのアボッタバード(Abbottabad)に潜伏していたがために、インドの新聞はこぞって大見出しで詳細に採り上げていた。頭を打たれて血のりのついた崩れたグロテスクな死に顔写真が公開されていたが、ネットでも公表されたとかいうこの写真は偽物だったらしい。それにしても、迫真に迫ったデスマスクで、ひと目見ただけで私もぎょっとおののいた。最初抵抗したとか言われていたが、武器も持たず無抵抗だったらしい。つまり、問答無用の銃殺だったわけだ。三番目の奥さんを盾にしたとも言われているが、彼女が動いたので足を打たれたということらしい。

アボッタバードは風光明媚な高原地で、リタイアした軍関係者がたくさん住んでおり、軍関連施設もあることから、パキスタン軍と諜報局ISI内に支持者がいたことは間違いない。首都のイスラマバードからもそう遠くないところに潜んでいたのだから、疑われても仕方がない。しかも、隠れ家は一般邸の八倍もある広大な敷地の時価数億円の三階建て、パキスタン政府・軍関係者ら有力者の支援がなければ、のうのうと五年も潜んでいられるはずがない。ネットやモバイルは使わないようにしていたというが、伝言用に使っていたパキスタン密使から足がついたらしい。CIAは近くに住居を構え、スパイ行為も続けていたというが、死後押収された書類からは大量のポルノCDも見つかったようだ。アメリカの堕落した文明を批判しながら、本人がひそかに楽しんでいたとしたら、矛盾もはなはだしい。息子の所有物かもしれないが、三番目の奥さんは17歳というから、精力絶倫の革命家の姿が浮かび上がる。近年は、トップとしての威力が衰え、象徴のみの存在になっていたとも言われ、ナンバー2との間の軋轢で資金に行き詰っていたともいう(さるパキスタン関係者の証言)。その反面、米の鉄道を脱線させるテロプランも綿密に練っていたようで、やはり単なる象徴ではない影響力もあったようだ。

なお、遺体が海中投棄されたことに対しては、イスラム教原理主義者はいうまでもなく、一般イスラム民からも、快く思われていないことは確か。イスラム教に則った葬り方(土葬)ではないからだ。しかし、アメリカ側としては、墓地を作れば、殉死者を奉る寺院となって聖化されることを恐れたようだ。
それにしても、ウサマ本人も、きっと予想だにしなかった急襲であったにちがいない。軍の擁護もあるし、五年間問題なく潜伏していたこともあって、緊張感が薄れ、気の緩みが出たのかもしれない。武器を所持していなかったことにも、油断が見られる。

最後の事件は、掌から聖灰(ビブーティー)を出すことで有名な超能力聖者サイババ(Sathya Sai baba、巻頭写真右)の逝去(4月24日午前7時40分、85歳)。ここひと月ほど体調を崩して入院していたようで、死因は心不全だった。生前サイババは死期を93歳、その8年後に生まれ変わると予言していたが、8年早い死となった。マンモハン・シン(manmohan Singh)首相は、愛と平和を広めた偉大なスピリチュアル聖者だったと最大級の献辞を捧げた。バジパイ前首相はじめ高名政治家、芸能人、スポーツ選手、欧米人信者にいたるまで、信者の数は160カ国にまたがり、3000万人。が、近年美男弟子の性的虐待疑惑も持ち上がっていた。これまでも、掌から砂を現出する奇跡はビデオからも歴然とわかる手品と批判され、過去の暗殺未遂事件で警官含め六人が自室で殺戮された顛末にも、関与説が取りざたされていた。
グル亡き後の南インド・プッタパルティにあるアシュラムは現在後継者問題(39歳の甥が名乗り出ている)や遺産相続問題など、大混乱に陥っているようだ。生前の居室からは信者からの寄付と思われる2億という札束と、98キロの金、307キロの銀も見つかった。宗教団体なので、税金はかからないのだ。アシュラムからひそかに札束を運び出そうとする車も、警察に捕まったばかり(後日甥が主犯だったことが判明したが、本人は葬儀費用と弁明)。
生前、サイババは後継者を明らかにしていなかったこともあって、6000億円といわれる膨大な遺産の行く末がどうなるか、気になるところだ。


超能力聖者は物議をかもす一方で、病院や学校、無料給水と社会的貢献も成し遂げた
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長い計画停電

2011-06-24 23:06:48 | 生活・慣習
今日は午前11時ごろから夕刻5時まで、なんと6時間ものパワーカットがあった。
自家発電機があるものの、キロワットが少ないので、冷房は作動できない。
この二日ほど異様に蒸し暑い陽気が続いていて、エアコンで冷気をとりたいところだったが、扇風機で我慢。
暑くて、途中で水シャワーを浴びたり、仕事にならなかった。
幸いにもひと雨来て、やや涼しくなったが、早く電気が来ないかなと待ちわびられることであった。

日本から戻ったのは先月の25日だが、以後ほぼ毎日のように停電が続き、雨季に入ってからは、一日三時間もまれでなくなった。しかし、今日のはいくらなんでも長すぎた。

電力事情がつとによろしくないため、ネットの接続状況も最悪だ。

仕事が捗らなくて困る。

しょうがないので、今日は息を抜いて、浜に出たり、郷里の友人にスカイプしたりした。

ベンガル海は時化気味で波が荒かったが、涼をとるにはもってこい。
威勢良くはじける波を見ながら、深呼吸を繰り返した。

日本もこの夏は計画停電だろうか。

インドは火力が主要な電力源で、次が水力だが、原発も西の砂漠のラジャスタン州など六箇所ほどある。供給量がまかないきれずに、停電はしょっちゅう。都会だと、比較的短時間というものの、計画停電なしにすますことはできない。酷暑期のパワーカットは体力を消耗する。一般庶民は高価な自家発電機を持たない人が殆どなので、団扇であおいで乗り切るしかない。
ホテルだと、大概ジェネレーターは備えているので、夜切れたときでも、電気がつくが、庶民は電気が切れると、必然的に断水になり、水不足にも苦しめられる。井戸水ポンプを併置したり、停電用に日ごろからバケツやたらいに水を張っておくのである。
断水になる理由は、上水道が完備しておらず、モーターを稼動させて、屋上のタンクに地下水を吸い上げて保水、蛇口に下ろすシステムになっているせいだ。

明日は、少なくとも今日のように長い停電がないことを祈るのみ。
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悪慣習に染まるも必要な社会(銀座新聞連載エッセイ)

2011-06-24 19:09:06 | 印度の玉手箱(銀座新聞連載)
最新エッセイが、銀座新聞ニュースに掲載されました
注目記事ベスト10入りです。写真と併せて、お楽しみください。

                             
悪慣習に染まる大胆さも必要なインド社会
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ドヤ街は外人宿に様変わり(銀座新聞エッセイ)

2011-06-21 19:57:08 | 印度の玉手箱(銀座新聞連載)
最新エッセイが、銀座新聞ニュースに掲載されました
先の帰国時逗留した山谷の安宿情報と、番外編トピックスの後編です。写真と併せて、お楽しみください。

                             

ドヤ街は外国人向けの安宿に様変わり、ネットもシャワーも無料

<前編>をお読みでない方は下記をクリック↓
ドヤ街山谷に泊まる
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お騒がせPC

2011-06-20 23:16:02 | 私・家族・我が安宿
四日前からPCの状態がおかしくなり、これはもしかしてウイルスかとパニくっていたが、どうやら接続の問題だったようだ。
超のろで、フリーズはするし、ホットメールの下書きは開かない、返信不可と、あわてた私は、いろんな人にメールしまくった。
なかにPCのプロがいて、シルバーライトのアップヴァージョンをインストールしたせいかと聞いたら、どうもそうではないらしい。

スカイプもできなくなり、みんなにこういう事情でしばらくだめかもとせっかちな私はメールしてしまった。

一応接続の問題かと疑って、夫にプロバイダーにコールしてもらったら、ノープロブレムというので、すわウイルスかとあわ食ってしまったのだ。

インドのPC環境はよろしくなく、とくに田舎の当地は、接続中断、弱電、ウイルスと、問題が目白押し。素人の私には、そのどれが原因か、判然としなかったのだ。

なんか早とちりして恥ずかしい。

今週の土曜日、実は初恋の男性にスカイプすることになっていたので、焦ったわけだ。
三十数年ぶりにメールをくれたK、こっちもびっくりしたが、4月に出版した「車の荒木鬼」(モハンティ三智江、ブイツーソリューション)紹介記事を読んで連絡くれたのだった。
発行部数四十万部を誇る福井一の大手地方紙・福井新聞にかなり大きく取り上げられたもんで、すぐ目に付いたらしい。

実は私も、あの記事読んだ昔の在郷友人が連絡くれるかもとはひそかに思っていたのだが、まさかファーストキッスの相手とは。
若かりしころのおままごとのような恋だった。
若気の至りでKにはご迷惑かけたこと、お詫びしたことはいうまでもない。

土曜が楽しみ。
またブログ欄で初恋の人とのスカイプコール顛末、書きますね。
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無名聖者のハンスト死

2011-06-19 23:04:01 | 宗教・儀式
先に有名ヨガグル(導師)<ディヴヤヨガ協会主宰者ラムデヴ師>が汚職に抗議してハンストを行った旨投稿したが、そのラムデヴ師が体調を悪化させ入院していたデラドンの同じ病院で、もう一人のハンスト聖者がひっそりと息を引き取った。皮肉にも、ラムデヴ師が退院して数時間後だった。


断食死したNigamananda師

ニガマナンダ師はガンジス川の採石に反対し、2月19日からハンストを続けていたが、二ヶ月半たったところで体調が急変して入院、以後昏睡に陥ったままの状態が続いていた。
採石工場側の有力者もしくは同じアシュラムの住人に毒を盛られたとの説も飛び交っていたが、それを実証するように死体解剖所見では毒物が発見されたという。

断食の許容限度は体力や忍耐度によって各自まちまちだろうが、よく訓練された人で大体二ヶ月が限度のようだ。過去にも、二ヶ月超えてハンスト死した人が二人居た。途中昏睡に陥ったとはいえ、114日間もったニガマナンダ師は例外。それだけ体力があり、修練も積んでいたということだろう。

八日間で病院に担ぎ込まれた、予想に反してやわだったヨガ界のスーパースター、ラムデヴ師とは大違い。無名の聖者、ニガマナンダ師は所属するハリドワールのアシュラムで、サマディ、涅槃の境地に入ったとされ、手厚く葬られた。
ガンジス川の自然を守るために命を賭した知られざる聖者に合掌!

蛇足ながら、ラムデヴ師に断食中止するよう説得した南インド・バンガロール在アート・オブ・リビング協会のグル、ラビ・シャンカール師はテレビのインタビューに答えて、ハンストは時代遅れ、抗議の声を発するにはしっかり食事を取らないといけないと、ハンスト無用論を述べた。

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本格雨季に突入

2011-06-16 20:34:31 | 私・家族・我が安宿
今日は一日雨。いよいよ本格的なモンスーンに入ったようだ。
涼しいのはいいが、洗濯物が乾かないのと、浜に出れないのが困る。
今日も小雨を押して傘付きで出ようとしたら、風が強いのであきらめた。傘を差して浜に出ると、雨風で傘を広げるのが困難になるからだ。
ネットも断絶。

しかたないので、タイプ作業。エッセイやブログの下書き、メールの下書きなどである。今日は野菜の煮物と、トマトときゅうりとわかめのサラダをまとめて作った。煮物に乾ししいたけを入れたら、おいしくなった。熱いお風呂にも入った。

庭やベランダの植木は雨水の恩恵を受けて、生き生きとみずみずしい緑に濡れ輝いていた。雨季は葉がすごい勢いで繁殖して、庭は豊穣な緑であふれかえる。オフィスに居ついている白いメス猫が白と黒のまだらの子猫を生んだが、退屈しのぎに撫でて遊んでやった。

雷雨で停電、自家発電機が作動しなくて一時間半、手持ち無沙汰な思いをさせられた先日、雨季で雷が来ると、電線ショートを恐れて電力会社が電源カット、停電が多くなるのである。家電は雷に弱いので、パソコン、テレビなどもつけられなくなる。というわけで、手持ち無沙汰になる時間も増えるわけだが、こんなときこそ普段ゆっくり出来ない格好の瞑想タイムかもしれない。
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「車の荒木鬼」紹介記事2(福井新聞)

2011-06-14 08:36:53 | 私の作品(短編・エッセイ)
県内自動車整備業で一代成す荒木重男

創業者の光と影 克明にー戦後復興期の“熱”迫る

長女・三智江さん(福井出身)が小説化

戦後、県内随一の自動車整備会社を築いた荒木重男(1928-1979年)の伝記小説「車の荒木鬼」がこのほど出版された。書いたのは、長女のモハンティ三智江さん。雑誌ライターを経てインドに移住し結婚、現地でホテルを経営する異色の女性作家が、一代で事業を成した父親の波乱の生涯を、生き生きと描き出している。

荒木は、1951(昭和26年)に23歳で福井市内に「福井モータース商会」(現福井モータース)を創業した。高い整備力で自動車産業の成長に乗って事業を拡大、四半世紀で売り上げ44億円を超える県内トップクラスのモータースに育て上げた。
「若い頃は、寝食を忘れて車の下に入って整備していた。男女問わず人を引きつける魅力があって、営業では口下手だけど、熱心に通っては口説いた」。自動車整備工とし通常は二年かかるとされるエンジンの専門的な技術を半年で物にし、経営では持ち前の進取の気性とバイタリティを発揮した。「戦争と震災を経験していて、質実剛健を好む、すごい努力家だった」。三智江さんは、父親を典型的な“肉食系”と評する。創業者としての生涯は、福井の戦後史とも重なる。勤め先で体験した福井震災とその後の復興、独立してからは普及するディーゼルエンジンを手掛け、公共交通の要だったバスの運行を支えた。技術を買われ北陸に進出し始めた大手メーカーの指定工場に。北陸自動車道の開通や原発建設など、経済成長に合わせ建設機械の販売整備、中古車販売など業容を拡大していった。
ただ、家族である三智江さんが語る荒木は単なる立志伝中の人物ではない。「父は事業者としては成功したけれど、家庭では全然だめ。父親失格」と、断言する。仕事に没頭し家庭を顧みない上に、愛人を次々と作り、子供までもうけている。三智江さんの母である本妻と折り合いが悪く、家に帰らず愛人宅や会社に寝泊りするエピソードには、家庭のぬくもりに縁遠い、孤独な一面がのぞく。
そんな荒涼とした私生活と成功を重ねる事業の対比に加え、社内の組合闘争や親族を中心とした会社経営の苦悩なども描写されb、重層的に迫ってくる。
構想から5年、三智江さんは「親子関係は冷ややかだったけれど、バスの整備など県民の足を確保するのに尽力した父のことを、書き残したかった」と語る。当時を知る人々と何度もやり取りし、創業者のエネルギーに圧倒された。「何かやってやろうというにはいい時代だった。今は豊かすぎて、そんな気持ちやモチベーションがない」と感想を漏らした。
自身はかつて東京に14年住み、「殺伐とした先の見えない状況」がインド移住にもつながった。強調したいのは、人の温かみだ。「父は信頼とか誠実さとか、人間同士のつながりと、他者への貢献を大切にしていた。そういうところをくみ取ってもらえれば。あと、愛情の大切さも」。

著者プロフィール・モハンティ三智江
福井市生まれ。雑誌のライターなどを経て、1987年にインド・プリーに移住。現地男性と結婚し、日本人向けのホテルをオープンした。李耶シャンカール名で書いた短編小説「虹の魔窟のブローカー」で今年、文芸雑誌「文芸思潮」の第7回銀華文学賞奨励賞。著書に「お気をつけてよい旅を!-日本人女将インド安宿繁盛記」(双葉社)、ネットメディア「銀座新聞ニュース」にエッセー「印度の玉手箱」を連載中。
「車の荒木鬼」は、ブイツーソリューション刊、1260円。



モハンティ三智江さんの「車の荒木鬼」ブイツーソリューション、1260円はアマゾンはじめ各ネット書店で好評発売中!父は忘れられた人物。創業者のエネルギーと社会への貢献を知ってほしいと著者は語る
(藤野大輔)

<平成23年5月1日付けの「福井新聞」日曜版四面掲載>



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