インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

スティーブ・ジョブスの最後の言葉

2018-06-29 17:05:41 | 食・健康
<スティーブ ジョブスの最後の言葉>


億万長者として膵臓がんのため

56歳で生涯を閉じた彼が、

病床で残した最後の言葉です。


「私はビジネスの世界では、

 成功の頂点を極めました。


成功の模範とも目されます。


しかしながら、仕事を離れると、

ほとんど喜びの無い人生でした。


財産というのは、

私の人生のほんの一部にすぎません。


今 病床に横たわり、死を目前にして

人生を振り返ってみると、

これまで誇りをかけて築いた富や名声は

全く意味のない物に感じます。


あなたは、運転手を雇うことが出来ます。


人を雇って金を稼ぐことも出来ます。


しかし代わりに病魔と戦ってもらうこと

は出来ません。


モノは失っても探すことが出来る。


しかし一つだけ失うと探せないものがある。


それは「人生」だ。


ある人が手術室に入ったときに

彼は読んでおくべき一冊の本が何か

に気づくだろう。


それは「健康的な人生を送る本」である。


今あなたが人生のどのステージにいようとも、

死は必ずやってくる。


家族からの愛、配偶者への愛、友情。


大切な人を愛せるよう、常に健康でいよう。


年齢を重ね多くのことを学ぶと、

300ドルの時計だろうと

30ドルの時計だろうと

同じ時を刻んでいることを知る。


300ドルの財布だろうと

30ドルの財布だろうと

中に入る金額は変わらない。


15万ドルの車に乗ろうが

3万ドルの車に乗ろうが、

通る道や距離に変わりなく、

同じ場所に連れて行ってくれる。


一本300ドルのワインだろうと

10ドルのワインだろうと、

飲めば酔っぱらうことに変わりない。


30坪の家に住もうが、

300坪の家に住もうが、

寂しさは変わらない。


このように真の幸せとは、

物質的なものではない

ということわかるでしょう。


ファーストクラスに乗ろうが、

エコノミーに乗ろうが、

飛行機が墜落すれば

皆 同じように死ぬ。


だからこそ、

私はあなたに気づいてほしい。


パートナーや友や兄弟を大切にし、

会話し、共に笑い、歌い、

古今東西、天国と地獄について

語り合える仲間がいること。


これこそ本当の幸せなのです。



人生の疑いようもない真実 五か条


1.あなたの子供に金持ちになる

  ようにするのではなく、

  幸せになるように教育すること。


  そうすれば子供達は大人になったとき、

  世の中には価格にとらわれない

  真の価値のあるものがある事が

  わかるでしょう。


2. ロンドンの格言の一つ。

 「食事を薬と思って食べること。

  でないと薬を食事のように

  摂らなければならなくなる」


3. あなたのことを本当に大切に

  思ってくれている人は、

  例えあなたを見捨てざるを得ない

  100の理由があったとしても、

  見捨てないたった一つの理由を見つけます。


4.人であることと、人として生きることとには、

 大きな隔たりがあります。


 ほとんどの人がその本当の意味を

 理解していません。


5.あなたは生まれた瞬間から愛されています。

 そしてあなたは死ぬまで愛されることでしょう。

 その中であなたはあなたの人生を生きるのです。


注釈:

早く歩きたいなら、ひとりで歩きなさい。


しかし、遠くまで行きたいのなら、

仲間と共に歩みなさい。



人生における6人の最高の医師とは


1. 日光

2. 休養

3. 運動

4. 食事

5. 自信

6. 友人


常にこれらを意識し、

健康な人生を楽しみましょう。


(翻訳・鳥居 祐一、メールマガジン『ポジティブ・ライフスタイル』 のススメ 第1602回から一部引用)
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イミグラントの句座(6月28日)

2018-06-28 16:32:27 | 私の作品(掌短編・エッセイ・俳句)
福井東京インド金沢インド

随分と遠くまで来てしまったよ

日本脱出の夢ついえ母国へ

母米寿健やかに生きよ白寿まで

長生きの母家系短命の父方

四十年前金大病院でガン死の父

我が遺骨ベンガル海と犀川へ

苛酷な土壌こたえる老境

ベンガル湾低気圧神経痛泣かせ

苦吟洩れ六十代のしんどさに

夏から雨季へ寒暖差についていけず

雨日和ジャズに適(かな)う無為のとき

驟雨から微雨へ雨脚変わりて

雨脚のリズム変節しアンダンテ

雨音符鼓膜を打ちてリズミカル

耳澄ます雨の奏でる旋律に

冷雨来てエアコン不要過ごし易

モンスーンジャズの季節がやってきた

モンスーン雨の恵みに木々嬉し

大雨や乾季の草木潤いて

食欲の雨季和定食に腕奮い

雨受けて庭木萌ゆる潤沢発し

雨露の椰子葉に滴り翡翠珠(だま)

雨洗礼大気瑞々と薫り

雨季恩恵フレッシュエアと涼気

日輪の雲隠れ空色変わりて

空の彩(あや)金から灰にくすみて

明暗の空マント翻し夏から雨季へ

初雨に夏消えて雨季の到来

赤(しゃく)天の黒天に変転しモンスーン

食欲の雨季ほかほかの茹でじゃが美味(うま)し

悲喜笑苦赤裸々にイミグラント句

雨冷えやショール掻き寄せ暖を取り

熱きティー胃の腑ぬくまる雨下の午後

雨ジャズにうとうとまどろむ午睡時

アンニュイの眠気誘う小糠雨

陸(ろく)屋根の大小居並ぶホテル街

長雨の夜半しとしと雨季疲れ

あるときはアイミス(I miss)ジャパン

あるときはアイミスインディア

いずこも異郷神の国に戻りたし

雨間の日差し暖かき恵みなり

パペット(操り人形)人生の糸を引くのは誰何(すいか)

波乱万丈悲劇のヒロインからパントマイムへ

老残は汀に打ち上げられし木杭の如

アップダウン波に弄ばれる木切れや

烏(からす)犬海の残骸に群れ漁り

海が吐き出すゴミの山雨季の常

日が覗き明るさ戻る雨季晴れ間

晴れ待ちて裏切られる今日も雨

視界翳りてものみな灰色

雨宇宙木々生き生きと精彩戻し

夏薄着肌寒の雨季となり

曇天下波濤逆巻き泡満つる

白潮の猛り狂いて怒濤捲き

重い気を海底に碇で沈めたし

否定思考波に乗せ微塵に砕け

雨季の空グレー重ねの油彩なり

水災禍雨季の定番ニュース

洪水や雨季のサンクレス(thankless)風物詩


(熾<もゆる>)

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イミグラントの句座(6月26日)

2018-06-26 17:55:35 | 私の作品(掌短編・エッセイ・俳句)
夜雷(やらい)落つ天地鳴動雨季さなか

日本脱出の夢いずこUターン

不如意に棄けになる晩は酒晴らし

生きることが面倒になる日もある

野良猫を蹴散らす吾は鬼ばばあ

頭の芯から爪先まで無聊漬け

バスタブの湯に浸かりて酔い醒まし

喉越しを甘くくすぐる西瓜ジュース

冷房設定27度雨季突入

黒猫や神出鬼没模倣(まね)したし

灰と黒の雲混ざりて海上昏(くら)し

猛り波襲い来て吾呑み込まん

野良犬の吼え交わすテリトリー争い

暗天や午(ひる)でも昏いモンスーン

マカロンや午後のティー浸し美味

波砕け宙に咲き満つ水花火

波と波ぶつかり弾け白蓮華

波飛沫宙に散り飛ぶ白火花

海しぶき砂泥割って咲く波蓮華

我が生は死とともに醒める夢なり

すべてマヤ(幻夢)深刻ぶらず楽天主義

有為転変これもいつかは過ぎる

パワーカット(計画停電)雷雨とコンビのプロブレム

熱帯桜路上に伸びるオレンジ花(か)

空泣きて雨滴したたる煙(けぶ)り海

雨涼し夏から雨季へ季節変わりて

湿り砂蓮華座組めば腰冷えて


(熾<もゆる>)























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イミグラントの句座(6月24日)

2018-06-24 18:55:54 | 私の作品(掌短編・エッセイ・俳句)
ベンガルの夕景愛でて三十年

サクソホンの耳に染み入る夏の宵

砂原や貝ちりばめたタペストリー

登りから下りへ人生の下山始まりて

ため息の百出る如し老いさなか

どう生きるはたと迷いて人生後期

老い俟たず逝った友羨まし

何がなくても生きるのはしんどいと誰何

インド移住己が決めたと諦めて

エキサイティングなインドいずこ

粗ばかり目立つ三十年後のインド

まだまだ若いともう虚勢張れず

夫婦(めおと)下山先に着地は吾か夫か

共倒れ夫婦の絆(ロープ)断ちて防げ

中途で斃れんとも片割れ着地させ

登山は共に下山は個々に夫婦(めおと)道行き

甘菓子で鬱憤晴らし寂しきかな

ベンガル海おまえだけが唯一の慰め

海よ海我が煩いの種さらってくれ

幸福は何故続かない苦のみの生

情熱よいずこ吾を再(ま)た焚きつけよ

偽我(エゴ)と格闘すべからず勝ち目なし

虚しき戦闘(あがき)の果てに疲弊す

ずしりとのしかかる生の重み払いたし

酒は憂いの玉箒と缶ビール

曇り空気分も灰色に垂れ込めて

モンスーンの低気圧重苦しく纏わりて

浅き眠り妄想止まず早目覚め

白波のジェット気流の如伝わりて

波飛沫顔にかかりて泡の海

日印のいずこにいても無聊囲い

つまらないのは自分か夫かインドか

海上の夕空に上弦月淡く

満ち引きの波動見つめて心鎮め

白馬引く鈴の音に心洗われ

雲のコッペパン夕日の目玉焼き

己を丸ごと受け入れる難しさ

他人と比べて駄目だの思い癖

自分嫌いは吾のみならず宿阿


(熾<もゆる>)

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イミグラントの句座(6月22日)

2018-06-22 19:09:00 | 私の作品(掌短編・エッセイ・俳句)
引き潮や鏡面砂に入日映え

夏潮のくるぶし纏(まつ)る生温さ

客乗せてらくだ白馬行く鈴鳴らし

残照や雲を縁取りて薄茜

利休鼠雨季の海色広がりて

夕潮の寄せる真上に新月や

海風に火を焚く匂い漂いて

汀にて僧佇つサフラン衣翻し

潮騒に鼓膜満たされ浜座禅

瞑想の今ここに在る瞬間(とき)至福

只管打坐数息観で今ここに

雨宿り雷雨の猛撃かわせずに

雷雨に降り込められ軒の下

傘の下吼ゆる雷鳴耳塞ぎ

傘の中閃光差して脅かし

雨糸の銀鎖の如し灯を受けて

泥水にサンダル浸し家路に

どか雨の一挙に来たりて脅威

路上に溢るる大雨家も水浸し

外に向かう日本内観のインド

淡々とルーティンこなすインド日々

紛るものなく内に向かうインド

抵抗も反応もせず生の極意

珍しや海は蒼なり豪雨あと

厚雲の上に青天覗き茜雲


(熾<もゆる>)

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ヴァーチャルラジオ

2018-06-21 17:11:28 | ラッパー子息・音楽ほか芸能
インドに戻って、二ヶ月以上が過ぎた。
今年は冷夏と喜んでいたら、六月に入って逆襲の熱波、異常気象で近年雨が降らないこともあって、六月まで夏が持ち越されるというありがたくない現象が続いている。

金沢と行ったり来たりを繰り返しているが、インドのベストシーズンは11月から3月まで、近年4月もミッドサマーとはいえ序盤なのでなんとかしのげるが、10月の短い秋は日本の秋と違ってかんかん照り、暑季に劣らず暑い。4-6月のミッドサマー時の高湿度ではなく、空気は乾いているので、かんかん照りつける暑さとなる。

理想は4月から10月まで日本滞在というのがベストだが、なかなか意図するようにいかない。夫をインドに残して半年滞在というのは、こちらの体調が悪くてどうしても通院しなくてはならないというやむをえない事情を除いては、現実上不都合なので、結局、不経済でも年に二度、三ヶ月ずつくらいの帰国となる。

さて、ラジオ党の私は、日本では出かけるときを除いて毎日朝から晩までラジオをつけっぱなしでいたが、インドに戻ってきてそれがかなわず寂しい思いをしていた。
金沢ではほとんど毎日出かけていたのだが、インドではそれもかなわず、退屈を余儀なくされていた。何せ、こちらでは日中は暑いから、出るに適さない。しかし、そもそも、暑くなくても、何もないんだが。金沢のように展覧会、音楽会、レストラン・ショッピングなどはまったく楽しめない。図書館も本屋もないし。で、唯一の外出は夏の日が落ちた夕刻の浜への散歩になるのだが、これはリフレッシュタイムで欠かせない。

が、最近、日本のラジオがなくても、楽しめる娯楽を見出した。
ネットの朗読動画とラジオ番組の動画である。
スマホで、寝転びながらラジオのように耳で楽しめる。
朗読は、俳優の小倉一郎のものがよい。純文学からエンタメまで、折を見ては楽しんでいる。あとは、以前のラジオ番組を動画にアップしたもので、面白そうなものを選ぶ(作家の対談・インタビューほか、お気に入りのミュージシャンがホストの番組、たとえばアルフィーの<終わらない夢>や、<オールナイトニッポン>など)。目はなるたけ使いたくないので、テレビ番組(スピリチュアル系やドラマ)でも声だけ聞いて楽しむ。
この方式で、ずいぶんといろんなプログラムを楽しみ、今に至っている。

今はまっているのは、武田鉄矢の<今朝の三枚下ろし>(文化放送が制作し、NRN系列の全国AMラジオ32局ネットで、平日の朝7:45 - 8:00に10分間放送している企画ネット番組。1994年4月4日放送開始)。このラジオ番組は金沢滞在中も聴いていたが、一本が短くて毎日続くので、出かけることが多い自分には次の回を聞き逃すことが多かった。しかし、ユーチューブにまとめてアップされているのである。で、一気に通しで聞ける(一時間前後)。武田鉄矢のトーク番組、面白くて深い、為になる。大体は彼が読んだ本を紹介し、三枚に下ろすのだが、これが当方が興味をもちそうな本ばかり、テイストに合うのである。
というわけで、自分でプログラムを選り好みできるヴァーチャルラジオを毎日聞いて、本物のラジオ代わりにしている。ネット時代ならでは、重宝している。

ここにアドレスなどは紹介しないので、興味のある方は、ユーチューブで検索いただきたい。お薦めは以下である。

今朝の三枚下ろし
オーラの泉
同棲時代(沢田研二・梶芽衣子)
愛と誠(西条秀樹・早乙女愛)
露玉の首飾り(萩原健一・夏目雅子)
青空文庫の朗読ほか(芥川など昔の純文学が楽しめます)、小倉一郎の朗読もの(小池真理子の<一炊の夢>ほか)、瀬戸内寂聴作品。
エックハルト・トールによるスピリチュアル書の朗読(ニューアースは、気づきが多い必読書)
なお、時代小説好きな方には、藤沢周平作品の朗読がたくさんアップされているので、どうぞ。
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イミグラントの句座(6月17日)

2018-06-17 16:34:04 | 私の作品(掌短編・エッセイ・俳句)
夏ごもり烈日避けて篭城す

夏炎上冷房室に入り浸り

夏休み涼を求めて民族大移動

海風涼しく万歩の汗退きて

雨含み体熱醒ます波風涼し

海上に黒雲垂れて雨季近し

存在の重みと哀しみひた寄せて

わけもなく哀しみが押し寄せる晩

通り雨爽やかな夏風薫る

何悩む総て日常滞りなく

サレンダー抵抗せずに神任せ

夏火炉に蒸されて人間丸焼き

荒潮に素足浸せば引き強く

ベンガルの聖なる潮(うしお)陸(おか)洗い

重浪(しきなみ)の一重二重の白襲(がさ)ね

浜瞑想鼓膜満たす潮騒ピースフル

浜臥床(ふしど)砂の熱さ地の鼓動

遠雷のこだまと共に雨季来たる

モンスーンの驟雨にけぶるホテル街

ランチ後のジャズタイム雨フーガ

雷神の降臨夏の終わり告げ

傘広げ佇む微雨のベンガル海

傘の下白波砕け雨粒混じり

香りなき現地ティー色付き茶

荒波の瀑布のごとき雨季となり

海鳴りの咆哮歓声掻き消し

色のない残照白々と燃え

再熱波雨よどこ猛夏ぶり返し

ラジャ祭り女ら羽伸ばすガールフェス

小説で終わらない恋の決着つけ

失恋もハッピーエンドに変える創作魔術

嘘混じる自伝事実は小説より奇なり

自らが最高の読者と自負し

ナルシズム自作に酔うひととき快

黒猫の椰子に登りて絵心そそり

ヒグラシに似し声満つ偽(にせ)の秋

インド宅鳥虫(とりむし)の声充る窓

禁酒ペア(夫婦)ビールで暑気払い叶わず


(熾<もゆる>)

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エピローグ

2018-06-15 16:38:34 | E全集(受賞作ほかの全小説作品、2017~)
    エピローグ

 「青春同窓会」を読み終えた萌(もゆる)トゥリパティは深い感動に浸っていた。これを喜多薫が二十年ぶりのブランクを経て書いたということが信じられなかった。それほど、この作品はよくできていた。主人公の河津翔子はまさに、萌自身だった。喜多は全部自分の想いを汲み取っていたのだと思う。
 萌は今もって、作品を読んだ感激が冷めやらぬ面持ちで、ぼうっとしていた。
 そもそも、この添付ファイルが届くまでのいきさつをぼんやりと反芻し始める。

 2013年冬、萌トゥリパティはメールボックスを開けて、喜多薫からの添付ファイルが届いているのにびくりとする。喜多とは昨秋、八重州の古酒場で三十二年ぶりの再会を果たした後、連絡が跡絶えていた。
 再起への説得が無に帰した後、萌は傷心の態で帰印の途に着いた。以来、互いに連絡することもなく、一年以上が過ぎようとしていた。萌自身、経済月報社時代の仲間たちとのことは一つの結論が出たようにも感じていた。結局、2008年に一度同窓会を催しただけで、以後一堂に会することはなかったのだ。
 元若手同僚の一人、江西啓が主宰しているネット紙「渋谷日報」へのエッセイ連載も終わっていたし、ほかの仲間たちとのメールも跡絶えていた。
 もう同窓会を催すことは二度とないのだろうとのあきらめに似たものが胸を浸していた。七年前に始まった熱に浮かされたような思いは最後は行きどころを失って宙に消滅した。
 昔の行き付けの酒場で喜多と再会したときの自分は全身で男を求めていたと思う。雌として発情していた。五十代の最後の恋、のようなつもりでいたのかもしれない。が、結局は家族を裏切られなかった。これでよかったのだと思う。最後に喜多に誘われたことが花だった。あんなにも欲しながら、結局意志で退けたのはやはり、自分が求めていたのはそれじゃない、ペンを再び執ってもらうがための、再起への祈りなのだというこだわりがあったからだった。 
 萌は昨秋の出来事を頭の隅に押しやると、メールを開けた。

「萌トゥリパティ様

 昨年、三十二年ぶりに再会を果たして以降の、長いご無沙汰をお許しください。
 また、その節は大変に不しつけなことをしてしまい、人知れず悔んでおりました。
 あなたは今でもとても魅力的で若々しく、僕の中の雄が酒の勢いを借りて急に往時のリビドーを呼び醒まし、なんとも無様な求愛に至ったわけでありました。
 ご無礼はくれぐれもご容赦ください。
 忸怩たる思い身の置き所のない後悔に駆られるあまり、連絡をとるのもさすがにはばかられ、ほとぼりの冷める?まで鳴りを潜めていたわけです。

 あなたの鼓舞には感謝しております。
 僕はあなたから勇気をもらったように思います。
 沢木耕太郎の新刊書「流星ひとつ」もありがとう。
 その昔、僕は彗星のようにデビューした彼の後に続こうと、がんばっていたんだっけ。
 それがどこで間違ったのか。
 なぜ、ペンを折ってしまったのか。

 あなたと逢った後、いろいろなことを考えさせられました。

 書くにはもう、遅すぎるという声、いや、今からだって遅くないという声、その二つの声がせめぎ合って、結局、人生にはいつだって、遅いということはないんだとの啓示を得ました。
 桜の季節、真っ白の原稿用紙に向かって二十年ぶりにモンブランを握って書き出していました。
 春に書き始めた小説はもみじが色づき始める秋に完成し、推敲を重ねた末、納得いく形に仕上がったので、タイプし直し、PDFファイルに納めました。
 添付したのが、僕があなたの鼓舞に刺激され、書いた作品です。主人公は女性で、ちょうど城戸賞の最終選考に残った脚本が、ヒロインの視点で書かれたものだったように、今度も女性に成り代わって筋書きを進めました。女性のあなたにはとくに、感情移入しやすい設定のはずと思います。
 フリーライター業と宿経営の二足のわらじでご多忙と存じますが、合間を見てご一読いただければ、幸甚です。
 
 最後に、昨秋のご無礼、重ねてお詫び申し上げます。 
                                      薫」

 萌はファイルをダウンロードし、開いた。
 タイトルは、「青春同窓会」となっていた。
 いったん読み始めると、のめり込んで夢中になってしまい、結局夜明け方までかかって一気に全部読み終えた。
 読了後は、ほうけたような深い感動に包まれていた。

 翌日萌は、喜多に返信した。
「喜多薫様

 『青春同窓会』、昨夜一晩で一気に読ませていただきました。読み出したら止まらず、無我夢中でのめり込み、いつしか夜が明けていました。
 河津翔子、はまさに私自身です。
 あなたには何もかもわかっていたのだという、深い感動、なぜこれほどまでに私の気持ちがわかってしまうのかとの、心憎さ、経済誌時代の青春真っ盛りを見事に作品という形に昇華していただき、ありがとうございます。

 あなたが再び、ペンを執ったということが私には何よりうれしいのです。
 私の説得が、この見事な小説という結実をもたらしてくれたと思うと、感無量です。
 素晴らしい作品をありがとうございました。
 そして、往時を再現し、私にまた青春を再体験させてくれたあなたの作家としての力量に感謝します。
 
 いつか、この秀作が本という形で出版されることを心より祈念して。

 私のために書いてくれて、ありがとう。私は今、涙が止まりません。

                       萌、変わらぬ愛のありたけをこめて」

 
 「青春同窓会」は後年、喜多の元ライバル同僚、江西主宰の編集プロダクションから自費出版され、元社員に配られることになった。
 出版記念会が奇しくも、二度目の同窓会となったわけである。生き残りの社員全員がついに一堂に会したわけであった。
 これで、元若手の、江西、萌、喜多の三人が本を出したことになり、元編集長や元営業部長も三人の快挙にひとしお誇らしげだったことはいうまでもない(了)。
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青春同窓会12(長編小説)

2018-06-15 16:30:56 | E全集(受賞作ほかの全小説作品、2017~)
    十二

 2012年秋、待望の二冊目の本が出た。前回の帰国時、松井に薦められた通り、いくつか心当たりのある出版社に「インド安宿日誌」の企画書と原稿を送り、幸運にもそのうちの一社から企画が通ったとの返事が来て、以後編集作業に入り、「インド安宿奮戦記」とタイトルを変えて晴れて刊行にこぎつけたのである。
 本の宣伝もかねて、翔子は帰国した。出版社から寄贈された新刊書の一冊を携えて、後日松井のオフィスを訪ねると、ひとしお成功を喜んでくれた。
「このエッセイは半分は松井さんの編集力あって昇華されたものだから、こうして本になったことはとてもうれしいし、改めて松井さんのご尽力に感謝します。ありがとうございました」
 と翔子はあらたまって礼を述べ、トランジットで通過した香港の免税店で買った洋酒と共に手渡した。
「おっ、高級ウィスキーとは気張ったねえ。ありがとう。いや、ぼくも、インド安宿日誌が立派な本になってうれしいよ。おめでとう」
 その夜は前にも行った東京駅近くの居酒屋チェーン店でお祝いしてもらった。出版記念だからといって、松井の奢りだった。
 翔子は野島や、都築、蔵元にも本を郵送することにした。ちょうど届いた頃、礼状メールが次々と入り、元仲間たちは翔子の二冊目の本出版を心から祝福し喜んでくれた。
 翔子はふと、木戸にも送ってみようかと思い立ち、電話番号から住所を割り出し、持参した前著と併せて二冊送った。昔の仲間との交流復活に神経を尖らせているという奥さんに、元仲間とわかると、そのまま捨てられてゴミ箱行き、本人の手元に渡らないのではと心配したが、一か八か送ってみることにしたのである。メールアドレスその他の連絡先の詳細は本の奥付に載っているし、うまく本人の手に渡れば、連絡しようと思えばいつでもできるはずなので、あえて手紙をはさむことは差し控えた。下手に同封して、妻に誤解されたらと思うと、恐かった。
 木戸は果たして幸せ、なのだろうか。夫婦二人きりで身を寄せあうようにして生きている二人所帯の豪邸がふっとまぶたに浮かぶ。丹精した庭には、見事な枝ぶりの松や、高価な石の置物が並び、一家の主人は春には桜、秋には紅葉を満喫している。白髪混じりの短髪で和服を着こなす風流人、かつての若さからは考えられずに枯れた風情、翔子は嘆息を洩らす。

 二度目の同窓会案は四年たってもいっこうに具体化せず、それどころかますます遠のいてゆくようだった。結局はみなそれぞれの生活に忙しく、あえてそう何度も旧交を温めようという気にはなれないのかもしれなかった。翔子は金沢への帰郷がてら、京都にも立ち寄り、真っ赤に色づいたもみじ撩乱の秋を堪能し、また東京に戻ってきた。
 アズマヤ・インのパソコンを一週間ぶりにチェックすると、未知の差出人からメールが届いていた。
 torimakoto、誰だろう、ウイルスメールかと危ぶみながら開けて、翔子は愕然とした。
「河津翔子様

 このたびはご高著を二冊、お送りいただき、ありがとうございました。無我夢中であなたがたどってきた足跡を読ませていただきました。楽しかったですよ。あなたが、インドという不思議の国に魅せられていく過程がわくわくとスリリングで、ご主人との馴れ初めや、宿開業にいたるまでのいきさつ、心温まるお客さんとのエピソード、ハンサムな息子さんを含めた家族のこと、あなたが殊のほか愛されるベンガル湾の美しい情景や興味深い現地事情、一気に読ませる筆力で感銘しました。
 腕を上げられたなという感じで、ペンを折ることを余儀なくされた当方としては、立派なもの書きとして成長されたかつての同士に羨望の念を禁じえませんでした。と同時に、私の分までがんばって書いている同士のあなたの快挙を心からうれしく思いました。
 このたびは、出版本当におめでとうございます。

 今後の翔子パトナイク様のご健筆、陰ながらお祈り申し上げます。

 インドにお帰りの際は、くれぐれもお気をつけて。

追記
 いつぞやはせっかくの同窓会のお誘いの電話を邪険に退ける羽目になってしまい、まことに失礼申し上げました。この文面を借りて改めて深くお詫び申し上げます。

 遠里真」

 遠里真、という雅号にはっと思い当たった。「通り魔」、まさにあの、木戸喬本人からだった。ついに木戸との連絡が取れたのだ。翔子は興奮した。すかさず返事を打つ。滞在期間は後一週間しか残されていない。この好機を利用して、何としてでも一目逢っておきたかった。退けられる可能性のほうが大きかったが、翔子は賭けてみたかった。

「お懐かしい遠里真様

 無事拙著がお手元に届いたのみならず、感想がてらのご丁寧なお返事までいただき、感激しております。まさかあなたからメールが届くとは予想だにしておりませんでした。言葉にならぬ感激で胸がいっぱいです。
 さて、早速で恐縮に存じますが、私のフライトは一週間後に迫っておりまして、日にちがない事情からも、なんとか一両日中にお目にかかりたいと考えております。お忙しいのは重々承知の上でのお願いです。三十二年ぶりにつながったこの好機を捉えて、ぜひ一度お目にかかっておきたいのです。
 喫茶店での短時間の会合でもかまいません。なんとか少しでもお時間を作っていただけませんでしょうか。ご存じのように、かつての上司三名が鬼籍に入られています。私たちももはや初老の域に入り、次という機会がないかもしれないことを考えますと、この機にぜひ元気なお顔を拝見させていただきたく思います。
 ご迷惑は承知の上でのたってのお願いです。昔の仲間とは逢いたくないとおっしゃるあなたのこと、私もその一人で、いまさらというお気持ちはあるのかもしれません。それは重々承知の上でのお願いです。ぜひ一度逢ってくださいませんか。

 よいお返事をお待ち申し上げております。

河津翔子」

 しかし、以後三日間、なんの連絡もなかった。翔子は男の迷いを見るようで、今回は無理かもしれないとほぼあきらめかけていた。待望のメールが届いたのはなんと、帰国二日前のことだった。
 用件のみ綴った短い内容だった。
「では、明日の金曜夜七時に、フリッツでお逢いしましょう。フリッツ、かつての若手記者の溜まり場だった酒場です。覚えてらっしゃいますか。お忘れだと困るので、地図や電話番号を添付しました。ご覧ください。再会楽しみにしております。ただし、私はもう、昔の木戸喬、ではない。そのことだけはご覚悟ください」

 やっと、木戸本人との再会の約束にまで漕ぎ着けたのだ。翔子は感無量だった。その反面、この三十二年ぶりの再会が自分の人生にどのような波乱をもたらすかと考えると、いくぶん恐くもあった。インドに残してきた家族、夫のこと、息子のこと、ホテルのこと、木戸にも家庭があって大企業の重役という立場がある。
 再燃はあってはならなかった。お互い家庭持ちとなった今、私はこの再会で何を求めているのだろうか、翔子は自分の胸の中を覗いた。
 そう、ただ。ただ? ただ、木戸にもう一度ペンを執ってもらいたいだけだ。それは自分にしか説得できないことのような気がした。再起への祈り、木戸には書ける力が残されていると信じたかった。

 当日翔子は、煉瓦色の厚手のスーツに身を包み、精一杯のおしゃれをした。三十二年ぶりに、かつて愛しあった男と逢うのだ。五十七歳という年齢は往時の魅力を薄れさせ、二十代の頃の輝きは望むべくもなかったが、せめて元恋人の前ではいくつになってもきれいでありたかった。
 翔子は美容院に行って、ボブスタイルの髪も少しカットし、内巻きにカールしてもらった。八重州通りの並木も色づき、オレンジや枯れ茶の落葉が舗道に散り敷く中を、翔子はブーツで踏み締めながら歩いた。釣瓶落としの秋の日は落ちるのが早く、約束の時間までまだ一時間あったので、コーヒーチェーン店に入ることにする。化粧直しがしたかったし、八重州ブックセンターで買った沢渡耕二郎の新刊書も紐解きたかった。
 往時人気を誇った美人演歌歌手が最近投身自殺を図ったことで、三十年前に沢渡が書いて埋もれていた原稿が日の目を見ることになったのだ。高層ホテルの展望バーで火の酒、ウオッカを八杯まで飲みながら、引退直前の歌姫にインタビューするという設定で展開するノンフィクションで、章分けは一杯目の火酒、二杯目の火酒という風に、グラスを空ける回数で展開していく。
 「四杯目の火酒」まできて、翔子はしおりをはさんだ。そろそろ時間だった。早すぎてもいけないし、遅すぎてもいけない。適度な時間に、そう約束の時刻より十分過ぎくらいが無難なところか。化粧室に行って、剥げかけた口紅を直し、鼻の頭にパフを叩く。
 用心深く鏡をチェックする。まぶたの下のしわが気になる。しかし、木戸も自分と同じだけ年を食ったのだ。嘆息をついて後にし、店を出た。ぶらぶら闇の降りた路地を歩いていく。
 そう、ちょうど六年前も八重州ブックセンターで書店周りの挨拶を締め括った後、同じ喫茶店に入り、店を出てぶらぶら歩き出したところで道に迷い、裏路地に紛れ込み眼前に立ちはだかったのが事もあろうに、フリッツだった。
 あのときは込み上げる懐かしさに胸を衝かれながら、一人で入る勇気もなく、ただ感傷に駆られて二階の飾り窓を見上げるばかりだった。今日は相棒がいるから堂々と入っていける。金曜日で一杯やるサラリーマンの群れに混じって、翔子は薄暗い階段を胸ときめかせつつ、上がった。
 ぎいーっと重々しい音を立てて木の扉を開ける。
 中は、時間が止まったように、三十二年昔そのままだった。翔子はふらりと黒光りした木の床に足を踏み出し、店内を見渡した。テーブル席は若い男女のグループで埋まっていた。木戸はまだ来ていないようだ。
 翔子は、カウンターのはじの空いている止まり木に腰掛けた。ひとつ置いた隣席に、飲みかけのグラスがあった。客はすでに、去った後だろうか。翔子は懐かしさに駆られ、それとなく店内を見回した。
 何も変わっていない。あの頃のままだ。そう、あの隅っこのテーブル席に紅一点の翔子を囲むように若手記者三人が座り、青くさい議論を闘わしたのだ。代わりに席を占拠しているのは、平成のサラリーマン、しかし、翔子は若い息吹きに青春時代を重ね合わせ思い出し胸が熱くなった。三十二年たっても、人が人を愛することは変わらない、あのグループの男女の中にも恋に陥っている二人がいるのかもしれない。そう思うと、微笑ましくなり、目が離せない。
「しばらくでした」
 背後からだしぬけに耳覚えのある声がかかり、翔子の胸はどきんと高鳴った。思わず振り向くと、懐かしい男が立っていた。
 白髪混じりの髪は短く刈られ、顔にもしわが目立つが、端正な美貌の名残りを宿している。夢にまで焦がれた木戸喬、だった。高級スーツに身を包み、ネクタイも趣味のよいものをまとっている男に、翔子は一番最初にエレベータ前でぶつかったときのくしゃくしゃの背広姿を思いだし、歳月の流れを感じ取らずにはおれなかった。
「こちらこそお久しぶりでした」
 立派な風采に変わった男に軽く礼をし、胸元に込み上げる思いをこらえる。
 男はひとつ空いた席から飲みかけのグラスを引き上げると、翔子の隣に移った。先に着いたのが、洗面所にでも行っていたものか。
「なんだかどきどきするね」
 とナイーヴな少年のように投げて、おもむろに腰掛ける。
 鼻孔に、柑橘類に似たトワレの匂いがかすかに漂ってくる。嗅ぎ覚えのある懐かしい男の匂い、体臭と入り混じった香水に翔子の胸はざわざわ騒ぎ出す。男は翔子を真正面から見るのが恥ずかしそうにまぶしげに目を逸らすと、
「まさか、あなたとこの年になって、また再会することがあろうとは」
 と感無量の態だった。
「私も感激してます。ずっとお逢いしたいと思ってました。六年前初めてお電話したときから。やっとその悲願が果たされたという感じです」
 翔子はまっすぐ男の目を見つめ返し、本音をぶつけた。
「僕、じいさんになったでしょう」
「それは私も同じですよ」
「そうか、君はお母さんでもあるんだもんな」
 翔子はせっかく昔の恋人同士が再会したのに、野暮な子供の話題など出してもらいたくなかった。しかし、木戸は翔子の興奮を牽制する意図もあったのかもしれない。
「木戸さんは今、大企業の社長と伺いましたけど」
「うんまあ、家内の父が経営する会社を継いだもんで」
「そうでしたか」
 とっくに耳に入っていた情報だが、今聞いたように白を切る。
「書く仕事から離れられたのはいつですか」
「さあ、かれこれ二十年になるかな」
「もう書かれるつもりはないんですか」
 男は話を逸らして、
「ボトルを一本、入れようか。次に来れる機会があるかどうかはわからないけど」
 とだるまを頼んだ。すぐに水割りセットが運ばれてきた。
「つまみは何にする」
 木戸は細かく気遣う。
「お任せします」
「だって君、久々の日本だろう。なんでも好きなもの、頼みなさい。和風がやはりいいんじゃないの」
 年相応の包容力を見せ、勧める。翔子は喉が詰まって、食べ物は到底口に入りそうもなかったが、申し訳程度に、お新香やひややっこを所望した。
「カナッペもとろうか。あとサラダかな」
 木戸はあまりつまみをとらず、もっぱらグラスを重ねる口だった。昔と変わらず、軽いものばかりだ。
 改めて再会を祝した後、
「そうだ、このたびの出版記念のお祝いもしなくちゃね」
 と木戸が言い出し、再度グラスを重ねた。
「君は二冊も本を出して、すごい出世だね。でも、うれしいよ。君が成功してくれていて」「木戸さんだって、大きな会社をしょって立つ立場ですよね」
「うん、まあ。経営者というのは、もの書きと違った心労がまたあってね」
「お察しします。大変でしょうね」
「やくざな世界の底辺でのたうち回ってたときから比べると、一転した心境だよ」
「それを木戸さんは望まれていたんですか」
「妻の希望でもあったし。僕自身、まともにならねばと思ってた。堅気に転身しなくてはならなかったんだよ、愛する女のためにも」
「奥様のこと深く愛してらっしゃったんですね」
 それには答えず、木戸はグラスを一気にあおる。
「君は僕なんかよりずっと、ドラマチックな人生を歩んでいるね。そして今、とても幸福な家庭生活を営んでいる」
 翔子は俯く。不覚にもまぶたの奥から噴き出すものがあった。
「ごめんなさい。私、木戸さんのこと、好きだったんです。でも、なぜかうまくいかなかった」
「僕も君のこと、愛していたよ。ただ、あの頃の僕はプロになるという夢に賭けていたから。恋愛より仕事、そういう意味では、君に邪険にすることになったかもしれない」
「それだけ賭けていた仕事をなぜ、断念したんですか。私はやはり木戸さんには書き続けていてもらいたかった。なぜって、あなたの書くものが好きだったから」
 翔子は男の古傷をつつくことになるかもしれないと思いつつ、ぶちまけていた。
「ご希望に添えなくてごめん、君を失望させてしまったな」
 木戸は辛そうに口をつぐんだ。
「すみません。昔の話なんか蒸し返して。今、あなたは別の意味でとても成功してらっしゃるのに」
「いや、いいよ。とにかく、君は僕といっしょにならなくて、正解だったよ」
 翔子はどうしてという言葉を呑み込んで哀しそうに男を見上げる。代わりに、男が理由を答えた。
「どうしてって、俺と結婚したら、子無しだし、おそらく、君は今、書いてないよ」
 翔子はなんと応じたものやら、無言を通していた。
 酒が入るにつれ、最初のぎこちなかった空気が少しずつ和らぎ、往時の親しみが蘇ってきていた。元同僚のよしみで、木戸の口調も次第にぞんざいになっていく。
「俺はさ、亭主関白型だったから、女房には家庭の主婦に納まってほしいと思ってたし、君が書くことを許してなかったと思うよ。今のインド人の旦那さんはよくできた人だと思う。君はいい選択をしたよ」
「わかりません。でも、木戸さんだって、愛妻家でいらっしゃる」
「のつもりだったがね。子供がいつまでたってもできないことが、やはり辛かったな。いくら仲が良くても、そのことでひびが入っていったね。今はその時代は通過して、夫婦二人ひっそり寄り添って生きているけど。そうそう、君の息子さんの写真、本で拝見させてもらったけど、ハンサムだね。正直言ってうらやましいよ」
 子供のことを話題に出され、翔子は白ける。話したいのはもっと別のことだ。だのに、会話が空回りし、どうでもいいことばかりの話題の周辺をうろうろしている。もう時間がないのだからもっと核心に迫った話をしたい。
「都築さんとのこと、誤解しておられませんでしたか」
「誤解だったの? 僕はてっきり事実と思い込んでいたけど」
 木戸は揶揄するように、翔子を上目遣いにちらりと見上げる。
「何もありませんでした。木戸さんに冷たくされたので、腹いせに見せつけるようなところはあったかもしれません」
「くくく、君は可愛いねえ。今だって若々しいし、魅力的だよ。つまり、あの時代はさ、若い女子社員が一人しかいなくて、それが可愛くて魅力的だとなると、男性社員はみな、釣りたがるわけで、ぼくらは狭い釣堀で、マスコット的存在のショーコちゃんを釣ろうと競い合ってたってことだよね」
「釣堀……」
 面白いことを言うと翔子は思った。
「松井だって、君に気があったんだぜ」
「えっ。だって、佑子さんとすぐに婚約したじゃないですか」
「だから、脈がないとわかったからでしょう」
「野島だって、君のこと憎からず思ってたし、尾瀬さんもいやらしい目して見てたな」
 野島に可愛がられていたことは確かだが、同棲相手がいたし、とくに男女の感情はなかったように記憶している。
「とにかく、君はもてもてだったわけだ。都築さんも、唾つけたくなって当然だよ」
「でも、木戸さん以外の人とは何もありませんでした。きっと、紅一点ということが幸いしたんだと思います」
「俺はさ、実を言うと、君のことはかなり、熱烈に想ってたんだよ。でも、なんかすれ違いだったね。都築さんといっしょのとこ目撃したとき、ああ、こっちが原稿で夢中になってる隙にかっさらわれたと思ったし、やっぱりあの頃の僕はプロになる夢のほうが強くて、あっさりあきらめちゃったんだよ」
「あのあと、私のアパートに乗り込んできて、それが最後になりましたね」
「あのとき、男から電話があったろう。てっきり、都築さんと思い込んだけど」
 翔子は答えない。違うと言っても、信じてもらえないような気がした。二股かけていたことは確かな事実で、でもそれも木戸にジェラシーを感じさせたいという意図から発しただけのことだったように思える。要は相手の男は誰でもよかったのだ。本命は木戸で、木戸の気を惹きたかっただけだ。その翔子の切ない女心を当時木戸はどこまでわかっていたものか。
「若い頃の僕は、鈍感で、女心の機微を解してなかったところもあったと思うよ。とにかく、エゴが強くて、自分のキャリアのことばかり、プロとして世に出るって野心のほうが恋愛に先行してたからね」
 恨めしげに見ている女に少し気後れしながら、木戸が弁明するように投げ放った。それから一瞬考え込むような顔つきになって、
「君はつまるところ、器量が大きすぎて、僕の手には余ったんだと思うよ。インド人伴侶でちょうどよかったわけだ。日本の男の手に負える女じゃないというか」
 と結論めいたものを引き出した。翔子には褒められているのかけなされているのか、よくわからなかった。
「そういえば私、昔から、よく変わっているって言われましたからね。好きになると、後先見ずに追いかけるタイプだし、男の人から見たらきっと恐い女でしょうね」
「いや、僕は君のそういう一途なところが好きだったけどね」
「幸か不幸か、互いに別々の道を歩むことになりましたね」
「それでいいんだよ。納まるべきところに納まったというか。お互い今こうしてある現在の状態を悔いるべきでないと思うよ」
 木戸の達観したような物言いに、
「ほんとうにそう思ってらっしゃるんですか」
 と翔子はついぶつけていた。
「インド人夫には確かに感謝しています。家族のことは大事にしなければとも思っています。そして、それは木戸さんももちろんそうだと思います。でも、何かが違うんです。どこかで誤ったような。私は結婚すべきでない人と結婚したような」
 翔子はかなり酔っていたようだ。誰にも話したことのない本音を、三十二年ぶりに逢った昔の恋人にぶちまけていた。
「タイムマシンで三十二年前には戻れないよ」
 木戸はあくまでクールだ。
「わかっています。でも、せめて、もう一度だけ、ペンに手をつけてもらえませんか。なぜって、あなたには才能があるからです。あなたはその才能をすでに年を取ってしまったという言い訳の元に、砂地獄の底に埋もれさせようとしている。松井さんは今も、書き続けています。ジャーナリストの良心を体現したかのような松井さんが、元同僚として誇らしいです。立派なジャーナリストに成長しました」
「俺は結局、奴には負けたからね。あいつにだけは負けたくなかった、書くことでも、女でも。でも、結局、彼は出世転職し記者街道ばく進、対する俺はデビュー作は出たものの、後が続かず、しがない三文誌の記者稼業、やくざな出版界の底辺を渡り歩いてきた。まともな表の世界に出たいと思っても、致し方のないところさ。愛しあって結婚した妻には何年たっても子供ができないし、一時期はずいぶん荒れて酒浸りだったよ。とにかくあのままあの世界にいたんじゃ、人間として俺は駄目になっちまうと思った。今となってはしみじみ、堅気のサラリーマンに転身できてよかったと思ってるよ」
「ほんとにそうでしょうか。木戸さんは胸の奥深いところに本音を隠しているだけじゃないですか。うずみ火のように、書く思いはくすぶっているんじゃないでしょうか。それを無理矢理押し込めて見ないようにしているだけのことじゃないですか」
「僕の人生だよ。僕の人生は誰にも指図されない、自分で決める」
 木戸は翔子の立ち入った発言にさすがにむっとしたようだった。
「書きたいなんて、気持ちはほんの針の穴ほどにも残ってないよ。君には申し訳ないけど。俺はもう書き手としては脱落したんだ。だから、二十年以上も書かないで平気でいられるのさ」
 翔子はがっくり気落ちしていた。自分の説得は無に終わったと思った。何のためにここまで肩肘張って相対したのだろう。なんとか、翻意させたかった。しかし、虚しい試みに終わった。徒労の二時間だったと思う。
「最後に木戸さん、ひとつだけ聞いていいですか。今幸せですか」
「ああ、俺は諦観の領域に達してるからね。幸せだよ。妻のことも、人間として愛しているし」
「女としては?」
 木戸は少し口ごもるように返す。
「女としても」
「それだけ聞けば、充分です。とにかく、今日は三十二年ぶりに木戸さんの元気なお顔を拝見できてよかったと思います。お忙しいところお時間を作っていただき、本当にありがとうございました」
 翔子は自分でも意外なくらい邪険に、座のお開きを宣言していた。挑むように男が、
「僕からも最後に一つ同じ質問させてもらっていいかい。君は今、幸せ?」
 とおうむ返しに投げつけてきた。翔子は男の目を食い入るようににらみながら、くっきりと言い放つ。
「通り一遍の意味で言うなら。でも、満足していません。それが私を書きものに向かわせます」
 男が降参したように両手を上げて、憮然と放った。
「君は根っからの、物書きにのし上がったな。まったく恐れ入ったよ。俺が今どんな気持ちでいるかというとね、徹底的に打ちのめされているんだよ。君の強い意志に。君に比べると、俺はなんて意志薄弱だったんだろうって」
 最後に木戸は弱い部分をさらけだした。傷々しいまでに傷を露呈している男を翔子は思わず、抱きしめたくなった。
 昔も、こんな風に母性本能をくすぐる部分を覗かせることがあった。かと思うと、一転したように牙を剥く凶暴性、倒錯的な性の泥沼に墜ちたひと幕、あの映画、「愛の嵐」のように禁断のエロスも分かち合った、甘美で狂おしい記憶に翔子はめまいを覚える。酔いが拍車をかけて眩惑されていた。
 男の手が伸びて、翔子の手をきつく摑む。翔子は意志の力で振り切ると、先に立って階段を降り始めた。
 追いかける男の手に、路上で肩をさきほどと同じ強さで摑まれた。
「ホテルに行こう」
 翔子は頑固に首を振った。こんな形ではいけない、こんな形では絶対嫌だった。ただ過去の亡霊に捕われての体の絡み合いになるのがいいとこだ、私たちは真に愛しあっていない、単に昔の幻影に惑わされているだけだ。ちょっと感傷的になっているだけだ。三十二年もたって年取ったことに。
 ひととき交わりあって、ぬくみを交わし、寂しさを忘れたいだけなのだ。かろうじて翔子の理性が打ち克った。
「お互い家庭を持って幸せな今を、大事にしましょう」
 ずるいなと思いつつ、翔子はそうした言いざまで逃げるしかなかった。翔子が木戸との再会に求めていたものは、肉体関係の復活ではなく、もっと強い精神的希求、再起への祈りだったからだ。
 利口な木戸なら、そのこちらの思いがわかったはずだ。
「木戸さん、お願い、書いてください。誰のためでもない、私のために。それが、私を抱くことになるんです」
 翔子は打ちのめされている男に沢渡の新刊本を無理強いに押しつけると、後も見ずに駆け出した。
 こらえにこらえていた涙がどっと噴き出し、鼻水がすすってもすすっても滴り落ちた。
 体内に発情した熱がこもっていた。それはついに、木戸に抱かれなかったことを悔いる一抹のもどかしさにも似ていた。

エピローグにつづく)  

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青春同窓会11(長編小説)

2018-06-15 16:05:56 | E全集(受賞作ほかの全小説作品、2017~)
十一

 当日の一番乗りは、翔子だった。歩きやすいようピンクのトレーナーとオリーブ色の綿パンにスニーカー姿、わくわくと胸が逸り、駅にも十五分前に着いたほどだ。一時を少し過ぎた頃、駅から降りてきたのは、薄手の紺のセーターに焦げ茶のズボンをまとった野島だった。肩にかけたデイパックの網ポケットからミネラルウオーターの小瓶が覗いている。翔子もビニールバッグに飲料水のほか、缶ビールとさきいか、あられなどのつまみをこっそり忍ばせてきていた。
 一番遅れたのはやはり、松井だった。キャメル色の上着を手に引っかけた水色のポロシャツにグレーのズボンのラフな軽装で、革鞄をさげている。中に飲料水などが入っていることは間違いなかった。
 三人そろって、二年ぶりに顔合せ、野島と松井も、同窓会の頃よりはずっとリラックスして、挨拶を交わしあっている。
「じゃあ、みなさん、早速山谷巡りといきましょうか。まず、泪橋の交差点へとご案内します」 
 翔子は先に立って歩道橋への階段を昇り始める。南千住駅前南口の目前に立ちはだかる長大な歩道橋から降りた右手の通路を直進した十五分後、名高い交差点が目前に見えてきた。立ち止まって説明する。
「ネットで調べたところによると、江戸時代ここには思(おもい)川という川があって、橋がかかっていたそうです。橋を渡った北端に火あぶり・斬首の小塚原刑場があったとかで、橋の上で、死刑囚が家族と涙を流して今宵今生のお別れをしたところから、泪橋と名付けられたらしいです」
「ふうん、じゃあ、この台東区と荒川区の境辺りは昔は川だったということだね。今は暗渠になっているというわけか」
 松井が興味しんしんにカメラを向けて、信号の下の「泪橋交差点」と銘打たれたボードを撮っている。
 次に翔子が泊まっているゲストハウスに案内することにし、角のセブンイレブンを少し過ぎて、交番のあるところで立ち止まった。
「これが通称マンモス交番、四階建てで以前は日本一の規模だったらしいです」
 と説明した後、警官が外で一人見張っている前を過ぎて、路地の奥に折れた。ほどなく左手に見えてきた一階がキッチンバーになっている黒い三階建ての小ビルを指し示しながら、
「ここが今、私がお世話になっているゲストハウス、アズマヤ・インの別館、三階が私の部屋よ」
 と紹介した。
「へえ、わりとこぎれいだね」
 と野島は感心している。
 路地の奥にいろは商店街が見えていたが、ひとまずやり過ごして、本館にも招待することにした。大通りを横切って向こう側に渡り、少し行った路地を曲がると、前方に「AZUMAYA INN」の英語の看板が見えてきた。
「こっちが宿の本館です」
 ガラスの引き戸の玄関を開けて中にいざなう。手前が低い座卓三つと座蒲団の並んだ和風のロビーが開け、お湯ポットの置かれた無料のティーコーナー、はじには二台無料パソコンが設置されている。ロビーには中国人らしき東洋系のカップルが座って、お茶を飲んでいた。パソコンの一台を占拠しているのは欧米かららしい金髪の青年だ。 
 奥のカウンターを覗くと、ちょうどフランス人マネージャーのアランがいたので、引き合わせることにした。
「ハロー、アラン、ゼイ・ア・マイ・フレンズ」
「ドモヨロシク、アランデス」
 と滞日歴十年の親日家のアランは片言の日本語で挨拶し、野島と松井も口々にハローと返す。英語が堪能な野島は、しばらくアランと流暢な英会話を交わしていた。
「なかなか居心地よさそうだね」
 と松井、雑多な人種であふれる公共スペースをデジカメで撮影している。
「アランがフランス人なので、ここはフランス人も多いのよ。日本女性マネージャーもいるんだけど、フランス語ペラペラ」
「ふうん。まあ、こういう外人宿のマネジメント業務は語学に堪能でないと、勤まらないだろうけどさ」
 アランに別れの挨拶して、外に出る。
「アズマヤ・インはね、元々系列が二軒あって、そもそもは高度経済成長期の建設現場の労務者向け簡易宿舎だったのが、2002年の日韓ワールドカップのころから外人のお客さんが増えてきたこともあって一軒を外人専用に改築、人気が出てきたので、オーナーの私邸の三階もゲストハウス用に改築したらしいわ」
 この界隈にはほかにも数軒、外人宿があるのだ。なんといっても、地の利の良さと安いことが人気だった。
 そこからまた元のゲストハウスに戻り、路地の奥に開けているいろは商店街へと導いた。「あしたのジョーの生誕地」と銘打った、ジョーのイラストが書かれた赤い垂れ膜がアーケードの下にいくつも架かり、活性化を図っているようだったが、シャッターが下りている店が多く、昼間からホームレスが酒を飲みながらたむろしている。
「俺、ちばてつやの『あしたのジョー』のファンだったんだよ」
 往年のボクシング漫画が懐かしく蘇ったようで、松井が投げた。男勝りの翔子にとっても、「あしたのジョー」は懐かしい名漫画で、弟が取っていた少年マガジンをひったくって無我夢中で読んだものだった。
「私も大ファンだったんだけど、内容はころりと失念していて、今回調べ直してわかったんだけど、なんと山谷はジョーが生まれた街だったんですよね。丹下段平ジムも泪橋の下にあって、漫画では、川と橋は存在することになっていて、泪橋とは人生に破れドヤ街へと流れ、涙を流しながら渡るからこの名があるそうで、逆に渡ると、拳一つでどん底から這い上がり、明日の栄光を目指すという設定になるらしいです」
「へえ。よく調べたね。そんなの、俺もころっと忘れていたよ」
「俺はどちらかと言えば、巨人の星派だったけどね」
 と野島。
「私は優等生の飛雄馬より、不良のジョーのほうがかっこいいなって思ってました。少年漫画誌では当時、根性もの流行りましたよね」
「うん、梶原一騎原作のが、チョー人気だった」
 と松井がうれしそうに応じる。それから、
「それにしても、やけにホームレスが多いな」
 とさすがに腰引けの風情で言い添える。野島のほうはむしろ好奇のほうが優るようで、きょろきょろ物珍しげに見回しながら歩いていた。
「ここはアーケード付きで雨除けにいいんで、夜ともなると、段ボールの仮寝床で眠るホームレスがうようよ出るんです」
 商店街を突っ切って広い土手通りに出、向こうに渡って南下した二つ目の信号前が吉原大門交差点だった。路地の入り口の左脇の舗道に有名な「見返り柳」がそびえていた。
「江戸時代最大規模を誇った遊郭、吉原帰りのお客さんがここで名残惜しそうに振り返ったことから、この名がついたそうです」
 男二人とも興味しんしんだ。松井は茶目っ気たっぷりに、遊郭帰りの客を気取って、
「こんな感じかな」
 と長身をしならせてジェスチャーをとり、野島を苦笑させた。
 奥に続く路地へ連れ立って入ると、ほどなく両脇に、よし原大門と黒字で銘打たれた茶色い門灯が現れた。
「ここからが結界です、これからいよいよ妖しい遊郭の世界に入っていきまーす」
 と翔子はバスガイドのようなおどけた口ぶりで、男二人を手招いた。
 S字型に路がくねるなかに進むと、ソープランドが軒を並べる現代の歓楽街が現れた。昼間の歓楽街は白々とした陽の下で場違いな匂いを発散していた。店の看板前に立つ黒服も、昼の光で見ると、異彩が際立つ。松井はさすがにカメラを向けることは控えている。いい年こいた大人三人の吉原周遊見え見えの風采に、因縁つけられることを恐れるかのように、目つきの鋭い店の用心棒風情風からこそこそと退散するごとく、足を早める。 
 さらに行くと、右手に赤い幟の立った小さな神社が現れた。吉原神社だ。貧しい東北地帯から売られた薄幸の遊女たちがここに駆け込んで、祈ったとのいわれのある弁天様を祀ったお社だ。境内のガラス入り掲示板に吉原今昔図、地図や写真が展示され、ひとしお興をそそった。
 神社を出て、元来た道を戻り、隅田川へ出ることにした。桜が満開の土手で一服、みなで缶ビールを開けようと思ったのだ。
 松井はへとへとに疲れているようだった。野島は健脚で疲労を顔に表さなかったが、土曜はいつも所属しているスポーツジムでマラソンで鍛えているという松井は息を切らし、疲労困憊の態だ。記者時代、飛び回ったことでフットワークは軽いはずと思い込んでいた翔子には意外だった。
 泪橋交差点に戻り、明治通りを河に向かって東進して十五分後、シルバグレーの重厚な白髭橋が現れた。春の駘蕩にたゆとう河の流れを見下ろした後、煉瓦の敷きつめられたテラスに降りて、次の歩行者専用の桜橋目指して歩いていく。対岸は、ピンクの霞でいっせいに彩られ、花見客が右往左往し、咲き誇る桜を愛でていた。彼方に、建設中のスカイツリーも中空に伸び上がるようにしなやかな塔を揺らめかせている。
「ここで一服しよう」
 石のベンチをめざとく見つけた松井はほっとした顔になり、音を上げた風情で提案した。翔子は桜橋まで歩いて彼岸に渡り、満開の桜の下で休憩しようと思っていたのだが、舌を出している松井が気の毒になり同意した。並んで腰掛けた後、バックからやおら缶ビールを取りだし、男二人に手渡す。歓声があがったことはいうまでもなかった。二人とも大喜びだ。
「ショーコちゃんは、気が利いてるなあ」
 往時の愛称で呼んで、松井は疲労も一瞬に吹き飛んだかのようなにこにこ顔だ。勢いよくプルトップを押し開けて、ぐぐぐとうまそうにあおっている。翔子は、さきいかやあられも出して、封を切り、勧めた。
「おっ、つまみまで」
 袋に手を伸ばし、いかの切れ端をつまみだし、松井はご機嫌だ。今さっき、犬のようにあえいでいた顔が現金に、生き生きした精彩に輝き出している。野島もおいしそうにビールをあおりながら、合間に柿の種をぽりぽりやり、
「河辺で対岸を彩る桜並木を愛でながらの酒盛り、これは優雅な花見気分だなあ」
 と感嘆の息を洩らした。
 足下の河面を花見客を満載した屋形船が滑るように過ぎていき、白いゆりかもめがキーキー鳴きながら群れては飛び立つ。三十分ほどビールで喉を潤して足の疲れを癒した後、またてくてくと歩きだし、中程でクロスした珍しい形の桜橋を渡って、橋架記念の雌雄の鶴のオブジェを見て、対岸に渡り、桜吹雪の舞うなかを遊歩客に混じってそぞろ歩いた。
 元の橋詰に戻って、次の赤い欄干の吾妻橋まで足を伸ばすことにする。橋から橋までの舗道に青いビニールテント小屋が点々と建っており、目を惹いた。縄でぐるぐる巻に固定された仮設小屋には人の気配が感ぜられ、ラジオのスポーツ中継音が聞こえてきたりした。周囲に自転車や植木鉢のある小屋もあって、狭いながら貧しい我が家の雰囲気だ。路上生活者といっても、河辺に占拠している手合いは幸せなのかもしれない。
「こういう浮浪者の住む小屋ってのも、きっとテリトリーとかあるんだろうね。河のそばとかだったら、アウトドアのテント張ってる気分で悪くなさそうだよね」
 と野島。野島は旅が好きな、アウトドア志向なのだ。
「夏は涼しくていいけど、冬とか河のそばは冷えるんじゃない」
 と松井が返し、
「ネットにあったんだけど、夏の花火大会になると、市の職員が来てテント小屋は一時的に一斉撤去されるんだそうよ」
 と翔子が情報をひけらかすと、
「ふうん、やはり路上生活は楽じゃないね」
 と野島が重々しげにうなずいた。
 浅草が近づいてくるにつれて、対岸に林立する高層ビルの中でもひときわ目立つ、高々とそびえたつビルに隣接する低い建物の屋上に乗っかった奇怪なオブジェに、翔子は気づいた。一見巨大な南京豆のように見える異様なモニュメントだ。
「あれは一体、何なの!?」
 つい素っ頓狂な声をあげていた。
 松井がにやにやしている。
「ずいぶんと奇妙なものね。落花生のようにも見えるけど」
 翔子は首を傾げる。野島がくくくと笑いを耐え兼ねる声で、
「あれは落花生、なんかじゃないよ。通称、うんこビル」
 と投げて、松井と顔を見合わせ、ぷっと噴き出している。うんこ?、翔子は頬を染めて絶句した。言われてみれば、とぐろを巻いた黄金色の大便に見えなくもない。
「なんかフランスの有名デザイナーが造ったらしいけど、実はフラム・ドールといって金の炎を横に倒したもんなんだよ。下のビルは聖火台に見立てているんだけど、バランスの配合か、縦にできなかったらしいよ。で、ちょっと見た目にはうんこそっくりになっちまったというわけ」
 と松井が説明し、さらに細かい注釈を付け加えた。
「脇の高層ビルはアサヒビール本社で二十二階建て、アサヒビルタワーというんだけど、琥珀色のガラスと頭頂部の白い外壁で泡のあふれるビールジョッキをイメージしてるんだよ。オブジェの乗っかっている低いほうはスーパードライホールといって、創業百周年記念に建てられたものさ。フラム・ドールはアサヒビールのさらなる躍進に向けての燃える心を象徴しているという話。でも、誰が見たって、ウンコだよね。アサヒにとっては喜んでいいのか哀しんでいいのか、しかし、圧倒的存在感で宣伝効果は抜群だよね。うんこビルって言ったら、みな知ってるから」
 野島がつと言い添える。
「スーパードライホールは、皿に乗ったおつまみの枝豆を象徴しているという説もあるぜ。脇の本社がビールジョッキのイメージだから、そうとったほうがきれいなことは確かだよね」
 最初落花生かと思った翔子もそのほうが納得できてうなずかされる。しかし、ウンコと言われてみれば、まさにどんぴしゃで、いつしかくすくす笑い始めていた。

 浅草の雑踏に出て、浅草寺にお参りした後、翔子のたっての希望で、明治13年に創業を遡る「神谷バー」に入ることになった。庶民の雰囲気にあふれた大衆酒場の老舗はほぼ満員の人いきれにあふれ、大混雑、詰めてもらってやっと三人腰掛けられた。野島が代表して、カウンターに食券を買いに走ったが、オーダーする前に蜻蛉返りで戻ってきて、
「アルコール度30度のデンキブランが520円、40度だと720円に跳ね上がるらしいけど、どっちにする」
 と意向を問うてきた。年を取ってめっきり酒に弱くなっていた翔子は、
「30度で充分ですよ」
 と返し、
「あ、つまみは冷たい魚介類が合うそうだから、刺身の盛合せもついでにお願い」
 と言い添えた。
 まもなく、漏斗状の広口のガラスのちょこに、金色の液体がなみなみと満たされたものといっしょに氷水が三つ運ばれてきた。
「よく冷やしてストレートで飲むのが流儀、氷水は口直しらしいわ。生ビールや黒ビールと交互に併せて飲んでもいいんですって」
「オーケー、じゃあ、とりあえず山谷巡りの打ち上げ、乾杯といこうや」
 野島が音頭を取り、三つのちょこが掛け合わさられる。翔子は恐る恐る口をつけて、
「つよーい!」
 と思わず、叫んでいた。30度といっても、水といっしょに飲まないことには空けられそうにもない。酒豪の野島と松井は、ほとんど水もとらずに、
「これが有名なデンキブラン、かあ。なかなかうまいね」
 と目配せしあい、堪能している。翔子はちびちび嘗めながら、ネットで仕入れた知識を披露する。
「ブランデー中心に、ジン、ワイン、キュラソー、薬草らが調合されているらしいけど、比率は企業秘密で未公開なんですって。明治の頃は45度もあって、口の中がしびれることから、電気ブランの名がついて、ハイカラな飲みものとして一世を風靡したそうよ」
 その歴史ある電気ブランだったが、翔子は結局最後まで飲めず、男二人に進呈することになった。
 後学のために覗いてみた神谷バーは一杯飲んだだけで出て、松井特薦の通称「浅草ホッピー通り」、別名「煮込み通り」ともいわれる、下町の大衆酒場街に繰り出すことになった。
「小さな店なんだけど、創業を昭和34年に遡る『岡本』がお薦めでね」
 と説明しながら、路地裏へと案内する。
 あたかもタイの屋台街を思わせるホッピー通りに、翔子は目を見張る。提灯がいくつも軒を飾り、店の外にも木のテーブルと丸椅子が出され、浅草散策帰りの客でごった返していた。すごい熱気である。こんな大衆酒場街が浅草にあるとは思ってもみなかった。
 「岡本」は案の定満杯だったが、顔が利く松井のおかげで予備の丸椅子を三つ出してもらえ、二つある外のテーブルのひとつに詰めてもらって三人分の隙間を作ってもらい、落ち着いた。
「ここの牛すじ煮込みは名物でね、ホッピー割りとよく合うんだ」
 と悦に入った顔で松井。
 ほどなく、レトロな小瓶と、冷えたジョッキに入った焼酎が運ばれてきた。
「私、ホッピーって初めて飲むんだけど」
 翔子は六角形のラベルにハイカラな桜マークが刷られているセピア色の小瓶を興味津々にチェックしながら、投げる。
「ホッピーってのはそもそも、焼酎を割るビール味のノンアルコール炭酸飲料でね、焼酎で割ったのをホッピー割りっていうんだ。ビールがまだ高級だった大正時代に流行って、終戦後はホッピー割りは生ビールよりうまいと庶民に爆発的ブームになったんだよ。八十年代初期には柑橘系の炭酸飲料に押されて人気が低迷したけど、九十年代後半ごろから、飲酒運転の厳罰化でホッピーが見直され、低カロリー・低糖分のヘルシーさも受けて近年のレトロブームとあいまって人気を盛り返したというわけさ」
 記者歴の長い、知識の宝庫である松井が説明する。野島がさらに口を添えた。
「5対1で割るのが流儀。焼酎をナカ、ホッピーをソトといって、ソトはちびちび惜しんで、ナカが尽きたらお代わり、こうすれば安上がりになるってわけさ」
 乾杯を済ませてまもなく、大盛の牛すじが運ばれてきて、三人で箸をつつきながら、ホッピー割りと交互に楽しんだ。
「ああ、それにしても、今日はさすがに疲れたよ。河津さん、あちこち引っ張り回し過ぎだよ」
 やっと目当ての店に落ち着いた松井は疲労が緩んだせいか、ずけずけと文句を垂れる。翔子は案外に松井がだらしないのに驚いていた。それとも、マラソンと歩行はスタミナの消耗の具合が違うんだろうか。
「いやあ、久々にいい運動になった、俺は楽しかったよ。ありがとう」
 と野島は投げ、長時間の歩きもなんのその、ひょうひょうとホッピー割りを堪能している。デンキブランとホッピー割りの飲み合わせで酒豪の男二人も幾分ほろ酔い加減になっているようだった。初めてホッピー割りなるものを試した翔子も、意外と口当たりがいいのに、杯が進んでいた。すでに二杯目のジョッキのお代わりをしていたが、ソトのホッピーもまもなく尽きそうだった。酩酊した野島がつと思いだしたように、
「それはそうと、今回は同窓会、どうするつもりなの」
 と訊いてきた。翔子は思わず言葉に詰まりながら、
「今回は残念ですが、みなが乗り気でないので、なしかな」
 と弁明した。
「木戸には連絡取ったの」
「いいえ。同窓会やるわけでもないし、連絡する理由がなくて」
「だからさ、木戸をいまさら引っ張り出すのは無理だって、俺も彼女には口を酸っぱくして言ったんだよ」
 松井が口を尖らして言い添える。翔子は何となく、哀しくなって唇をつぐんだ。それから、少し抗うように、
「でも、すでに三人の方が亡くなられていますし、昔肩を並べて戦った者同士、元気でいるうちに一目逢っておきたいと思いませんか」
 と投げた。それに対して松井はやや辟易の呈で、
「河津さんは感傷に流れ過ぎだよ。まあ、インドに移住したことで、日本にいた若い頃が分断されて、世界経済時代が陰画のように頭に焼き付いているのかもしれないけどさ」
 とぶっきらぼうに応じた。当たらずとも遠からずの指摘に、翔子はまたしても黙り込む。
「そう邪険にするなよ。河津さんなりに思い入れのあってのことだよ。青春の盛りと言えば、確かにそうだったし、俺もあの頃はちょっと問題のある子と同棲してたから、そういう思い出も重なって、なかなか切ないけどね。木戸も、いろいろあったしなあ」
「戦うって言っても、結局木戸さんは、早々と退散しちゃったんだからさ。出発点でつまずいたよね。あの程度のノンフィクションで、商業誌に載ったって天狗になるから、先が続かず駄目になっちゃったんだよ」
 強い酒が入っているせいか、松井はかつての同僚に敵意丸出しで、攻撃の矢を放ち続ける。松井の毒舌には翔子もさすがに呑まれていた。
「おまえ、やけに厳しいな。木戸には木戸の事情ってものがあったんだよ」
「俺にはわからないね。少なくとも俺は、前向きに行動してきたよ。ぐちゃぐちゃ思いつめるって、苦手なんだよ、思い立ったら吉日、それで出世転職も勝ち取ったし、スクープだって、それがものを言ってたくさんとれたんだ」
「おまえは直情的で、ただ一生懸命だけが取り柄の男だからな。まあ、その直情径行ぶりが、記者としては功を奏したのかもしれんがな」
 翔子は二人の会話を聞いていると、まさにこの前自分が思った、松井と木戸の反面鏡の関係があぶり出されてくるようで、息を呑んで男たちの会話を見守るばかりだった。互いが互いの写し鏡なのだ、鏡に写し出された松井の裏面に木戸がいる、往時二人は密かにライバル意識を燃やしていたのかもしれなかった。だから、木戸はもう一人の自分、もの書きとして成功した片割れには断じて逢いたくないのだろう。庇護者的側面を持つ野島には、過去不義理をしたすまなさのこだわりがあって、松井とは違う理由だが、やはり面と向かっていまさら逢うのは気恥ずかしいのかもしれなかった。

12につづく)
 
コメント
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