インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

どうせ死ぬ身だ開き直れ(菊水庵便り49)

2016-03-28 15:05:01 | 私の作品(短編・エッセイ)
昨夕、図書館からの帰途、上菊橋から西方に望む日が傾きかかっていたので、夕暮れを楽しむつもりで河原に降りてみた。橋から見下ろすと、沈んだ藍色に見えた水は透明に穏やかにさざなみを編み、残照を映し白々と輝く帯を流していた。

枯れ芝の上に座っていると、川面をすいすい泳ぐ鴨二羽を目撃、近寄ってみると、頭と尾が灰白色の、羽毛は焦げ茶、頭をつるんと水面にくぐらせ小魚をついばんでいる。斜陽にしては強い光輝の太陽は目を眩しく射る。これまで坂の上の網目のように枝を広げる裸木の間に沈んでいたが、右の陸(おか)寄りに丸い光の玉を隠していく。

小波が沈むゆく日を反映し、オレンジ色の火の粉をちかちか散らす。まるで、水面に映った花火だ。昨夏橋上から仰いだ華麗な花火祭を思い出した。
対岸の桜並木は赤みがかった褐色にもやっていた。開花が間近なことを予想させる桜色がもやの中にほんのりこもっていた。石段を上がりきった脇にある夾竹桃の大木も、枝にびっしりはちきれそうな蕾がついて、春の兆しに膨らんでいた。

橋の歩道と車道の分離帯にしつらえられた花壇には、紫、オレンジ、山吹、ピンク、白のパンジーが咲き乱れ、牡丹色の野菊も愛らしい。鮮やかな紫と白の合いのこの菫がとりわけ可憐だった。

*玄侑宗久の「光の山」を読み終わった。福島在住の僧侶兼作家の氏が震災をテーマに綴った短編小説集(最新刊)。立ち位置としては、風評被害に対する当事者の怒り(放射能に関しては、医療被曝のほうが大との見識を主人公に語らせる)を盛り込みながらも、政治的なメッセージは最小限で、津波で親族を喪った人々の深い悲しみや葛藤に寄り添う。不条理に揺さぶられる人間の生がテーマの好編である。

「どうで死ぬ身のひと踊り」(西村賢太、講談社)。大正期の不遇の作家、藤澤清造(芝公園で野垂れ凍死)に入れ込む著者がモデルの私小説。この人の本は随分読んだが(苦役列車で芥川賞受賞)、初の創作集のせいか、少し文章が硬かった。ちなみに、藤澤清造は石川県七尾市出身、私も行ったことのあるろうそくの産地としても名高いひなびた港町・七尾、そういう意味からも、著者モデルの主人公が敬愛する作家の墓が祀られた現地の菩提寺と東京を往復し、ついに木造の墓標を手に入れるまでの過程は興味深い。藤澤清造の「根津権現裏」は西村の尽力で復刻と相成ったのである。
「なんのそのどうで死ぬ身のひと踊り」とは、藤澤清造が一茶ばりに詠んだ句。この開きなおり、転機を迎えている我が身にも欲しい。
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図書館の試写会(菊水庵便り48)

2016-03-27 15:53:09 | 私の作品(短編・エッセイ)
毎月第四日曜日は、金沢市泉野図書館の試写会。
前回そうと知らず、見逃したので今日は早めに自室を出て、二時からの試写会に間に合わせた。二階のホールにはすでに三分の二ほどのお客が集っていた。五分前だったが、席の余裕はまだあった。

最前席に座り、2013年NHKで放映された「ラジオ」というタイトルの震災がらみのドラマ、一時間半を鑑賞した。なかなか感動的だったが、瓦礫問題など、重いものも含んでいる。放射能拡散と他県は渋るが、被災県にすれば、住居の破砕片で思い出の品も数多く混じっている。放射能のついたゴミというより、家族の思い出の品々やアルバムなど、感傷が混ざり込まずにいられず、それを災害にあわなかった人々にも受け取ってもらいたいとの気持ちがある。そのことが誤解され、瓦礫拡散を提唱する女高生ととられたことで、主人公はショックを受ける。

某ちゃんとの愛称のヒロインは、東日本大震災の被災地・女川町の仮設住宅スタジオからラジオ放送(臨時災害放送局・女川さいがいFM)を被災民に流す高校生アナウンサーで、震災にまつわるあれこれを本音で綴る人気ブログの発信者、でもあるのである。
津波で友人を奪われ心を閉じた女高生が放送やブログを通して、人とのつながり、自分を取り戻し、最後は東京の大学に出る決意をする。ラストは、両親や友人と別れ、バスに乗り込み、女川さいがいFMから流れる応援ロックに耳を傾けるも、傍受圏外に出たことで音声は途絶える(つまり、新しい出発である)。

ヒロインを演じたのは、苅谷友衣子、なかなかの熱演である。懐かしい吉田栄作も出ていた。

海外在住者で今ひとつ勝手がわからなかった私にも、いろいろ考えさせられる内容だった。

この四ヶ月で震災関連エッセイもだいぶ読んだが、この国に暮らすということは、放射能との共存を強いられるということで、一見ノンポリに見える作家諸氏もその辺は覚悟している。今までは長くて四十日と短期滞在だったので、その辺がなかなか見えて来なかったが、片鱗なりとも理解した部分がある。

私も最終的に日本にサイドベースを作ってしまったので、この問題はひと事ではない。何より私は日本国籍の日本人である。

福島市在住の住職兼作家の玄侑宗久の「光の山」も読みだしたところ。ラストに収められた題材作は放射能擁護ともとられる描写が見られるが、終盤光(放射能)の山を白装束をまとった人々が放射能を浴びたさにぐるぐる廻るという箇所があって、ここでは放射能→死へと結びついており、もう少しほかの作品を読んでみないと、作者の立ち位置はわからない。ただし、当事者、被災者ということで、やはり外から見ている人とは切実さが違い、別の観点から学ぶものはありそうだ。
収められたのは全編震災がテーマになった短編集で、すでに三編読了した。

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私小説のスタイル(菊水庵便り47)

2016-03-26 15:08:15 | 私の作品(短編・エッセイ)
3月下旬になっても結構寒いと思っていたが、本日外に出てみると、昨日より暖かくジャケットが暑く感ぜられるくらいだった。
しかし、橋上から山を望むと、山面の右端に陽光に光り輝く純白の新雪が貼り付いていて、そういえばラジオでここ数日の冷え込みでスキー場に雪が降り、商売の好機が戻ったと関係者が喜んでいたことを思い出した。

すっかり顔なじみになったリバーサイドヒルマンションの猫ちゃんが二階のベランダの欄干からみゃあと鳴いてご挨拶、いつも外に出たがって欄干の上を伝い歩きしているのだが、飛び降りる勇気はなくて、恨めしそうにこちらを見やるばかりである。ひらひら片手を振ってさよならし、坂の上を歩き進む。

金沢は坂の多い街だが、上りはさすがに息切れする。帰途、この坂を降りて行くと、彼方に見える風景が乙なのである。迂回して降りる坂の向こうに切り取られたような風景、一本の川と土手の上の町並み、空が見渡せ、さらに降りて行くと、雪山が橋上からとは違った角度で見えてくる。一幅の額がかかったような美景である。

昨日から今日にかけて読んだ本の紹介。
西村賢太をこれで六冊ほど読んだが、対談集が面白い。本道の私小説のほうも痛快だし、随筆集もなかなか。やはり、話芸ということである。これは、佐藤正午も言っていた。両作家とも、落語好き。小説は話芸ということで、西村の貧と性がテーマになった一見暗い小説、師と仰ぐ藤澤清造にのっとった私小説スタイルだが、なかなか痛快で噴きだしてしまうことがあるんである。やはり、作家本人は意識して、ここは読者に喜んでもらえそうと書いているわけで、文章のリズムも落語通ならではの調子のよさで、それが受ける理由と思う。明治期の作家に心酔しているので、古臭い言葉遣いも頻用されるが、ユーモラスなリズム感に裏打ちされた文体と破天荒な内容が魅力である。

「三陸の海」(津村節子、講談社)。物故した夫・吉村昭の「三陸海岸大津波」は、東日本大震災後大売れ、ベストセラーになったそうだが、日本のチベットといわれた東北の過疎村、田畑野と、吉村・津村夫妻の長い関わりを綴ったもの。ちなみに、印税は全額同村復興に寄付したそうだ。吉村は自分の死後、収入は極端に減るだろうから、自宅を売ってアパート住まいにしろと遺言していたらしいが、思いがけず、三陸海岸の過去の津波をテーマにした小説が売れて、遺族としてもびっくりしているようだ。同書を読んでみたいが、図書館には在庫がないようである。
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冬日に逆戻り(菊水庵便り46)

2016-03-25 15:09:03 | 私の作品(短編・エッセイ)
天気予報では寒気が逆戻りで雨か雪の予測も出ていたが、午後日が差し始めたので、散歩を兼ねて日課の図書館に繰り出した。
上菊橋から望む山並みの上空には何層もの分厚い雲が折り重なり、天を仰ぐと雨雲がもくもく沸き上げていた。

山肌は黒に褐色が混ざり、万年雪が銀箔のように貼り付いていた。犀川は比較的穏やかに流れていたが、錆がかった色合い。しかし、街路の花壇にパンジーやマーガレット、たんぽぽ、つくしなども目撃でき、春は刻一刻と近づいている。

冷え込みが戻った昨日今日だが、曇天でもお湿りがないので、外出にはいい。

最近読了した本では、「父水上勉」(窪島誠一郎)、「離婚」(色川武大)がよかった。
前著は三十五年ぶりに再会を果たした作家の父について、息子自らが綴った評伝。「父への手紙」の続編だ。窪島は信州上田の夭折画家の美術館(無言館)で知られるが、大作家だった父の血も引いて文章も巧み。
直木賞受賞の後著は、離婚した夫婦が完全に別れきれずにずるずると同棲を続ける奇妙な生態が描かれ、さすがである。色川は阿佐田哲也の別名義で「麻雀放浪記」がある。特異な作家である。
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続書評(菊水庵便り46)

2016-03-24 16:48:49 | 私の作品(短編・エッセイ)
以下、昨日から今日にかけて読んだ本の寸評。

「わが人生の時の人々」(石原慎太郎、文春文庫)。
最近、石原慎太郎のエッセイを立て続けに読んでいるが、どれも面白い。本書は、著者が知己を得た作家、スター、政財界人、スポーツ選手などとの交流を綴ったものだが、往時「太陽の季節」で一躍文壇の寵児となった著者だけに、各界のいわゆる有名人との邂逅は示唆に富んで、読ませる。
人生経験豊富で、本人も選ばれた者と自負しているだけあって、一流の人達との貴重な出会いは、血とも肉ともなり、政治に転向したことで政界を見たことすら、創作の題材として生きている。もう戦後ではない活力ある日本の昭和三十年代、青春を駆け抜けた著者は、ヨットという当時の世相からは贅沢とされた趣味をもつブルジョア青年、とにかく平凡な一介の女性が見れば羨ましくなるほどリッチな人生体験をしており(その分感動も大きい)、特異性が光る。

「悲しき歌姫」(木下英治、イースト・プレス)。
2013年飛び降り自殺した藤圭子の伝記。しかし、どちらかといえば、「新宿の女」を売り出すまでの石坂まさを(作詞家兼プロデューサー)の苦労譚が主体で、藤本人の内面まで深く掘り下げたわけでない。沢木耕太郎の会話だけで展開される「流星ひとつ」にははるかに劣る。引退前の藤圭子に沢木がインタビューして、構成した新形式のノンフィクションだったが、藤が自殺するまでお蔵入りになっていたいわくつきの作品だ。藤と沢木は互いに惹かれ合っていたともいわれ、それだけに、藤圭子の内面が深く掘り下げられている。藤も沢木を信頼して胸の内を明かす会話で答えており、高層ホテルのバーでウオッカを飲み交わしながら、さりげない男女の会話のうちに藤の本音がこぼれる。若い藤の烈しさと清冽な魅力がきらきら光る好著だ。

ちなみに、「悲しき歌姫」の著者は大宅壮一マスコミ塾第七期生で週刊文春のトップ屋だったとあるが、文章もいまいち。しかし、暇つぶしに読むにはいいかもしれない。

*持ち時間45分(図書館のフリーネット)でブログを送ったり、メールをチェックするには限界がありますので、文章は畢竟短くなり、推敲も十分にできませんが(誤字もあるかもしれません)、その旨くれぐれもご容赦を。


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二日続けて街へ(菊水庵便り45)

2016-03-23 15:41:12 | 私の作品(短編・エッセイ)
昨日、駅前に出て、来月13日の上野行き夜行バスのチケットを買った。もてなし広場のガラス張りドームには、ピンクや黄色、オレンジのくす玉ライトがきらめき、華やかだった。先般行われた、北陸新幹線開通1周年記念式典の名残りである。いろいろ催しがあったようだが、どうせ混んでると思って駅に行く用もなかったので、見ず仕舞いだった。

本日も街中に出ている。南町の玉川図書館前は、紅梅が満開に咲き乱れ、近づくと、雌雄の鶯がほーほけきょーのおなじみの鳴き声をあげながら飛び立った。
昨日借りたブルーノートジャズとモーツアルトと、本一冊、「文壇バー、君の名は数寄屋橋」(園田静香<ママ>、銀座の文壇バー、クラブ数寄屋橋がビル立ち退きで移転を迫られるとかで、老舗に寄せる作家の想い出談やメッセージを編纂した書)も一日で読み終わったので返す。

金沢滞在も三週間を切った。
観光含め、目一杯満喫したい。
この後21世紀美術館に立ち寄り、可能なら室生犀星原作の「蜜のあはれ」の試写会を観たいと思っている。ただし、予約してないので、空きがあったらということだが。

午前中に風呂と掃除・洗濯も済ませすっきりしたが、昨夜はワインを飲んだせいか頭が冴え返ってよく眠れなかった。
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書評(菊水庵便り44)

2016-03-20 15:07:58 | 私の作品(短編・エッセイ)
昨日は小雨だったが、今日(20日)は曇天。少し肌寒いが、雨が降ってないので外出にはいい。
金沢滞在も余すところ三週間のみとなって、少しずつ帰印準備を進めているが、合間を縫って読書も堪能している。

「安井かずみがいた時代」(集英社)は面白かった。60-70年代一世を風靡した女性作詞家安井(愛称ZUZU)、故人ゆかりのセレブリティの証言を元に構成された伝記である。高度経済成長期の、昭和元禄文化の発信地でもあった洒落たレストランが六本木の「キャンティ」。スター、モデル、作詞家、作曲家、画家、デザイナー、作家の溜まり場で、女王のようにゴージャスに振舞い時代の寵児を周りにはべらせていたZUZU、加賀まりこやコシノジュンコとつるんで赤坂MUGEN(ディスコ)、クラブ、海外旅行と遊びまくったという。

シンガーソングライターの加藤和彦と結婚してからは、時代の最先端を行く素敵なカップルとしてマスコミを賑わせたが、おしどり夫婦は実は虚像だったとの証言も。肺がんを患って以降の安井の深い孤独が浮き彫りにされる。加藤の献身的な介護が伝わっていたが、現実には死後妻の下着や写真がナイロンの袋に詰めて捨てられ、一周忌を待たずに再婚したとかで、ZUZUの友人の非難の矢面に立たされたようだ(加藤は五年後離婚、さらに後年自殺しており、華やかにもてはやされた過去の栄華よいずこ、である)。

証言者の中に沢田研二はいないが、行間を読んで推察するに、やはり彼とは恋仲だったようだ。ZUZUの片思いでジュリーと恋人になれないことはわかっていたとあるが、シンガーソングライター吉田拓郎の証言で、ZUZUが作詞を受け持つことになったとき、もっとセクシーに男らしくとジュリーのものまねを強要され、嫌な女だった、巷間伝えられるような優雅さと裏腹のだささもあった、一番哀しい女、愛しくて可愛いと告白する箇所があり、ZUZUとの仲を訊かれ、否定するのだが、タクローともどうやら男女の関係であったようだ?

酒、男、ドラッグと、結婚前はめまぐるしい男性遍歴を重ねていたZUZU、モロッコのことを書いた作家には自らアタックしたというのだが、誰のことだろう。

とにかく、往時の時代背景、有名人周りの風俗がうかがえ、つとに面白い伝記に仕上がっている。

「私の海」(石原慎太郎、幻冬舎)、ヨット、海、風、男のロマン、選ばれた者たちのみが遭遇する大自然の恩恵と脅威、ヨットレースという苛酷な男のスポーツ、海の上で目の当たりにした稀な風光、自然に対する鍛えぬかれた目が彫琢する文、政治家としてのイメージが強かったが、感性の文学者だったんだと再認識、ちなみに、文学から政治に転向したのは、流行作家だったときベトナム戦争の取材に出て肝炎にかかり帰国、長期入院を余儀なくされたことが契機となったようだ。病床で身をすり減らして週刊誌の連載原稿を書く惨めさを痛感、三島由紀夫からの、これをきっかけに自分と社会を見つめなおしてみよとの見舞い状に触発され、政治家になろうとの方向が自ずと定まったとのことだ。

「清川妙の素敵に年を重ねたい」(あすなろ書房)、著者名にうろ覚えに記憶があったのだが、中学時代のめり込んだジュニア小説の作家の一人であったことを思い出し、四十数年ぶりの邂逅に不思議な感慨を抱いた。今は小説は書かず、エッセイや、万葉集などの古典関連のカルチャー教室講師をやっているようだ。しかし、長年培った文章力は確か、少女小説出身作家はわりと多く侮れない。川上宗薫、津村節子、富島健夫もそうだが、清川にも少女小説を脱皮して大人の文学を書いてもらいたかった。その素養も資質も十分にあったと思う。しかし、夫や息子亡き後も毅然と魅力ある生を紡いでいるようで(書き物関連の本業の合間を塗ってのイギリスの世界一美しいと言われる田舎への旅行を楽しむなど)、ポジティヴな生き方の姿勢を学ばされ、鼓舞されることしきりのエッセイだ。

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春らしく髪をカット(菊水庵便り43)

2016-03-20 14:38:13 | 私の作品(短編・エッセイ)
昨日は三週間ぶりに眼科でチェック、おかげさまで経過は良好、事後、内科医長をしている弟を呼び出してもらい、十数分専用室で歓談、4月の第一土曜日の最終検診が終わったあと、車で郷里福井まで連れて行ってもらえることになった。わが同族会社(車の自販整備会社で次弟が経営)での彼のタイヤ交換ついでである。

すでに市役所関連の所用で12月と1月に一度ずつ福井には顔を出していたが、最後にもう一度と思っていたところでちょうどよかった。
病院を出て、徒歩十数分のところにある寝具店で、家族用の予備の枕や掛け布団を買い、歩いて今来た道を戻り三十分ほどで、美容室に入った。バスの車窓から「カット1800円より」のボードを目にし、ここで長くなった髪をさっぱり切ってもらおうと思っていたのである。

日本でカットするのは二十数年ぶり。ベテランの美容師さんにボブスタイルをお願いし、長さや軽やかさはお任せしたら、いい具合にふんわりと柔らかく仕上がった。髪が厚いので中を随分削いで軽くしてくれたのだが、少し長めかと思った丈も乾いてみるとちょうどよく、耳の下で丸まってこれこそ本式ボブ。インドではカルカッタの中国人経営のビューティーパーラーを愛顧していたが、ものの15分とかからぬシンプルカットで、腕前はプロ級というものの、日本の至れり尽くせり、細やかに行き届いたサービス(ドライヤーでのブロー仕上がり、頭から肩までのマッサージ付き)は望めない。気持よくて半分眠っているうちに出来上がった。やっとヘアスタイルも春らしく軽やかになって浮き浮き、おまかせで完璧に仕上げてくれた美容師に感謝して退去。しめて2480円なり。

行きのバスで観光スポットの橋場界隈(ひがし茶屋街)に紅梅が咲き誇り思わず身を乗り出したが、帰りは浅野川の風流な眺めとともに見頃の梅を行き過ぎる窓越しに愛でつつ、兼六園下で降りた。乗り継ぎで百万石通りを歩いて次のバス停に向かう途上、市役所の入り口に三部咲きの桜があり、立ち止まってしみじみ仰いだ。小雨に咲き初めの可憐なピンクの小花が濡れる風情が奥ゆかしかった。

菊水庵にたどり着いて、向かいの民家の梅が満開、いままでこんな近くに梅が咲いていたとは気づかなかった。薄くれないのこじんまりとした花が密に連なり、見とれた。家々の軒先のプランターに色鮮やかな春の花が咲き乱れ、白モクレンも美しい季節となった。

来月は犀川周辺、郷里福井と満開の桜を満喫できそうだ。
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犀川に鴨三羽(菊水庵便り41)

2016-03-18 15:28:09 | 私の作品(短編・エッセイ)
今日(17日)も春日和、橋の上から俯瞰する河の色は澄んで穏やかにサラサラ流れ、底の丸石が透けて見えるほど。冬の間はザーッという荒い瀬音だったのがさわさわと優しい音色を耳に伝えてくる。

河川敷は周辺から緑が伸び広がり真ん中の枯野の範囲が狭まっている。平日の今日は散歩する人、ジョギングする人も数えるばかりだが、皆暖かな陽差しを楽しんでいた。

図書館からの帰途、河原に降りてみた。水面に鴨が三羽、うち一羽ががぁーっとカラスのような鳴き声をあげて飛び立った。金沢名物料理、治部煮を思い出した。鴨肉と麩と加賀野菜をしょうゆで煮立てて小麦粉でとろりとさせたものだが、この川辺のかもが犠牲になるのだろうか。

遊歩道をどんどん歩いて800メートルほど先の雪見橋まで。ここまで足を伸ばすのは二ヶ月半ぶり。冬の間は河原に降りるのさえ寒くて敬遠していたのだ。中程がカーヴしギャマンの嵌めこまれた彩り豊かな欄干を愛でつつ渡り、向こう岸の桜並木の土手沿いに戻った。

枝一面芽吹いて膨らんだ蕾がびっしりついていた。枝間越しに仰ぐ夜空に白く澄明な上弦の月と星数粒、河面の上空にひときわ輝かしい大粒の星2つ、六分の一に切り分けたパイのような形に見えるが、なんという星だろう。先ごろの兼六園のライトアップ無料開放に出向いた時も、街の灯の上空にきらめいて一瞬飛行機かと見間違えたほどだった。

橋詰にたどり着いて渡りながら、南方の街のネオンが赤、橙、淡緑、薄黄ときらめくのを愛でつつ、夜空を仰いで白い半月と星を堪能した。
兼六園のしだれ桜はもう、開花したらしい。犀川河畔のはちきれんばかりの芽をつける桜並木が一斉にピンクに彩られる日も間近だろう。蒼い流れと緑の河川敷、彼方の雪の名残る山稜と相まって牧歌的な風景となろう。

本日のざれ歌。

白加賀なる名梅夜空に降る綺羅星のごとく灯下に満つ

霞ヶ池に映ずる新月ゆらり踊りて水面より銀鯉の如く跳ねいでし

マスクの上からも芳香むせ返る20種200本の梅繚乱

街の灯きらめく夕空はワインレッド古都の美しき黄昏

橋上に立ちて夜空仰ぐ月星のシンフォニー耳目を満たす

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昔恋歌(せきれんか)/詠み人・青蓮

2016-03-17 15:03:43 | 私の作品(短編・エッセイ)
三十年後の求愛に白髪混じりし吾はいまさらと背をそむけし

歳月を経て男は出世し公人吾は只の老女苦い胃酸の液こみ上げる

家族と昔の男を天秤にかけて家族を取る吾の中のモラリスト

恋多き女いずこ妻母の仮面つけて家庭の人に

妻母の顔の裏にくすぶる女の情熱隠し持つ

三十年後のメールに無言を通す身を切る辛さで家を守る

人生の3分の1を一人の男に捧げしなんたる浪費よ!

プラトニックラブが窮極の愛の形 四半世紀を純愛一筋に賭けたり

奔放な女の勲章惜しげもなく捨てて家庭に入りぬ

タイムマシンで三十年前に戻れば今度こそもっとうまくやると思えども

パラレルワールドで生きるもう一人の吾 もう一人のあの男と結婚し幸せかそれとも不幸か

悲劇のヒロイン演じたニルヴァーナ(涅槃)ホテル 吾は恋に生きる情熱の女(ひと) 恋のために死すことも厭わず

封印していたパンドラの函不意の風にカタカタ音を立てて開きぬ 中から現れしは男の亡霊

逃げるように振り切りし恋はいまだ終わらず 葬っても葬ってもその反動で蘇りし

パンドラの函を開けた罪人は吾 悔いる一方で確信犯の笑み洩らす

吾は火の星のもとに生まれん 奔放な熱情燃やした過去いずこ

火の女は氷となりし石となりし

火の鳥籠に入りて飛ぶことを忘れたり
華麗な羽は色褪せ自由を請うて苦しくもがき
牢の柵で翼傷つけたり

嵐に身悶える椰子のごとく男の腕(かいな)に抱(いだ)かれ

サイクロンのごとく狂おしく吹きすさぶ熱帯国の情事は

王宮ホテルの天蓋ベッドで昼も夜もなく身悶え

絡まる四肢のくるぶしで甲高く囀る銀の足環(グングル)

吾の前世はコーティザン(宮廷娼婦)汝(なれ)はマハラジャ

ルーフより飛翔す 恋のために身を投げたコーティザンに取り憑かれ

男女交合神のごとく一体となって昇天を目指さん

恋の舞台は天上ホテルその名のごとくカーマ(性愛)のニルヴァーナ

今一度スポットライトを浴びたく世界が吾のために回っていた一世一代の大芝居

実ることのない恋は歳月を経ても吾の中に火傷の跡のように遺りぬ

四半世紀で理想の恋人に捏ね上げられた男 おのがこしらえた偶像美に酔う

黒豹のようにしなやかに美しく単車を駆るアマン(情人)

甘美な恋の宴のあとで愛(カーマ)の楽園は禁断の園と化す 

詠み人/青蓮(せいれん)

*昔恋歌の小説版は昨冬上梓した「涅槃ホテル」をご一読ください。






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