インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

ネット断絶のお知らせ

2013-10-31 19:28:49 | 私の作品(掌短編・エッセイ・俳句)
サイクロン後の洪水でネットが本日31日にまで断絶しておりました。
我が家のパソコンは未だに接続が復旧しておらず、これはネットカフェからです。

というわけで、しばらく記事が送れませんが、ご了承ください。

またコメントなどにもすぐにはお答えできかねる状態ですので、そちらもご了承ください。
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ネット復旧と御礼

2013-10-21 19:56:24 | 私・家族・我が安宿
十日かかって、やっとネットが復旧した。

さしあたり、ワードに下書き保存しておいた原稿を一挙に送ったが、サイクロンレポート1から8までは、ぜひお読みいただきたい。

臨場感あふれる現況報告で、この嵐がいかにすごかったか、おわかりいただけよう。

みなさま、大変ご心配おかけしましたが、私は生きています。

無事ですので、ご安心ください。

この場を借りて、たくさんのご配慮メールを戴いたことに、篤く御礼申し上げたい。

本当にありがとうございました!

PS後日写真もアップしたいが、ひとまずは記事のみでお楽しみください。

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予知夢で黄金の発掘?(10月20日)

2013-10-21 19:43:36 | ヨガ・スピリチュアル
インドならではの奇天烈、少し滑稽味のあるエピソードをご紹介しよう。
中部インドのウッタルプラデシュ州のラクノウ近くのウナオ地方のヒンドゥ寺院の地下に埋まっているとの、もっぱらのうわさの黄金の発掘騒動だ。

そもそもは、サドゥ(行者)の予知夢から始まった。予知能力を持つといわれるこのスピリチュアルな聖者はある日、正夢を見たのだった。夢の中に、王様が現れて、「私の黄金の秘法が5000トン、かくかくしかじかの寺院の地下に眠っているから、掘り起こして政府に進呈せよ、そうすれば、昨今の財政赤字は解消されるはずだ」と指示、サドゥは早速、首相や大統領に親展を送ったという顛末だ。

通常なら迷信と笑って意にも介さないところが、中央政府はもろ真に受けて、文化省管轄の考古学調査段を派遣し、大仰な黄金の発掘が始まったというわけだった。
周囲には物見高い野次馬がどっと押し寄せ、作業を見守っているそうな。
スイス銀行に秘匿されている闇金を押収するほうがよっぼど現実的とは、野党の次期首相候補、ナレンドラ・モディのシニカルな反応。
しかし、この宝探し、果たして丁と出るか、半と出るか、成り行きが見守られる。
事前調査でなにやら金属類が埋まっているらしいとの探知結果も出ており、目論見どおり大量の金が発掘されたなら果たして、金は全部政府のものになるのか、一部は寺のものや、サドゥのものになるのか、インドのこと、その辺でももめそうで成り行きが見守られる。
しかし、何も出なかったら、大仰に捜査隊を派遣して、無駄遣い、ばかげた行為に非難の矢が集中するだろう。

夢があるといえないこともないけど、日本始めの先進国だったら、間違いなく無視されるところだね。テレビ局辺りが面白がって、動き出すかもしれないけど。
いずれにしろ、いかにもインドらしい愉快なエピソードで、日本人の私は興をそそられる。
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谷崎潤一郎の文章指南(10月20日)

2013-10-21 19:42:13 | 私の作品(掌短編・エッセイ・俳句)
ネットが依然つながらないなか、サイクロンから八日目の日曜を迎えた。たまっているメールも気になるし、そろそろ復旧してほしいのだが、依然その兆候は見えない。
二日ほど前から、谷崎潤一郎の「文章作法」を読み始めた。源氏物語の古典やその英訳文、英文小説、志賀直哉の小説文、自身の小説文などの例文を数行あげての文章指南だが、平明な言葉で書けという示唆ひとつとってもみても、ためになる。ついこねくり回して難しい表現を選んでしまう私ゆえ。ふくい新進文学賞への投稿作品が佳作に終わったのも、少し難しすぎたせいかもしれないと思っているこのごろである。本の紹介記事を二度ほど書いてもらった母校の先輩の編集委員さんからも、プリミティヴに書けとアドバイスされていたのだが。
発行部数五万部の中日新聞傘下の日刊県民福井の購読者には、お年寄りが多いかもしれないと思うと、もう少しわかりやすい言葉で書くべきだったかもと反省させられた。

ところで、同書を読んで、日本語が情の言語で、英語が理の言語であることはわかっていたつもりだったが、日本語の語彙が少ないとあるのには意外感を覚えた。日ごろ小説を書くには適した言語で、自然描写や心理描写においても繊細かつ微妙な表現法が幾通りもあると思い込んでいたせいだ。しかし、英語に比べ、ボキャブラリーが少ないというのは事実かもしれない。私はかえって、英語のほうがひとつの単語でいろんな意味を含むため、細かく書き分けるには適さない言語だと思っていたのだが。しかし、谷崎の言うように、日本語のあいまいさや、含み、間という微妙さにはうなずけるものがあり、そういう意味では、自身の思っていた通り芸術に適した文章といえる。
日本語の含蓄のような微妙であいまいな表現は英訳されると、原書にない部分を補足してすべて明晰にされてしまうというのも、源氏物語の英訳例文を見てよくわかった。

わが本棚にこの手の文章作法や小説指南書は山ほどあるが、なかでも、一番今の自分に必要な情報を与えてくれた書で、小説に特別な表現は不要、わかりやすさを心がけようとの思いを新たにした。お世話になっていた編集者にも指摘されたことである。私の小説は文が踊りすぎで、書かずに読者の想像にゆだねる、つまりもう少し抑制の効いた文章にすべきとの忠言だ。水上勉の「文壇放浪」にも、得意がって書いた難しい表現が編集者の手によって平易に直されており、同編集者によって小説の極意を教えられたとあった。あと、文芸思潮の受賞者仲間のO氏もわかりやすさを心がけていると言っていたっけ。
七月に三十年分の原稿を整理したときに、昔の手書き小説を読み返して、変な癖がなく、とても素直で、わりとよく書けているのに驚かされたものだが、推敲を重ねすぎていじくりまわす欠陥のある私としては、オリジナルのよさを発見した感じで、原点に戻ったほうがいいかもしれないと思っていた今日このごろでもあった。
初心に帰れ、変に凝らずに簡潔平明さを心がけよう。志賀直哉の無駄な贅肉をそぎ落とした簡潔文もお手本だが、私にはやはり吉行淳之介かな。この谷崎作法に解説を書いているのも吉行だ。無駄な形容詞や副詞がなく、贅肉をそぎ落とした文章であってなおかつ、的確な文学的表現に満ち、良質の叙情にもあふれ、私の恰好の模範だ。


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ラクシュミーの偶像に再度お参り(10月19日)

2013-10-21 19:41:07 | カルチャー(祭)・アート・本
本日も日が沈んでから、月を楽しむために浜に出た。我が家のベランダから仰いだときは、低空にオレンジがかった満月がのぼったところだったが、海辺では高めのところに鬱金の月が出ていた。
西側の低空にはひときわ大粒の星、この時間帯から言うと、木星のようだが、もしかして金星かもしれない。
まん丸お月様と、大粒の星の距離は東西に隔てられており、星は明るすぎる月の光のせいでややかすみがちだった。

昨夜拝んだラクシュミーの偶像が祀られた天幕の辺りがさらに華やかに、色付き豆電飾で彩られており、夜目に美しい。
円錐型に赤い豆電飾の帯が放射状に降り、その背後には、オレンジ色のフリル状豆電飾、合間合間に蛍光灯やLEDライトと闇をきらびやかに彩る。
うっかりケータイを忘れて撮影できないが、海伝いに満月を楽しみながら、またしてもお参りに行った。
月下のさざなみは滴る月のしずくをちりばめて、銀色のちりめん模様を編む。濡れ砂が白く照り映えて、月の色は清澄な白に変わっていた。

天幕にサンダルを脱いで入り、礼拝。
今夜は信者の姿は見当たらず、周囲のプラスチック製椅子に関係者がまばらに腰掛けているのみ。よって、まじまじと観察できた。
お召し物は金・銀の玉模様のある桃色、胸当ては金地に七彩模様、頭にかぶっている金のお冠と同じ模様だ。蓮のうてなに座し、その下には羽あるひょうきんな丸顔の天使が控えていらっしゃる。四本の手の後方二本には蓮の花をお持ちになり、前方の残り二本は右手を肩の辺りまで上げて左手は掌を上向かせた瞑想の印を結んでいた。オレンジ色を主体に黄のマリーゴールドと白いジャスミンを取り混ぜた、膝元まで届く花輪が三重巻き付けられ、両脇にやはり花輪をかけて金の前かけをした白い小象が二本足で立って鼻を持ち上げているのがキュートだ。その外周には、光る緑と杏のサリーをまとった花輪をかけた侍女が二人、控えていた。

神前には素焼きの壷の上に聖布を乗せたものを真ん中に、サフラン色の聖布のかかった茶色い椰子の実三つのお供え物がささげられ、ギー(澄ましバター)の火が絶やされぬよう燃やされ続けていた。
昨夕の祈祷儀式の小薪の残骸が炭と化して、煉瓦を積んで作られた小さな仮設かまどに残っていた。
昨日も見とれたすばらしい後輪だが、八重になって女神様を取り巻いていた。象牙のように見える白いプラスチック製で、鼻やつる草などの精妙な模様が浮き彫りにされている、一種の立体曼荼羅だ。
例年、わりとシンプルな偶像ばかり拝んできた目には、実に華麗に映る。富貴女神にふさわしい、繁栄度だ。
サイクロンを切り抜けたことの喜びと、その前のドゥルガー女神のお祭が嵐でふいになったことから来る、例年にない華やかさなのかもしれない。
私個人はドゥルガーより、ラクシュミーの方が好きだが、シャクティ、パワフルなコズミックパワーをもつ悪を退治するドゥルガーははるかに人気なのである。そういえば、今年は十腕もつ悪魔の化身、ラヴァーナを焼却する儀式も行なわれなかった。
しかし、考えようによっては、ドゥルガーがわが身を犠牲にして、悪魔のサイクロンと戦い、当州は切り抜けられたともいえるのだ。モンスター嵐によって、首の吹き飛んだドゥルガー女神の偶像の写真が掲載されていた新聞記事をふと思い起こした。

ネット接続は依然切れたままだ。すでに一週間が過ぎたが、復旧はいつごろだろう。こんなとき、ケータイでも日本語が使えると便利なのにと思う。メカ音痴のため、よくわからないのだが、日本語が可能になるソフトとかあるのだろうか。メールをチェックしても、日本語はほとんど四角マスで出るので、読んだり、メールを送信したりすることもかなわない。
今度、聞いてみよう。
電気と衛星放送は復旧したが、ネット断絶でいまだに不自由を強いられている。もっぱら、ワードのタイプ打ちにいそしんでいる昨今だ。
推敲しなければならない原稿がたくさんあるので、つながらなくても当面はこちらに専念できるが、未読のメルマガやメールがたまりにたまっているだろう。友人知人にもそろそろ、メールでサイクロンを切り抜けて無事でいる旨送りたいし、仕事関係のメールが来ていないかと心配でもある。

早くネットがつながりますように!

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満月下の富貴女神祭(10月18日)

2013-10-21 19:40:02 | カルチャー(祭)・アート・本
本日は日が沈んでから、浜に出た。
フルムーンを堪能するためである。サイクロンを通過した後、すっかり秋めいてきて、爽やかな海風が吹き抜ける渚は災害を通過した後の傷を癒すに恰好の慰藉になった。
満月というのに潮は比較的穏やかで、闇の間隙を突くベンガルの白波が目を射る。
我が家のベランダから月を仰いだときは、十六夜月と見まがうようなオレンジがかった大円を浮かせていたのが、高いところにのぼり、黄味色に変わっていた。

月下の海が白々とした光沢に照り映え、波打ち際の濡れ砂にゆらゆらこんじきの帯を流す。
雨季前線もようやく引きつつあるようで、今日はリビングに紛れ込んだトンボのジージーいう音にいよいよ初秋の兆しを感じたが、海辺に出ると、いっそうその感を強くした。
西寄りの中空にはひときわ大粒の木星が瞬いていた。
フルムーンに照り映える美しい海辺を楽しむ地元民や観光客がまばらに行き過ぎる。本日は富の女神様ラクシュミーのお祭だが、人出は少ない。
サイクロンの影響もあろう。

初秋のさわやかな夕月夜、瑠璃色の天幕をくっきり穿つ大円は白味を帯びて、しろがねの光輝を発する。まばゆさに周囲の夜気が円い暈を伸ばしたように薄くなる。
さざなみに足を浸しながら、見事な満月と大粒の星を楽しんだ。
心ゆくまで堪能して、背を翻しかけたとき、東に数十メートル行った浜の上手に
点々と瞬く赤い灯にめざとく気づいた。潮騒に混じってスピーカーをついて流れる読経、どうやらあの辺りに女神様が祀られているようだ。毎年恒例の浜のとば口に祀られる複製の偶像だ。
海伝いに満月を堪能しながら、足を伸ばしてみた。

お経の声がだんだん大きくなり、四角いテントの中を覗くと、案の定、華麗なラクシュミーの偶像が祀られていた。
金の三角冠とオレンジのマリーゴールドの花輪、桃色のお召し物で蓮の台(うてな)に座して、両手に蓮花をお持ちになり、両脇に鼻を持ち上げた白象を引き従え、その外側に、侍女ともほかの女神とも見える二人のサリー姿の女性をも付き従えている。
偶像そのものはとくに秀でた美しさではないが、女神様の背後の後輪がすばらしかった。銀の線条細工を模したとも思われる、象牙に似たプラスチック製で、幾重もの花やつる草などの精妙な環模様が浮き彫りにされ、偶像が一段と映える。後輪がなかったら、なんの変哲もない偶像だが、背景のすばらしさのおかげで何倍にも美しさが引き立っていた。
土足を脱いで集った十数名の善男善女からも、スンダロ(美しい)との声が漏れる。

幕内はちょうど、三人のお坊さんによるプジャ、祈祷儀式の最中でもあり、神前で聖火が燃やされ、うち一人の僧が素焼きの器の灯油を燃した炎、ディヤを右回りに神様の前で回しながら、マントラ(サンスクリット語の真言)読経、バジャン(神への献歌)がささげられていた。
敬虔なるヒンドゥ教徒たちは合掌してお祈りしていた。砂に額をつけてひれ伏す者もいた。
儀式が終わり、火の上にミルクがかけられ、じゅうっという音とともに黒い煙が上がり、炭のようになった木ぎれの燃えさしが現れた。
僧が善男善女を呼び寄せ、火力を強めるに用いた錫から垂れるギー(澄ましバター)を、我先にと伸びる掌中に垂らす。額にこすりつけられている者も。赤いパウダー、吉兆のティラックも別の僧によって、眉間に擦り付けられた。
その後、マリーゴールドのオレンジの花びらが配られた。
何をするのかと思ったら、バジャンとともに、神様の偶像に振りかけるのであった。

私ももらっておけばよかったと、ちょっと後悔。異教徒なので、遠慮したのである。ギーもティラックも受けなかった。

サイクロン後の荒んだ気持ちが和むようだった。
富の女神様に何度も合掌して、金運向上も祈った。

明日はケータイ持参で、日のあるうちに出て、華麗な女神様を撮ろうと決めた。
仮設寺院、パンダルを後にし、今来た道を海伝いに、フルムーンを堪能しながら、
戻る。
サイクロンでドゥルガー女神祭はおじゃんになったけど、無事切り抜けたことの証のように繁栄の女神ラクシュミーのお祭はフルに満喫できた。
ホテル街にもやっと、平和な日常が戻りつつあり、わが宿にもお客さんが戻ってきつつある。
北の一帯では大洪水で、死亡者も四十数名と増えているのを思うと、胸が痛むが、ともかくも我が家は無事切り抜けて、富貴女神の偶像に拝めた幸運に心から感謝したい。

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ほぼ日常に戻るが、ネットは断絶したまま(10月17日)

2013-10-21 19:38:54 | 季節・自然
サイクロンからはや一週間、ネット接続は依然切れたままだ。
昼間テレビをつけてみたら、昨夜入ったのに、衛生放送も入らず、じゃみじゃみの灰色の画面のみ。

昨夜は、「不思議な少年」(マーク・トゥエイン、岩波文庫)を読了、まだブックオフがなかったころの一時帰国時、東京八重洲口の地下街の古本屋で200円で買ったものだが、内容の面白さといい、お値打ち物。版を重ねている文庫だ。アメリカの作家、マーク・トゥエインというと、「トムソーヤの冒険」など夢ある少年物を書く作家のように受け取られがちだが、晩年の作であるこの書は、人間のあくどさをとことん暴いたネガティヴなテーマである。
作家自身が経営していた出版社の膨大な負債、愛娘の死、妻の大病と晩年見舞われた災厄の影響があるらしい。

サタンという名の超自然界から来た天使の化身の美少年がいとも易きに人間の運命を変えて、殺したり死刑にしたりして、友と仰ぐ三人の人の少年たちを恐れおののかせる設定だが、サタンにとっては、人生の針路を変えることで現世で悲惨な境遇を送っている女性をいち早く死なせることは、それだけ長く天国に住めるということで、慈悲なのだ。
反対にすぐ死ぬはずだった男性を長生きするように変えたことは、天国に行くはずだったのに結局地獄に落ちることになるため、現世では長生きできても、不幸なのである。
人間のネガティヴな部分がこれでもかこれでもかというほどに、サタンの口を通して暴かれるが、ペシミズムの一方で童話的な構成ももっており、引きずり込まれる巧みさだ。
興味がある方はぜひご一読を。

サイクロン後、さすがにホテルはがら空きだったが、本日やっと何室か埋まった。しかし、お祭シーズンとも思えぬ静けさで、ホテル街はオフの様相。
ドゥルガー女神祭は台無しになったが、これから富と繁栄の女神様ラクシュミー(吉祥天)のお祭なので、客足の回復を期待するばかりだ。
それにしても、観光業への打撃は計り知れない。
稼ぎ時なので、こちとらあてにしていたが、思いっきり目論見が外れた。
しかし、サバイバルできただけでよしとしなければ。
これから、サンセットを見に浜に出よう。
ネットが復旧するまで、まだ数日はベンガル海の美しい入日を堪能できるかもしれない。

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サイクロンレポート8 エピローグ

2013-10-21 19:37:24 | 季節・自然
みなさん、とにかくここ14年で最大の嵐を切り抜けました。
ご心配おかけしましたが、私は無事です。
悪運が強いから、災害では死なないと思うが、今回のサイクロンで少し自信もついた。乗り切り方というか、ノウハウというか、次回に活かせそうだが、なろうことなら、二度とこんな思いはしたくない。
海辺である以上、避けて通れないにしろ。何せ、ベンガル湾はサイクロンの醸成地、恐るべきサイクロンの憩う港なのである。宿命とあきらめるにしても、とりあえず十年は大型サイクロンは来ないで欲しい。でも、十年もたってしまうと、また喉もと過ぎれば熱さを忘れるで、せっかくの教訓も活かせないかもしれない。

14年前はちょうど息子の寄宿舎試験がカルカッタで行なわれる日に直撃されたため、気を揉むことしきりだった。いったんはタクシーで行くことも考えたのだが、道が倒木でふさがれているというのであきらめたのだ(結局、非常事態をかんがみ、当の寄宿舎側が酌量してくれ、後日再試験が認められたのだが)。
そういうことも、14年もの歳月が流れると、記憶の片隅に押しやられ、ああそういえばとこういうことでもなければ、浮かび上がってこない。

人間とは慣れる生き物であることも改めて確認した私。
初日はストレスが大いにたまったが、日を経るにつれ、だんだん対処の仕方、時間の過ごし方が上手になっていった。短い人生だ。なるたけ時間を無駄にしたくはない。
普段できない日中の散歩とか(二日目は夕日と月を堪能しに二回も浜に出た)、ネット検索とか、読書とかできてよかったと思う。そうそう、ビールも飲めた。

本日から、ヨガもフルに再開。
明日からはほぼ日常に戻るだろう。
ネットさえ復旧すれば、すべて元通りだ。
それまで、ブログはもっぱら下書き保存して、ワードで仕事の原稿書きにいそしもうと思う。

なお、サイクロンの二次被害で、北部のバラソール一帯は大洪水の被害が出ており、州政府は対応策におおわらわ。肝心の嵐には準備万端手抜かりなく、人力の自然に対する勝利ともいえたが、事後の大洪水には完全に対処しきれてないようで、救援物資が届かないとの被害者からの苦情が相次いでいる。

ナヴィン・パトナイク州首相のさらなる手腕が問われるところ。

被害に遭われた方には心からお見舞い申し上げたい。


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サイクロンレポート7 五日目の夕刻、電気復旧

2013-10-21 19:36:28 | 季節・自然
待ちかねた電気は16日の夕刻やっと、復旧した。しかし、衛星放送は17日現時点で入るようになったが、パソコンネットはいまだ復旧していない。
よって、これは後日接続可能になったら送ることを見越して、ワードに下書き保存しているものだ。
振り返って、サファイア嵐の猛威はほんとすごかったが、なんとか切り抜けられたことがうれしい。被害も最小限に食い止められたし。
しかし、ヨガもやる気になれないほどのストレスと寝不足に見舞われたので、2011年の津波被害者が受けたトラウマはいかほどだったろうと、思いやられた。こちとら人も死んでないし、家もホテルも健在だ、それでも、がーんとストレスが来る。
五日連続の大停電にも参った。

いろいろ反省することもあった。喉もと過ぎれば暑さを忘れるで、99年の悪夢時どのように対処したかころっと忘れていて、ベランダにチェア&テーブルを置き放したり、籐のつり椅子も3階のバルコニーの最前部につるしたままで、12日当日朝の小嵐が止んだ時点であわてて中に入れた失態ぶりだった。夫もはっと目覚めたように、ホテルと旅行代理店の電光掲示板を奥に仕舞った。強風での破損防備のためである。
食料も特に買いだめしなかったが、あとで前もってもう少しそろえておけばよかったかと反省させられた。ろうそくや懐中電灯(現存のはすべて故障)などもあったほうがよかったかもしれない。自家発電用の灯油だけはしっかり備蓄してあったのだが。

最後に、我が家の被害。
窓ガラスの一部が破損したのは述べた通り。あと、ホテルのほうだが、前述どおり、庭木が根こそぎ倒れたり、グリーンのこうむった被害がなんといっても甚大だった。
冷蔵庫が24時間使えないため、パンやサラダも腐った。

事後ガーデンは葉っぱの山と、木の残骸が散らばって悲しかったが、まあ、人が死ぬよりいい。それに清掃人が掃き出した葉っぱの山を牛が漁り、廃物利用というか、無駄にはならなかった。貧民も炊き出し用に木をもって行ったし。
お客さんもみな、無事だった。
猫や犬などのペットも無事。アルセイシアンのジュピターは元々、家の中で飼っているので、問題ないが、子猫のレオンだけ、うちのガレージに閉じ込めた。が、ほかのペットもなんとか乗り切ったようだった。動物はサバイバル本能旺盛だ。

サイクロン後、路上にごろごろのさばっている牛の姿も数えるほどしか見当たらなかったが、みんな戻ってきた。野良牛でないミルク用の雌牛なら、飼われているので、家畜小屋に仕舞われていたのだろう。
四日目に英字紙が来たが、直撃地のゴーパルプルの電信塔が針金細工のようにくにゃくにゃに折れ曲がっているのにはびっくりした。同界隈のガンジャム地方では48万本もの電信柱が倒れ、電気の復旧はひと月に及ぶとの空恐ろしい予報も書かれていた。木々も10万本の倒壊とは痛々しい。当地も含め、作物のダメージは広範囲に及び、お百姓さんには大の心痛だ。
13日当日の新聞が読みたかったが、前回の大型サイクロン時同様、どれくらいの大見出しで書かれていたかはついに確認できず仕舞いだった。

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サイクロンレポート6 災害ストレス対処法

2013-10-21 19:35:28 | 季節・自然
自由業の私は、貧乏性ということもあるが、普段休日なしで書き続けるため、これを勿怪の幸いとばかり、少しのんびりするのもよかろうと思ったのだが、のんびりどころでなく、ストレスがやたらにたまった五日間だった。
私はストレスにはいいストレスと悪いストレスがあると思っているが、原稿締め切りのプレッシャーから来るそれはいいもの、こういう自然災害に遭遇した際のストレスは悪いものである。とにかく眠れない。電気が切れて暑いこともあるし、窓を開けると、蚊が飛び込んできてかゆい。緊張しているので、まぶたがふたがらないのだ。
二日目からは蚊取り線香で対処し、どうせ眠れないのだからと、読書に精出した。

五日間に読んだ本は以下の五冊。
「怠け者の悟り方」(タデウス・ゴラス、山川こう矢・亜希子訳、地湧社)
何事にも逆らわず、ネガティヴな感情をも受け入れて、あるがままの自分を愛せよという箴言は身に染みた。つい肩肘張って流れに逆らってしまう自分ゆえ(酷暑季もサイクロン時も身構えて緊張して、肩に力が入っていたと反省)。
「よう子」(古井由吉、新潮文庫)
わが長ったらしくひねくり回す小説文の原点が、ここにある。文学通には古井節はこたえられない。古井マニアの隠れファンは多い。かくいう私もその一人だが、「櫛の火」と並ぶ秀作。
「インド放浪」(藤原新也、朝日選書)
昔凝った写真家兼文筆家。一世を風靡した写真作家だが、写真(この本は写真なし)に優るとも劣らず、文章も達者だ。今読んでも、手応えのある良書だ。
「タゴール詩集」(山室静訳、弥生書房)
インド初のノーベル賞受賞詩聖、タゴールの叙情にあふれた自然描写は美しい。あとがきにある詩人の生涯で、義姉とのプラトニックラブの逸話も、興をそそった。詩人が結婚後、義姉の自殺で終わるカタストロフに好奇心をそそられ、ついモバイルネットをチェックしてしまった私。
「太平洋」(Sモーム、中野好夫訳、新潮文庫)
モームの南洋物。舞台はパプアニューギニアやタヒチ(著名な「月と六ペンス」はタヒチに移り住んだ画家ゴーギャンの生涯がモデル)、海好きとエスニック派にはお薦め。

駅のキオスク(当地の本屋代わり)で映画雑誌も買って来させ、ストレス解消にゴシップ記事も読んだ。
あとは、ネットのグーグルサーチで日本のニュースやベストセラー情報もチェック。普段忙しくて書籍情報はチェックしている暇がないので、ふうん、今はこういう傾向のものが売れているのかと勉強になった。東北大震災の津波爆弾説も調べたが、イスラエルのセキュリティ会社が、福島原発でイラン向けのウランを作成していたのを罰するために津波爆弾を用いたとあった。横田めぐみ生存説もこの際だから調べ、どうやら生きているらしいが、上層部の機密情報を握っているため、解放できないとのことだった。暇にあかせてあれこれ調べ、モバイルネットは結構役に立った。写真も地図も出るし、サイクロンの進路とかも一目瞭然である。

ただし、日本語はだめで、全部英語記事である。
メールは一部日本語も出るが、ほとんどが四角マスになってしまう。
でも、自著がなんとかアジアブックスというページでカバー写真とともに、ドル建てで売られているのにはびっくりした。
モハンティ三智江で調べても、出る。ためしに友人知人のウイキを開けてみたら、英語でやはりちゃんと出る。山田詠美の経歴も、英語でちゃんと出た。
便利なものである。
これを機に、ケータイネットも必要なときは利用するのもいいかもしれない。
エッセイを書いているときも、事実関係を調べなければならなくなり、モバイルネットが大いに役立ったものだった。
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