昨日日曜、足羽山にある荒木家墓地の墓参りを済ませ、母に会いに行き、このたびの受賞報告、たいてい塞いでいることが多いのだが珍しく元気で、とても喜んでもらえた。
副賞の楯はすでにお知らせしたとおり、佳作にしては立派で、モスグリーンの背景に青磁の陶器製で竪琴を弾く裸婦が浮き彫りになったものだ。下に作品名と作者名が掘り込まれている。
本日一泊させてもらう叔父宅で披露した後、また母宅に戻す旨告げると、予想以上に喜んでくれたので、私も嬉しかった。
楯を一瞥したとき、とても素敵だったので、これは母に進呈したら喜んでもらえそうと直感したのだが、弟はせっかく自分が獲ったのだからインドに持って帰れというし、どんなものかと思っていたところ、見せてここに置いていこうかというと、母がとても喜んでくれたのでほんとうによったと思った。
はるばる帰福を決めた甲斐があったと思った、私にとっても幸福の一瞬だった。
やはり、この楯は人生の波風を84年乗り切ってしたたかに生きてきた母にささげたい。
私の受賞記念というより、作品のモデルになった母本人こそが受け取るにふさわしい。
そういえば、2011年のアジア文化社文芸思潮誌主宰の奨励賞受賞作「虹の魔窟のブローカー」も、作品のモデルとなった故イスラムブローカー、ヌー・モハメッドにささげたもので、授賞式には代理を差し向けてその旨読み上げてもらったものだ。
ヌー、作中名アリで登場するブローカーの親玉がカルカッタの安宿街サダルストリートに君臨した華やかな時代(80年代後半)があったということ、私の作品で称揚しなければ無名で消えてしまう一インド男性の人生にスポットライトを当てられたことが誇りだ。
ふっと、26年という長い付き合いにわたる友人Fをモデルに、破天荒な男の一代を書いてみようかとの案が浮かんでいる昨今、こちらも完成したら、そのお世話になりっぱなしのFにささげる作品になるはずだ。
先般古希を迎えたばかりというので、何よりの古希祝になるとも思っている。
ちなみに、Fの人生はドラマチックで、小説の主人公素材としては申し分ない。ただところどころ詳細が不明なところもあるので、折々メールでたしかめながらの執筆になるだろうか。
ただし、F本人から許可が下りるかな。
副賞の楯はすでにお知らせしたとおり、佳作にしては立派で、モスグリーンの背景に青磁の陶器製で竪琴を弾く裸婦が浮き彫りになったものだ。下に作品名と作者名が掘り込まれている。
本日一泊させてもらう叔父宅で披露した後、また母宅に戻す旨告げると、予想以上に喜んでくれたので、私も嬉しかった。
楯を一瞥したとき、とても素敵だったので、これは母に進呈したら喜んでもらえそうと直感したのだが、弟はせっかく自分が獲ったのだからインドに持って帰れというし、どんなものかと思っていたところ、見せてここに置いていこうかというと、母がとても喜んでくれたのでほんとうによったと思った。
はるばる帰福を決めた甲斐があったと思った、私にとっても幸福の一瞬だった。
やはり、この楯は人生の波風を84年乗り切ってしたたかに生きてきた母にささげたい。
私の受賞記念というより、作品のモデルになった母本人こそが受け取るにふさわしい。
そういえば、2011年のアジア文化社文芸思潮誌主宰の奨励賞受賞作「虹の魔窟のブローカー」も、作品のモデルとなった故イスラムブローカー、ヌー・モハメッドにささげたもので、授賞式には代理を差し向けてその旨読み上げてもらったものだ。
ヌー、作中名アリで登場するブローカーの親玉がカルカッタの安宿街サダルストリートに君臨した華やかな時代(80年代後半)があったということ、私の作品で称揚しなければ無名で消えてしまう一インド男性の人生にスポットライトを当てられたことが誇りだ。
ふっと、26年という長い付き合いにわたる友人Fをモデルに、破天荒な男の一代を書いてみようかとの案が浮かんでいる昨今、こちらも完成したら、そのお世話になりっぱなしのFにささげる作品になるはずだ。
先般古希を迎えたばかりというので、何よりの古希祝になるとも思っている。
ちなみに、Fの人生はドラマチックで、小説の主人公素材としては申し分ない。ただところどころ詳細が不明なところもあるので、折々メールでたしかめながらの執筆になるだろうか。
ただし、F本人から許可が下りるかな。